Act21 「ちょっと黙って目ぇ瞑れ」

「お前ってほんっと運が悪いよなー。もうここまで来ると笑っちゃうね」
「……うるさい」
「一ヶ月に一回、たまったま来た学校でインフル貰っちゃうとかどんだけなの。つか、流行ってるってテレビで言ってたじゃん、対策して来いよ、対策!」
「……うるさいと言っている!帰れっ!」
「はいはい興奮しないの。熱上がるぜ?……えっと現在の体温は……うわっ、40度越えだよ。お前普段が普段だから死ぬんじゃないの?」
「だ、誰の所為で熱が上がってると思っているのだ」
「あ、もしかしなくてもオレの所為?あっはは、ごめんごめん。だぁって楽しいんだもん。お前病気だとずーっと一緒に居られるしー。たまたま今日バイト休みで良かったよなー。ちゃーんと看病してやるからな!」
「……いい。全力で遠慮する。大体うつったらどうする」
「クラス全員ぶっ倒れてもピンピンしてんだから今更罹んないっつーの。オレ、A香港型には弱いけど、新型には強いみたい。よゆーだぜ」
「………………」
「と言う訳で、諦めて観念しな。あ、寒くない?夏のインフルって室温難しいよな。オレはちょっと暑い位なんだけどさ」

 そんな事を言いながら至極楽し気に鼻歌まで歌いつつ、城之内は海馬の額に乗せていた変えたばかりの濡れタオルを手に取り、氷混じりの水の中へと放り込む。その様を心底不機嫌そうな表情で睨む海馬の顔は、見るだけで無残な病人顔だった。普段は触ると生きているのか死んでいるのか分からない程冷たい身体も、今は触ると一瞬驚いてしまう程熱い。

 おでこにヤカンを乗せたらお湯が沸くかも。

 そんな軽口を叩きながら存分に冷やしたタオルを額に戻し、ずれない様に押さえ付ける。それを鬱陶しげに振り払おうと伸ばされた弱々しい指をキャッチして、軽くその先に口づけた。

 ちゅ、という音が響くより早く、海馬の掠れた悲鳴が上がる。

「……ちょっ……何をしているっ!」
「おイタは駄目でちゅよ、瀬人くん?静かに寝て下さいねー?」
「……っ!!気色悪い言葉を使うなっ!寒気がしたわ!」
「それはお前、熱があるからだろ。ったくさーこういう時位大人しく出来ない訳?オレ普通に看病してるだけじゃん。そんなに嫌がる事ないだろ」
「………………」
「何もさー飲み物食べ物は全て口移しとか、汗かいてるだろうから素っ裸にして全身拭かせろとか、座薬入れさせろとか、熱があるのにヤらせろとか言ってねーじゃん」
「?!」
「今は至って紳士的に看病してんだから抵抗すんなよ。な?あんま暴れっと今の発言全部実行するぜ?」
「じょ、冗談じゃないぞ。やめろ変態!」
「変態言うな。だから大人しくしろっつってんの。言う事聞いたらちゃんと面倒みてやっからさ」
「……信用ならん!」
「え?何?瀬人くんはフルコースがお望みですって?」
「たわけ!!」
「もーいいからちょっと黙って目ぇ瞑れ。な?疲れただろ?」
「………………」
「もう少ししたらメシ食って薬飲もうな。口移しで」
「誰が飲むかっ!」
「嘘だってば。これ粉だから無理。オレ苦いの苦手だし」
「……殺すっ」
「今にも死にそうな顔してる人が物騒な事言わないの。元気になったら幾らでも暴れてもいいからさ。はい、おやすみー」
「……帰れ」
「帰ったら寂しがる癖にさ」

 いつの間にか城之内の右手が掴んでいた海馬の熱い指先は、自主的にその手を握り返していて。城之内は殆ど力の入っていないそれを微笑ましく思いながら、空いた左手でまるで小さな子供相手にする様に少し乱れた海馬の髪を撫でてやった。

 その仕草に抵抗する動きはもう見られない。

 大きく肩を上下させ、ぜいぜいと喉を鳴らして熱い吐息を逃している眼下の身体を見下ろして、城之内はそれまでの楽しいという気分を少しだけ改めて、なるべく優しい声でこう言った。

「なぁ、苦しい?」
「……苦しいに決まってるだろうが」
「吸い取ってあげようか?うつすと治るし」
「……今、『オレはうつらないんだ』と自慢していなかったか」
「そうだけど。直だったら分かんないじゃん?」
「……いい。違う菌がうつる」
「失礼な事言うなよ。超健康体だっつーの。最近は腐ったもの食べてないし」
「………………」

 ま、ものは試しで。

 既に『それ』を実行するべく座っていたベッドサイドにある椅子から腰を浮かせていた城之内は、海馬の頭と手に触れていた両手はそのままに、今度は指先ではなく半開きのまま閉じる事の無い唇にキスをした。

「…………っ!」

 水分を失って少しだけかさついているそこを潤す様に丁寧に舌まで入れて舐め上げた彼は、余計苦しそうに顔を歪める海馬の抗議の呻き声を聞いて、漸く顔を僅かに離した。熱く湿った吐息と唾液の糸が互いの口をしとどに濡らし、部屋には荒い呼吸音と大きな咳が響き渡る。

 ついで、二度目の海馬の悲鳴が木霊した。

「きっ……貴様は阿呆か?!直接口をつける奴がどこにいるっ?!」
「咳のおまけ付きとかやってくれるじゃん。つーかすっげ、今ダイレクトに貰っちゃった。インフルエンザ菌。これでうつらなかったら表彰ものじゃね?研究対象にされるかも」
「……知らないぞ。発症しても自業自得だからな」
「いいんじゃね。オレとお前は一蓮托生ってね。むしろ本望?」
「……オレは貴様の面倒など見ないからな。とっとと死ね」
「だから可愛くない事言わないの。大丈夫だって。オレマジ丈夫だから。とにかく、今のおやすみのキスだから、今度こそ寝て下さい」
「言われんでも寝るわ。疲れた」
「それは良かった」
「……もう邪魔するなよ」
「うん。続きは元気になってからする」
「しない」
「そう言わずに。したいだろ?」

 オレは今すぐしたいんだけどねー。そんな事を言いながら城之内は最後にもう一度軽く唇を合わせると、今度は大人しく定位置に戻り、暫くは『紳士的な看病』に徹したらしい。

 ちなみに城之内にインフルエンザがうつる事はついぞ無かったが、海馬の回復は大分遅れた事をここに付記しておく。

 それは城之内の献身的な看病が功を奏さなかっただけなのか、はたまたそれ自体が悪影響を及ぼしたのかは本人達のみぞ知る事である。