Act3 調子に乗るな

 暴れたり叫んだり、抵抗することが余計に相手を煽る事につい最近気がついた。ならばというんで、今度は徹底無視を決め込む。そうだ。いちいち相手をするから面白がるんだ。

 もうこいつなど空気扱いをしていればそのうち飽きるだろう。そう思って、オレは間近にいる男を完全にいないものとした。目の前に立たれても、話しかけられても、触られても知らんふりだ。

「なぁ、瀬人」

 最初のうちはそうやって何かと話しかけて来たが、オレが一切応じない事に漸く気づくと拗ねたようにむっとして、何時の間にか気配が消えていた。どうやら機嫌を損ねたらしい。いい兆候だ。

 しんと静まり返った部屋にオレの軽快なキーボードのタッチ音だけが響く。他人に邪魔されないという事がこんなに快適なものだと言うのを改めて知った。この調子だと今日は良く仕事も進むだろう。

 この隙に密かに計画していたプロジェクトの青写真を作っておくのもいいかもしれない。長丁場の作業になるだろうが、休め寝ろと騒ぐ人間がいないのなら問題ない。

 オレは体力や持久力には自信があったのだが、どうもあの男が現れてからというもの、それは脆くも崩れ去った。自分はこんなに脆弱だったのかと衝撃すら受けた。が、よくよく考えたらそれはあの男が悉く奪っていた所為なのだ。……毎晩毎晩凝りもせずに!!

 折角一人になったのに、余計な事を思い出した所為で集中力が乱れる。しまった。こんな事をしている場合じゃない。いつこの平穏が崩れるか分からないのだ。今のうちに出来る事を全てしておかなくては。
 

 

 そんな事を考えながら、部屋に篭ること12時間。気がつけば時計の短針は一周し、日付すら変わっていた。その事を意識した瞬間、僅かに空腹を覚える。肩も痛い。流石に夢中になり過ぎたかと、大きな溜息を吐いたオレは漸く軋む身体を押して席を立った。

 とりあえず少し食べ物を口にして、シャワーを浴びて……そしてまた作業を開始すればいい。必死になっていた所為か思ったよりも早く仕上がりそうな仕事に満足の笑みを浮かべて、食事を取りに部屋のドアを開けた、その瞬間だった。

 オレの身体が開いたドアの隙間から外に出るより早く、いきなり視点が急浮上する。なんだ?!と思うより早く後頭部に衝撃を感じた。多分叩かれたのだろう。それに気付いて怒りを感じる前に怒鳴られる。

「いい加減にしろ瀬人。調子に乗るな!!」
「きっ、貴様何をッ!」
「タイムリミットだ。お前を回収しに来た」
「?!ふざけるな!!降ろせ!!」
「12時間我慢してやったのだ。これ以上の譲歩は出来んな。大人しくしろ」

 ぎゅ、と何時の間にか担ぎ上げたオレの身体を抱き締めて、ドアの外で待機したらしい男はとどめとばかりにオレの頭をもう一度軽く叩くと全く危なげない足取りで、本当にオレを私室へと連れて行くため歩き出した。冗談じゃないと思い切り暴れたが、疲労した身体では大した抵抗も出来る訳がない。

「降ろせ!人を荷物みたいにッ!」
「これが一番勝手がいいのだ。文句を言うな。余り煩いと黙らせるぞ。そんなに体力を奪って欲しいのか」
「何?!」
「仕事熱心なのは結構だが、寝食を忘れるのだけは感心できない。無視したって無駄だ。オレはモクバからお前のことを頼まれているのだからな」

 ……チッ、完全無視を決め込んでいた事を気取られたか。折角大人しく引き下がったと思えば食えない奴だ。何か次の手を考えなければ、コイツがオレを気にしなくなるような、何かを。

「何を考えてるか知らんが諦めろ瀬人。お前が諦めが悪いのと同じで、オレも絶対諦めたりはしない」
「貴様とオレを同一視するな!」
「そう嫌がるな」
「嫌がるわ!」

 貴様とオレが中身も同じなどといったら虫唾が走るわこの馬鹿が!!そう思い切り叫んでやろうとした瞬間、オレを支えている両腕がまるで宥めるように強くオレの身体を拘束し、耳元に小さなキスを落とされた。さらりと触れる艶やかな髪がその感触を助長する。

「好きだぞ、瀬人」

 ……何故このタイミングでそんな言葉が出てくるのだ。貴様は阿呆か?

 オレは心底腹が立って、余り自由にならない手を使う事はあきらめて、肘でやつの後頭部を小突いてやった。しかも思いっきり。

 そして、心底湧き上がった怒りと悔しさと……照れを含んだ声でこう吐き捨てた。
 

「調子に乗るなよ!」