Act6 「気持ち良すぎて死ぬかと思った!」

 オレは今、人生最大の羞恥に苛まれている。

 遠くに聞こえる鳥の声を聞きながら普段通りの時間に目を覚ましたオレは、眠るには微妙に不自然な体制と息苦しさ、そして自分以外の人間の吐息を頬に感じて、驚愕に目を見開いた。

 すると、寝起きの余り明瞭ではない視界の中に飛び込んできたのは、余りにも見知った人物の初めて見る小汚い寝顔。当然何が起こったと一人パニックになったオレは、慌ててその間抜け面から離れようと身を起こそうとして、それまで気付かなかった色々な事に気付いてしまう。

 それらを一気に認識した瞬間、さぁっと全身の血の気が引く感覚に陥り、次いでその血が凄い勢いで顔に集まるのを感じた。あ、有り得ない。一体これは何の冗談だ?何がどうなって……こんな事になってるんだ!?

 そうは言っても様々な痕跡が目に見える形で残されている以上夢や幻である筈もなく、オレは間違いなく目前で実に心地良さそうに眠りこけている男……城之内と所謂セックスをしてしまったという事になる。しかもオレが女役で。

 これだけでも既に憤死ものだが、さらにオレを驚愕せしめたのはこの現状だ。

 この大の大人がゆうに三人は眠れる広い寝台の中央で、殆ど抱き合う様に密着してこの時刻まで熟睡していたという事実。どこをどうみても寝苦しいだろう体制で良く数時間も眠れたものだ。普段の自分からは到底考えられない。

 が、一度も起きる事が無かったという事は、この寝苦しい体制でも心地良さを感じていたという事で。そんな事を一瞬でも思ってしまった自分にオレは本気で叫びたくなった。

 その他にも未だ背に回されたままの城之内の体温の熱さとか、腹部にある余り表現したくない感触とか、全身のだるさとか、口にするのも憚れる様な場所から感じる痛みとか、声を出そうとしてもなかなか上手くいかない事とか、それら全部を総括し尚且つ思い出したくもない記憶まで蘇ってしまい、今なら羞恥で死ねると思った。むしろ死にたい。

 そんな事を思いながら声も出せず、身動きも取れないまま一人心の中で絶叫をしていると、不意に目の前の身体が身動ぐ気配がして、ふっと微動だにしなかった瞼が開かれた。

 起きたてのとろんとした眼差しとその様を思わずじっと見守ってしまったオレの目が思い切りかち合う。

「……あー……おはよー」
「………………」
「……なんだよ。挨拶位返せっつーの。……てか、なんでお前朝から赤くなってんの?」
「……うるさい」
「わぁ、声ガラガラ。水飲む?飲ませてあげよっか、口移しで……って、いでっ!」
「煩いと言っている!貴様、普通に話しかけるな!と言うか離せっ!」
「なんで?別にいーじゃん。今日仕事ないんだろ?まだ早いし、ごろごろしよーぜ」
「しないっ!」
「まぁそう言わずに。どうせ腰立たないだろ。初めてなのにちょーっと頑張っちゃったもんなーオレ」
「黙れ!」
「いてっ!もー叩くなよ。何怒ってんだよ。なんか不満あんの?……あ、それとも照れてるとか!」
「…………っ!」
「かーわいい。お前でも照れるなんて事あるんだー?へー、すげー、かなり貴重だろこれって。もっと良く顔見せてみ?」
「触るな!」
「抱き締めてる時点でもう充分触ってると思うんですけどねー」

 そう言いながら懲りずにべたべたと触って来る目の前の身体を撃退しようと再び手を振りあげる。しかし、胴体を完全に抑え込まれている状態ではいかに強く腕を振り降ろそうともさほど力は入らず、致命的なダメージを与えるには至らなかった。代わりに石のような頭にまともに当たった右肘がじわりと痺れる。

「…………くっ!」
「お前も往生際が悪いなぁ。今さら照れても何にもならないんだけど。何、もしかして嫌だった?んなわけないよなー最後の方なんて……」
「黙れ凡骨!それ以上余計な事を口にしたら首を絞めてやる!」
「ま、言わなくても恥ずかしがってる位だから自分が一番分かってると思うけど」
「煩いわ!」
「あーでもオレ今最高に幸せ。そう思わねぇ?」

 人を抱き込んでいる腕の力を更に強めながらそう言った城之内は、すり寄る様に人の肩口に顔を埋めてまるで犬猫がするように鼻先を擦りつけて来た。なんだそれはマーキングか!そう揶揄してやろうとオレが口を開くより早く、今度は強くそこを吸われてしまう。

「やめんか貴様っ!痕がつく!」
「つけてんだもん。どーせお前首さえ見えない格好してるんだからいいだろ」
「そういう問題ではないっ!」
「それにしてもさー……気持ち良すぎて死ぬかと思った!」
「…………なっ!」
「お前もそうだろ?」
「だ、断定で話をするな!オレは……っ!」
「身体の相性もピッタリとか最高だよな!」

 心底嬉しそうな笑顔を見せて恥ずかし気も無くそう言い切った城之内は、何が可笑しいのか声を立てて笑い転げた。余りの出来事に面食らい、オレが「何故そこで笑う?!」と不機嫌に言い放つと、奴は馬鹿笑いの表情のまま目の端に浮かんだ涙を拭いながら声だけは少し真面目にこう言った。

「人間幸せだと笑いたくならねぇ?」
「……それは貴様だけだろうが」
「そっかなー。でもお前も笑ってるぜ?」
「?!」
「良かったなー幸せで」

 笑っている?オレが?!

 城之内に指を差してまで指摘され、慌てて手で口元を隠そうとしたが、それは直ぐに伸びて来た奴の手に取ってあっさりと捕らわれてしまう。同時に近づいて来るにやけ顔。

 貴様何を……というオレが言葉を発する前に、唇を塞がれた。既に慣れた感触になりつつあるそれに歯噛みしながら応えると、結局夢中になってしまった。逃れようと突っ張っていた筈の腕が、自然と目の前の肩を抱き寄せる。

 余り認めたくはない事だったが、今の状態は確かに酷く心地良かった。

 今なら、このまま死んでもいいと思う位に。

 長い長いキスの後ゆっくりと離れた唇はやっぱり笑みの形をとったままで、それを見あげるオレのそれも同じ様に緩い弧を描いていた。
 

「な?幸せだと笑えてくるだろ?」
 

 至極嬉しそうにそう聞いてくる城之内の言葉に、オレはもう反論する気にはならなかった。
 

 声を立ててまで笑う気にはなれなかったが。