Pierce blue

「何か一つ揃いのものが欲しいと思って、これを買って来た」

 そう言って、奴がオレに差し出してきたのは、どこで購入したものか深い紺色のベルベッドに覆われた小箱に入っていた、一対のピアスだった。オレやこいつに余りにも不似合いなその装飾具にオレは一瞬呆気に取られ、思わず膝の上のノートPCを取落しそうになる。

 明日の重大会議の資料を……しかも膨大なデータ量を誇るそれをこんな下らない事で失うわけにもいかず、オレは早々に幾重にもセキュリティを施した大容量のメモリスティックに作成中のデータを全て移し保存をかけ、改めて何時の間にか側に立っていた男の顔を見遣った。

「いきなりなんだ。貴様、そんなものをどこから手に入れた」
「何処から?普通に店に……」
「行ったのか?!」
「いや、頼んだ」
「誰に?!」
「そんな事はどうでもいいだろう。オレの話を聞け」

 言いながら、男は開いている手で勝手にオレのPCを閉じてしまうとテーブルの上に乗せあげてしまう。ある程度予想はしていたが、実際行動に起こされると腹が立つもので、何をする、と言葉で噛みつくと、奴は涼しい顔で「今日は日曜日だ。そんなに根を詰める事はないだろう。この間の様に強引に休ませて欲しいならば別だがな」などと軽口を叩いて来る。

 この間、と殊更強調して来る事にそこはかとない悪意を感じる。オレとしては余り思い出したくない事なのだが、この男にとってはかなり気分のいい出来事だったらしく、あれから大分日数が経った今でも何かと引き合いに出してはオレをからかい倒してくる。

 自業自得とは言えその事に余りに腹が立ったオレは、あれ以来体調管理を第一に考え、無理や不摂生は極力しないように心がけた。お陰で今現在は体調も仕事効率も頗るいい。こいつの言う事を聞いてやったみたいでかなり悔しい気はしたが、何をするにも体が資本だという事はよく分かった。これからも、現状維持に努めたいとは思う。

 尤も、一番の理由はこの男にそれを口実に好き勝手されないようにする為ではあったのだが。

「ちゃんと開ける道具も借りてきた」

 オレが奴の言葉に返答をせずにいると、男は小箱をオレの前へ見せ付けるように置いた後、ポケットから白いケースを取り出した。何事かと見つめていると、奴はまるで鼻歌でも歌い出だしそうな上機嫌な様子で蓋を開け、中に入っていたピアッサーと呼ばれるピアスホールを開ける器具を取り出してにっこりと微笑む。

 一本の針を人体の一部に貫通させるその器具は、男の片手に納まる程コンパクトで簡素な仕組みだったが、それ故に妙に生々しく目に映る。大体、オレは軽度の先端恐怖症なのだ。鋭い針先を見るだけで眩暈がする。

 ……それで一体、貴様は何をどうしたいというのだ。

 見せびらかされた物品や器具で目的などはっきりと分かってはいるものの、男の口から詳細が出るまではこちらから聞くのもなんだか癪で、オレはただひたすらだんまりを貫き通し、男の出方を伺った。そんなオレの態度に、男は面白いものを見る様な顔付きでわざと身体が触れる位置まで近づいて、その必要も無いのに敢えて耳元に唇を寄せ、殆ど囁き声でこう言った。

「ピアス、開けないか?この二つをオレとお前で半分にして」
「嫌だ。何故そんな事をする必要がある」
「即答か。少しは考えて……」
「考える必要などない。嫌なものは嫌だ。貴様一人で勝手にすればいいだろう」
「一つはお前にやる為に買ったんだがな」
「知るか。貴様の気紛れに付き合う気はない。大体肉体に穴を開ける等冗談ではない」
「生々しい表現だな。ピアスなどそんなに特別な事ではないだろう。世間では一般的なファッションの一つだ。それに、気紛れではないんだが」
「何が世間だ。兎に角、絶対に嫌だからな」

 オレは断固としてそう言い放ち、ドサクサに紛れて耳元に触れて来た男の手を払いのける。ぴしりと小気味いい音が室内に響き、男は微動だにせずにそれを受けて手を離す。離れた指先は小さな溜息と共にテーブルの上に放置されたままだった小箱へと伸びて、そこに収められた一つを摘みあげる。

 窓から差し込む白い太陽の光を受けてきらりと煌くそれは、鮮やかなブルー。その青に、オレは何故か目の前の男の、今は隠された青の瞳を思い出した。その瞬間、オレは自らに向かって小さく舌打ちをしたい気分になる。

