Act24 「オレを惚れさせたんだ、覚悟しろ」

「オレを惚れさせたんだ、覚悟しろ」

 夕暮れの教室で海馬と二人、黙々と課題をこなしていたオレは、自分でも物凄く変だと思うタイミングでそんな事を言ってみた。その実取り組んでいた世界史のレポートが思うように進まなくてイライラしていたから、海馬にちょっかいを出してやろうと思って口にしたセリフだった。

 ちなみに、この間杏子から借りて読んだ少女漫画のパクリだけどな。

 元々思いっきり邪魔するつもりはないから、席も立たず顔さえレポート用紙から離さずに言ってみたんだけど、海馬から反応は無かった。……余りにも下らな過ぎて無視されたかな。ま、しょうがねぇけど。そんな事を思いながら、たった今書いた文が気に入らなくて消しゴムで消し始めたその時だった。

「覚悟とは?具体的にどんな覚悟をすればいいのだ」

 まるで会社で部下に質問をするような口調で海馬がそう返して来た。奴も課題に取り組む姿勢を微動だに崩す事はなく、目線は下で、シャープペンを持つ右手を高速で動かしながらだ。こうしてみるとオレ達は至極真剣に勉強をしている真面目な生徒にしか見えない。なんか変な感じ。けれど、特にこの状態を変える気にはならなかった。

 しっかしまさか答えが返って来るとはね。普段ならこんな事を耳にしようもんなら徹底スルーか、「うるさい集中しろ」とか「下らん事を言うな」とか「脳が腐ったのか?」とか、何かと手厳しい声が飛んで来る筈なのに。変なの。

 それよりも具体的に……具体的に、ねぇ。それってどういう部分を具体的に言えばいいんだ?

 例えばオレに惚れられたからには……プライベートな時間は殆ど無くなるかもとか、エッチ大好きだから夜は余り眠れなくなるかもしれないとか、毎日メールや電話攻撃は当たり前とか、見かけによらずめっちゃ嫉妬深いから他の人間と仲良くしたら大暴れするぞとか、そういう事を一々あげつらって告げて行けばいいんだろうか。良く分からん。

 しかし自分で思うだけでウザいなオレ。でも実際そうだからしょうがない。

「えぇっと、例えば……」

 とりあえずオレは今浮かんだ言葉を一字一句間違えない様に海馬に言ってやる事に決めて口を開く。けど、オレが張り切って口を動かす前に、その言葉は海馬の淀みない台詞にあっさりと掻き消されてしまう。

「プライベートの喪失とか、睡眠不足とか、大量の電話やメール、下らん嫉妬の嵐……そういう点については全て分かっているから、特に確認しなくていいぞ」
「えっ」
「貴様は付き合えという前からそうだっただろうが」
「ああ、うん。そうだけど。じゃあそれって、覚悟してたって事?」
「覚悟とか覚悟じゃないとか、そういう重苦しい言葉を使うから重大な事の様に思えるだけで実際は些細なものだろうが、そんな事」
「……はぁ」
「だから、それ以外で何か心構えをしなければならない事があるのなら言ってみろ、と言っている」

 海馬は相変わらずシャカシャカと軽快な音を立てながら紙に文字を綴っているけれど……なんかこいつちょっとスゲー事言ってねぇか?オレと付き合う時の覚悟って言ったら今あげつらったものだけど、そんなん全部最初から承知済みってか。

 まぁ確かに付き合う前からそうだったし、それに海馬が耐えたからこそ今がある訳で、フツーは告白する時に確認するよなこういう事は。っつー事は、今更こんな事言ってもなーんも意味無い訳か。……つまんねぇ。っつーかオレアホじゃん。まぁ元々フザケて言った事だけどさ。

「………………」

 海馬の切り返しに、対抗できる言葉を持たなかったオレは、それきり大人しく黙って目の前のレポートに取り組むのを再開した。教室中はまたしんと静まり返り、時折開け放した窓の向こうから聞こえるサッカー部や野球部の連中があげる怒号だか奇声だか分からない叫び声や、吹奏楽部や合唱部が好き勝手に鳴らしたり歌ったりする音だけが聞こえている。

 あ、なんかちょっと集中できそう。やっぱ気晴らしって大事だよな、うん。

 そう思い、レポートを再開したオレがシャープペンを握る手に改めて力を込め直したその時だった。

 それまで同じ様に黙っていた海馬が最後の一問を解き終えたのか、シャッと小気味いい音を立ててシャープペンを滑らせると、ふぅ、と小さく息を吐く音がした。やべっ、こいつ先に終わりやがった、早くしないと置いて行かれる!ちょっと待ってって言わないと!そう慌ててオレが顔を上げようとした刹那、向こうからとてつもなく意外な台詞が降って来た。
 

「貴様こそ、オレを惚れさせたんだ、覚悟しろ」
 

 はい?とオレが振り向いて聞き返すよりも早く、ガタリと席を立つ音がして規則正しい足音が高速で廊下へと消えて行く。後ろを見る為に思いっきり捻った首がぐきりと嫌な音を立てたけど、そこまでして向けた視界の先には当然もう海馬はいなかった。
 

 あの野郎〜一人でさっさと職員室に提出に行きやがったな!!

 って問題はそこじゃなくって!!
 

 ……今なんか物凄い事言われた気がするんですけど、気の所為かな。オレを惚れさせたとかなんとか。っつーかそれ今オレが言った言葉じゃねぇかパクんなよ(オレもパクリだけど)。大体フザケて言った事に何真面目に返してんだよ。そして何フザケ返してんだよ。お前はそういうキャラじゃねぇだろ?あんな台詞、鼻で笑ってけちょんけちょんにこき下ろして、最後に「貴様は本当に馬鹿だな凡骨」とトドメを刺すのが海馬流だろ?そうだろ?

 なのに……っ!!

 オレは海馬が再び教室に戻って来るまでの数分間、色々な考えや感情に振り回されて赤くなったり青くなったりしながらのたうち回った。こんなの、勉強妨害もいい所だ。これは海馬に責任を取って貰わなければ割に合わない。もうこっから先あいつに考えさせようかな。うん、いい考えだそうしよう。

 そう考える間にもオレのほっぺたはやけに熱くて額には汗がダラダラ。オレの自律神経何やってんだ?!とツッコんでみてもどうにもならない。

 ああもう海馬の馬鹿が普段しないおフザケをするからこんな事になるんだよ?!早く帰って来て「今のは冗談だ、馬鹿が」と一言言ってくれないと全然落ちつかねぇ!!あーもうムカっ腹立つ!!オレ今ならイライラで死ねそうだ。

 そんな事を思いながら身悶えまくっていた数分後、涼しい顔で課題を提出して来た海馬がまたまた予想外な方向でオレに答えを与えてくれた。

 あの台詞は大真面目な気持ちで言った事だったって、あり得ない事を。やっぱりいつもの無表情できっぱりと。

 ……ヤバイ、今なら幸福絶頂で死にそうだ。
 

「オレ、お前に惚れられたからもう死んでもいいわ。なんも怖くない。覚悟した」
 

 こんな覚悟だったら何時でもしてやるよ。むしろ喜んで。
 

 ── さて、お互いに覚悟が出来た所で、次は何処に行きますか?