Act5 「ごちそうさまでした。ありがとう」

「そういえばさークラスの奴の家で、型抜きを使って人参を星型にとかしてたんだ。あれすっごく可愛かったなぁ。今度やってみたい」
「形がどうあろうと味には関係ないだろう」
「もーカイにはアソビゴコロがないなぁ。そんなだから手先が不器用なままなんだぜぃ。お前の切ったジャガイモ、どっかいっちゃってるじゃんか」
「瀬人の味オンチよりはよほどマシだと思うぞ。そこまで言うなら今度オレがその星型の人参とやらを作ってやる!」
「止めておけ。厨房が惨劇の場になる。先程も結局自分の指にシチューをかけただろうが。どういう不器用さだ」
「お陰で食べにくいぞ。あーんしてくれ」
「貴様は下らんドラマを見過ぎなのだ!」
「でも兄サマ、確かにカイの手元酷い事になってるぜぃ。してあげなよ」
「ああもう何故貴様はそう手間が掛かるのだ!」

 ダン!と和やかな食卓には不似合いな音がして、瀬人がキッと顔あげると共に席を立ち、向かいにいた男の隣にドカリと座る。同時に手にしていた布巾で酷い事になっている男の手元を綺麗に拭き取ると聊か乱暴な仕草でそれを投げ捨てた。

 その一連の動作を何故か嬉しそうに眺めていた男は、利き手に巻かれた白い包帯をやはり自慢気に掲げて見せると「早く食べさせろ」と『して貰う』立場にしては不遜すぎる態度で瀬人を急かした。先程瀬人にあれほど忠告されたにも関わらず、嬉々として出来上がったシチューを皿に移す際、ものの見事に自分の手の上に豪快にぶちまけた結果だった。

 何故言う事を聞けないのだッ!とついにキレた瀬人による留めの拳骨で頭にもダメージを喰らいつつ、男は無事食卓についたのだが、右手が使えず左手で苦心して食べようとした結果、口に入る前にテーブルに零す、という事を繰り返し、今に至る。

 落ちてしまった形の悪いジャガイモが瀬人の持つ布巾の中に包まれてしまうのを残念そうな声を上げて見送りつつ、怒り心頭なその横顔を眺めては降って沸いた貴重な体験に少し口元が綻んでしまう。

 これまた夜のホームドラマで見た、仲のいい夫婦が「あーん」をしてる光景にちょっと憧れを持っていた男は、機会さえあれば瀬人にして欲しいと思っていた。故に今この瞬間は少し痛い思いをしたものの、それが帳消しになるほど男にとっては嬉しい事態なのだ。

 たかがスプーンでモノを口に運ぶ位、利き手じゃなくても出来るだろうに、何故こんな簡単な事すら碌に出来ないのか、最悪だ。そうブツブツと文句を言いながら、それでも兄という立場上悲しいほど面倒見がいい瀬人は、大きな溜息を吐きつつ、男のスプーンを取り上げてシチューを救いあげると、仏頂面のまま口元に持って行ってやる。そして非常に不機嫌な声で「口を開けろ」と言い放った。

「違うぞ瀬人、そこは『あーんして♪』だ」
「下らん事を言っていると皿ごと口に突っ込んでやるが?いいからさっさとせんか!」
「ではせめてその怖い顔をやめろ。折角のシチューがまずくなる」
「自分の所業を棚に上げて他人にだけ要求するな馬鹿が!」
「『モクバが味付けをしたシチュー』を美味しく食べたいというオレの気持ちが分からないのか」
「…………ちっ」
「ん。やはり美味しいな。最高だぞモクバ」
「ほんと?オレも懐かしい味が堪能できて最高だぜぃ。兄サマも珍しく全部食べたし。やっぱり父サマのシチューは美味いや」
「少し熱いぞ瀬人。冷ましてくれ」
「それ位自分で調整しろ!まどろっこしくてイライラするわ!」
「兄サマ達、そうしてるとすんごくラブラブに見えるぜぃ」
「そうか。最悪だな」
「そう言うな瀬人。この人参の形は最高だぞ」
「訳の分からん褒め方をされてもちっとも嬉しくない!」

 食事をしているのか喧嘩をしているのかさっぱり分からない状況だったが、それでも至極楽しそうな二人を見つめながら、モクバは改めてこのささやかな幸せを噛み締めていた。

 どれほど豪勢な料理で持て成されても、しんとした食堂で黙々と食べる時の虚しさはその美味しさを遥かに凌駕し、記憶にすら残らない。そんな時、いつも懐かしく思っていたのが、幼い頃に良く食べたこの素朴な味のシチューだったのだ。

 おぼろげな顔しか分からない本当の両親との唯一の絆でもあるこの味を、再び口にする事が出来た事。そして、目の前にいる兄が人間らしさを取り戻してくれた事。少々しつこく付きまとい過ぎて別の意味で兄が壊れてしまわないかと心配になる時もあるが、それでも適当に相手をしてやっているのだから、満更ではないのだろう。

 耳を劈くような怒鳴り声を上げていても、人形のように冷ややかな表情で口元を綻ばせもしなかった過去に比べたらずっといい。

 最後の肉の欠片をゆっくりと噛み締めながら、モクバは思う。
 こんな時が、ずっと続けばいいのに、と。  

「凄く美味かったぞ。今まで食べた中で最高だったな!」
「猫缶を美味いと喜ぶ輩に言われてもな」
「何故か刺激物に成り果てたドレッシングを作った奴には言われたくないぞ」
「やかましいわ!」
「もういい加減機嫌を直せ、瀬人。モクバが見ているぞ」
「べ、別に不機嫌な訳ではない!」
「分かってるよ兄サマ。でも、本当に美味しかったね。ありがとう。また皆で作ろうね!」
「あぁ、勿論だ。今度こそ星型の人参を……」
「だからそれはやめろと言っている!」

 最後に特注のバースディケーキを持ち込んで、誕生日おめでとうの言葉と共に、賑やかな時間はほんの少しだけ続くのだ。気合を込めて消そうとした蝋燭を先に男が吹き消すというハプニングがあったものの『凄く幸せな誕生日だった』と後にモクバはそう言って、この日を幾度と無く振り返る事となる。

 そして必ず最後にこう付け加えるのだ。  

「来年もまた、同じプレゼントが欲しいな」と。