The Gift of the Magi

『オレさー、彼女が出来たらーその年のクリスマスはぜぇったい一緒に過ごすって前々から決めてたんだよね。二人っきりのクリスマス!夢だろ?』
『ほう』
『今年はさ、ホラ、念願叶った訳じゃん?』
『いつの間にか彼女が出来たのか?』
『いや、目の前にいるし』
『オレは女ではない』
『似た様なもんだろ!!っつかオレが言いたいのはそこじゃねぇの!黙って聞け!』
『フン。黙って聞いてれば、「聞いてるのか」としつこく言うのは貴様だろうが』
『あーもーじゃあ言わねぇから!……とにかく……えぇとなんだっけ?』
『「オレは彼女が出来たらクリスマスは絶対一緒に過ごすと前々から決めていた」の先だ』
『あ、そうそう。そーゆー事だから、今年のクリスマス、空けてくれ。オレも25日はバイト先に頼みこんで休む事にすっから。お前の会社的には一番の掻きいれ時だってのは重々承知してっけど、それよりも大事なものってあるだろ?』
『……大事なもの?』
『そうだよ!!』
『……そうだな。どうせならその日にするか。いいぞ、空けてやる』
『えっ、マジで?!』
『ああ』
『ほんっとうに、本当だな?!ドタキャンとか無しだからな?!何があってもだぞ?約束っ!!』
『分かっている』
『やったー!!今からスゲー楽しみだぜー!!』
「……って、ちげぇよーーーーーーー!!!」
「煩いな。何を騒いでいる」
「何をって!!お前、何をって!!」
「やかましい!!とっとと手を付けんか!!」
「あだっ!!」

 寒々しい部屋の中に城之内の絶叫が響き渡り、それをかき消す様な冷やかな声と軽い打撃音が後に続く。拍子にガタリと大きく動いた椅子の音に、彼の目の前に鎮座し生真面目な顔で参考書を眺めている男……海馬瀬人は元よりきりりとつり上がった眉を更に持ち上げて「静かにしろ!」と一喝した。その言葉に城之内は再び嘆きの声をあげる。
 

 時は12月25日、クリスマス。
 

 恋人達にとっては一年の内で尤も盛り上がるべきこの記念日に、今年めでたく恋人同士になった城之内克也と海馬瀬人は空調の殆ど効いていない無人の教室で二人、机を一つ挟んで向かい合っていた。

 勿論そこには豪華な料理の数々や、品のいい香りを放つ極上のスパークリングワイン、そしてこの日の象徴として添えられたサンタクロースが可愛らしいクリスマスケーキなど影も形も無い。その場にあるのは、見るに堪えない点数が刻まれたテスト用紙の数々やそれに見合って課せられただろう大量の課題、そして暖をとる為だけに昇降口横の自販機で買って来たペットボトルの緑茶二本だけだ。

 今日ってクリスマスだよな?うん、クリスマスだ。

 近くに置いたまま携帯を何度開いて見てみても、教卓の横にある壁かけカレンダーの数字を見てみてもどこからどう見ても12月25日には違いない。なのに何故、自分達はこんな場所でこんな事をしているのか。

「約束が違う」
「何が。約束通り休みを取っただろう。それに、望み通り二人きりのクリスマスだ。何の不満がある」
「あるに決まってんだろ!!なんでよりによって今日学校でテストの補習しなきゃなんねーんだよ!!聞いてねぇよ!!」
「オレと貴様の休みが合致する日が今日しかなかったからに決まってるだろう」
「だからそれはクリスマスを一緒に……!!」
「過ごしてるだろう?」
「過ごしてるけどーそうじゃなくってぇ!!」
「つべこべ言わずに目の前の問題をとっとと解かんか。そもそもそんな目も当てられん点数を取るのが悪い。なんだそれは。校内テストは10点満点ではないぞ?分かっているのか?」
「分かってるっつーの!嫌味くせぇな!」
「がなってる暇があったら手を動かせ。貴様が理解するまで今日は帰れんぞ」
「嘘だろぉ?!」
「オレが嘘を言うような男に見えるか?」
「……見えません」
「ならば口を噤んで真面目に取り掛かるんだな。状況を理解していない様だから言っておくが、貴様は既に留年に片足を突っ込んでいるのだぞ。オレ達は今三年だ。と言う事は、どうなるか分かるだろう?」
「……オレだけ卒業できません」
「しかも?」
「し、進学も無理です」
「当然だ。大体貴様は何を目指していた?」
「……技術系の専門学校です」
「ふ、笑止千万だな。貴様など願書を出す前に終了だ。馬鹿が技術系だと?寝言は寝て言え」
「終了言うな!!馬鹿も言うな!傷つくだろ!!」
「オレは真実を言っているだけだ。卒業出来なければ進学など無理に決まってるだろうが。そしてこの学力で試験が受かるとでも?そんな学校なら行かない方がマシだ。潔く就職しろ」
「うっせー!分かってら!!先公みたいな事言いやがって!!」

 なんだよ!口を開けば嫌味と説教かよ!なんだってんだ!!

