これが本当の寝正月

「なぁ海馬ー何時でもいいからさぁ……リベンジの為にまた休み取ってくれよ。スノボ行こうぜースノボ。折角こーんなに雪降ってんのにさぁ、遊ばなきゃ嘘だろ。オレ全然諦められねぇ」
「……貴様は良く『今』そんな事が言えるな」
「だって暇なんだもん。あー遊びてぇ……モクバはいいよなー羨ましい!羨まし過ぎる!!オレも初日の出雪山で見たかったのに!!」
「煩いな。少しはじっとしていられないのか。窓に近寄るのもやめろ。カーテンを開けるな。寒い」
「うぅ……」
「暇ならばテレビでも見るかゲームでもしていろ。先日のクリスマス商戦で各社から大量に発売された物がそこに積んである。DVDなら隣の部屋だ」
「……お前もやる?一緒に観る?」
「断る。この状態でそんなものを見たら酔う。パソコンの画面を目で追うだけで精一杯だ」
「じゃーオレもしない。一人でやったってつまんないじゃん」
「なら黙って大人しく寝ていろ」
「やだ。飽きた。それにオレが寝るんならお前も寝なきゃ駄目だからな。お前が起きてる限りオレも起きてるの」
「……オレは寝てる暇なぞないっ」
「ならオレだって寝ない。起きてる。……あ、冷えピタ替える?」
「触るなっ!」
「うわっ、あつっ!って、オレのも熱いけど。えっと替えどこにやったっけ」

 そう言ってオレは熱を吸って少しだけ縮んでしまった貼付型冷却剤二つを摘まんでゴミ箱に放り投げ、近間にあったワゴンから替えを取り出すと透明シートを丁寧に剥がしてまず一つを自分の額に貼り、もう一つを海馬へと差し出した。

 ……けど、海馬が手を伸ばすどころか見向きもしない為、仕方なくそれも同じ様にシートを剥がして粘着部分がどこにも着かない様に気を付けながら、相変わらず微動だにしない奴に「こっちを向け」とやや命令口調で言ってやった。それでも頑なにこっちを向かない海馬に、ちょっとやけになったオレは手を伸ばして全然掴み甲斐のないほっぺたを抓り上げた。それには流石の海馬も無反応でいられなかったのか、びくっとして思い切り声をあげる。

「痛いわっ!」

 そりゃ痛いわ、抓ったし。まあでもそれにやっと膝元のディスプレイから逸れてくれた顔を捕まえて、オレはそのままパソコン本体をも取りあげると近間のテーブルに乗せあげる。抓んだ頬はいつも青白く見える程白い色をしているのに、今はほんのりと赤く、そして酷く熱かった。……尤も触っているオレの指も同じ位の熱を持っていたから然程「そう」は感じなかったけど。

 うーん、なかなか簡単には下がんないよなァ。性質悪いな今冬の風邪。

 ……ここまで言ったら分かると思うけど、現在二人とも絶賛大風邪っぴき中です。今朝測った体温は海馬は39度ジャストでオレが38度5分。あんまり熱が上がるもんだからこれはインフルエンザじゃねぇのか?!と思ったけれど、ちゃんと医者に診て貰った結果、どうもそうじゃなかったらしい。まー風邪だろうがインフルだろうが辛い事には変わらないからどーでもいいんだけどさ。

 ちなみに今日は1月1日のお正月。年末年始っつーか新年早々爆風邪とかマジついてないし。一年に一回しか食べられない年越し蕎麦も豪華御節も何一つ堪能出来ないまま部屋に隔離されて、味気ないおかゆ食べてるとか悲し過ぎる。……勿論オレは凄い駄々をこねて蕎麦だけは食べさせて貰った。直ぐにリバースしたけど。ああ勿体ねぇ。

 そんなオレ達を尻目に、一人元気なモクバは風邪菌塗れの家を抜け出して、友達と初日の出参拝を兼ねたスキー旅行に行っちまった。本当ならオレ等も今頃はオレがクリスマスプレゼントと称して用意した宿泊券で同じ場所へ遊びに行っていて、海馬がクリスマスプレゼントで買ってくれた新しいスノボとウェアで楽しく滑ってる筈だったんだ。なのに……なのになんだこれ?!最悪過ぎる!

