Act22 「お前の怯える顔、すげぇソソる」

「じょっ……城之内!!」
「なんだよ血相変えて飛び出して来て。って!お前何でびしょびしょなの?!何かあった?」
「風呂場に奴が出たぞ!貴様、この間全滅させたと言っていなかったか?!」
「奴?なんだよ奴って」
「口にするのもオゾマシイ物体だ!!早く何とかしろ!!」
「あーゴッキーさんね。お前、ほんっと虫駄目だな。知ってた?この間排水溝からゲジゲジ出て来たんだぜ」
「ゲ……ゲジゲジ!?」
「あ、知らねぇ?こうながーい胴体でー足がいーっぱいあってカサカサ動く……」
「ひぃっ!言わなくていいっ!想像する!!」
「今度捕まえたら見せてやるよ」
「み、見せなくていい!!即効処分しろ!そんなもの!」
「まぁ確かにあんまし可愛くはないけどね。……で、どこにいたって?一緒に来て教えてくれよ」
「い、嫌だ。死んでも行くか!多分脱衣所だ!」
「なんだよ多分って。ちゃんと見ろよ。目星付けないとやっかいだろー?」
「いいからとっとと行けッ!」
「退治して貰う立場の癖に何でそんなに威張るんだよ。ったく男ならゴキブリ位掴んでポイ捨てする位の気概を見せて欲しいもんだぜ」
「出来るかっ!」

 そう言って何故かオレの後ろに移動して、辛うじて引っ掴んで来たらしいバスタオルでずぶ濡れの全身を包み込んでその場に蹲ってしまった海馬は「早くしろっ!」なんて睨みながら、その言葉とは裏腹にぎゅっと縮こまった。細長い体をこれでもかってほど丸めてるその姿は結構可愛い。

 大方お湯を浴びたそのまんまの状態で飛び出して来たのか、髪からは暖かい水滴がぽたぽたと垂れてる状態で、多分今奴が座ってる場所はびしょびしょだ。お風呂場からここまでも大分濡れちゃってる。今は夏だから床拭けばいい話だけど……それにしたって焦り過ぎだろ。

 オレはわざとらしく「やれやれ」なんて言いながら、ゆっくりと立ち上がって掃除機片手に風呂場へと向かう。何時もならスリッパや丸めた新聞紙で一撃なんだけど、またしても海馬が潰すのはやめろとか嫌だとか言うから、奴がいる時はコレで吸い込む事にしている。

 まぁ確かに後始末を考えるとこっちの方が数倍楽なんだけど、やっつけた!って気がしねぇからイマイチなんだよなーオレ的には。

 あ、今更だけどここオレん家な。今日はオヤジがいねーから、たまには家でゆっくりしようって思って海馬連れ込んで仲良くしようと思ったんだけど、あいつが風呂に入った途端この騒ぎだ。全く運が悪いよなぁ。まぁ最近ちゃんと掃除して無かったから、そろそろ出るかなーと思ってたけど。

 もう言うまでもないけど、海馬ってばこんなデカイ図体してゴキブリが大っ嫌いでやんの。ゴキブリっつーか昆虫系全般がダメらしいんだけど、ゴッキーは特に嫌いらしい。

 隅から隅まで塵一つ無い海馬邸では勿論お目にかかる事なんて無いけれど、古くて狭いこのボロアパートじゃ、もうお友達感覚で。オレはぜーんぜん気にしないんだけど、海馬はその姿を見ただけでもう生きた心地がしないらしい。見かけるだけで大騒ぎだ。

 ……拳銃突きつけられても平然としてる男がゴキブリ一匹でぎゃーぎゃー騒ぐってどうなんだろな。そのギャップが可愛いっちゃー可愛いけどさ。

「で?どこだっけ?脱衣所?お前、仕切り扉開けっ放しにするから分んなくなったじゃん」
「おい、開けっ放しで捜索するな。扉は閉めろ!」
「面倒臭いし。大丈夫だって。えーっと。あれ、いないぜ?」
「いる!絶対いる!!」
「だからどこだよ。洗濯機の裏だったりすると分かんねぇぞ。もう気にしないで入っちゃえば?風邪引くぜーそのままじゃ」
「入れるかっ!」
「だぁっていないもん。オレに見えねぇし。なぁ、ちょっとこっち来いよ」
「嫌だと言っている!」
「我儘だなぁもう」

 別にゴキブリは人間を食いやしねーんだからそんなにビビんなくてもいーじゃん。と思いつつ、オレは一通り風呂場と脱衣所、そして念の為バスタブの中まで覗いたけど、それらしい姿は見えなかった。ゴキブリ側の常套手段として洗濯機等の影や天井なんかに静かにひっついてる事が多いんだけど、そこにも見当たらない。

 ……ほんとにゴキブリだったのかぁ?海馬の見間違えじゃね?

