Act5 「伏せ」って、つまり組み伏せるとか

「貴様ぁー!何をやってるか!何故そんな格好でここに居る!」
「何って見て分からないか?」
「そういう事を言ってるんじゃない!やめんか!家で待てと言ったろうが!」
「嫌だ。オレとて早々待っていられるか。お前が電話でそう言ってから何時間経ったと思っている」
「まだ半日だろう!待ても出来ないとは貴様犬以下だな!」
「躾に問題があると思うが。犬とて余りにも主人がつれないという事も聞きたくなくなると言うものだ」
「貴様がいつオレの言う事を聞いたと言うのだ、この駄犬が!」
「痛ッ!殴る事はないだろう!」
「やかましい!今は本当に忙しいのだ。遊んでいる暇など無い!言う事を聞かないと金輪際この部屋への出入りを禁止するぞ!」
「禁止されようが勝手に入るがな」
「入るな!いいから出て行け!」
「そう怒らなくてもいいだろうが」
「ここは会社だ!貴様の遊び場ではない!!いい加減にしろ!」

 最後の言葉と共に分厚いファイルが一つ、風を切って飛んでくる。それをいつもの俊敏さで華麗に避けた男は、漸く体重をかけずに跨っていた瀬人の上から身を引いた。二人分の体重を受け止めていた重厚な漆黒の皮ソファーがギシリと大きな音を立て、同時に瀬人が深い溜息を吐く。

 瀬人は突然部屋にやって来た男にじゃれ付かれた所為で若干乱れた髪とスーツを直しながら、近間にある書類の束を手に取った。彼の意識と視線は既にそこに集中していて、目の前で所在無げに立ち尽くしている男は既にいないのも同然の扱いだった。

「瀬人」
「帰ったら遊んでやる。今は出て行け。社に来るな。人のものを勝手に漁るな」
「凄く暇なのだが」
「そんな事知るか。貴様が暇だろうがオレの仕事を邪魔していい理由にはならない。最近仲良くなったお友達の所にでも行っていろ」
「……なんだ、言い方が可愛くないな。まさかお前妬いているのか。心配しなくともオレは浮気はしていないぞ?」
「誰が妬くか!!ああもう煩い!早く出て行けッ!」

 今度は手だけでは留まらず足が出そうな勢いに、男は今度こそ諦めてその部屋を後にした。ここに来る為に勝手に瀬人のクロゼットから拝借した(その事も瀬人の怒りの一端を担っているのだが)白のスーツに束ねた髪がさらりと落ちる。

 別に男がこの場に来る為に正装が必要というルールはなかったが、この服装さえも男にとっては暇潰しの一環で、スーツ選びから着替えに至るまでの約1時間を存分に楽しんだ結果だった。

「あれほど邪険にしなくてもいいだろうに」

 社長室があるフロアと言う事もあり、人気の無い長い廊下を歩きながら男は拗ねた口調でそう呟く。

 最近何かのプロジェクトがどうので忙しそうに立ち動いている瀬人に余り構ってもらえていないのが大いに不満で、けれどそれを口にすると今のような事態になるので、これでも大分我慢をしている方なのだが、他人の気持ちを余り推し量れない瀬人に取ってはそんな事はどうでもいい事として片付けられてしまうらしい。

『お前にはペットを飼う資格はないな、餌をやり忘れて餓死させるに違いない』

 そんな憎まれ口を叩いてみても、瀬人は素っ気無く「その位で死ぬような根性無しのペットなど最初から飼わない」と言い切った。全く持ってそういう問題ではないと反論してみても何処吹く風だ。話にならない。

 出て行けといわれても暇なのは本当だ。瀬人のように仕事を持つわけでも他の人間のように勉学に励む事も必要ない。仕方が無いので自主的に色々な知識を吸収しようと努力はするのだが、どうにも方向性が違うらしくそれが仇となってやはり失敗をしたり結果的に叱られるハメになるのだ。

 努力をした上に叱られたのでは割に合わない、と、最近は自主勉をやめて他人に聞く事を覚えた。それが瀬人の言う『仲良くなったお友達』に繋がっている。お友達と言っても男が独自に人脈を築いた訳ではなく、瀬人の知り合いであるいつもの面子だったのだが。