「おい、邪魔をするな!」

 そんな事を冷えピタ片手にぼーっと考えていたら、不機嫌MAXの海馬が如何にもイライラしてますって感じで声をあげる。何だかんだ言ってこいつもそれなりに楽しみにしていただろうし、この為に結構頑張って仕事に励んでいたからその怒りっていうか無念さたるや半端ないらしい。

 この状態も今日で三日目だけど、最初の一日は今よりも軽い状態だったのにも関わらず一言も口をきかなかった。あ、モクバが出発するときはやさしーく声かけてたけどな。「オレ達の分まで楽しんで来い」とか、喉ぜいぜい慣らして言われても楽しめないっつの。アホかこいつ。

「お前がこっち向かないからだろー。パソコン落としたらあぶねーし!大人しくこれ貼っとけよ!」
「鬱陶しいから嫌だ」
「嫌だじゃねーっての。ちゃんと冷やしておかないと熱下がんねーだろ!」
「人に言えた事か!大体誰の所為で……!!」
「はいはい、もうその事で喧嘩は無しにしよーぜ、不毛だから。あんま動くと頭痛いから大人しくして。あーでもちょっとおでこ赤くなってる。よっわいなーお前」
「喧しいっ!」

 今だキャンキャンと騒ぐその声を無視する形で、オレは少しだけ汗をかいて重く垂れ下がる茶色の前髪を片手でひょいと持ち上げて、手にした冷えピタをきちんと貼り付け、また元通りに戻してやる。それを心底忌々し気に睨みつけた海馬は、オレの手がデコから離れるや否や即座に胸の辺りを強く押し返して威嚇するように低く唸った。全く、お前は犬じゃねぇんだから唸ってもしょうがないだろ。どんだけだよ。

「そんなに怒るなよ。しょーがないじゃん、こればっかりは」
「別に怒ってなどないわ」
「じゃーそのへの字口やめてくれる?」
「そんな口の形などしていない」
「してるって」
「煩いな。ならばオレも言わせて貰うが、仕方がないと諦めたのなら貴様こそいい加減にぐだぐだと愚痴を言うのをやめろ。イライラする」

 あ、逆に突っ込まれた。そういやオレもずーっとしょーがないと言いつつもスノボ行きたいって喚いてたっけ。

「うー。だってさぁ」

 やっぱ未練あるじゃん。何の為に年末まで頑張ったと思ってるんだよ。全部この日の為なのにさ。

「だってではない」
「だって、まっさかこんな正月迎えるとは思わなかったからさぁ」
「それは同感だ」
「だろ?愚痴の一つも言いたくなるじゃん」
「ああ。オレの口元も曲がると言うものだ」
「うん」
「死ね」

 ついに死ねまで言われちゃったよ。立つ瀬ないねこりゃ。

「……死ねっていうな。オレの所為かよ」
「絶対貴様の所為だ」
「絶対まで言いますか……」

 こう強く言い切られちゃうとオレも反論の仕様がない。仕方なくそれ以上その事について触れるのは諦めて、オレはソファーへと座り込み、その背に乱雑にかけてあった分厚い毛布を掴むと、自分は勿論海馬も包んで力を込める。

 それに奴は一瞬抗おうとしてたけどもうその気力すらないのか中途半端に強張った身体は力尽きた様に弛緩した。はぁ、と小さく吐いた溜息はやっぱり物理的な意味で酷く熱い。あー、なんか喉乾いたかもしんない。そういや朝からロクに水分も取ってなかった。そしたら海馬もとうとう根を上げたのか、かくんと頭を反らせて掠れた声を出す。

「……だるい」
「そりゃお前、39度も熱があればだるいだろ。寝ろよ」
「飽きた」
「うん、オレも。なんか飲む?レモネードとか、ゆずティーとかいいと思うんだけど」
「……もうなんでもいい」

 そう言って今度こそぐったりした様子でソファーに完全に沈んだ海馬を振り返りながら、オレは飲み物の無心の為に立ち上がった。その実自分もだるくて節々がかなり痛んでる状態なんだけど、毎年それなりに経験しているので今更どうとも思わない。……思えばなんだかんだ言って一年に一回は寝込むよなぁ。これはもうプロの域だね。嫌なプロだけどさ。

 ともあれ動く事が出来る方が動かなきゃって事で近くにある電話へと歩いて行く。本当ならメイドさん達も正月休みを楽しむ所なんだろうけど、本当に申し訳ない。すっかり治ったら必ず出かけるからその時のんびり休んで下さい。