 段々疑心暗鬼になって来たオレは、とりあえず現場から少し離れてみようと掃除機ごとそこを後にしようとした、その時だった。

 ブゥン、と嫌な羽音がして、オレの横を黒い物体が通り過ぎる。お、こいつかっ?!とオレが身構えるより早く、部屋の方で海馬の大絶叫が聞こえた。やべっ、そっちに逃しちゃった。早くいかないと、と思うより早く。オレの身体にダイレクトアタックして来た海馬の腕に首を絞められた。しかも思いっきり。

「……ぐえっ!!ちょ、海馬っ!……く、苦しっ……」
「ふざけるな凡骨ッ!!こっちに来ただろうがっ!!」
「今やっつけるからお前、そっち入っとけ。な?」
「い、一匹だろうな?!」
「う、うん。多分」
「多分?!」
「いでででで!!いや、絶対!大丈夫だからオレを離せっ!早くしないとまたこっち来るぞ」
「!!」

 そうオレが言うが早いが、海馬は今度はオレを突き飛ばし(酷過ぎる!)思いっきり扉を閉めて風呂場に立てこもった。あーあーもう、オレまでびしょびしょにしてくれちゃってまぁ。どうすんだこの始末。

 その後、オレは特に苦労する事無く、海馬を散々ビビらせたゴッキーさんを速やかに掃除機の中に回収し、ついでに水浸しになった床の上を掃除して事無きを得た。

 ……今度ゴキブリホイホイ買ってこよ。対面する度にこんな騒ぎじゃーやってらんねぇ。
 
 

「……始末したか?」
「何恐る恐る覗いてんだよ。もういねぇよ」
「本当に一匹だけだったんだろうな?!」
「今のとこな。あいつ風呂場にいたみたいだし、外から入って来たんだろ。台所からだとヤバイけど」
「帰る」
「ゴキブリ位でびくびくしてんじゃねーよ。オレ、ここに住んでるんだぜ?」
「考えられん」
「ほんとにもう大丈夫だからこっち来いよ。ほら、珈琲淹れてやっから」

 オレがゴキブリ退治をしてから三十分後、風呂場の扉からちょこっとだけ顔を出した海馬は、恐る恐る部屋の中を見渡して、それからじっとオレを見た。そこにはいつもの居丈高な態度は微塵もなく、まるでお化け屋敷に嫌々ながら入った子供みたいだ。

 まだビビってるよ。お前それでよく自分の事を「百獣の王たるライオン」なんて言ってるよな。ライオンが泣くぞマジで。

 オレは半ば呆れた溜息を吐きながら逃げ腰で扉の向こうに立つ海馬を手招きすると、いつもの倍の時間をかけて歩いて来たその身体を捕まえて強引に隣に座らせる。海馬の視線はまだ部屋のあちこちに向けられていて、どうみても警戒モードだ。身体もまだ微妙に硬直してる。
 

 それにしても……可愛いなぁ、こういうの。めっちゃ押し倒したい!
 

「もういないってば。そんな警戒すんなよ」
「貴様の言う事は全く信用できない」
「出たら出たでまたやっつけてやるからさ」
「そういう問題ではない!」
「まぁまぁ落ち着いて。大丈夫だからさ。しっかしお前の怯える顔、すげぇソソるんだけど」
「……は?」
「さっき裸で抱きついてこられちゃったしー。オレ、実は限界なんだよね」
「何っ?!ちょ、ちょっと待て!」
「待てません。ゴキブリやっつけてあげたんだからご褒美くれよ」
「ご褒美だと?!ふざけるなっ!!おいっ、待てと言ってるだろうが!!」
「あ、そこにいたっ!!」
「ひっ?!」
「なーんてね。隙有り!!」
「くそっ!この馬鹿犬ッ!!」
 

 結局、ビビりまくるかわゆい海馬くんにすっかり誘惑されたオレは、その場で美味しく頂きました。途中、本当にゴッキーさんが通って行くのを目撃しちゃったんだけど、中断するのが嫌だったから最後まで黙っていた。

 その後、寝る前までにもう一騒動あって、オレは予定よりも大分早くゴキブリ退治用品を買わされに行く羽目になるんだけど。
 

 ……総じてとっても幸せな一日でした。