前途多難な恋模様

「城之内ッ!お前、ちょっとそこに座れッ!そしてオレに殴られろ!」
「はぁっ?!な、なんだよモクバ。ちょ、お前何持ってんだ。どっから持って来たんだそのゴルフクラブ!」
「磯野に借りた!!」
「磯野、ゴルフすんのかよ?!って、そういう事じゃなくって、いきなり何だよ。ちょっと落ち着け。つーか海馬は?」
「お前になんか言うもんか!いーから座れよッ!」
「……座った瞬間にソレで頭かち割る気だろ。っつーかだからなんでそんなに怒ってんだよ。オレ何かしたか?」
「何かしたかだって?!お前、とんでもない事してくれたじゃん!絶対に許さないんだからな!」

 そんな叫び声と共に、ブンッ!と空を切る音がして、モクバの手に握られていた2番アイアンが物凄い勢いで右に振られ、ガシャンと何かが粉々に砕け散る。慌ててそこに視線をやると、多分何百万では買えないモノの価値が全く分からないオレでもスゴイと思っていた花瓶が見事に粉砕していた。

 ひー!ゴルフクラブの威力半端ねぇ!あれで殴られたら確実に死ぬね。うん。間違いない。

「うっわお前何やってんだ?!海馬に怒られるぞ!」
「こんなのオレのお小遣いで幾らでも買えるぜぃ!」
「お前の小遣いどんだけだよ!あ、そこ危ないぞ、破片踏んだら怪我するだろ。いーからこっち来い。な?」
「お前が座ったらそっちに行ってやるよ!」
「な、殴らないって約束すんなら座ってやっから」
「無理」
「無理なのかよ!……あーもー、なんかオレが悪いっつーのはなんとなく分かったんだけど、何が悪くてお前がそんなに怒ってるのか教えてくんねぇかな。じゃないとオレ、謝る事も出来ないじゃん」
「オレが教えないと分かんないって事に既に頭に来てるんだよ!分かんないって事はさ、悪いと思ってないって事じゃん!そうだろ?!」
「だから何がだよ。オレ、昨日は何もしてないぜ。勝手に厨房漁ってないし、漫画本散らかしてもないし、お前のゲーム、ブチ切れて壊してもないし……心当たりねぇもん」
「え?この間オレのゲーム機壊したのお前だったのかよ?!」
「あ、やべ、気付いてなかったのか。失敗した」
「城之内!お前〜〜!!」
「うっわ、ごめん!ごめんって!でもお前が怒ってんのはそれじゃないんだ?!」
「それもすっごく頭に来るけど、本題はそこじゃないのっ!」

 ホントにお前の頭かち割ってやりたいぜぃ!!

 未だゴルフクラブを手放さないまま、そう大騒ぎするモクバの事を、オレは半ば茫然と見つめる事しか出来なかった。
 

 

 それは至って普通の月曜日の夜の事だった。今日は夜のバイトが入っていなかったオレは、学校帰りに海馬に『今日暇なんだけど』とメールを送った。そしたら『少しかかるかも知れないが普段よりは早めに帰宅出来そうだから先に部屋で待っていろ』、との返事が来たから素直に海馬邸へ直行した。

 何時見ても無駄にデカイ門の前に立ち、毎回気後れしながらも門柱のとこにあるインターフォンを押して「城之内ですけど」と声をかける。すると向こうも大分慣れたもんで、直ぐに門は開かれた。

 そこからオレはいつもののんびりとした足取りで、大分距離のある玄関まで歩いて行き、そこに立つ馴染みの使用人さんに軽く頭を下げて、おじゃましまーすなんて言ってしまう。すると、いつもは「いらっしゃいませ」と言ってくれるその人達は、優しい声で「おかえりなさいませ」なんて答えてくれた。……自分の家じゃねぇのになんか変な感じだ。

 けど、実は昨日もオレはここに泊って、ここから朝出かけてる時に「いってらっしゃいませ」を言われたから、お帰りなさいと言われるのはある意味自然な流れなんだと思う。……それにしてもなんか妙な空気だ。もしかしたら『アレ』がバレちまったのか?この人達にまで?

 そう内心不審に思いながら屋敷内に足を踏み入れた途端、二階から降って来たのがモクバの聞いた事もないような低い低い怒り声だった。
 

「城之内、お前ちょっとオレの部屋まで来いよ。話があるから」
 

 まだ声変りもしてない高い声が繰り出すドスのきいた声に一瞬何事かと思いつつ、オレは首を傾げつつ言われた通りモクバの部屋へと向かうと「なんだよ?」と言いながら、一歩足を踏み入れた。そしたらいつの間にかその手にゴルフクラブを持ったモクバ様に襲われ……いやいや、怒鳴られたと、そういう訳だ
 

 

 モクバのゴム底のスニーカーが、パキリと花瓶の破片を踏み砕いて粉にする。や、ほんとにマジでオレこいつがこんなに怒ってる理由が分かんねぇし。大体オレ、モクバが本気で怒ったのって初めてみたからマジビビる。

 いつもは人懐っこい笑みを浮かべて「兄サマが帰ってくるまでオレと遊ぼうぜぃ」なんて言いながら纏わりついて来て、ゲームや漫画やちょっとエッチな話をして盛り上がるのが定番だから、今この状態をどうしたらいいかなんて分からなかった。ごめん、なんて言ったって、何に対して謝ってるのか理解してなかったら意味ねぇし。

 うーん、一体どうしたらいいんだ?

