Act6 こいつに手ぇ出したら、オレが許さねぇぞ!

「今度やったらてめぇ、ドテっ腹に蹴り位じゃすまねぇからな!!」
「くっ、クソガキがいい気になりやがって!」
「うわー。お上品ぶった顔してひっでぇ言葉遣い。さすがは変態。上場企業が聞いて呆れるね。おい、おっさん。ケーサツに言いたいなら言ってもいいぜ。オレ、ちゃーんと証拠握ってっからよ。アイツはマスコミに顔も広いし、ちょろっと垂れ流せば新聞の一面飾れっかもな。どうする?有名になりたいんならそうしてやってもいいけど」
「…………くっ!」
「それが嫌なら大人しく出て行けよ。ぶっ殺されたくなかったらよ!」

 オレの少々ドスの利いた大声が割と広いレストルームに派手に響いて消えて行く。途端に目の前で小さく縮こまっていた大分身形のいい見かけだけは上品そうなクソ男は、ひぃっ!と情けない声を上げてオレの前から逃げて行った。

 チッ、やる事は案外大胆な癖にケツの穴の小さい野郎だな。そういうとこ、やっぱり野蛮人なオレらとは違うんだろうけど、それにしたってみっともない事この上ない。

 質のいい皮靴の踵が大理石の床を叩くカツカツとした小気味のいい音がフルスピードで遠ざかって行く。それを呆れた溜息と共に聞きながら、オレは全く使う事が無かった腕や肩を首を左右に振る事でゴキゴキと鳴らして、顔も二、三発ぶん殴ってやれば良かったと今更ながらに後悔した。
 

 尤も、殴った所で全っ然気は晴れない訳だけど。
 

 オレ、今某ホテルで短期のホールスタッフのバイト中。今はそれをちょっこり抜け出してここにいる訳。理由はまぁ、今ので察してくれ。って分かんないか。そうだよな。ぶっちゃけて言えば物凄い個人的な感情99%、ちょっとした正義感1%ってな感じで今目の前から逃げてったおっさんをとっちめてた訳。

 ったく社会で威張りくさってるお偉方なんてマジでロクなもんじゃねぇな。綺麗なねーちゃんを見れば尻追いかけ回してセクハラ三昧。最近ではおねーちゃんだけじゃなくてオバサンやらお兄さんやらその対象は物凄く幅広くなっていてもう手に負えない状況だ。

 今日みたいななんたら記念パーティなんつーどうでもいい名目の怪しい集いなんてその典型だね。もうあっちこっちで盛ってる奴らいるんじゃねーの。いい大人が何やってんだか、バッカみてぇ。

 そんな事をぶつぶつと呟きながら、オレはちらりと傍にあった鏡を見て、ちょっとだけ暴れた所為で乱れちまったバイトの制服をちゃっちゃと直し、さて持ち場に戻ろうと鏡に背を向けようとしたその時だった。

 不意に背後にぬっと現れた偉くスタイルのいい若いにーちゃん……って、オレの海馬くんな訳ですが……が、眉間に皺を寄せて少しだけ顔を斜に構えてオレを睨んだ。勿論海馬はちゃんとしたスーツを着て『お客様側』で、だからこそオレがここにいる訳だけど。

 ていうかここに海馬が来たって事は、オレが何をしたかバレたかな?出来るだけこそっとやったつもりだったんだけど。鏡越しに睨んで来る老若男女問わずに人気のある見慣れたその顔を見つめつつ、オレがそんな事を思っていたら、海馬はいつもと同じ飄々としたその顔でいかにも「なんで貴様がここにいるんだ」という顔をした。

 ……あれ?こいつ、オレを見かけたからついて来たんじゃないのか?ただ単に、マジでトイレに来ただけ?んん?

「おい凡骨。貴様こんな所で何をしている。給仕のバイトならキリキリ働かんか」
「何って。ただトイレに来ただけだけど。バイトがお客様のトイレを使っちゃイケナイなんて法律はあるんですか」
「屁理屈を言うな」
「まーまー。そういうお前は何しに来たんだよ」
「レストルームに用を足す以外に何をしに来ると言うのだ。阿呆か貴様」
「あ、そうなの?オレはてっきり……」
「何?」
「や、心当たりないんなら別にいいんだけど」
「含みのある言い方だな」
「まぁね」

 ちょ、やっぱりただトイレに来ただけですか?!

 つか、こいつものっ凄い涼しい顔してるけど、もしかしてなーんも気付いてないとか、そういうオチ?あんなに思いっきり……アレがオレだったら確実に流血するほどぶん殴られてる様な事されておいてスルーとかマジなの?!

 だってお前、めっちゃ触られてたじゃん!さっきのおっさんに!

「なんだ。気色の悪い顔をして人をじろじろ見て」
「お前って、時々ものすごーく……なんて言うか、アレだよな」
「言葉が遠まわし過ぎて訳が分からんわ!」
「うん、じゃあはっきり言うけど、ニブ過ぎ」
「何?」
「だから鈍いって言ってんの。セクハラされて気付かないとか有り得ないだろ」
「セクハラ?誰がだ」
「うわーマジだよ……」
「何がだ。話が見えないぞ」
「いや、別にいいんだけど……見えないなら見えないで。とりあえずお前、人の傍に必要以上に近寄んな。嫌なんだろ、他人に触られるの。めっちゃ触られてたけど」
「?」
「……駄目だこりゃ」

 オレの真剣なこの言葉にも、『犬が何か訳の分からない犬語を喋っているな』位の認識しかないのか、海馬は眉間にちょっと皺を寄せて首を傾げるばかり。前々から思ってたけど……こいつ、自分が人にどう見られてるかってぜーんぜん分かってねぇんだよな。

 そりゃー態度はその辺の男よりもよっぽど男らしいけど、見かけは男らしいってより……なんつーんだろ、ウケるんだよな。男でも女でもいるじゃん、町を歩いてると思わず振り返りたくなるような美人さん。あれだよあれ。それを海馬はまっったく分かって無い訳で。

 まぁいいんだけど。オレの目が届く範囲なら今日の様に気を付けてやれるし。ついでにヤキも入れてやれるし。でもそれは逆にオレの目が届かない所でナニが起こるか分からない、という事でもある。

 うーん、心配だ。まぁ、いざ何かあったら、海馬の事だからめちゃくちゃな反撃するんだろうけど。

「ま、いっか」
「何がいいのだ。ちっとも良くないわ!」
「事情が飲み込めてない人にはどうでもいい話なんですーちゃっちゃと会場に戻れよ。オレも仕事に戻るし」
「………………」
「あ、さっきお前と話してたおっさん、急に帰るって言って出てったぜ。なんか用あった?」
「いや、別に」
「そうですか。じゃー良かった」
「何故だ」
「こっちの話ですー」

 まさかあの男がお前にセクハラしたかどで打ち首獄門……じゃねぇ、オレに蹴り入れられて逃げたとは思わないだろうな、やれやれ全く平和なこって。くそ、思い出したら腹立って来たな。やっぱもう一発食らわせておくべきだった。チッ。

 とにかく、今回のコレを見たらよく分かったろ。
 世の野郎共は覚えておきやがれ。  
 

 ── こいつに手ぇ出したら、オレが許さねぇぞ!