Act4 一匹増えました

「……あの、海馬くん?貴方の肩に乗っている猫ちゃん……なんかこの間と色が違うんですけど……」
「ああ、増えたのだ」
「はぁっ?!増えた?!ちょ……何事?!またモクバか!」
「決まってるだろう」
「これまた見事に真っ黒で……セトと対照的な色合いですね。お名前は?」
「カツヤ」
「はいぃ?!」
「だから、『カツヤ』だ」
「ちょ、それオレの名前じゃねぇか!!猫に付けんな!」
「モクバに言え」
「お前はそればっかりじゃねぇか!しっかりしろよ兄貴ぃ!!」
 

 ある日、城之内が海馬邸に遊びに行くと、見慣れた恋人の肩に見慣れない猫が乗っていた。彼が猫を身体のどこかに貼り付けている事など既に日常茶飯事で特に驚く事もなかったのが、それでも城之内が驚愕したのは、今彼が貼り付けている猫の色が明らかに違っていたからだ。

 今城之内の視界に入っているのは、常に目にしていた僅かにも混じり気の無い目に眩しいほどの純白の毛並みを持ち、青い大きな瞳を瞬かせる白猫『セト』とは違い、まるきり真逆の全身真っ黒で、こちらを見る瞳は金に限りなく近い琥珀色。本当に、見事なまでにセトとは対照的だった。

 その所為なのか、もしくは城之内が持つレアカード『レッドアイズ』に由来してか、はたまた琥珀色の瞳にインスピレーションを感じてか、モクバは黒猫に『カツヤ』という名前をつけたという。白猫に『セト』と名づけた時も「何で身内の名前を付けるんだよ」と呆れた覚えがあるが、まさか自分の名前までもが採用されるとは思いもしなかった。

 はぁ、と大きな溜息を一つ吐く。すると、瀬人の肩の上で、『カツヤ』がなぁ、と声を上げた。セトよりは少し低い声だった。

「……真っ黒なら『モクバ』にすべきだろ」
「さすがに自分の名前は付け難かったんじゃないか」
「だからって身近な人間の名前を付けんなって言え!なんでお前はそれを許可するんだよ」
「オレが許可しようがしまいが結果は一緒だ。どうしようもない」
「……そりゃそうだけどさー。ちなみに、このカツヤ君はセト君よりも行儀が悪かったり攻撃的だったりするんですか?」
「それが……意外な事にカツヤはセトよりオレに対しては穏便に接してくるのだ」
「おおっ。喧嘩は?」
「大抵『セト』がちょっかいを出して些細な喧嘩はしているようだが、総じて仲はいいようだな」
「……オレ達よりも上手く行ってるみたいじゃねぇか」
「なんだ『オレ達』というのは」
「だって、セトとカツヤだろ。オレ達じゃん」
「猫と一緒にするな」
「一緒だって。名前が一緒なんだからよ」

 ソファーに座る瀬人の肩の上で眠そうに欠伸をするカツヤに、城之内が手を伸ばす。途端に黒い前足がたしっ、という効果音でもつきそうな勢いで差し出された褐色の手を叩いた。少しだけ伸びた爪が、彼の皮膚に白い痕を残す。

「いてっ!こいつ、オレには攻撃的じゃね?」
「『克也』は嫌いなんじゃないのか」
「なんだそれ。なー猫はいいからさーオレと遊んで。そいつ置いてお前の部屋に行こうぜ」
「別に構わないが……オレの部屋には今モクバがいる」

 有無を言わせずカツヤの首根っこを掴んで両手で握り締めた城之内は、ガリガリと爪を立てる彼はそのままに普段よりも幾分甘えた声でそう口にする。それにさらりと返答した瀬人に城之内は酷く不満そうに唇を尖らせた。

「なんでお前の部屋にモクバがいるんだよ!もー!お前ら仲良すぎるんだよ!」
「………………」

 この前、お前モクバと一緒に寝てねぇって言ったけど、その実しっかり寝てんじゃねぇか!可笑しいだろ?!

 段々あさってな方向への糾弾に変わっていくその言葉を聞きながら、瀬人はここ最近のモクバの言動も合わせて、確かに少しマズイのではないかと思い始めていた。そもそもあの白猫に『セト』という名前をつけた理由の一つには、モクバが瀬人に対して行き過ぎた好意を持っているから、というのもある。

 折も折、何かに付けて不穏な発言が多くなってきたモクバに瀬人はそろそろ対策を講じねばなるまい、と思い始めていた所だった。そこにタイミングよく彼氏からの突っ込みである。やはりそろそろ真剣に考えなければならないと、瀬人が真面目に思い始めたのも当然だった。

