Act2 可愛いフリしたって騙されるか

「オレの昔の服があったけど……どうかなぁ。兄サマ、オレよりも少しちっちゃいみたい」
「とりあえず何でもいいんじゃないか。裸じゃなければ」
「じゃあ、はい、これ。一人で着られる?」

 モクバがそう言いながら差し出した服一式を両手できっちりと受け取り、瀬人は黙々と服に手を通し始める。小さくても流石は瀬人と言ったところか、余り大人の手を煩わせる事は無い様だった。

 瀬人を抱っこするという下らない争いを男とモクバが繰り広げてから一時間後。今度こそしっかり目が覚めたらしい瀬人は、大き過ぎる寝巻きを身体に巻きつけたまま、一人勝手にベッドを降りて隣室でまだ何事かを話し合っていた二人の元にやって来た。

 その顔に不安気な様子は余り無く相変わらず無言だったが、臆する事無くソファーに座す男の服の裾を引っ張りその存在を教えた後、可愛らしくはあるが淡々とした声で「服」と一言のたまった。そして、モクバが「何か探してくる!」と部屋を出て行き、クロゼットの奥から過去の自分の服を引っ張り出して来たのだ。

 白いシャツに紺色のベスト、それとほぼ揃いの色の半ズボン。当時のモクバには丁度いいサイズだっただろうそれは、瀬人には少しだけ大きかったらしく、ウエストが泳いでしまう状態だったので、サスペンダーでなんとか凌いだ。

 その割に半ズボンの丈が偉く短いのは一重に彼の足の長さによるものだろう。

「……なんかさぁ、こうやってきっちり比べられると凹むんだけど。オレ、どうして兄サマに似なかったのかなぁ」
「そんな今更な事を今悩むな」
「だってさー」
「ところで、これからどうするんだ」
「どうするって、オレに聞かないでよ。とにかく元に戻るまで面倒見るしかないでしょ」
「会社はどうする」
「磯野には話しておいたから数日位は何とかなるよ。オレもちょっとは分かるし」
「そうか。ならばいいのだが」
「じゃあ、とりあえずご飯食べようか。オレ、お腹ペコペコだぜぃ。ちょっと食堂行って来る!カイは、兄サマを見ててね!」
「見てるって、おい!」

 そう言うが早いが全速力で部屋を飛び出して行ってしまったモクバの足音はすぐに遠くに消えてしまう。

 相変わらずの素早さに、運動神経がいい所はちゃんと瀬人に似ているじゃないかと思いつつ、男は着替えを終えて何かを問うようにじっとこちらを見ている瀬人になんとなく視線を送った。そして、素直に訊ねてみる。

「お前、さっきから全然しゃべらないが、オレが怖いのか?」
「………………」
「なら、何でもいいから言ってみろ。お前が静かだと調子が狂う」
「……名前は?」
「名前?オレの?」
「うん」
「えぇと……正式名称は『正義の味方カイバーマン』なのだが」
「長い」
「そこに文句を言われてもな。あぁ、モクバはオレの事を略してカイと呼んでいるぞ。お前もそう呼べ。ちなみに元のお前はオレの事を名前で呼んだ事などないがな」
「カイ?」
「ああ。で、お前の名前は?」
「せと」
「海馬瀬人、ではないのか?」
「ううん。『かいば』って誰?」
「……分からないならいい。ちなみにさっきの黒髪の子供も知らないのか?お前の弟で、モクバというんだが」
「知らない」
「そうか……」

 まぁ知っていたからと言って、どうなるものでもないんだが。そうぶつぶつと呟きながら、男はほんの少しだけ離れた場所に立つ瀬人に向かって、「怖くないならこちらへ来い」と呼んでみた。瀬人の事だから本当は怖いのに怖くない素振りをしている事も十分に有り得るからだ。

 男がさり気なく手を伸ばすと瀬人は一瞬戸惑ったように動きを止めた後、直ぐにその傍へとやって来た。モクバが用意した彼の足には少し大きいスリッパがパタパタと音を立てる。そして男の目の前に立ち止まった瀬人は、特に抵抗もなくその手の中に飛び込んで来た。 

