Act15 「いや?綺麗だなと思って」

 人間、恋に落ちる切欠なんて人様々で、そこに定義なんて存在しない。まぁでも普通ははっとするほど顔が綺麗だったとか、すげぇスタイルが良かったとか、笑顔が可愛かったとか、性格が凄く良かったとか、大体相場は決まっていて、オレも今まではそんな一般的な感覚に基づいて可愛い恋をしたりしてたんだけど、今回の恋はそのどれにも全く当てはまらず、それどころか常識までを超越してしまった、とんでもない恋だった。  
 

『……いや?綺麗だなと思って』
 

 口元に笑みさえ浮かべながら言われたその言葉。

 なんの変哲もないその一言が、オレを道ならぬ道へと引きずり込んでしまったんだ。

 そんな恋にオレを『突き落とした』張本人は、その日も普段と変わらない時折尊大で憎たらしい、それ以外は飄々とした態度で、似合わない制服をそれでもそつなく着こなして教室の隅で比較的大人しく過ごしていた。

 一歩この空間から出ると馬鹿みたいな恰好で馬鹿みたいに煩くがなりたて、それでも世界中からもてはやされる大企業の若社長で天才ゲームデザイナー、そして最強デュエリスト。貴公子なんて名が簡単についてしまうほどそれなりに見てくれも良く、長者番付に堂々と名が出る程の超金持ち。当然頭も頗るいい。

 世の中の人間がそのどれか一つでも手に入れたいと必死に足掻いて生きているのに、その全てを手にしても「だからどうした」と鼻先で一笑し、常に冷ややかな視線で世界を見るこいつの事を、オレは心底気に食わなかった。

 スカした顔しやがって、マジむかつく。頭はいいかもしんないけど、そんなひょろい身体で何が出来るってんだこのもやし野郎。と、いつも心の中で、そして時たま口にも出して悪態をついていた。手を出した時もあった。そしたら華麗な返り討ちにあって余計ムカついた。

 あんなに何もかもを持っている癖にあいつは腕っ節まで強かったんだ。文武両道どころかどっちもスペシャリスト。神様のえこひいきもここまでくると笑えない。信心なんてくそくらえだ。

 奴を見る度にそんな思いを胸に抱いて苛々していた『その日』。

 いつもの通り重役出勤だったものの、珍しく放課後まで学校にいると宣言した海馬は、人懐こい笑顔を見せて挨拶がてら近づいて行った遊戯と二三言話をすると、それきり一切口を噤んで黙々と『学生』をこなしていた。

 滅多に顔を見せない所為で大分足りない単位をプリントやレポートで補う為、学校にいる間も奴は結構忙しい。授業中は授業をきちんと受けて、空き時間を使って山のように積まれたプリントを高速で埋めて行き、出来た分から該当の個所へと提出をしに行く、を繰り返す。

 その様を窓際の指定席からダチとだべりながら見ていたオレは、何度か邪魔してやろうと思ったものの、何となく気分じゃなくってただ眺めるだけで留めていた。オレの背後には雲一つない鮮やか過ぎる青の空。それを切り裂くように降り注ぐ日の光が少し暑い位だ。

 あっちぃー!なんて言いながら学ランを脱ぎ捨て、中に来ていたTシャツ一枚になったオレは、わざとらしく下敷きでパタパタと首元を仰いだ。その間にも視線は海馬から外さなかった。

 すると流石にその視線が気になったのか、それとも騒がしさに集中力が途切れたのか、不意に下ばかり見ていた海馬が顔を上げてちらりとこちらを見つめて来た。

 いつもなら見るだけでイラッとするような鋭い眼差しを向けてくるのに、その時は本当に『気になったから見てしまいました』的な何気ない顔で、それまで課題に真剣に取り組んでいた最中の息抜きのようなものだったから、どことなく表情が緩んで見えた。

 ほんの一瞬だったけど。

 そんな瞬間が一回だけじゃなく何回もあって、時間もどんどん過ぎて行き、いつの間にか放課後の午後4時過ぎ。クラスメイトは殆ど部活に行ったり帰宅をしてしまい、オレもこのままバイトに直行する予定だった。バイト先は家とは正反対の場所にあるから遊戯達とは別行動。だからバイトのある日はオレは必然的に一人で帰る事になる。