 余りに余りな事態とそれを招いた張本人であるにも関わらず飄々とした態度でかけていた眼鏡の位置を直す海馬に城之内のイライラは頂点に達し、思わず机の足を蹴って抗議する。しかしそんな事には露ほども動じない海馬は、静かに今の衝撃で少しだけずれてしまった机を直し、そっぽを向いた城之内の前髪を掴んだ。そして、強制的に前を向かせて低く囁く。

「城之内」
「なんだよ!」
「貴様が駄々を捏ねれば捏ねる程、帰宅が遅くなるんだぞ?」
「だからぁ?」
「……分からないなら別にいいが。とにかくオレは一歩も引く気はないからな。まぁ好きなだけグダグダしてればいい」
「なんだよそれっ!!」
「いいから次に行け。先程から10分も経っているのに一問も進んではいないだろうが」
「お前の所為だろっ!」
「どう考えても貴様の所為だ。早くしろ」
「…………海馬の鬼!悪魔!!分からずや!お前みたいな奴は将来ハゲるんだからな!!」
「根拠のない低レベルな罵詈雑言を吐いている暇があったら集中しろ」
「あーもークリスマスしてぇよ〜」
「クリスマスはイエス・キリストの降誕を祝うキリスト教の記念日であってイベントでは無い」
「屁理屈捏ねんな!」
「屁理屈ではない。事実だ」

 城之内の魂の叫びなど全くどこ吹く風で海馬はトントン、とプリントの空白部分を叩きながら「ほら、早く」と急かしてくる。その白くて長い指先を恨めし気に眺めながら城之内はわざとらしい溜息を一つ吐くと、漸くただ掴んでいただけのシャープペンを握り直し、嫌々ながら目の前の問一を解き始めた。

 幸か不幸かそれは英訳の問題で、題材は「賢者の贈り物」。貧しい夫婦が相手のクリスマスプレゼントを工面する為に一番大事なものを手放してしまう、というストーリーだ。勿論そんな話には全く興味はなかったが、クリスマスという単語を目にするだけで気分が沈んだ。

 一体なんだってこんな事に……ああ、畜生。こんな事になると知っていればあの時ちゃんと「二人きりのクリスマスパーティがしたい」としっかり伝えておけば良かったと心底思う。

 まさかその為に取った休日をこれ幸いとばかりに補習日に宛がわれるとは思わなかった。だからこいつあんなにあっさりと了承したのか。なんか変だと思ったんだ。冒頭に交わされた浮かれ気分満載の自分とごく普通の声で応対した海馬との会話を思い出すにつけ、後悔せずにはいられない。

 ……全部後の祭りだけれど。

「………………」

 ちらりと見上げた時計の針は午後4時を指していた。昼過ぎにこの教室へとやって来て、こうして向いあってから早2時間。交わされたのはほぼ喧嘩腰としか言い様のない、普段よりも乱雑な言葉のやり取りだけで、どうにも『恋人達』という雰囲気では無い。

 昨夜海馬から連絡が来て、胸をトキめかせる前にこの補習の事を聞かされてどん底にまで落ち込んだ気分は、その後フォローするかの様に紡がれた「二人きりだ」という言葉に僅かに浮上したものの、待っていた現実に再び奈落の底へと突き落とされた。

 最後の希望としてこんな状況でも少しは甘い雰囲気でも楽しめるかと思いきや、海馬は普段以上に素っ気なく、自分に対して容赦がない。これが二人で過ごす初めてのクリスマスかよ、最低だ。そう思う気持ちを率直に声に出して吐き出しても、返ってくるのは「仕方が無いだろう」の言葉だけ。

(くっそー。どうでもいいみたいな事言いやがってー。オレだって我慢の限界ってもんがあんだぞ!!いい加減にしないとこの場で襲うぞコラァ!)

 目の前の英文が齎す、甘く温かいクリスマスラブストーリーを見るにつけ、城之内の鬱憤は溜まっていく。それを知ってか知らずか余りこちらに視線は寄越さずに、出席日数の関係で他の生徒よりも数倍の量がある課題を黙々とこなしていた海馬が、不意に顔を上げて目の前の城之内を凝視した。互いに少し前かがみになっていた姿勢の所為で、やけに近い位置で視線がぶつかる。