「あれ?こんにちは。KCにいるなんて珍しいね!」
「誰かと思ったらお前かよ。海馬のスーツ着て何やってんの?」

 じわじわと湧き上がる憤りのままに自然と大股歩きになっていた男が向かった先……一階へと直に繋がるエレベーターへと近づいたその時だった。まさに今ボタンに指を伸ばそうとする前に、軽快な到着音と共に扉が開く。そして中から姿を現したのは今し方想像の片隅に顔を出していた、見慣れた『お友達』二名だった。

 学生服に鞄、という出で立ちから学校帰りだという事は直ぐに分かる。一先ず身を引いて二人がエレベーターから出てくるのを待った男は、不思議そうな顔でそう口を開く彼らを何気なく見下ろして、多少自分に有利な風に誇張して、今し方瀬人と繰り広げてきた一連のやり取りを語って聞かせた。そしてついでに彼らにも何をしに来たと訊ね返した。

「僕達?海馬くんに学校の課題とか、お知らせとかを届けに来たんだよ。大分溜まったし、今日は城之内くんもバイト無いって言うから」
「では暇という訳だな」
「暇とか言って欲しくねーな。貴重な時間を費やしてわざわぜ来てやってんだからよ。それにしても、お前まだんな事言ってるのかよ。海馬のあーいう言動なんて今に始まったことじゃねぇだろ。いい加減に分かれ」
「さすが元祖犬だけあって、お前は瀬人の事を良く知っているな」
「犬とか言うな。オレはお前と違って奴のペットとかじゃねーから」
「海馬くんに掛かるとみーんなペットみたいな扱いにされちゃうけどね」
「だよなー!でもたまに反撃してやっとビビるんだぜ。そういうとこ結構面白いっていうの?ま、仕返しが怖いんだけど」
「城之内くんも懲りないからね」
「うるせぇ。ま、そーゆー事なら……アドバイスと言っちゃーなんだけど、一つ教えてやる。ご主人様が言う「待て!」だと何もできねーけど、「伏せ!」だと取りようによってはイイ事出来るぜ」
「イイ事?」
「そう。ちょっと耳貸せよ」

 大会社の特別フロアで交わす話としては余りにも不似合いなその会話を三人はその場で延々と続けていた。後に社長室から出てきた瀬人がそれを見咎めて怒鳴り散らすまで、彼らはたっぷりその時間を楽しんだのだ。
 後に再び瀬人に追い出されてしまった男は、他の二人と共に場所を変えてデュエルをして時間を過ごし、家に帰る頃にはすっかり日も暮れていた。そしてその時間は偶然にも瀬人が帰宅した時刻とほぼ同時だった。

 その後彼等は普段通りの時間を過ごした後、瀬人が私室に引っ込んで再び持ち帰った仕事をし始めた矢先、これまた普段通りその後を追った男が彼に笑顔でこんな事を言ったという。

「瀬人。『待て』はもう飽きた。もう少し命令にバリエーションを増やしてみないか?」
「は?」
「例えば、『伏せ』とか」
「伏せ?……貴様に地べたに這い蹲りたいという願望があるとは知らなかったな」
「まぁいいから、言ってみろ」
「本当にやるんだろうな」
「あぁ、勿論」
「何かとてつもなく嫌な予感がするんだが。本当に伏せるんだろうな」
「オレは嘘はつかない」
「……では、ふ……」

 会話の最中、段々と深まる男の笑みに警戒も露に言葉を発する事を躊躇していた瀬人が、殆ど根負けする形で「伏せ」と発しようとしたその時だった。その声を最後まで待たないうちに男は心底嬉しそうな顔でぱっと身を起こすと、瀬人の腕を掴んでこう言った。

「よし、瀬人!寝室に行こう!」
「?!何故だ?!」
「ご主人様の希望通りに伏せてやる!」
「い、意味が分からん!」
「オレの『伏せ』は『組み伏せる』だからな!わはははは!」
「はぁ?!馬鹿か貴様!ちょ、待て!腕を掴むなっ!持ちあげるな!!やめんか馬鹿犬!!」
「一度命令した事を覆すなど男らしくないぞ瀬人!!」
「ぎゃあああ!この変態がぁ!」

 この後すぐ、男の言葉通り瀬人は寝室に連れ込まれ、『組み伏せられる』に至ったのだ。
 

 ……男の台詞は勿論城之内からの入れ知恵である。