 ……青と言えば真っ先に連想されるべきはブルーアイズだ。それなのに何故オレは男の瞳など思い出してしまったのか。そのことが妙に腹立たしく、忌々しい。

 そんな自己嫌悪にも似た下らない感情にオレが振り回されていると、そんな事など知りもしない男は、やや落胆した声で一人ぶつぶつとぼやいている。

「折角お前に似合う色を選んだのに。綺麗だろう?ラピスラズリだぞ」
「だからどうした」
「どうしてそんなに嫌がるんだ」
「煩いな。オレは元から装飾品の類は好きではない。しつこいと、それごと外へ放り投げるぞ」

 素っ気無くそう言い放ち、男から顔を背ける。何がピアスだ。貴様の手の中にあるその針が己の肉を貫通するなど考えただけで全身が総毛立つ。冗談ではない。その思いを言葉にして思い切り奴に叩きつけてやりたいと思ったが、己の弱みを曝け出すようで、口には出来なかった。たかが針、というがオレにとってはされど針だ。嫌なものは嫌だとしか言いようがない。

 それに体面上吐き出した今の言葉は決して嘘ではない。貴金属や宝石の類を見ると、それらで己の身を下品に飾り立てていた親戚や義父の事を思い出して酷く不快な気分になる。故にオレは装飾品が嫌いなのだ。

「そんなに嫌か」
「そう言っているだろう」
「……では仕方がない、オレだけ付ける」
「付けるのか?!」
「折角買ったのだからつけるに決まってるだろう。オレにはお前の様なこだわりも何もないからな」
「……しかし、何故ピアスなのだ」
「指輪では仕事やデュエルの邪魔になるだろうが。ペンダントはもうしているし。腕には常に時計を嵌めているだろう。残るは、ピアスしかなかった」

 だからはりきって購入したのだと、そう言われて。そこまで考えているのならどうして贈る側にリサーチをしないのだとそう言ってやりたかったが、敢えてそれは黙っていた。それにしても何故揃いのものが欲しいなどと思ったのだろう。女でもあるまいし何も関係に「証」を持たなくてもいいとオレは思うのだが。そもそも、どんな関係なのだ、オレ達は。……そこまで考えて、なんだか頭が痛くなる。

「……かといって。自分でするのはあまりにも味気ないな……」
「何をぶつぶつ言っている」
「そうだ。瀬人、お前が開けてくれ」
「?何をだ」
「ピアスホールだ。そうしたら、お前がピアスをするのを免除してやってもいい」
「オレが?!貴様、何を偉そうに上からものを言っている!絶対に嫌だぞ。やりたい奴が勝手にやればいいだろう!」
「何も難しい事をしろと言ってるんじゃない。これで、オレの耳に穴を開けてくれといっているだけだ。力を込めて握り締めるだけだぞ。簡単だ」
「簡単なら自分でやれ!」

 それから暫く「やれ」「やらない」の押し問答が続く。その針で貴様の耳を貫けだと?!冗談じゃない。自慢じゃないが自分がやられるよりも他人のを見ている方が精神的には辛い。そのおぞましい器具を見るのも嫌なのに触って握り締めろという貴様は鬼か!そう心の中で叫びながらもしつこく頼んでくる男に抵抗を繰り返していたが、どうあっても折れる気がないらしい。

 ……一体何をそんなに拘っているのか分からなかったが、既に抵抗するにも疲れてきた。大体コイツは無駄に体力と持久力があるのだ。逆立ちしたってかないやしない。これ以上逆らって無駄に体力を減らした上に逆ギレでもされてよからぬ事になる前に(そういう経験が少なからずある)諦めた方が楽だと悟ったオレは、最大限に嫌な顔を見せつつも男から件の器具を受け取って、前に立つ奴を睨みあげる。

 すると奴は「最初から素直にそうしていればいい」などと言い放ち、勝手にオレの横に座ってしまうと、今度はオレに立つ様に促して正面から向き合う形を取らせた。右と左、どちらにするのだとぶっきらぼうに問いかけると、「好きにしろ」と言って来た。自分から言い出した割に適当な男だ。

「……で、どうすればいい」
「とりあえずそれについて来た消毒液で消毒をして……あぁ、お前が舐めてくれても構わんが」
「……その不埒な口に封をするように針を通してやろうか?」
「冗談だ。……で、後は針が直角になるように器具を固定して握り締めればそれでいい」
「………………」

 仕方なく、言われた通りに手を動かす。予め消毒液が浸されたガーゼを密封された透明袋から取り出して、特に考えもせずにオレから見て左……奴からすれば右耳へと手を伸ばし、見慣れた形のいいそこを消毒し、器具を当てる。……何もこんなところに『埋め込む』必要もないだろうとこの期に及んで思ったが、当人がしたいという事を否定するのも馬鹿馬鹿しい。

