Act6 いがいときずつきやすいいきものです

「え?」

 そう言って、二人が同時に自分の手を口元と頬に持って行き、触れたその指先が真っ赤に染まったのを見た瞬間、周囲から悲鳴にも似た大声が上がり、オレの全身の血が一気に下がった。当然白熱していたバスケの試合は中断し、その場は蜂の巣を突いた様な大騒ぎになる。

「ちょ、海馬くん大丈夫?!タオルタオル!」
「貴様こそ大丈夫か」
「僕はなんともないよ!ああもう、喋らないで怖いから!」

 一足先にガバリと跳ね上がる様に起き上った遊戯が、同じ様に起き上った海馬の顎の下に手を置いてぎゃーぎゃー騒いでいる。それもその筈、人よりも若干小さなその手の平にはぽたぽたと血が滴り落ちていたからだ。その血の出所は遊戯本人じゃなく、上にいる海馬の方だ。恐る恐る目線をやると、奴は口元を僅かに腫らした上に吸血鬼宜しく見事に唇の端から流血していた。その量が半端無い為に結構な大惨事になっている。見ているのも恐ろしい。

 この騒ぎに隣のコートでバレーをしていた女子も試合そっちのけで野次馬に来る始末だ。「私のタオル使って!」なんて声があちこちから聞こえる。ちょ……なんだこいつら変態か。つか、オレらが同じようにタオル貸せなんつったって「汚くするから嫌だ」とか言う癖に、海馬ならいいってか。差別だろそれは。

 尤も、それよりも一枚上手のあいつが……獏良がにっこりと微笑みながら先にタオルを遊戯に渡しちまったけど。

「あ、返す時洗わなくていいから。っていうか洗わないでくれる?」

 …………純粋にキモイ。うん。

 まあそれはともかく。手渡された真っ白なフェイスタオルが真っ赤に染まり、回りに騒ぎの第二波が起こる頃、オレは漸く事態の深刻さを理解した挙句に遊戯の元に駆け寄った杏子から大きく名前を叫ばれた。

「ちょっと城之内ッ!あんた責任とって保健室に連れて行きなさいよこの暴力男ッ!」

 それにうん、ともはい、とも答える前にすぐ後ろにいた本田から背中に蹴りを入れられて、オレは漸く茫然と立ち尽くしていたその場からのろのろとバスケットリングの横まで歩いて行き、既に人垣になっているそこを掻き分けて座る二人の元に辿り着くと、小さく「わりぃ」と言って海馬に手を差し伸べた。即座にバシッと叩き落とされたけど、構わず二の腕を掴んで引きずり起こす。今度は抵抗されなかったけど、ギロリと半眼で睨んでくる顔が恐ろしい。

「んじゃ、オレ、こいつ連れてくわ。遊戯は?」
「あ、僕は大丈夫」
「額にオレの肘が当っていなかったか?」
「え?そうだっけ?……うーんでも海馬くんって軽いから当たっても痛くなかったし、平気だよ」
「そうか?んでも、なんかあったらすぐ来いよ」
「うん」
「よし、じゃー行くぜ」
「触るな凡骨!一人で歩ける!」
「そう怒んなよ。悪かったって言ってるだろ」
「ふざけるな!」

 タオルを片手にそう言って怒りまくる海馬を宥めつつ、オレは「こんなに元気だから大丈夫だろ」なんて言いながら、皆の視線に見送られつつ体育館を後にする。重い扉をバタンと思い切り閉めた瞬間、ゴッ!と言う鈍い音と共に後頭部に激痛が走った。ちっくしょ、やっぱり殴りやがったこいつっ!

「いてっ!!殴んなよ!!」
「貴様、わざとやっただろう」
「何が」
「何が、だと?」
「……記憶にございません」
「嘘を吐け!!記憶にないなら殴って思い出させてやろうか?」
「……わざとでした。ごめんなさい。だけどよ、さすがにオレもお前が吹っ飛ぶなんて……」
「あの勢いで体当たりされれば誰でも飛ばされるわ!馬鹿が!」
「ごめんって。つーかお前大口開けて怒鳴んなよ!見てる方が痛いっつーの!」
「誰の所為だっ!」

 そう言って、再び挙げられた拳を華麗に交わして、オレは今度はちょっと真面目にごめんなさい、と口にした。うん、今回はオレが悪かった。日頃の鬱憤を晴らしてやろうかなーって、シュート途中の海馬に、ボールを奪うっつー理由でちょっと乱暴に体当たりしたのは事実だし。

 でも、まさかあのタックルで海馬が思いっきり吹っ飛ぶとは予想してなかったし、遊戯を巻き込んで盛大に事故るとも思ってなかった。挙句の果てに流血とか。遊戯が無事で良かったけどよ。予想外過ぎてどうしたらいいか分んなかったっつーの。ったくビビらせんなよ。

「お前、口だけ?他は大丈夫なのかよ」
「他にも少し打ったが問題ない」
「ほんとかよーちょっと見せてみ」
「触るな!」
「マジ見るだけだって!殴るなっつの!!」

 んな事言ったって海馬の怒りが収まる訳じゃなく、いい様にボカスカ殴られつつ、オレは一年に数回しか着られる事がない所為でやけに新しいジャージの袖や裾を捲ってチェックしてみた。そしたら右肘のところと腰のあたりに物凄い毒々しい色になった痣を発見。……うっわ痛そー、と思わず顔をしかめたオレに、当の本人は至って涼しい顔で「見かけほどではない」と言い切った。

 まぁ、確かに、あれくらいの衝撃でこんなになるのなかなか無いもんな。遊戯なんて海馬の肘鉄モロに食らってたけど、赤くもなってなかったし。……これは遊戯が丈夫過ぎるのか、海馬が脆過ぎるのか……多分後者だろうけど。

 普段の言動からつい忘れがちになるけど、こいつ案外物理的な攻撃に弱いんだよな(身体が)。気をつけないと。

「……あの、すみませんでした」
「自分でしでかしておいて何を臆している」
「いや、つーか。予想以上だったもので」
「フン、相応の罰を与えてやる。覚悟するんだな」
「ちょ……罰ってなに」
「口内の傷と痣が消えるまではオレに触るな。触ったら殴り飛ばす」
「えええええ?!そんな殺生な!だってお前治り遅いじゃん!!一週間とか我慢できねぇ!」
「知った事か!貴様の所為だ!!」

 余りにオレが煩く騒ぐもんだから、最後には海馬に足で蹴り飛ばされて廊下の壁に激突し、どう考えてもさっきのタックルの倍以上の痛みを食らったけれど、丈夫なオレはかすり傷一つ負う事はなかった。

 くっそー、頑丈な身体が恨めしい。……って、そういう問題じゃねぇか、実際のところ。
 

 オレの可愛い海馬くんは獰猛で強いけれど、意外と傷付きやすい生き物です。
 

 ここ、大事だから忘れないようにしておこう。今後の為に。