Act2 ちょっとおバカで従順な君

「貴様はどうして一度で覚えられないのだ!」
「んなこと言ってもさぁ、難しすぎるだろこれ」
「……こんなものは中学一年でとうに理解していなければならない問題だ」
「中学ん時なんて勉強した記憶がねーもん」
「……貴様どうやって高校に入ったんだ」
「え?運かな?進級も運で乗り切ったし、今はお前がいるから大丈夫。オレってすげー強運」
「話にならん」
「そう言わずに教えてよ。来年違うクラスになったら寂しいでしょ」
「全然。というか、どうでもいい。……全く、貴様程物覚えが悪い輩にあった事はないわ。もういい、諦めた」

 はぁっ、と肩を落とすほどの盛大な溜息を吐いて、オレは目の前でシャープペンを鼻と口の間に挟んでブラブラさせながら「分かんねぇ」を繰り返す駄犬を眺めていた。

 夏期休暇前の期末テストで見事『全教科5点以下』、という記録的数字を叩き出したこの馬鹿は、当然の様に『このままでは留年』という赤札を目の前にぶら下げられ、一教科一冊ずつという馬鹿には少しハードな特別課題を出されてしまった。

 勤労学生にとって夏期休暇と言えば張り切ってバイトに精を出せる、言わばかき入れ時で、その例に漏れず朝から晩までシフトを入れてしまったらしい城之内は、課題を出されたその日に大量の着替えと問題集を抱えてオレの元へと押しかけて来た。

 そして半ベソをかきながら「何でもするからこれを手伝え!終わるまで帰らねぇ!」と頼んでいるのか命令しているのか分からない口調でオレに詰め寄って来た。こうなると幾ら拒絶をしようが無駄な足掻きで、結局オレは首を縦に振らざるを得なかった。そうでもしないと四六時中付き纏われる事は目に見えているからだ。

 そんな訳でオレは仕事が終わって帰宅後、城之内がそこに居れば課題を見てやる事にしたのだが、馬鹿にものを教える事ほど難しい事はないと痛感した。一度や二度教えて分からないのならまだ許せる範囲だが、三度四度教えても問題の意味さえ分からないというのはどういう了見なのだ。こいつは本当に高校生なのか?!

 そう思いつつ腹立ち紛れに目の前の頭を叩いてやったところで良くなる筈もなく、オレは元々仕事でぐったりしていた身体を更に脱力させて、ソファーへと深く沈み込んだ。同時にがくりと項垂れた所為で前髪がぱさりと頬に掛かる。

 その姿を見た城之内は特に悪びれた風もなく、シャープペンを放り出すとオレの元へとにじり寄って来て、そのまま身を乗り出して膝の上に伸しかかって来た。

 クーラーが効き過ぎて少し冷えてしまった身体にその体温は熱い位で、これが外なら鬱陶しく思うだろうが、今はなかなか心地がいい。……が、今はそんなモノに誤魔化されている場合ではなく、オレは素気なくその身体を足蹴にして「鬱陶しい」と吐き捨ててやった。

 しかし、勿論そんな言葉に臆するような相手ではない。

「痛いなーもう。邪険にすんなよ」
「うるさい馬鹿が。真面目にやれ」
「真面目にやってるんだけど、分かんねーものは分かんねーの!もう嫌になった!」
「嫌になったのはこっちだわ!」
「そんな短気起こさないで。何でもいう事聞くって言ってるじゃん。肩でもおもみしましょうか?」
「結構だ」
「じゃー何したらいい?何でも言って」
「頼むから何もしないでくれ」
「りょーかいしました!じゃ、続き♪」
「まずは自力で『問題を理解』しろ!言われている事が分からないのではどうしようもないだろうが!」
「そこを教えてって言ってるんですぅ〜諦めちゃダメ!海馬くんは出来る子です!」
「煩い!重い!じゃれつくな!」

 なぁなぁ、と甘ったれた声を出しながら、最初は控えめに上半身だけで纏わりついてきたが、オレが取り合わずにいると今度はソファーに乗り上げてオレの両足を跨いで座り、丁度向い合せになる形を取って半ば羽交い絞めにする様に抱きついて来た。どうやら今度もオレが首を縦に振るまで諦めないつもりらしい。

「……貴様、小学生からやり直して来い」
「そうしたいのはやまやまなんだけどねー」
「嘘吐け」
「オレが馬鹿でどうしようもないのは今に始まった事じゃないから、諦めるのならそっちを諦めてくれ」
「ふざけるな」
「英単語も国語の漢字も数学の公式もぜーんぜん覚えられないけどー、お前の事なら何でも覚えてるし知ってるぜ?その問題集がお前の事ばっかりなら張り切ってやるのになぁ」
「………………」
「あ、ちょっと嬉しい?」
「嬉しくない!降りんか!!」
「はーい。じゃあ降りるから続き、お願いします。その分オレベッドの中で張り切るから」
「余計な世話だ!分かったからさっさとしろ!」
「もーすぐ怒るんだから」
「やかましいわっ!」

 そんなに怒ってばっかりいると顔が可愛くなくなるぞ?

 そう言ってわざと可愛い子ぶった笑みを見せて態度だけは素直にオレの膝から降りようとした城之内は、その際ついでとばかりに唇を掠め取り、さっさと今まで座っていた場所に戻って行く。

 ……全く、どうしようもない馬鹿犬だ。

「じゃあ、ここからお願いします」
「今度はちゃんと理解しろよ」
「出来たら頭撫でてくれる?」
「出来たらな」

 結局、オレは同じ問題を5回ずつ説明する羽目になるのだが。こいつはオレの犬だからしょうがない、と諦めた。

 駄犬ほど可愛いと、思えなくもないからな。