 勿論、そんな事は城之内には言えなかったが。
 

「しっかしなんでコイツにカツヤなんて付けるかね。似てるか?」
 

 なぁ?くるりと子猫を反転させそう話しかける彼の声に、カツヤは答える様に一声、なぁ、と低く鳴いた。
「セトと同じ所に捨てられてたんだ。やっぱり雨が降ってて、凍えてたから……」
「だからと言って何でも持ってくるな。いい加減通学路を変えたらどうだ」
「だって、裏道通った方が近いんだぜぃ。そんな事より……ねーいいでしょ兄サマ。セトも一匹じゃ絶対寂しいよ」
「……一匹で大騒ぎしているのにもう一匹増やしてみろ、どうなると思う。それでなくても磯野が戦々恐々としているんだぞ」
「猫が怖いなんて磯野もヘンな奴だよね、こんなに可愛いのに。大丈夫!そのうち慣れるって!」
「お前、この間オレに謝った事をもう忘れたのか」
「オレも兄サマを見習って過去は振り返らない事にしたんだ」
「……余計なところは見習わなくていい。そいつの事だが、どうせオレが駄目だといった所で屋敷に持って帰るつもりなのだろう?好きにしろ。ただし名前は……」
「あ、名前はもう決めてあるんだ。拾った瞬間につけたんだぜぃ」
「何?今度こそまともな名前なんだろうな」
「うん。こいつの名前は『カツヤ』にした」
「は?カツヤ?……どこかで聞いた事がある名前だな」
「ちょっと兄サマ、『カツヤ』は城之内の名前だよ」
「ああ、そういえばあの男の下の名前は克也だったか……って!!カツヤ?!その猫が?!」
「うん」
「頼むから身近にいる人名はやめてくれ、モクバ!」
「えー。もう決めちゃったから変えられないよ。別にいいじゃん、城之内だと思って可愛がってあげれば?」
「よくないだろう!というか何故オレが城之内を可愛がらなければならない!」
 

 その猫が海馬邸にやって来たのは、城之内が始めて『カツヤ』と対面することとなった日から数えて、丁度10日前の事だった。

 その日も小雨が降る肌寒い日で、いつもの通り学校帰りにKCに顔を出したモクバを座ったまま出迎えた瀬人が、突然聞こえた猫の鳴き声に過敏に反応した事から始まった。セトとは明らかに異なる低い響きに瀬人は即座にモクバを問い詰めると、モクバは後ろ手に隠すように持っていた布製の手提げ袋の中から、やはり雨でずぶぬれになって震えている黒猫を取り出したのだ。

 明らかにデジャヴだ。そう瀬人が思った時には既に遅し、モクバはセトを持ってきた時とまったく同様の強引さで、黒猫カツヤを新たな家族の一員として海馬家に迎える事を決定したのだ。そこに瀬人が口を挟む隙などまるでなかった。

「ほら、みてみて兄サマ。カツヤの目の色は鈍い金色なんだよ。ぱっと見城之内の目みたいでしょ?」
「……いや、だからそういう問題ではなく……だな。人の名前はやめろと言って……」
「オレ、クロとかタマとか、ありきたりの名前って嫌いなんだ。つまんないじゃん」
「つまらないって……セトやカツヤもありきたりではないか」
「猫としては珍しいじゃん。愛着あるし。オレ、兄サマは兄サマって呼ぶし、城之内は城之内って呼んでるから被らないよ?兄サマだって城之内だってそうじゃん。名前呼びした事ないくせに」
「………………」

 だから問題はそこではないのだと、瀬人が何度モクバに言い聞かせても、モクバは頑として首を縦に振らなかった。こうなってしまうと意見を覆させる事は破談した商談を成立させることよりもずっと難しい事を身を持って知っている瀬人は、最終的にモクバの意見すべてを通さざるを得なかったのだ。結局、その日のうちに黒猫……カツヤは海馬家の敷居をまたぎ、セトと共にモクバの飼い猫となったのである。

 そして、海馬邸内には磯野の切羽詰った叫び声があがる頻度が増え、瀬人には二匹が仲良くじゃれついてくる事になったのだ。
「兄サマお帰り〜!あれっ、城之内来てたんだ?」
「よっモクバ、邪魔するぜ。……って、セト!お前なんかでっかくなったなー!相変わらずほっそいけど。いいもん食わせて貰ってる癖に太らねぇのか、海馬と同じだな」

 城之内と瀬人の二人がリビングを出て瀬人の私室へと入ると、そこには我が物顔で兄のテーブルを占拠するモクバと、その横で丸くなって退屈そうに欠伸をしていたセトがいた。

 彼等は部屋に入って来た二人の姿を見ると即座に目を輝かせ、セトは一目散に瀬人の元へと駆けて来て、その手にカツヤが居ると知るや隣で手を差し伸べていた城之内へと飛びついた。モクバはモクバで操作していたPCから手を離し、兄の方へとやって来る。そして何事かを話しながら、そのついでとばかりに城之内へと口を開いた。

