Act3 華麗なる包丁さばきと味音痴

「……貴様はもう包丁を持つな。なんだこれは」
「なんだって。見て分からないか。ジャガイモだ」
「ほう。この、食べ散らかしたリンゴの芯みたいなものがジャガイモか!」
「少しだけ皮が厚く剥けてしまっただけだ。気にするな」
「気にするわ!何が少しだ!皮の厚さが一センチなど聞いた事がないわ!どうやったらこんなに不器用になれるのだ!」
「誰でもこうなるだろう?」
「なるかッ!」
「……オレがピーラーでやれっていったんだけど、カイ、包丁がいいって聞かなくてさー」
「そこで下らん意地を張るな!」
「意地ではない。やってみたかったのだ」
「余計な好奇心も不要だ!」
「ならば瀬人、見本を見せてみろ」
「はぁ?!」
「そこまで言うのなら相当の腕前なのだろう?」

 カタ、と包丁をまな板の上に置き男はそういうと瀬人に向き直り、ふんぞり返る。途端に既に薄汚れてしまったピンクのエプロンがふわりと靡き、前髪が邪魔にならないように宛がわれた赤いチェックの三角巾と、それを留める揃いのピンが瀬人の視界を占領した。右肩にさらりと垂れるのは瀬人自らが結ってやったきっちりとした三つ編み一本。

 ……改めて見るとなんだこいつは、阿呆か。自分も色違いで殆ど似たような姿な事は完全に無視して、口には出さずに心の中でそう呟いた瀬人は、漏れ出そうな溜息を飲み込むと、すぐ傍にあった皮だか身だか分からない元ジャガイモを手に取った。

 敢えて大きめの、瀬人の掌よりも少し余るようなサイズのものを買ったのに、これでは直ぐにとろけて無くなりそうだ。そう思いつつ半分に切って、トレイに乗せる。そして今度は本来の大きさのジャガイモを一つ取り、包丁の刃を宛てるとさっさと皮を剥き始める。それは時間にして数秒の事だった。

 本格的なコース料理をも作れる様な大きな厨房の片隅で、いよいよシチュー作りを始めた三人だったが、料理作りに精通している人間が居ない分その作業は余り進みが良くなかった。が、その訳の分からなさもまた面白いのか、内二人は相変わらず騒ぎながら楽しんでいた。広い厨房内にモクバの無邪気な笑い声が響き渡る。

 瀬人の手によって、透ける程に薄いジャガイモの皮がするするとまな板の上に落ちていく。薄茶色から綺麗なクリーム色に変わっていくそれをキラキラとした眼差しで見つめながら、二人は感嘆の声を上げた。

「ほう、上手いものだな」
「兄サマ凄い!」
「……いや、何も褒められるような事はしていないが……この位なら普通は誰でも出来ると思うが」
「オレもそうなりたいんだが」
「なってどうする。いいから貴様は必要なものでも用意しておけ。あぁ、サラダのレタスを千切る位なら出来るのではないか」
「プチトマトのヘタ取りならお前にでも出来るぜぃ」
「……地味だな」
「文句を言うな」

 速攻役立たず認定をされた男はその場で直ぐに不満を露にしたが、己の不器用さを嫌という程分かってしまった為それ以上反論する事は出来ず、黙って宛がわれた作業に入る。 たかがレタスを千切る、という作業でも『何をどの位』と指示されない限り、それは自由にしていいという事だと男は判断し、現にそうしてしまう。

 それに兄弟が気づいた時にはもう遅く、そこには無残に細かく千切られてしまったレタスの破片が山となっていた。

「あー!レタスが千切りキャベツみたいになってるよ、兄サマ!」
「ん?駄目なのか?」
「……そういえば細かい指示を出すのを忘れていたな」
「まぁ、食べられなくはないから、いいんじゃない?」
「そうだな。どうせ食べるのはオレ達だしな。腹を壊さなければ見栄えなど何でもいい」
「そうそう。問題は味なんだぜ、カイ」
「なんだ?何故オレは慰められてるんだ?」
「慰めてないよ、褒めてるんだよ。あ、ドレッシングどうしよう?」
「ん」
「これ?さすが兄サマ、もう用意してたんだ!どれどれー」
「オレにも舐めさせろモクバ」

 調理大の上の銀ボウルの中に山となった気の毒なレタスの姿にも特に気にも留めず、ジャガイモから玉葱へとシフトした瀬人はモクバの声に無言のままとある場所を指し示した。そこには透明の硝子ボウルが置かれていて、見た目的には一目でドレッシングと分かる液体が入っていた。最初の皮むきに参加していなかった瀬人が手始めに取り組んでいたものがそれだったらしい。

 二人は早速スプーンを片手に硝子ボウルへと歩み寄り、それを一すくいして口に入れた。その瞬間、一気にその場は静まり返り、次いで派手に噎せ返る。

「……ちょ、兄サマ!これ、何入れたの?!」
「………っ!これは凄いぞ瀬人。さっき食べた猫缶よりもマズイ」
「お前、猫缶食べたんだ?」
「ああ、思ったよりイケてたぞ」
「へー…って!そうじゃなくって!ねぇ兄サマ!」
「失礼な事を言うな!何も入れてないわ!きちんとレシピ通りに……!」
「嘘だよ絶対!だって激甘だよこれ!」
「舌も痛いしな。新感覚だ」
「オ、オレは別に変だと思わないが」
「兄サマの味音痴絶望的ッ!味付けはオレとカイでするよ!」

 最愛の弟にビシッと指までさされ、そう言い放たれた瀬人は、半分以上そうなる事を予想していた為然程ショックではなかったが、それでも少しだけ表情を変化させると渋々といった風に頷いた。こうなるともう兄の威厳も何もあったものではないが(既に格好からして終わっているから今更だが)己の欠点であるそれは認めざるを得ない為、ここは大人しく引き下がる事にした様だった。が、その事を大いに喜んだらしい男には「貴様に言われたくは無いッ!」と一応文句を言っておいた。

「ふむ。見た目が良くて味が酷い料理と、見た目は酷いが味はいい料理ではどちらがマシだと思う?モクバ」
「二人が協力すれば、見た目が良くて味もいい料理ができるぜぃ」
「なるほど。遊戯の言葉で言えば結束の力か。瀬人、頑張るぞ!」
「煩いわ!黙ってやれ!」

 瀬人の絶叫と共に放り投げられた人参をやはり華麗に避けながら、男は瀬人が参考にしたというレシピを片手にドレッシング作りに勤しんだ。

 数分後、意外にも頗る美味しい洋風ドレッシングが出来上がるのだが、瀬人だけには不評だったらしい。