アポロ

「はい海馬。ハッピーバレンタイン!」

 そんな言葉と共に、デスクの上にバラバラと落ちて来たのは大小様々な所謂『お菓子』の類だった。重要書類の上に容赦なく転がった、派手な包装紙に包まれた確か一口サイズのチョコレートだったモノを一つ摘み上げて、海馬はゆっくりとそれらをこの場にばら撒いた城之内を振り仰ぐと、少しだけ眉間に皺を寄せて口を開いた。

「なんだこれは」
「今言ったじゃん。バレンタイン」
「それは分かっている。だから、なんだこれはと言っている」
「なんだって。チョコレートだろ、キャラメル、飴、一口クッキー、その他モロモロ……の詰め合わせ。店頭に飾ってあったからさ」
「知っている。一番安い奴だろう」
「うっ……そ、そうだけど。これだってオレにとってはデカイ買い物なんだぞ。今日の昼メシ抜いたんだからな!」
「その変わりに夜ここにくるのであれば一緒だろうが」
「あ、分かる?美味しいもの頼むな」
「貴様にはレトルトカレーで十分だ。1パック195円のな」
「それもう食べ飽きてるから。ちゃんとした奴お願いします」

 そういって城之内がペコリと頭を下げた瞬間、盛大な腹の虫が鳴る。それに呆れた様に肩を竦めると、海馬は無言のまま受話器を取り、城之内の為にティーセットを持って来い、と一言言った。そして、机上に散らかったお菓子群を手早く掻き集めると脇に退ける。

 城之内がこの部屋に入って来たのは、今から数分前だった。今日はバイトもないから学校から直帰する、とまるで自分の家に帰ってくると言わんばかりの言い草で電話を寄越した彼は、数時間後授業が終わった直後、着替えもせずに本当に直ぐに海馬邸へとやって来た。

 そして、脇目もふらずに海馬が在室しているこの部屋へとやって来て「今日は何の日だか分かる?」などと思わせぶりな台詞を口にしつつ、つい今し方机上にばら撒いたお菓子群を海馬に掲げて見せたのだ。

 それが海馬の元へと降ってくる直前、海馬は「で、どこの店の高級チョコレートだ?」とからかい半分に口にし、その答えは「高級?冗談。勿論家の前のコンビニです」だった。そして、付け足すように「だってお前なんだかんだ言ってオレが食べてると一つ寄越せとか言うじゃん」と笑いながら言ったのだ。

「フン。それにしても、貴様何時から女になった。バレンタインとは女が好きな男にチョコレートを渡す日ではなかったのか」

 城之内が寄越した一口チョコレートの包みを無造作に開けてぽいと口の中に放り込みながら、海馬はどこか意地悪げな笑みを浮かべてそんな事を言う。その様子を満足気に眺めながら城之内は身体を机に預けつつ、海馬に顔を寄せるとやや自慢げにこう言った。

「知らねぇの?今年は『逆チョコ』が流行ってるんだぜ。男が女にチョコやんの。その前は『友チョコ』だろ。バレンタインだって年々変わって行くんだぜ」
「逆チョコ?意味がわからん」
「まーなんにしても一年に一回位告白のチャンスを与えてやろう、ついでにチョコも売ってやろうって事だろ。……それはともかく、お前はオレにくれないわけ?」
「なんでオレが。オレは女じゃないぞ」
「なんだかんだ言って去年もくれたじゃん。今年もとーぜん用意してるだろ?お前忘れてるフリして絶対忘れ無いだろそういうの」
「………………」
「あ、図星。で、今年はどこの高級チョコレート?」
「高級?冗談。勿論社の中にあるコンビニだ」
「はい?……その台詞さっきオレが言った気がするんですけど」
「高級の味も分からん貴様に高価なチョコレートなど勿体なくてくれてやれるか。これで十分だ」

 そう言って、机の一番上の引き出しを開けた海馬は、取り出したチョコレートにしてはやけに大きな物体をぽい、と投げてやった。慌ててそれを両手を広げてキャッチした城之内は、以外に重量のあるその包みを見て驚き許可を貰ってその場でがさがさと破き始めた。

 程なくしてあっという間にただの紙切れになった簡易包装紙の中から出てきたのは……酷く見知った、お馴染みのチョコレート。しかも、城之内の記憶が正しければそれはコンビニに置いてあったバレンタインコーナーの中でも一番高い奴で……。

「ちょ、マジこれコンビニチョコじゃん!どでかいアポロ!とポッキー!コロン!ついでにキットカット!!」
「だから言ったろうが」
「これ一箱千円以上するんだぜ!つかお前どんな顔してこれ買ったんだよ、社長!!」
「別に。社内でオレが何を買おうと誰も何も言わんしな。モクバの、といえば大体は納得する」
「……バレンタインコーナーにあるのに?」
「一々煩いな。いらないのなら返せ」
「うそうそ。マジ嬉しー、去年より嬉しいかも。オレ実は苦いチョコより甘いのが好きなんだよなー」

 去年のチョコはあの上にかかってたパウダーが苦くって。美味しかったけど。そんな事を言いながら、早速巨大なアポロの箱を開封した城之内は、箱の中一杯に詰め込まれていた通常の5倍はある大きなチョコを一つ掌に取り出して嬉しそうにそれを包むビニールをも破り開ける。そして出てきたそれを躊躇なく口の中に放り込み、頬の形が変わっても気にせずに舌で転がした。

「……その大きさでも貴様は舐めるのか」
「あったりまえだろ。噛んだら勿体ないじゃん。」
「そういう事をするから虫歯になるのではないのか」
「違うし!噛んだって一緒だろ。でも今日から暫くはご飯いらなくなっていいかも。こんだけデカイと腹持ちいいだろうしな」
「菓子を食事の変わりにするのはやめろ、太るぞ。それでなくても最近背中の肉付きが良くなったり、顔が丸くなっただろうが」
「うっ……気づいてた?」
「これだけ間近で見ていればな」
「お前はもうちょっと太った方がいいぞ。チョコ食え」
「余計な世話だ」
「じゃ、頑張って痩せるから運動しよう。付き合えよ」
「一人でやれ」
「やだね。だってもしオレがこれ以上太ったらそれはお前のチョコの所為だし、責任とって貰わないと」
「どういう理屈だ!」
「まぁいいから。今夜、なっ?」

 元々そのつもりで来たのだから今更口に出して言う事もないのだが。城之内は敢えてそう言って、もう一つアポロチョコを口に入れた。口内に広がる甘酸っぱさに満面の笑みがこぼれる。

 やっぱバレンタイン様々だよなーそう言ってさり気なく海馬に顔を近づける城之内に海馬は呆れた溜息を一つ吐くと、いざ重なろうと落ちてくる唇を自ら引き寄せてキスをした。
 

 息が止まる程の長い長い口付けは、酷く口慣れた甘酸っぱいアポロの味がした。