 とすっ、と軽い音と共に掌に感じる柔らかな体の感触。そしてモクバを彷彿とさせる暖かな体温に男が思わず顔を綻ばせた、その時だった。

「カイは、男?女?」
「何?……お前、オレの事が女に見えるのか?」
「髪が長いから。顔も分からないし」
「あぁそうか。『お前』はオレの顔を知らないんだったな。オレは髪は長いが、れっきとした男だぞ」
「ふぅん。これ、本物?」
「……疑うな。お前、見かけによらず案外疑り深いんだな」
「引っ張ってみていい?」
「いや、それはちょっと……いっ!本当に引っ張るな!!」
「本物だ」
「だから最初からそう言ってるんだが」
「顔は?どうして隠してるの?」
「顔は……どうしてと言われてもな……説明がし難い。というか、どうでもいい事に突っ込みすぎだ。気になるのか」
「うん」
「参ったな」

 その言葉通り男の長い髪を一房掴んで思い切り引きながら、瀬人は興味深げにそれを観察し、満足したように手を離す。無邪気な顔をしてやる事は結構乱雑だ。その仕草にいつもの瀬人を思い浮かべて、男は漸く目の前の子供と昨夜まで元気に喚き散らしていた瀬人が同一だという事を理解し始める。否、理解せざるを得なかった。

「……それはまた後で教えてやる。とにかく、朝食を摂ろう。お前も腹が減っただろう?食べに行くか?」
「何処に?」
「何処にって、食堂にだ。さっきのモクバが用意をしてくれている」
「モクバ……お兄ちゃん?」
「いや、関係で言えばお前の方が兄なんだが。というか、何故モクバにはお兄ちゃんをつけてオレには付けないのだ」
「似合わないから。カイはカイ」
「……そうか」
「うん」

 なんだかとっても理不尽なものを感じつつ表情だけは可愛らしいこの瀬人の事を、男はそれまでの印象と同じく、可愛いとは思うものの、それだけではない何かを少しだけ感じていた。しかし「モクバもこんなものだしな……」と早々に諦めた男は、なんとなく溜息を一つ吐くと自身の足の間に立つその身体を抱き上げて、食堂に向かうべく立ち上がった。その時だった。

 バタン、と勢い良く部屋の扉が開かれたと思った瞬間、モクバが廊下から勢い良く走りこんでくる。そして丁度ソファーから立ち上がった状態で止まっていた男を仰いで、開口一番こう言った。

「あー!!カイずるいっ!!オレが先に抱っこするって言ったのに!!お前ジャンケンで負けただろ?!」
「おいモクバ……」
「早く兄サマを下ろせよ!オレが抱っこするんだぜぃ!」
「いや、というか、そんな事よりだな」
「そんな事よりじゃないの!約束じゃん!早く!」

 もー!目を離すと直ぐこれなんだからなっ!そう言って息巻くモクバに対抗する術は男にはなかった。ここに瀬人が居てくれたら、少しはモクバも……いや、彼は常にモクバの味方だ。結局のところ最終的には自分一人が悪者にされるのが目に見えている。

 ああ、なんでオレはこの兄弟にちょっかいをかけてしまったんだろうか。そう思っても、もう遅い。そう男が何の役にも立たない後悔を一人でしているその傍らで、件の兄弟は非常に仲睦まじい交流を交わしていた。早々に瀬人を男の手から引き摺り下ろしたモクバはその身体をしっかりと抱えつつ、思わず綻ぶ口元を隠さないまま彼と向き合う。

「おいで兄サマ。ああ、えっと。瀬人……って呼んでいいのかな」
「モクバお兄ちゃん?」
「ちょ、えぇ?!お兄ちゃん?!オレが?!」
「……違うの?」
「やっ!その、ち、違わないけどっ。な、なんかすっごく……恥ずかしいっ」
「ダメ?」
「だ、ダメじゃないぜぃ。いいよ、お兄ちゃんで。じゃ、一緒に行こうか?」

 あーもう兄サマ可愛すぎ!!

 小さなモクバよりもまだ小さな瀬人を意気揚々と抱き上げて、至極嬉しそうにそう言って部屋を出て行くモクバの背中を眺めながら、男はぽつりとこう呟いた。

「……可愛いフリをしたって、瀬人は瀬人だ。」