Act25 「……もういい。もう終わりにしよう」

『オレ、ちょっと当分お前のところ行くのやめるわ』
「別に来いと言った覚えはない。常に貴様が勝手に来るのだろうが。来なくなろうがどうでもいいわ。いちいち断るな、鬱陶しい」
『またそういう事言う。来なけりゃ来ないでヘソ曲げる癖にさ』
「うるさい。……それはそうとわざわざ宣言すると言う事は、何か理由があるのか?」
『……や、別に?急に行かなくなったら海馬くんが寂しいかなぁと思って』
「……ふぅん」
『と、とにかくそういう訳だから。じゃーな!』
 
 

 城之内からそんな不可解な電話があった数日後、海馬が久しぶりに学校へと顔を出してみれば、当の本人は一人教室の隅っこで顔を伏せて沈黙しており、他のクラスメイト(主に彼の『お友達』連中だったが)がその事に対してひそひそと噂話をしている様だった。

 一体何事かと眉を顰めつつ自席へ着こうとした海馬だったが、それよりも一足早く遊戯の「海馬くん!」の呼び声と馴れ馴れしい手招きに溜息を吐きつつ、仕方なく彼等がたむろっている場所へと歩んでいく。

その場に辿り着くや否やぐいと強く腕を引かれた海馬は、言葉を発する前に何故かいきなり咎めるような口調で噛みつかれてしまう。

「海馬くん、城之内くんに何したの?!」
「……は?何の話だ?」
「何の話だじゃないよ。最近の城之内くん、ずーっとあんな感じなんだよ。学校に来ても全然喋らないし、ご飯も食べないし、ああやって寝てばっかりで……皆凄く心配してるんだ」
「ふん、駄犬が少々大人しい程度で大げさな奴らだな。奴とてふてくされたい時もあるのだろう。放っておけ」
「そう言う言い方はないでしょ。やっぱりアレの原因って海馬くんなの?」
「駄犬絡みの現象を全てオレの所為で片づけるのはやめにして貰おうか。知らんわ」
「でも、大抵海馬くんの所為じゃん」
「今回のは違う」
「……あ、ちょっと自覚あるんだ?」
「うるさいな。知らんと言ったら知らん。大体ここ数日間、オレは奴の顔は愚か声すら聞いてないわ」
「え、そうなの?珍しいね」
「大体、奴がご丁寧にも『暫く来ない』と連絡を寄こしたのだぞ。知る訳無いだろうが」
「どういう事?」
「それはオレの台詞だ!本人に聞け!鬱陶しいっ!」
「あっ!もう、海馬くんっ!」

 ブンッと大きく腕を振って海馬は無遠慮に手にすがりついていた遊戯を振り解くと、苛立ちのまま踵を返してずかずかと件の城之内の元へと歩んで行く。そして周囲の喧騒に気付いているのかいないのかやはりピクリともしない城之内の前に立ちはだかると、海馬はまずはドスの利いた低い声で後頭部しか見えない彼に声をかけてみた。

「凡骨」
「………………」
「わざとらしくそんな事をしていても無駄だぞ。今度はなんの遊びを始めたのだ。貴様の所為でオレにいらぬ嫌疑が掛っているではないか。ふざけるな」
「………………」
「おいっ!」

 常ならば海馬にこんな声を出させた時点で顔を撥ね上げ、土下座する城之内だったが、今日は意外にも頑なに沈黙を守り続けている。時折、組んだ腕の上に置かれた指先が動いている事から勿論眠ってはいないのだろう。机の下にだらしなく投げ出された足も何処となく落ち着きなくブラブラと揺れている。

 ……なんだ、こいつは。一体、何の目的でこんな事をしているのだ?

