Act4 笑うな

「さっきからその締りのない顔はなんだ!イライラするわ!」
「そうカリカリするな瀬人。のぼせるぞ」
「ふざけるな!」
「兄サマ、背中の流しっこしようよ。オレ、洗ってあげるぜぃ」
「待てモクバ。瀬人の背中はオレが流す」
「死んでも断る。よし、モクバ、来い。頭も洗ってやる」
「わーい!はい、暇そうだからカイにはこれ貸してあげるぜぃ。水でっぽう。こうやってお風呂に沈めて、お湯を入れて……」
「……ほう。これはなかなか興味深いな」
「っ!!貴様オレの頭に向かって撃つな!」
「出来心だ」
「たわけがッ!これでも喰らえッ!」

 そう言って、巨大洗面器一杯分の風呂の湯を未だバスタブの中にいた男に思い切りかけてやると、オレはモクバを伴ってそこから少し離れたシャワーの前へと膝をついた。背後からげほげほと咽込む声が聞こえるが敢えて完全無視を決め込んだ。馬鹿め、少し反省するがいい。

「ね、一緒にお風呂入るのって久しぶりだね」
「そう言われてみればそうだな。……お前、少し背が伸びたか?」
「あ、うん。この間の身体測定で3センチ増えてたんだぜぃ」
「そうか。良かったな」
「でもまだ平均身長に届かないんだ。早く兄サマ位大きくなりたいなぁ」
「心配するなモクバ。オレが本格的に伸びたのは高校に入ってからだ」
「え?そうなの?じゃあまだまだ可能性はあるって事かな」
「勿論だ。そうだな……お前と同じ年の頃はもしかしたらオレの方が低かったかもしれないぞ」
「そっかぁ!よーし、オレ、絶対兄サマを抜かして見せるぜぃ!」

 シャンプーの泡だらけの頭を大きく振りながら、そう楽しそうに口にするモクバに口元を緩めながら、オレは時折背中に当たる冷めた湯……多分あの男が悪戯している水鉄砲が発射源のそれに気付きながらも無視をしていた。

 大体、何故この場に奴がいるのか。今日はかねてからの約束でモクバと朝から晩まで行動を共にしている為、二人でこんな時間を持つのも理解できる。が、そのオレ達の間に全く関係のないこの男が乱入し、さも当然のように居座っているのには理解出来ない。ましてや共に風呂など言語道断だ。

 何が悲しくて大の男二人が仲良く風呂になど入らなければならないのか。
 全く持って馬鹿馬鹿しい事この上ない。
 

『モクバとばかりズルイぞ瀬人!オレも入れろ!』
 

 勿論散々拒絶し、いい加減にしろ!と怒鳴りつけてもやったのだが、諦めの悪い男はどこまでも食い下がり、ついには実力行使とばかりにオレの身体を羽交い絞めにし、嫌だ混ぜろと子供のように拗ねまくり、その姿に思い切り同情してしまったらしいモクバの「カイも一緒に入れてあげようよ兄サマ」の一言についぞ折れてしまったオレは、渋々……本当に渋々、コイツも共にバスルームに招き入れる事になったのだ。

 そして、今に至る。

「貴様いい加減にせんか!!さっきから鬱陶しいと言ってるだろう!!モクバ、あいつに妙な玩具を与えるな!」
「そんな事言ってもな。一人で暇なのだ」
「……ねぇ、兄サマ、カイに背中洗って貰ったら?絶対やりたいんだよあいつ。オレ、譲ってやってもいいよ。オレは綺麗にして貰ったし、先に出るから」
「いや!出るなモクバ!」
「いいぞモクバ、譲ってくれ!後で思いっきり遊んでやる」
「ほんと?!じゃあ、オレもう行くぜぃ」
「ちょ、ちょっとまて!オレを置いて行くな!!」
 

 こいつとこんな場所で二人にされたらどうなるか分かったものではないわ!!
 

 オレのそんな心の叫びも上機嫌の弟には届く筈もなく、モクバは鼻歌まで歌いながら本当にオレ達を残して先にバスルームを出て行ってしまう。硝子扉がピシャリと閉められた音と、バスタブからバシャリと湯が跳ねる音が同時に響く。

 はっと後ろを振り返ると、そこには既に全身ずぶ濡れで仁王立ちをする男の姿があった。奴は思わぬ事態に思い切り固まるオレを見下ろして、きょろきょろと辺りを見回し、目当てのものを見つけたのかにやりと笑う。

 そして、徐に身を屈めてそれ……オレがモクバに使用したスポンジなのだが……を手に取り、ついでにボディソープを追加して、オレが逃げる前に首に腕を回して押さえつけて来た。

 既に身体についていたソープが滑って、喉元がこそばゆい。

「ちょ、やめろ馬鹿!!触るな!!」
「何故逃げる瀬人。オレはお前を洗ってやりたいだけだ」
「それが嫌だと言ってるんだ!!」
「どうしてだ。何もおかしな事はしない」
「嘘を吐け!!既にこの体勢が可笑しいわ!」
「お前が暴れるからだろうが。……なんだ?もしやお前、オレに洗って貰うより他にやって貰いたい事でもあるのか?」
「誰がそんな事を言った!!死ね!」
「スポンジではなく素手で洗ってやろうか?」
「人の話を聞け!!」

 こうなってしまうと喚こうが暴れようが全く無意味になる事は誰よりもオレが良く知っていて。その後結局、この場にモクバが居たら大変な事になっていただろう事態に陥ったのだ。

 ……だから嫌だと言ったのに!

 それからオレは、モクバに倒れたんじゃないかと余計な心配をされるほどの長い時間、バスルームに軟禁され、思い出したくもない事をあれこれ経験させられた。漸く解放され、バスローブを羽織る気力もなく、脱衣所にへたり込んだオレに、奴はとびっきりの笑顔で「また入ろう」と言って来た。

 その最低最悪の笑顔に、オレは全身全霊をかけてこう罵ってやった。
 

「にやにや笑うな!!死んでしまえ!!」
 

 その言葉は、勿論奴にはなんのダメージも与えなかった。