「……な、なんだよ」
「集中出来んのか?」
「……出来る訳ねーだろ。やりたくねーもん。なんで今日こんな事しなくちゃなんねーんだよ!」
「だからそれは貴様とオレの……」
「休みが丁度重なったから、どうせしなくちゃなんない補習をする日に当てたんですよね。お前もオレも年末忙しいし、もう休み取れないもんな。分かってます!」
「分かってるなら、怒る必要はないだろうが」
「怒るに決まってんだろ!!オレが今日休みを取ったのは、勉強する為じゃねーんだよ!お前と二人で楽しいクリスマスを過ごす為に休んだの!なのに勝手にこんなん入れやがって!!ふざけんなよ!」

 海馬が余りにも淡々とした台詞でつまらない言葉を繰り返した所為で、城之内の怒りはついに頂点に達してしまい、思わず感情的に怒鳴りつけてしまう。本当は、こんな日にこんな場所で喧嘩などしたくは無かったし、怒鳴りたくなど勿論無かった。

 ……けれど、でも。これは余りにも酷過ぎる。

 勢いに任せてシャープペンを放り投げ、席を立って、城之内は肩で息をしながら眼下の海馬を睨みつける。これでもまだ伝わらないと言うのなら、今日はもう一言も口をきいてやるもんか。そう密かな決意をしながらぐっと唇を噛み締めた。広い教室に城之内の声がただの残響となって消えていく。それをやはり無表情で受け止めながら、海馬は小さく溜息を吐いた。その仕草に城之内の憤りは更に増す。

 もう帰ってしまおうか。不意にそんな事を頭の片隅に過らせて、それでも行動に移す事は出来ずにいると、不意に眼下の海馬が肩を竦めて顔を上げた。わざとらしく、仰ぐ様に。

「クリスマスクリスマスと……貴様は余程この日に思い入れがあるのだな」
「えっ?」
「そんなに楽しみにしていたのか。たかが補習に、本気になって怒るほど」
「あ、あったり前だろ!!オレ、前に言ったじゃん!クリスマスは……!」
「『彼女と二人っきりで過ごしたい』だろう?」
「そ、そうだよ!!」
「ならばそう焦る事もあるまい」
「はぁ?!」
「夜の12時を過ぎるまでは25日だろうが。違うのか?」

 海馬はやや呆れた調子を滲ませて口調だけは相変わらず淡々とそう言葉を紡ぐ。しかし、その口元にはほんの僅かに笑みが浮かんでいた。そう言えば今日はこちらが喧嘩腰で食ってかかっても怒鳴り返される事は殆どなかった。自分の不満にばかり意識を集中させていて気付かなかったが、海馬は確かに普段よりも優しかったのだ。……表情は、さほど変わらなかったけれど。

「……えっと、それはどう言う?」

 勢いを削がれる形で大人しく席に着いてしまった城之内は、それに合わせて視線を下げて来た海馬の顔を凝視して、そう小さく問いかける。それに彼は笑みを深めて少し屈み気味だった身を起こし、徐に机の脇に下げてあった鞄の中に手を入れた。一体なんだと訝し気にその行動を見詰めている城之内の眼前に戻ってきたその手には重量感のありそうな、やや大きな紙袋が握られている。海馬が持つには余り相応しくない如何にもその辺の雑貨屋で貰えるような飾り気が無いその袋は、開封される事は無くそのままずいと城之内の鼻先に押し付けられた。

 城之内は驚きに自然と目を瞠ってしまう。

「何、これ」
「クリスマスプレゼントだ」
「えっ」
「貴様が期待していたのは、こういう事ではないのか?」
「いや、あの、そ、そうだけど。……マジで?」
「オレは嘘は吐かないと言った筈だ」
「………………」
「どうした」
「感動で言葉が出ない」
「出たじゃないか」
「あーもーそうじゃなくって!!……や、いいや。これ、開けてもいい?」
「勿論だ」
「あ!!オレもあるんだけど、プレゼント!!今……」
「後でいい。いいから開けてみろ。今の貴様に一番必要なものを選んだのだからな」
「う、うん」

 意外にも急かす様な言葉を口にする海馬の声に押されて、城之内は喜色満面の笑みを浮かべると、表情そのままの喜びに落ち着かない様子で紙袋をひったくる様に手に取り、中に入っていた如何にもプレゼントらしい物体を取りだした。クリスマスカラーの包装紙に金のリボン。常ならばまどろっこしいとビリビリに破いてしまうそれも、丁寧に指でテープを剥がし、破れない様にそっと開いて行く。

 今の自分に必要なものとはなんだろう。海馬の選んでくれたものならその実何でもいいのだが、そう言われると知らず期待に胸がときめく。梱包の形状や重さから言って服やアクセサリーの類ではない。長方形でやけにどっしりとした重みを感じる。