 非ィ科学的な事やオカルトの次に訳の分からない他人の言動が苦手な海馬は今回も例にもれず、全く持って意味不明な城之内の態度にいい加減苛立ちも頂点に達し、相手が無視するのであれば実力行使だとばかりに両手を思い切り振りあげると、力任せに落書きだらけの机の上に叩きつける。ガンッ!!という鈍い音が教室中に響き渡り、一瞬周囲の動作を停止させたが、それも数秒の事だった。

 その様を少し離れた所から観ていた遊戯達は周囲程は顕著な反応を示す事はなかったが、それでも多少の不安を織り交ぜた視線で彼等の様子を見守っていた。しかし、こっそりと口は開いても危機的状況にあるあの二人の間に割って入ろうと言う勇者はそこには存在しなかった。

「か、海馬くん……」
「ほっときなさいよ遊戯。まだ机じゃない」
「で、でも……」
「ま、このままじゃアレが奴の脳天に振り下ろされるのは時間の問題だけどなー」
「えええ?!」
「それにしても城之内の奴しつこいわね。本当に何かあったのかしら?」
「腹でも痛いんじゃねぇの?」
「三日間も?それに、そういう事だったらあいつ自慢げに大騒ぎするじゃない」
「そう言われればそうだな。じゃーなんだろ?」
「それが分かるんなら苦労しないよ」
「ま、海馬に任せときゃいいんじゃね?なんとかするだろ」
「確かに海馬くんならなんとかしてくれるかもしれないけど……朝から流血沙汰は勘弁して欲しいわね……」
「ちょっと二人とも!さらっと怖い事言わないでよー!って、あ!」

 顰められた表情とは裏腹に余りにもあっけらかんとした口調で杏子と本田がそんな事を話していたその時だった。それまで、何があっても無反応を貫き通しびくともしないで机に伏せていた城之内がノロノロと顔をあげる。そして悪鬼さながらの様相で自分を睨み据える海馬をちら、とだけ眺めると小さく、本当に小さく「わりぃ」とだけ口にした。

「何が『悪い』のだ」
「……つーか、マジ頼むからどっか行ってくんねぇ?一生のお願い」
「どういう意味だ?!」
「っ!……お、大声出すなよ、響くから。……えと、これはその、深い訳があってだな……う!……とにかく、人に構われたくねーんだよ。お前なんで今週に限って学校に来てんだよ」
「オレが学校に……というか貴様の前に姿を現しては何か不都合でもあるのか?」
「う、うん。……今だけ……ちょっと……うぅ」
「納得出来んな。理由を言え。それによっては考えてやらんでもない」
「理由って……だから……」
「別れたいのか?」
「そ、そういう訳じゃ!……っ。……もういい。もう終わりにしよう。……な?」
「訳が分からん!ふざけるな!!こんな事で終わりになど出来るかぁっ!!」

 常にはないおどおどとした視線と煮え切らない態度。そして何故だか己の顔をかばう様に腕で隠しながらそう言って来た城之内に海馬はついに堪忍袋の緒をブチ切ると、今にも机の表面にめり込みそうだった右手で思い切り目の前の胸倉を掴み上げてそう怒鳴りつける。そして即座に彼は「この馬鹿犬が!一から躾し直してやる!!」と心の中で思うだけに留まらず、口にも思い切り出しながらとりあえず一発くれてやろうと右手を振り上げた時に、はたとある事に気がついた。それにこちらも気がついた城之内が慌てて両手で『そこ』を抑える。

「な、なんでもないっ!なんでもないからっ!暴力反対っ!」
「何でもないなら手を離してみろ」
「だ、だって離したら殴るだろ?!」
「時と場合によってはな」
「じゃ、じゃー見せな……ぃつぅっ!」
「見せないのなら強制的に手を引き離してそこを抓りあげるぞ」
「お、鬼かお前はっ」
「早くしろ!!」
「……………………」

 これ以上逆らえば本当に言った事を実現しそうな海馬の勢いに、すっかり怖気づいてしまった城之内は渋々……本当に渋々両手でがっちりとガードしていた『そこ』……所謂己の右頬を海馬の前に晒して見せる。途端にはぁ、と盛大な溜息が海馬の口から零れ落ち、心底呆れ果てた声がいつの間にか静まり返っていた教室内に重々しく響いた。