 いつもは奴らと校門までは一緒に帰るんだけど、今日はシフトが組まれた時間までは大分あったから、なんとなく教室に居残って本田から借りた携帯ゲームに勤しむ事にした。暇潰しに最適なパズルゲーム。窓際に腰をかけてピコピコと間抜けな電子音を鳴らしながら熱中していると、不意にまた視線を感じた。

 はっとしてゲームから目を離し、顔を視線が感じる方向へと動かすと、そこにはやっぱり海馬が居た。あれだけ頑張ってもやっぱり全部は終わらせる事が出来なかったらしい。奴の机の上には後数枚のプリントが残されている。……まぁそんでもあれだけの量をあんな少ない時間でこんだけ減らせるのはすげぇとは思うけど。

 そんなどうでもいい事を考えるのと同時に、オレは未だ外されない視線にちょっとだけイラついた。さっきまでは本当に何気ない感じだったのに、今のそれは観察でもする様ななんか妙にしつこい感じだからだ。

 ……なんだよ、そんなにオレを見て、文句でもあるのかよ。そう心の中でぼやいてまたゲームに集中しようとしたけれど、見られてるのが分かっていて無視するなんて器用な真似が出来る筈もなく、どうにもならなくなったオレはバンッ!とちょっとだけ乱暴に携帯ゲームのディスプレイを閉じてしまうと、不機嫌な顔丸出しでずかずかと海馬の座る席まで歩いて行った。文句を言われたら言い返してやろうと、そう思って。

「なぁ、お前さっきからじろじろとオレの事見てるけど、何か用なの?オレが邪魔?教室はお前のものじゃないんですけど!オレが邪魔ならお前が静かな図書室にでも行ってお勉強してくればいーんじゃねぇの?」

 まだ何も言われない内から牽制の意味も込めてそう強く口にしても、海馬はオレを見る事をやめなかった。それどころかますますじっと見つめて来る。普段なら激怒レベルのオレの言葉も今の奴にはなんの刺激も与えないようだった。……一体なんだよ、気持ち悪い。オレが心底そう思い、それを素直に言葉にしてやろうかと再び口を開こうとしたその時だった。

 海馬が、徐にオレの方に手を伸ばし、あるものに無遠慮に触って来た。

 余りにも突飛で意外な行動に、オレが心底驚いてその手を振り払い「なんだよ!?」と大声を出して怒鳴りつけたその瞬間……奴は眩しそうに目を細めてこう言った。
 

「……いや?綺麗だなと思って」
 

 こんな恋の落ち方があるんだと、オレは初めて知ったんだ。  
 

  

「はっきり言って、髪褒められたの初めてなんだけど。お前って変な奴。ガイジンでもない限りふつー変な目で見るもんなんだぜ。似非金髪なんて。不良のトレードマークだし」
「他人と一括りにしないで貰おうか。感性は人それぞれだろうが」
「そうだけどー……こんなんどこがいいのかね。髪は痛みまくって汚いし。なんか綺麗な色じゃないし」
「それでも、オレは好きだ」
「……真顔で言わないでくれる?恥ずかしいから。つーかお前が好きなのはオレの髪だけかよ」
「ああ」
「ちょ、あっさり言うな、そんな事!」
「冗談だ」
「分かってるけどさぁ……」
 

 あれから一年。
 

 この汚い金髪が縁でそのまま恋人同志になったオレ達は、それなりに仲良く毎日を過ごしている。神様にえこひいきをされまくったむかつく超人男は、人生でかなり大事な気がするパートナーにオレを選んだ事で、なんだか偉く価値が下がってしまった。

 けれど、本人は全く気にしていないので、それはそれでいいかな、なんて思い始めてる。

 海馬に何もかもを持たせた筈の神様は最後の最後で手を抜いたんだなって思うとなんだかすごくおかしくなった。性格悪し、趣味も悪し、恋人選びのセンスまで悪い、可哀想な海馬くん。けど、後悔はさせたくないな、と思っている。オレに何が出来るかは分からないけど。

 今はただ、酷く満足気に大好きらしいオレの金髪に指先を絡め、控えめに笑うその身体を思い切り抱き締めてやろう。出来るだけ優しく。けれど想いが伝わる様に、強く。  
 

 日に透けるオレの髪が酷く綺麗だった事。そう言ったその顔こそが酷く綺麗に見えた事。
   

 そんな、珍しい恋の話。