Act6 「おあずけ」したまま忘れてない?

「いでででで!!ほっぺた!ほっぺたは駄目だって!!いひゃいって!!」
「黙れ馬鹿犬一号!貴様が奴に余計な入れ知恵をしたんだろうが!顔の形が変わるまで抓ってやろうか?」
「ちょ、それは勘弁!すいませんでした!ってお前本当にやられたのかよ!」
「やかましいわ!これ以上あの男に変な知識を吹き込むなよ。分かったか!」
「わ、分かりました!つーかマジ痛いって!手ぇ離して!虐待だろこれ!」
「フン、駄犬の躾の為に多少暴力を伴うのは当たり前だ」
「いやいや当たり前じゃねぇって!っつーかオレお前のペットじゃねぇし!ほんっと最悪だなお前!その内奴にも逃げられるんじゃねぇの?!」
「何か言ったか?」
「いだだだだ。何も言ってません!言ってないからもう許して!!」
「もうそれ位にしてあげてよ海馬くん。城之内くんも反省してるよきっと。別に悪気があった訳じゃないんだからさ。ね?『彼』がすっごく落ち込んでるみたいだったから慰めてあげてたんだよ」
「……これが反省しているように見えるか?」
「うーん。微妙だけど」
「それに奴のあの態度はただのポーズだ。貴様等もいい加減学習しろ」
「分かってるんだけどねー。『彼』、海馬くんと声似てるからついつい同情しちゃって」
「ちょ、遊戯!フォローすんなら最後までしてくれよ!」

 ギリギリと再び強まる指先の力に殆ど絶叫しながら暴れる城之内を前に、瀬人は涼し気な顔をして立ち尽くす。

 放課後の教室中央。その日は、珍しく午後からだったが登校した瀬人が、つい先日不可思議な同居人が起こした問題行動に確実に関わっているクラスメイトを捕まえて、徹底的に『再教育』を施していた。

 男が来る前は、男同様体のいい犬扱いをされていた彼……城之内克也は、最近その仕返しとばかりに男に妙な事を吹き込んで間接的に瀬人に被害が及ぶ様に仕組んでいるらしい。尤も、全てが意図的に行われている事ではなく、結果的にそうなってしまった場合も多々あるのだが。

「うー。いってぇ。指の痕残ったらどうすんだよ!この暴力男!」
「貴様が大人しく言う事を聞かないからだろう。全くどいつもこいつも好き放題やりおって。親の顔が見てみたいわ!」
「オレもお前に同じ事言いたいっての!つーかあいつはお前と顔同じだろ。案外躾がなってないのはお前かもな!」
「何だと凡骨!」
「ぎゃー嘘ですッ!」
「もーいい加減にしてよ二人とも!もう授業も終わったし、帰ろう?海馬くんも、仕事忙しいんでしょ」
「今日はそうでもないから学校に来ている。その位分かれ」
「分かるかよ。いちいち嫌味くせーんだよお前は!」

 うーん……どう考えても相手を挑発しているのは海馬くんの方だと思うんだけど。

 未だ傍から見れば仲良くじゃれあっている様に見える目の前の二人を見ながら、遊戯は小さな溜息を一つ吐いた。『彼』が瀬人の元に姿を現してからというもの、自分達の間柄は以前にも増して『彼』を通じて深まったような気がする。

 『彼』の正体は聞くところによると、ペガサスが作った一枚のカードに描かれたモンスターであり、そのモンスター自体精霊界というこの世とは別次元にある場所で実際に存在するのだという。『彼』はその精霊界と人間界を行き来できる特殊な能力を持ってこの世界へと足を踏み入れ……などなど聞いていると結構突拍子も無い話で、直ぐに「あ。そう」と頷くには少々非現実的過ぎるものだったが、自らがかなり突飛な体験をしている遊戯達には、今更その程度の非現実さなど特に珍しいものではなかった。よって彼等は『彼』の存在を意外にすんなりと受け入れてしまえたのだ。

 何よりそう言ったものに大げさな程の拒絶反応を示す瀬人が、『彼』を受け入れた時点で周囲の体勢は決まったようなものだ。「あの海馬ですら特に騒ぎもせずに傍に置いた」のだから、特に問題はないのだろうと(実際は瀬人が考えるのを放棄したとも言われているが、事実は定かではない)

 瀬人以外の人間はその素顔を見た事はないので何とも意見がしがたいのだが、『彼』本人曰く、その外見は瀬人にとても良く似ている、との事だったから、瀬人本人からすれば自分に良く似た存在の全てを否定する事も出来なかったのだろうが、それにしても恋人関係になる事もないだろうと遊戯は思う。

 海馬くんってもしやナルシスト?!と当初遊戯は軽く疑ったりもしたのだが、どうやら熱心なのは専ら『彼』の方で瀬人はその勢いに押される形になっているだけらしい。が、多少邪険な扱いをしていても未だ傍にいる事をよしとしているのだから満更でもないのかもしれない。