 そうオレが、この場面に遭遇しているにしては冷静な態度で腕組みをして考えていると、その様子に心底呆れような長い長い溜息を吐いたモクバが、改めてゴルフクラブの柄を握り直してこう言った。

「ほんっとうにわかんないのかよ、お前」
「……ああ、うん。ごめん。全く心当たりねぇわ」
「じゃあ聞くけど。お前、昨日兄サマの部屋で夜遅くまで何してた?」
「はい?昨日?昨日はええと……」

 余りに唐突にそう聞くもんだから、オレも一瞬何を言われてるのか分んなくてはてなマークを出しつつ首をひねってみる。昨日は……えっと確か夕飯食った後、ちょっとだけ海馬とデュエルして、10時から毎週欠かさず観てるアクションドラマをがっちり見て……その後は……と、記憶を探っていたら、瞬間「夜遅く」という単語でぱっと『アレ』の事を思い出した。

 そう。そうなのだ。昨日、ついにオレ達は……そこまで考えて思いだした内容が内容故に図らずもオレはぱっと顔を赤らめてしまう。その変化を、見逃すモクバ様ではなかったらしい。

「顔赤くすんな!さっさと言えよ!!」
「や、だ、だってよー。えっと、その……お子様には言えねーよ!」
「へー。お前、オレの兄サマにお子様には言えない様な事したんだ?」
「うん。……って、えっ?!ち、ちがっ!タンマ!今のなしっ!!」
「無しじゃねーよ!やっぱりお前ヤッたんだな?!兄サマと!っていうか兄サマを!!」
「ひっ!……や、ヤッてませんっ!」
「嘘吐け!!あの部屋のベッドメイクは誰がやってると思ってんだよ!!バレバレなんだよこの馬鹿犬!!」
「ちょ、お前までオレの事馬鹿犬って言うな!しょ、しょうがないじゃん、成り行きでそうなったんだから!つか、海馬だってノリノリで……やーもう可愛かったなぁ」
「感想なんか聞いてねぇよ!!オレの大事な大事な兄サマをキズモノにして!!お前なんかオレがギッタギッタのケチョンケチョンにしてやるぜぃ!!覚悟しろよ!!」
「キズモノってお前何時の時代の人間だよ!」
「問答無用!大人しく一発殴らせろ!!」
「それで殴られたら死んじまうっつーの!!馬鹿ッ!」

 ああ、モクバ様のお怒りは、大事な兄サマをオレにヤられ……もとい、取られたっつー事だったのね。めちゃくちゃに振りまわされるゴルフクラブを避けながら、オレはやっと判明した相手の怒りの出所にホッとするやら困るやら、どうしたらいいか分からなくなった。

 まぁそりゃー自慢の兄サマをオレみたいなのに取られりゃ怒りもするわな。女ならまだしも男だし。うん、気持ちは分かる。でもさ、元々オレ等恋人同士だったから(隠してたけど)いつかはこうなる予定だったし。海馬だってバレたらバレたで「モクバなら分かってくれる」と自信を持って言ってたし、だから多分大丈夫だと思ってたのに。
 

 全然大丈夫じゃなかった。修羅場じゃねーか。

 モクバ、据わった目でオレを見て「死ね!」とか言ってるし。
 

「ご、ごめんってモクバ!!悪かった!!で、でもオレ海馬の事幸せにするしッ!」
 

 オレのすぐ目の前でブンブンと音を立てる金属体はマジで凶器だ。ヤバい、これはヤバい、死ぬっ殺されるっ!こうなるともう冷静に考えてる暇もなくって、オレは殆ど必死に真剣なんだという事をモクバに向かって訴え続けた。

 マジで遊びでとか、ただの成り行きで、とかそんなんじゃないし。
 オレは本気で海馬の事が好きだし大事にしてやりたいと思ってる。これは本当だ。

 そりゃ確かにオレは馬鹿だし金もないし、甲斐性もない。どっからどうみても海馬に釣り合うとは思えない。でも、それでもこの気持ちだけは誰にも負けない。世界一……いや、宇宙一あいつを愛してるって言える。言って見せる!
 

 そうマジになって叫んだら、少しはモクバも分かってくれるかな、とそう思ったけれど。

 問題は、どうやらそこじゃなかったらしい。
 

「そういう問題じゃない!!」
「えっ、じゃあどういう問題だよ?!」
「兄サマのハジメテはオレが貰うつもりだったのにっ!お前なんかに奪われちゃって!!絶対許さないぜぃ!!」
 

 ── はいぃ?兄サマの初めて?!
 

 っていうかお前、海馬の事そういう意味で狙ってたのかよ。大事な大事な兄サマ相手に何考えてんだ?!
 

「……あの、モクバくん?」
「もうお前を殺してオレも死ぬしかないぜぃ!」
「お前、なんのドラマの影響だよそれ。馬鹿だろ……」
「この強姦魔!!」
「お前も似たような事考えてたんだろ。人の事言えるか」
 

 なんだか物凄く疲れた気がする。これ、海馬が帰って来たら大変だな。第二の修羅場が起こるぞ絶対。海馬と違ってモクバは結構まともに見えたのに、やっぱ血は争えねぇな。つか、海馬の方がよっぽどまともだ。どうしようコイツ。
 

「城之内の馬鹿ー!!」
 

 最後にはそう言って『子供らしく』泣きだしたモクバを目の前に、オレは心底途方に暮れて額に手を当てて長い長い溜息を吐いた。今ってよく考えてみたら幸せ絶頂な筈なのに、なんだか不幸のどん底にいる気分だ。これからどうすりゃいいんだよ。

 とりあえず、散々な事になっているこの部屋を片付けてから考えよう。

 そう思いつつ、オレは重い腰を上げて床の上に散らばっている元値が想像出来ない花瓶の欠片を拾い始めた。
 

 前途多難なこの恋を、海馬と二人でどう驀進していくかを悩みながら。