「何日目だ」
「……えっと、多分、5日目位?でも、もうそんなに痛くなくなって来たんだぜ?」
「放置すれば神経が死ぬからな。その代わり菌が奥へと入り込み脳にまで到達して『貴様が』死ぬ場合もあるが」
「嘘っ!!」
「嘘じゃない。大体何故放っておいた。オレに意味不明な電話を寄こした日には既に痛みが出始めていたんだろうが」
「あ、あれはだって……お前にバレたら絶対医者に連れて行かれるからさ。バレないようにするのは無理な程腫れちまってたし」
「馬鹿か。歯痛を我慢する方が余程痛いわ」
「でっ、でも!ヤなもんはヤなんだよっ!オレは行かないぞ。ぜーったい行かないからな!」
「………………」
「………………」

 こうしている間にもズキズキとした痛みは断続的に続いていて、城之内は思わず顔を顰めてしまう。そんな彼の様子をそれまでとは一転して冷ややかに見つめていた海馬は、再び小さな溜息を一つ吐いて、今度は怒鳴る様な真似はせず、至極冷静な声でこう言った。

「貴様が歯医者に行かないと駄々を捏ねるのは結構だが。『ソレ』を直さない限りオレは貴様とキスはせんからな」
「えぇ?!」
「当然だ。虫菌のいる口内など死んでも触るか」
「ちょ、そんなっ……」
「ああ、別れてやってもいいんだぞ。『その間』はオレには近づいて欲しくないのだろうし?ただし、オレは期間限定は嫌いだ。離れるのなら徹底的に離れてやる」
「うぅ……」
「さぁ、どうする凡骨。さっさと選べ」

 相変わらず城之内の胸倉を掴んだまま、居丈高にそう言い放った海馬は勝利を確信しにやりと口元に笑みを刷いた。こんな事を言われてしまっては城之内に選択の余地は無く、結局彼は数十秒間の逡巡の後、泣きそうな顔で首を縦に振る事しか出来なかった。

「……い、行きます」
「よし」

 城之内が蚊の鳴く様なそう小さく呟くと同時に、海馬は彼を掴んでいた左手を胸元から離すと、まるで犬猫を摘まみあげるが如く首根っこを押さえ付け、そのままの状態で携帯でどこかへ連絡を取り始めた。そして呆気にとられる周囲を顧みずに城之内と共に教室を出て行ってしまう。ピシャン、と勢い良く締められた扉に、教室のあちこちから呻き声が聞こえたが誰も突っ込むモノはいなかった。

「遊戯、出席簿に書いといてやれよ。二名早退って」
「まだHRも始まってないのに?」
「あーじゃあ欠席か。どうせ帰ってこねーだろ」
「全く何なのかしらあいつら。ここは教室よ!プライベートな空間じゃないのよ?!」
「いつもの事だろ、気にするだけ無駄無駄」
「城之内くん、明日は元気に来てくれるかな」
「あーもう、超元気だろ。折角静かだったのに残念過ぎる」
「それにしても……虫歯ねぇ……小学生じゃないんだから」
「ガキだろ、あいつは」

 はぁ、と3人の溜息が綺麗に重なって空に溶ける。それに合わせたかのように鳴り響いたHR開始を告げるチャイムの音に、彼等はもう何も言わずに自分の席へを戻って行き、何時もの一日を開始するのだ。
 

「これから出席を取る……おい、城之内はどうした?」
「はーい先生。城之内くんはー久しぶりに顔を出した海馬くんと一緒にサボりましたー!」
「何ぃ?!ふざけるな!」
「ほんっとふざけないで欲しいわよねー」
「……遊戯、杏子……お前等……」
 

 ── 虫歯は早めに治しましょう。