 自分と闇遊戯同様、未来の事を考えると少し寂しい気持ちになってしまうが、とりあえず『今』があればそれでいいのだ。何かの会話の折にぽつり真剣な声で呟かれたそんな言葉を遊戯ははっきりと覚えている。その時は「君は精霊だもの。海馬くんがおじいちゃんになっても絶対傍に居そうだよ?」と即座に答えてやったのだが、それを思い切り間に受けて後に瀬人に伝えたら盛大に嫌な顔をされたらしい。多分それも照れ隠しなのだろうけど。

 同じ姿形をしているはずなのに性格だけはまるで似ていない『彼』の事を、遊戯はとても好きだった。周囲の人間も大抵面白がって受け入れているところを見ると、嫌いではないのだろう。少々騒がしいのが玉に瑕だが、それは瀬人もほぼ同じで……本人に言ったら、確実に頬を抓られる事になるのだろうが。

「おい遊戯。貴様さっきから何をにやついている」
「べっ……別に、にやついてなんかないよ!僕にまで喧嘩仕掛けてないで、仕事も忙しくないなら家に帰ったら?『彼』、待ってるんでしょ?」
「奴が待ってようが待っていまいが関係ないだろう。最近素行が余りにも良くないから今は『おあずけ』中だ。部屋にも入れん」
「あっ、お前そーゆー事やってるから、欲求不満になるんだろ。二言目には『待て』だの『おあずけ』だのばっかで。本田ん家に行ってペットの飼い方学習して来い!」
「煩いぞ犬!貴様は三回回ってワンとでも言ってろ!」
「なんだそりゃ?!オレは犬じゃねぇ!」
「もーまたぁ!あのねぇ海馬くん。城之内くんも『彼』も本当の犬じゃないんだからちゃんと人間として接してあげなきゃ!ほら、外も暗くなって来たし早く帰ろう?」
「そうそう。遊戯の言うとおり!さて、帰りましょうかねー。ほら海馬、ちゃっちゃとしろよ!逃げてたってどーせ追っかけられるんだから無駄だって。あいつのわけわからん行動力はお前とそっくりだ」
「あんな奴と一緒にするな!」
「犬は飼い主に似るんですぅ。諦めなー」

 そんな事を言いながら三人は自席に戻って速やかに帰り支度を始める。遊戯の言うとおり外は既に日も沈み、ぼんやりと暗くなり始めていた。今から帰れば夕飯の時間に間に合うかも、そんな事を思いつつ鞄を背負い一足先に教室を出ようとした、その時だった。

 ガラリ、と人気のない教室の扉が外側から派手に開く。

「えっ?!」
「瀬人!迎えに来てやったぞ!!」

 廊下の明るい蛍光灯を背に扉の前に仁王立ちしているのは……今まさに話題となっていた『彼』その人だった。……しかもご丁寧にきちんと学ランを着て。靴は……多分ブーツのままだったが。

「きッ……貴様また!今度は学校にまで!!その制服はどこから出して来た!」
「うん?モクバに出して貰ったが」
「ふざけるな!!」
「そう怒るな。『おあずけ』もいい加減長すぎるぞ。飽きてしまった。早く帰ろう、瀬人。鞄、持ってやろうか?」
「飽きるな!堂々と教室に入るな!近づくな!」
「やれやれ、煩いご主人様だ」

 はぁ、と大げさに肩を竦めて瀬人の言葉など何一つ聞こうとしない男は、そのままずかずかと教室に入り、余りに余りな態度についぞ呆然自失となってしまった瀬人の腕を掴むと、さも自分がその場を取り仕切るように「早く帰ろう」とのたまった。その様を直ぐ傍でやはりポカンと見ていた残りの二人は、くるりと振り返り何故か笑顔を見せる彼に、片方はにっこりと、もう片方は思いきり爆笑しつつ従った。

「うはははは!ちょ、マジできやがった!!すっげー忠犬だなぁ、おい!」
「当たり前だ。その辺の駄犬と一緒にして貰っては困る」
「お前まで駄犬っていうな!」
「瀬人が犬という奴はオレにとっても犬という事だ」
「意味分かんねぇ事言うんじゃねぇ!お前なんて一生おあずけ食らってろ!」
「命令など破るためにあるものだ」
「偉そうに言うな馬鹿犬!ほんっと躾がなっちゃいねーな!」
「そんなに褒めなくてもいいぞ、カツヤ」
「褒めてねぇよ!っつーか海馬と同じ声で勝手に名前呼ぶな!気色悪いだろ!」
「じょうのうちよりカツヤの方が犬っぽいだろう」
「そういう意味かよ!お前、マジぶっ叩くぞ!」

 それまでの騒々しさに『彼』が加わった為に更に賑やかになってしまった面々は、そのままの調子で仲良く帰宅の途に着いた。途中『彼』は何度か理不尽な『おあずけ』に対する不満を瀬人にぶちまけて、更に怒らせた挙句再び同じ命を喰らってしまったらしいが、途中で別れてしまった二人にはその後の事は分からなかった。

 後に『彼』からの報告によると、その後一週間その『おあずけ』は続行され、更に一週間、瀬人はその事すら忘れて一人海外出張に出かけてしまったと言う。
 

『帰ってきたら怖いよ、海馬くん』
 

 『彼』からその話を聞いた夜、遊戯は親切にも瀬人に注意を促すメールを一通送ったが、特に功は奏さなかったという。