「そうそう、こいつ大きさだけは順調なんだけど、体重が増えないんだ。だからイマイチ抱き心地が悪いんだぜぃ」
「あ、どうでもいいけどモクバ、お前なんでこの黒猫にオレの名前を付けたんだよ!人の名前勝手につけんな」
「え?だって目こいつの色お前とそっくりだし、良く食べるし、セトに苛められてるし……どう見てもカツヤって感じだろ?」
「ちょ……苛められるとかなんだよ。ってコラ!」

 そう言ってる傍から、城之内の手の中でじゃれていたセトは、直ぐに傍にいるはずの瀬人の方へとジャンプすると、何時の間にか瀬人の姿はなく、床に置き去りにされていたカツヤへと体当たりする。途端に始まった二匹の微笑ましいというには些か過激なスキンシップに、モクバは「な?」と城之内を見上げた。

「ほら、じゃれてるでしょ。兄サマ達そっくり」
「……じゃれてるっつーか。喧嘩してんじゃん。これがそっくりとか。つーか海馬はどこ行ったんだ?」
「ん?兄サマなら今磯野が探してたって伝えたら部屋出て行ったけど。名前の事は別にいいでしょ。愛情込めてつけたんだからさ」
「………………」

 言いながら、にっこりと天使の笑顔を見せる可愛い弟に、瀬人と同様年下の存在に弱い城之内が勝てるはずもなく、仕方なく彼は苦虫を噛み潰した顔ではあったが、それ以上名前に関して突っ込む事はやめにした。

「まーもうなんでもいいけど。とりあえずお前そいつら連れて自分の部屋に帰れ。オレ達が遊べないだろーが」
「なーにが遊ぶだよ。お前の言う『遊ぶ』ってゲームとかじゃない癖に。スケベ城之内」
「言うに事欠いてスケベかよ!生意気言ってんな!いいから出てけ!つーかお前なんで兄サマの部屋に入り浸ってんだよ」
「えーだって。オレ兄サマ大好きだからさーいつも一緒にいたいじゃん?」
「へ?」
「お前が居る時はお前に譲ってやってるけど。それ以外は兄サマはオレのものだぜぃ」
「え?えぇ?」
「じゃ、そういう事で。セト、カツヤ!部屋に帰るから来いよ!」

 思いもかけないモクバの発言に心底驚く城之内を尻目に、問題発言をした当の本人は未だじゃれあう猫二匹と持ち込んだ小型PCを抱えて退出した。その後姿を呆然と見遣ったまま暫しその場に立ち尽くしていた城之内の元に、今度は兄が姿を現す。

「そんな所にぼうっと突っ立って何をやっている?モクバは居なくなったのか」
「……海馬ぁ」
「な、なんだ?気色悪いな」
「お前、もうモクバを部屋に入れるの禁止な」
「はぁ?」
「うん。そうだ、禁止だ禁止ッ!大体その年で弟と一緒に寝るとか可笑しいんだよな、うん」
「何の話だ?」
「はッ!もしや寝るだけで留まらず風呂とか一緒に入ってるんじゃないだろうな!!ぎゃー!嘘ッ!ありえないッ!」
「だから、何の話だと言っている!!」
「何でもいいだろ!こっちの話だ!いいからうんって言え!」
「内容も分からないのに頷けるか!!」

 まさかお前の弟がお前を狙っててアブないから気を付けろ、なんて言えるかッ!!

 そう心の中で絶叫しつつ、未だ理由を問い質して来る海馬の頭を無理矢理掴んで強引に首を振らせ、腹を立てた海馬に殴られたりしたものの、何とか約束を取り付けた城之内は、そのまま予定通り普段と同じ時間を過ごした後、夕食他諸所の流れを経て一日の締めとして『海馬と遊ぼう』と寝室に入った。
 

 その時だった。
 

 準備万端でベッドに上がり、風呂上りで仄かに甘いバスソープの香りを漂わせた身体を密着させ、さぁキスから始めよう!というその瞬間……城之内は足先にチカリと小さな痛みを感じた。同時に瀬人の膝の上にはふわふわの毛の感触。

 驚いて同時に視線をその場に送ると「にゃあ」「なぁ」の甘え声と共に上を見あげる4つの瞳と眼があった。二匹は至極嬉しそうな顔で二人の柔らかなバスローブの上へと上がってくる。完全に遊ぶ体制だ。
 

「ちょ、モクバの奴ッ!────」
 

 やる気満々のところに思い切り水を差された城之内は、ありったけの声でそう叫んで二匹の首根っこを捕まえた。それに抵抗する4本の足。
 

 ……彼等を寝室から摘み出すまで、相当の時間と労力が掛かった事は言うまでも無い。