Act1 「おすわり」を命じられたら君のとなり
「……貴様、何故オレの隣に座る」
「黙って動くなとは言われたが、どこにいろとは言われていない」
「屁理屈を捏ねるな」
「屁理屈ではない。正論だ。オレの事は気にせず仕事をしていればいいだろう」
「出来るか!暑苦しいわ!!」
「お前は本当に我侭だな、瀬人」
「やかましいっ!」
「もー兄サマ達煩いよ。テレビが聞こえないぜぃ」
「あ。す、すまんモクバ」
「ほらみろ。叱られただろうが。主人が叱られてどうする」
「貴様の所為だ!」
「………………」
ぎゃーぎゃーと楽しそうに喚きながらソファーの上でどうみてもじゃれついている二人を眺めながら、モクバはふぅ、と小さな溜息を吐いて握り締めていたリモコンの音量ボタンを連打した。10から20に上がったボリュームに広い部屋は一際賑やかになる。
全く、二人揃うとオレよりもよっぽどコドモになっちゃうんだよな、兄サマ達。
目の前でめまぐるしく展開する冒険モノのアニメを熱心に眺め見ながら、モクバは背後で相変わらず騒いでいる二人の声に呆れた気持ちで一杯になる。最近なんの遊びかは知らないが男は頻繁に「自分は瀬人の犬になった」と口にし、その言葉通り犬っぽく振舞って瀬人に盛大に鬱陶しがられていた。
……犬ってなんだよ。物真似ごっこ?それともなりきり?そんなの幼稚園児がする事じゃないの?
その言葉と現場を目の当たりにして、モクバは心の中どころか言葉に出してそう盛大に突っ込んだが、当の本人は全く意に介さないのか「何か問題でも?」と口にしてやっぱり瀬人にじゃれついていた。
ああ、こいつ人間じゃなくって精霊っていったっけ。精霊と人間じゃー感覚的に違うのかな。じゃ、しょうがないよな。そう殆ど投げやりに納得し、モクバはそれ以降彼の言動に口を挟む事は無くなった。そんな唯一のストッパーがいなくなった事により、男の態度はますますエスカレートするばかりだ。
どうせ直ぐに飽きるだろ、この間もなんかのドラマの影響を受けてマンションで二人暮しがしたいとか、家事をやってみたいとか言ってたけど、何時の間にか言わなくなったし。そんな事を思いながらモクバはやっぱり盛大な溜息を吐く。
全く、呆れてものが言えないとはその事だ。その姿や声は瀬人とまるで瓜二つだけれど、この性格の違いは何なのだろうか。ぴったりと寄り添って瀬人を抱き締めているその姿を見る度にモクバの疑問は膨れ上がる。
まぁでも、こいつがここにいること自体が既に謎だから考えても無駄なのか。周囲にこれでもかと起こる瀬人の言葉を借りれば「オカルト現象」にすっかり慣らされて来たモクバは即座に考える事を放棄した。そうした方が精神衛生上いい事など、とっくに分かっているからだ。オレにとばっちりが来なければ何でもいいんだけどね。そう妙に大人びた意見で全ての考えを纏め上げてしまうと、モクバは背後の気配を遮断して目の前のテレビに釘付けになった。
「貴様!モクバの前で無駄にベタベタするなっ、鬱陶しい!」
「モクバの前でなければ構わないのか?」
「そういう意味ではない!とにかく触るな、離れろ!」
「では頭を撫でてくれ」
「はぁ?」
「そうしたら、少しだけ離れてやる。大人しく待っててもやる。どうだ?」
「………………」
── 交換条件を持ち出す犬など聞いた事ないぞ!!
何故か偉そうにそう言う男に、瀬人は内心そう絶叫して脱力する。一体なんなんだコイツは。頭は大丈夫か。思い切り顔に滲み出たそんな気持ちを知ってか知らずか、男は気にもしない素振りでふんと胸を張るとずい、と瀬人の前に頭を差し出してくる。
長い栗色の髪がさらりと揺れて薄い素材のスラックスを撫でる。その柔らかな感触に少しだけくすぐったいと思いながら、瀬人は仕方なく眼前にあるその頭を撫でてやった。この位で大人しくなるなら安いものだ。そう、思って。
「なぁ。瀬人」
「なんだ」
「頭を撫でられるというのは、案外気持ちのいいものだな」
「……貴様、本当に犬にでもなったつもりか」
「こんな事を毎日して貰えるのなら犬もなかなか捨てたもんじゃないな」
「なら、これから食事は床にはいつくばってするんだな」
「嫌だ」
「我侭を言うな。馬鹿犬」
さらさらと、指の間を零れていく髪。頭皮を優しく撫で付ける温かな感触。その二つの異なる心地良さに、している方もされている方も何となく癒されて、二人は随分と長い間そうしていた。
モクバの見ていたアニメが終わるまで。