Act6 誰が犬だ!

(ぎゃあああああ!!)

 自分に突然起こった事態にオレは思わず心の中で絶叫した。瞬間一瞬にして全身が凍りつき、背中にヘンな汗をかく。……ちょ、ま、一体何事?!不自然な体勢をしている所為で腰が引きつってるとか、頬に当たるなんか硬いもんの感触が痛いとか、色々と言いたい事はあるけど、まずは何故こんな事になったのか……それが知りたい。

 何故海馬が『自主的にオレの頭を抱えて』いるのかをな!

 えーっと映像が見えない皆さまにも分かる様に説明すると、今現在オレは教室の自分の席の椅子に座った状態で、突然横にやって来た海馬にぎゅっと頭だけを抱きしめられた状態だ。着席したまま……しかも真横に立つ人間からそんな事をされているので、微妙に腰を捻ってる感じな訳。

 更に言えば頭を抱えている手っていうか腕の力が頗る強い。頬骨の所に丁度海馬の学ランの内ポケットがあって、その中に何か入れてるのかそれが思いっきり食い込んでる。だからぶっちゃけ痛い。つーかお前は痛くないのか。っていうかなんだこの状態。勿論こうなるまでに一切説明無し。会話すら無し。こうなった後も一言もなし。まさに意味不明って奴だ。

 ちなみに教室には誰も無い。つか、いたらヤバイ。その辺は海馬もちゃんと分かってるから心配はしてねぇけど……なんだろうなぁ、これ。

 そんなオレの戸惑いというか驚愕をよそに至って真面目な顔の海馬くんは暫くその状態を維持した後、ほんの少しだけ腕の力を緩めて「どうだ?」とのたまった。

 いや、どうだって。何が?

「……えーと、あの、海馬くん?」
「なんだ?」
「いや、何だじゃないでしょ。何やってんの?」
「嬉しくないか?」
「う、嬉し?……や、まぁ、嬉しいっちゃー嬉しい、かなぁ。んでも、ちょっと体勢的に苦しいんだけど……なんで頭だけよ。っていうかコレどういう風の吹きまわし?」
「特にこれと言って明確な理由はないのだが……」
「普通特に理由も無しに人の頭を抱えたりはしないと思うんだけど」

 そう言って、丁度口の辺りにあった海馬の手を少しだけ押しのけて呼吸を確保したオレは、「ぷはっ」と小さく息を吐いてゆっくりと身体ごと海馬に向き直る。その間奴の手による拘束が解かれた訳じゃないので、髪の毛が結構ぐちゃぐちゃになった。一部目に入ってソレも痛い。

 その様子にさすがの海馬もなんか変だと思ったのか、一旦伸ばしていた手を引いてオレの頭を解放してくれた。髪の毛がぐちゃぐちゃになったーとぼやくと、元から大してきちんともしてなかったけど、絡んでもさもさになった金髪を比較的丁寧に手櫛で直してくれた。うーん、ますます意味が分からない。

 ちなみにオレと海馬は最初の頃からなんも進展してねぇからな。キスはおろか意識的に手も繋いでない。だからこそ突然こんな事を、しかも海馬の方からされたから驚いたわけで。……それにしても頭だけってどうよ。どうせ抱き締めるなら全身お願いしたいんだけど……謎過ぎる。

「……で、お前、何がしたかったの?」

 数秒間の沈黙の後、ほんのちょっとだけ首を傾げつつオレを観察してる風の海馬を見上げて、オレは単刀直入にそう聞いてみた。いやだって、今の行動は衝動的って感じじゃなかったし「嬉しくないか?」なんて聞いてくるって事は、経験上これも奴の実験というか、お試し的な意味があるんだろうなって思ったから。

 オレの頭から離れた両手は所在なげにただ降ろされて、それ以上の動きを見せる事は無かった。折角なので今度はこっちから両手を伸ばして、余り力を入れずに左右共に握ってみた。反応は全くない。

「モクバが」
「はい?モクバ?……なんでモクバ?」
「接し方が分からないのなら、犬だと思えばいいと進言してきて」
「……えぇ!?犬っ?!」
「そうだ。だから、試してみたのだ」
「あー……なるほどね。だから頭だけ抱えてみたんだ?大型犬だとあれだもんな、頭だけ抱えてよーしよしってやるもんな!」
「その通りだ。だから、どうだ?と聞いてみたのだ。答えは?」
「別に悪かなかったけど、出来れば全身の方が……ってそこじゃなくてっ!誰が犬だ!オレは犬じゃねぇ!」
「やはり駄目か」

 チッ、と小さな舌打ちが聞こえる。

 いや「チッ」って。なんでそこで舌打ちよ。つーかどーしてお前はそういう事を弟に聞くんだよ。付き合ってんのはオレとであってモクバと付き合う訳じゃねぇだろ。何したらいいかオレに聞け、オレに。まぁ、でも積極性があるのはいい事だよな。自主的に触って来たって事は、段階進めてもいい訳だ。尤も、元々駄目なんて言われてねぇけど。

 けど、言うに事欠いて犬かよ……そうは見えないけどこいつ動物好きなのか?つか、犬にならこう言う事が躊躇なく出来るって事は、オレは犬に徹した方がいいんだろうか。海馬の犬か……笑えねぇ。やっぱ人間として可愛がって貰いたいよな、うん。

 そんな事を思いながらオレは海馬の手を握り込んだ指先に少しだけ力を込めて、改めて上を見る。それを怪訝な顔で見返す海馬に、オレは比較的優しい声でやや強引に、こんな事を言ってみた。

「あのさ、そういう事はモクバに聞かないでオレに聞けよ。さすがに犬扱いは勘弁して欲しいし」
「……では貴様は何を望むのだ」
「望む事はいーっぱいあるんだけど、問題はお前がOKかどうかなんだよねー」
「オレは元々何も拒否はしていない」
「そうでした。じゃー次に進んでもいい?」
「次?」
「そ。次。そのままちょっと屈んでくれると嬉しいんだけど」

 ちょっと名残惜しかったけど繋いだ手を軽く解いたオレは、海馬の二の腕を掴んで軽く引いてみる。すると案外素直な海馬はその動きに従う様に軽く膝を曲げて、遠く離れていた顔をぐっと近くに寄せてくれた。それに躊躇なく手を伸ばし柔らかく頬を包む。ここまでくれば普通の人間は何をされるのか分かりそうなものの、海馬はやっぱり海馬だった。

「なんだ?舐めるのか?」
「舐めるってなんだよ。だからオレは犬じゃねーって。お前にキスしたいの。OK?」
「なんだか良く分からんが、別にいいぞ」
「じゃー目ぇ閉じて」
「何故だ」
「お互いに顔がドアップになったらやりにくいだろ」
「そういうものか」
「うん」

 結局、言われた事を殆ど理解しないまま、海馬はそのまま大人しくファーストキスを奪われてくれました。本当に全く抵抗が無かったからオレが調子こいて舌まで入れて思う存分堪能したら、後で唾液でベタベタになった口を拭った後、奴は口をとがらせてこんな文句を言ったんだ。
 

「結局舐めたじゃないか。貴様はやっぱり犬と変わらんな」
 

 ── だからオレは犬じゃねぇって!