「えっと、飲み物持って来て欲しいんだけど……」

 受話器片手にオレがかなり要領の得ない言い方で欲しいものを伝えると、即座に控えめなノックと共に銀色のワゴンを携えたメイドさんがやって来て、そつの無い動きで二人分のカップをテーブルの上に揃えると、他に用はないかと尋ねた上で再び静かに退出する。パタンと扉が閉まった後は部屋に妙な沈黙だけが残された。

「……どっちがいい?」
「どちらでもいい。好きにしろ」
「じゃーオレゆずにしよ。お前レモネードな。持てる?」
「持てない」
「了解。じゃあちょっと待っとけ。とりあえずオレが先にこれ飲んじまうから」

 そう言って既に何もする気力のなさそうな海馬をそのままに、一足先に少し大ぶりのカップに手を伸ばしたオレは、くゆる湯気を息で豪快に吹き飛ばしつつ慎重に中身を口にする。殆ど熱湯に近い熱さの蜂蜜色の液体は見た目の色そのままの味を連れて喉奥へと消えて行く。

 仄かな酸味が咳のし過ぎて痛めた喉を刺激し、オレは二三度咽ながら飲み干した。すると直ぐに身体全体が温まって来る気がする。あ、これってもしや生姜の汁を混ぜたのか?昨日彼女が同じ様に飲み物を提供してくれた時、暇だったからその仕草を眺めつつ「生姜汁って飲み物に混ぜて飲むと身体が温まるんだって」と口にした言葉を覚えていてくれたらしい。即座に実行に移す辺りは流石海馬邸のメイドさんだよなー半端ねぇ。……っと、海馬くんの事忘れてた。

 すっかり空になったカップをその場に置いて、もう一つのカップに手を伸ばす。そして、さっきと同じ様にやや強引に息を吹きかけて、オレは中の熱を冷ましにかかった。自分のよりもかなり丁寧に、時間をかけて。……何故なら、海馬は重度の猫舌だからだ。

 オレにとってはもうすっかり冷めているんじゃないかと思う程の温度でも熱いと喚いて顔を顰める位だから、荒熱を吹き飛ばした位ではまだまだ足りない。カップを持ってみて、外側から熱が全く感じられなくなるまで冷まさなければならないんだと完全に学習したのはつい昨日の事。それまでは失敗の連続で、海馬は一昨日殆ど物が食べられなかった。勿論オレが強引に熱いものを口に突っ込んで、舌を火傷させた所為なんだけど。

 や、悪いと思ってるよ?でもさ、そこまでとは思わないじゃんか。

「いっつも思うけどさぁ、ここまで冷ましちまったら美味くないだろ。殆ど水じゃんこれ」
「そんな事は無い。熱いよりマシだ」
「それにしたって限度があるだろ。麺類とか絶対無理そう。もしかして、年越し蕎麦拒否ったのもそれが理由?」
「違うわ。こんな状態で蕎麦など食えるか。心配されずとも特に食べたいとは思わないから、苦にもならない」
「スキー場に行ったらカレーかラーメンしかないぜ?なんも食えないじゃん」
「……何故話をそこに戻す」
「もともと話反らしてなかったし。じゃあはい、ちゃんと身体起こして、両手で持てよ」
「言われんでも分かってる」
「そう言って昨日思いっきりぶちまけたの誰でしたかね」

 お陰でベッドはびしょびしょで、全取り換えするまで時間が掛った所為で折角下がりかけてた熱ぶり返したんだよねー海馬くん?

 カップを渡しがてらわざとらしく顔を近づけてそう言ってやると、元々不機嫌な顔が更に歪んでじろりと睨めつけられる。おー怖っ!てか可愛いけど。両手でカップ持ってちびちび飲んでる姿を見るとあれだね。ちっさい子みたいだね。あーこれでオレが元気なら襲っちゃうのになー。残念ならそんな気力はありませんけど。

 いつの間にか空になったそれを取り上げてテーブルに戻し、オレは再び毛布を手にするとくるりと二つの身体を包み込み、今度こそその場に腰を落ち着けた。少し離れた場所にある豪奢な置時計の音だけが静かに部屋に響いては消えていく。……暇だ。暇すぎる。