 それはまるで、最近良く抱える様になった分厚い参考書の類と似ていて……。

 まさかとは思いつつ、高鳴る鼓動を抑えながら最後の包みをガサリと開くと、果たしてそこには今しがたまさに想像してしまった、立派な参考書が数冊纏めて顔を覗かせた。

 城之内の顔が、一気に歪む。
 

「…………って、なんだこれ?!マジかよ!?」
 

 どれもこれも、確かに立派なものには違いない。たかが参考書、されど参考書。日々の生活にも苦しんでいる勤労苦学生にとっては至極高価なものだ。それは分かる。だがしかし、これはクリスマスプレゼントに相応しいものなのだろうか。否、確かに『クリスマスである今この瞬間』には相応しいだろう。

 けれど、幾ら何でも。

「お前マジこれはねぇよ!期待してすげー損したじゃねぇか!!」
「気に入らないか?」
「き、気に入らないって言うか、なんていうか……!!」
「そうか。貴様が一番欲しがっているものだと思ったのだが」
「や、確かに受験には必要だし、欲しかったけど!そうじゃなくって!!」
「………………」
「な、なんで黙るんだよ……その、えっと。ごめん!ありがと!!嬉しいぜ!!」
「もういい」

 城之内の反応にあからさまに落胆して見せる海馬の顔を眺めながら、城之内はかなり焦った。このプレゼントに自分はかなり驚いたし、多少の残念さも感じたけれど、プレゼント自体は嬉しいのだ。嬉しいのだが、物が物だけに余り喜べない、ただそれだけだ。海馬を悲しませるのは本意ではない。むしろそれでは本末転倒だ。

 違う、こんな筈じゃなかった。

 本日二回目のその台詞を心の中で呟いて、城之内はいつの間にか深く項垂れてしまった海馬の顔をなんとか上げさせようと、貰った参考書を適当に腕に抱えたまま身を乗り出した、その時だった。

 ずれた参考書の間から、白く細長い紙のようなものが覗き、はらりと下へ落ちて行く。

「…………あ?」

 黙ってしまった海馬に声をかけようとした時同様、慌てて落ちたそれを拾った瞬間、城之内は今度こそ本当に限界まで目を見開いて驚愕した。

 バサリ、と抱えた参考書が机上へと落下する。

 瞬間、俯いていた海馬の口元と、城之内の顔が同時に変化した。そして……

 城之内の奇声にも近い弾んだ声が教室中に響き渡り、次いでガバリと目の前の身体を抱き締める音がする。
 

「かぁいばーーー!愛してるぜーーー!!」
「ちょ、耳元で叫ぶな!!鼓膜が破れる!!分かったのならとっとと終わらせろ!!」
「やべ、オレ、超嬉しい!!なぁなぁこれってフルコース?!」
「当たり前だ。ちゃんと書いてあるだろうがッ!」
「お前さぁ、こういうの寄越すなら最初からちゃんと言えよ!オレ真面目に凹んだんだぞ?!」
「最初から言ったのでは勉強に身が入らんだろうが!」
「どっちにしたって入らねぇよ!馬鹿!」
「馬鹿とはなんだ?!」
「嘘!好きっ!!」
「気色悪いわ!!」
「なんだよもーこんなに喜びを表現してるのにー。あーなんでここ教室なんだろ!!」
「いいから騒がずに続きをしろ!時間を無駄にしたいのか?!」
「したくねぇ!!今すぐ帰りたい!」
「ならば早くやれ。真剣にやれば貴様でも出来る。ちなみにその参考書は馬鹿でも分かる代物だ。精々ボロ屑になるまで使うがいい」
「え?これマジでプレゼントだったのかよ?」
「どちらかと言えばそれが本命だ。有難く受け取れよ」
「えええ〜?」
「ま、貴様が喜ぶ等とは露ほども思ってはいなかったがな」
 

 そう言って、今度ははっきりと顔を上げ艶やかな笑みを見せた海馬の目先には、城之内の手に握られたとあるホテルの宿泊付きクリスマスディナーチケットが揺れていた。参考書の間に挟んでおいたクリスマスプレゼント。これで豪華な料理や品のいい香りを放つ極上のスパークリングワイン、そして最高のクリスマスケーキが揃うだろう。

 その後の甘いひと時と共に、城之内の理想のクリスマスナイトが始まるのだ。

「よし!後1時間で帰ろうぜ。絶対帰る!!」
「そうだな。間に合わなくなるのは困るしな」
「んじゃーこれから死ぬ気で頑張るオレに、もう一個プレゼント頂戴」
「もう二つもくれてやっただろうが」
「うん。でも欲しい」
「……これから嫌という程貰う癖に」
「まぁまぁ」
 

 オレを少しの間でも奈落の底に突き落としたお詫びだと思って。
 

 そう言って微かに意地の悪い笑みを浮かべた城之内を海馬は呆れた様に一瞥すると、それでも「仕方が無い」と心の中で呟いて、望み通り元々近い距離にあった顔を静かに寄せ、柔らかな口づけを一つ落としてやった。