 握り締める器具を持つ手が無意識に震える。それを辛うじて堪えて、オレは指示通り針を通す場所に直角になるように調整し、思い切り握り締めた。カシュ、と間抜けな音がして妙な感触と共に味気ないシンプルなピアスが目の前に現れた。幸いな事に血は出なかった。

「終わったぞ」
「なんだ、もう終わったのか。いつピアスが貫通したのか分からなかったぞ」
「貴様の神経が鈍いだけではないのか」

 言いながら、オレは確かめるようにそれに手を伸ばそうとする。しかし、つい数秒前に消毒を施したことを思い出し、化膿でもさせてはまずいと、すぐさまそれを引っ込めた。その事に奴は気づいたのか含み笑いを漏らしながら、何故かオレの腰を抱いてくる。

「別に触っても構わないぞ。事後消毒で舐めてくれてもいい」
「まだ言うか!」
「何故、右にした?」
「貴様がどちらでもいいと言ったんだろう!」
「別に悪い意味で言ったわけじゃない。ただ純粋に聞きたかっただけだ。何故、右にした?」

 何時の間にかオレを強く抱き寄せて、ソファーの上、奴の膝を跨ぐ様な格好に導かれると、オレは思わず不安定になった身体を支えようと眼前の肩に両手をつく。くらりと揺れた視界の先に映る銀色のピアス。素材は何かは分からないが、鈍く光を反射するそれに目を細め、今しがた問われた言葉の答えを考える。……けれど、幾ら考えても何故そうしたのかは分からなかった。

「やれやれ、無意識か」
「何がだ」
「分からないのか?左は、お前が良く舐めるだろう」
「…………はぁ?」
「だから多分、お前は自分に邪魔にならない右耳にピアスをつけた。そうじゃないのか?」
「………………」
「きっとそうだぞ。可愛いな、瀬人」
「きッ、貴様!戯言もいい加減にしろ!!どさくさに紛れて何をやっている、離せ!」
「そんなに無防備にオレに近づくお前が悪い」
「近づかないでどうやってピアスを開けろというのだこの馬鹿が!!」

 思わぬ事を指摘されたオレは慌てて否定しようと口を開いたが、ついぞ明確な言葉を吐くことは出来なかった。言われてみれば、そうなのかもしれないと、自分でも考えてしまったからだ。

 確かに……確かに癖で、オレは奴に身を預ける時、主に奴の左肩に額を預ける事が多い。そうなれば必然的に近づくのは同じ左耳で……だ、断じて舐めるのが好きとかそういう事はないが、何気に舌を伸ばすとすれば確かに左の耳なのだ。だから右耳を選んだのかと言われればそうなのかもしれないが、それが無意識というのが恐ろしい。

 何時の間にか、腰を抱いてくる腕の強さが増した気がする。触れ合っている場所が、酷く熱い。

「暫く休憩だな。このパソコンは閉じると電源が切れる仕様になっていたか?」
「知るか」
「早くあのピアスを付けたい。そうすれば、鏡を見て指先でこれに触れて、お前がいなくても……お前を思い出すことが出来る。あの、青に」
「………………」
「このブルーは、お前の瞳の色を思って選んだからな」

 ……ピアスをしたいといったのはそれが理由か。オレにはよくわからんが、とてつもなく恥ずかしい理由だという事だけは理解できる。全く、よくもぬけぬけとそんな事を口に出来るものだ。やはりこいつは頭がおかしい。

 そう思いつつも、あのピアスを見たときに同じ事を思ってしまったり、侵入を試みる指先を止めようという気が起こらないオレも大概どうかしている。

「お前にも、つけて欲しかったんだがな……もう片方のピアスを」
「……身に付けていればいいのだろう。タイピンにでも加工してつけておくわ。それで文句はあるまい」
「本当か?なくすなよ」
「間抜けな貴様と一緒にするな。つべこべ言わずに続きをするならしろ、仕事が立て込んでいるのだ!」
「可愛げがない……」

 しみじみとそう呟く台詞が憎らしくて、オレは自主的にその唇を塞いでやる。少し温度の低いそれは、直ぐに熱を帯び、熱い吐息と共に逆にオレに絡みつく。常なる癖で緩やかに瞳を閉じる一瞬、視界に映りこんだ味気ない銀のピアス。

 そう遠くない日に、鮮やかな青に変わるだろうそれを思いながら、オレは男の頭部に手を回し、隠された瞳を覆う邪魔な布を剥ぎ取ってしまおうと指先に力を込めた。
 

 ── 深い海のような、美しいその青に。