「静かだなー」
「……そうだな」
「暇だよなー」
「……そうだな」
「……なあ、やっぱりこれってオレの所為?」
「最初に咳をしてたのはどこのどいつだ」
「……オレです」
「だろう?なのにあの極寒の冬空の下に一日中立ち尽くすなど馬鹿の極みだ」
「バイトなんだからしょうがねぇだろ。稼ぎ時なんだからさ」
「まあ、それは分からんでもない。どんなに劣悪な環境下でも与えられた職務を遂行するのは当たり前の事だからな。……なんの対策もしていなかったのは問題だったが」
「あれ?理解してくれた」
「問題はそこではないからな」
「あー、うん」
「オレが言いたいのは、『その後』の話だ」
「……そうですね、はい」
「よもや移されるとは思わなかったわ」
「キスしたしね。セックスしたしね。何回やったっけ?」
「回数の問題か!!」
「うわ、ごめんなさい!で、でもさっ、お前の免疫力が高かったらいっくら風邪菌持ってるオレとディープしたって感染しない筈じゃね?っつー事はさ、オレばっかりが悪い訳でも……」
「持ちこんだ方が悪いに決まっているだろうが!!」

 ブチっ、と海馬の血管が切れる音がする。や、勿論実際はそんなもん聞こえないけど、それ位奴はマジギレした。尤も喚こうが叫ぼうが、ご本人が息切れするだけでちっとも実害はないんだけどさ。ほら、直ぐへばった。

「……海馬くーん、大丈夫ですかぁ?あんまり興奮すると死んじゃいますよぉ?」
「既に死んだわ」
「大丈夫、生きてるから」
「……最悪だ」
「ホントだよな。姫始めも出来ないとか終わってる。新年始まらない」
「この期に及んでまだやりたがるのか」
「もちろん」
「元気だな」
「それだけが取り柄ですから」

 ほんと、どんなに辛くっても軽口叩いてお前にちょっかいかける元気がある事がオレの取り柄。お前だってオレが横で同じ様にうんうん唸ってるよりはペラペラしゃべってた方が気が楽だろ?そう言う事。

「むしろ黙っていてくれた方が嬉しいのだが」
「またまたそんな事言って〜寂しい癖に。まー身体がだるいのは良くないけどさ、ある意味こーんなにまったりした正月って初めてだし、ずっと二人きりで居られるし、そう悪い事でもないんじゃね?寝正月!って感じで」
「こんな寝正月は願い下げだ。余りにも非生産的過ぎる」
「何言ってんだか。オレ等は元々非生産的だろ。男同士だしぃ」
「そう言う事を言ってるんじゃないわ!……もういい。寝る」
「じゃあオレも寝る。立てる?」
「まだ何とかな」
「心配だから手ぇ繋いでいこっか?」
「いい。鬱陶しい」
「ま、いいからいいから」

 結局、なんだかんだ言い合いながらベッドへと戻ったオレ達は、殆ど倒れる様にシーツの上へと身を投げ出すと、綺麗に替えて貰っていい匂いのするふかふかのかけ布団を頭から被って目を閉じた。初詣も初日の出も、おめでとうさえ言う事もなかったけど、今日は紛れもなく正月だ。

「なー、治ったらスノボ……」
「……治ったらな」
「えっ、マジで?!あ、でも金がないっ」
「……貴様の用意した予約及び宿泊費は既に払い戻しが済んでいる。その金を使って行けばいいだろうが」
「あ、そうか!そうだよな!」
「……一々騒ぐな。煩い」
「だってさぁ、ちょっと諦め気味だったから嬉しいんだよ。やったね!今年はいい年になりそうかも」
「元旦から寝込んでもか」
「考え方を変えればこれもなかなか幸せかも。エッチな事は出来ないけどー」
「ふん」
「そうと決まれば、ゴロゴロして早く治そうぜ。寝るのが一番っていうし」

 そう言うと、オレはぎゅっと目の前の海馬の身体を引き寄せて、抗議の声をもろともせずに抱き締めた。よくよく考えたら何の気兼ねもなしにこうしていられるのは幸せな事なのかもしんない。御節だってお蕎麦だって別に今日食べなきゃいけないって事でもないし、他の事だって絶対今日でなきゃいけないなんて事もない。だから、これはこれでアリなんだと思う事にした。

 ちょっとだけ不本意な、正真正銘の寝正月。……まあ、でも、そう悪くもない。

 「今年も宜しく」と言いかけた瞬間、静かな寝息が耳に届く。それにオレは一瞬くすりと笑って今の言葉は海馬がもう少し元気になってから言おうと心に決めると、本の少しだけ顔を寄せて、熱でカサついた唇に触れるだけのキスを一つ落として眠りについた。