Act5 いつもとは違う守るべき存在

 直ぐ傍を猛スピードの車が駆け抜けて行く。それに一瞬驚いた顔をしたその身体を男は不意に抱き上げた。平日の街中は、それでもとても賑やかで人や車がひっきりなしに行き交っている。歩道だからと言って安心はできない。注意すべきは車やバイクと言った電動の乗り物だけではなく、自転車や人自体が危険になりうる。男の腰の位置にも満たない身長を持つ小さな子供にとってはその恐怖は尚更だ。

「大丈夫か」
「うん」
「この辺は普段からごちゃごちゃしている。もう少し安全な場所に出るまで、このままで行こう」
「人、一杯いるね」
「ああ、オレもこの世界に来た時は驚いた。慣れるまでは大分時間がかかったぞ」

 そう言って、余りにも小さく軽い身体を抱き締めながら、男はゆったりとした歩みで歩いて行く。そう、最初の頃は驚きの連続だった。何もかもが違う世界。目にするは初めて見るものばかりで、「似た姿で一人で勝手に出歩いてトラブルを起こされても困る」と、介添え的な意味で付いて来た瀬人を随分と呆れさせたものだった。

『おい、そっちに出るな。この世界では人とそれ以外のモノが通行する場所は分けられている。貴様は轢かれても死なないかも知れないが、轢いた車が迷惑する』

『他人にむやみに話しかけるな。誰もが善人とは限らない。物騒な世の中だ。突然危害を加えられる事も十分有り得る。極力知らない人間とは接触するな。いいな』

 そんな事をいちいち注意しながら、この時ばかりは手放したら不味いとでも思ったのだろう。最初で最後の瀬人からの手繋ぎ体勢のまま、あちこちを見て回った。元々もの覚えは悪い方ではなかったから一度の説明で大抵の事は覚えてしまった。

 後にモクバにその事を話したら「ああ、初デートしてきたんだ。良かったね」と笑顔で言われ、瀬人が大いに憤慨したのだが、確かにそれは目的はどうあれ形態的にはデートと言うものだったに違いない。キス一つしない何とも味気ないものだったが、その記憶は今でも鮮やかに残っている。

 現在ではもう瀬人に案内される場所も殆ど無くなり、大抵一人で行動できるようになった。知り合いも増え、必然的に行動範囲も広がり、他人に道を聞かれても答えられるレベルにまでなっていた。それを得意気に瀬人に告げてやると「そこまで馴染まなくてもいい」と苦い顔をされたが、特に非難はされなかった。

 それどころか最近では特に場所の説明もなく、外で待ち合わせまでするようになった。手を引かれてあれこれと言い聞かせられながら街中を徘徊していたあの頃が懐かしい。

 その彼が今は腕の中で大人しくしながら男の声を聞いている。肩を並べて歩いていた時は特にそうは感じなかったが、こうも小さく頼りなくなってしまうと、ついつい必要以上に守ってやりたくなってしまう。周りを見渡せば母親と共に元気に飛び跳ねながら歩いている子供も沢山いると言うのに。

「この道をずっと歩いて行くと、モクバが通う学校がある。そしてこっちの道はお前が通っていた高校へ向かう道だ」
「高校?」
「あぁ。童実野高校と言ってな。なかなか面白い連中が沢山いる。お前は違うと言っているが、案外友達は多いんだぞ」
「ふーん」
「まぁ、今は奴らも授業中とやらだから行っても会えないとは思うが……」

「あれ?お前、こんな所で何やってんの?」

 そう男が、瀬人に何気なく言い聞かせていたその時だった。どういう偶然か今話題に上っていた『友達』の一人が男の姿を認めてそう声をかけて来た。

 日の光に透けてキラキラと輝く偽りの金の髪に、普段着の上に申し訳程度に羽織られた学ラン。踵を潰したスニーカーをパタパタ言わせながら近づいて来たその男は、瀬人の喧嘩相手である凡骨こと城之内克也である。

 彼は男のすぐ目の前で立ち止まり、何時もとは若干違う出で立ちと、更に有り得ないモノを抱えている事実に一瞬目を見張り、訝しげな表情をして男の顔を覗きこんでくる。そんな彼のガラの悪い態度が怖いのか、はたまた見慣れない金髪に引いたのか、瀬人の男の服を握る手が、一瞬ぎゅっと力を込めて来た。それを背を撫でる事で宥めながら、男は常と同じ調子で答えを返した。

「克也か。何故ここにいる」
「海馬とおんなじ声で名前呼ぶなっつってんだろ、気色悪ぃ。城之内だよ、城之内!つか、お前が抱えてるその子一体何もん?なんか、どっかで見た事ある顔なんですけど。まっさか子守のバイト始めたとかじゃねぇよな?迷子か?」
「いや?これは瀬人だ」
「なーんだ瀬人かー。どうりで見た事があると思っ……え?!瀬人?!瀬人って海馬の事?!『あの』海馬くん?!」
「ああ」
「ちょ、お前冗談も休み休み言えよ。や、でも、そう言われてみればなんとなく面影が……けど、そんな事絶対に有り得ねぇだろ」
「嘘でも冗談でもない。これは正真正銘の海馬瀬人だ」
「……な、なんでこんなにちっさくなってんだよ。KCで何かやらかしたのか?」
「それが分からない。朝起きたら、この姿になっていたのだ」
「それこそ非ィ科学的だろ。何事だよ」

 あーでもお前っつー存在がここにいる時点で既に非ィ科学的だからなー、海馬がチビになる位もう大した事じゃねぇのかも。

 額を抑えて天を仰ぎながらそう呟いた城之内の言葉に、男は素直に「そうだな」と同意する。確かに、自分がこの世界に存在する事自体が瀬人に取っては『非科学的』な事だったのだ。当初自分の姿を目にした途端「有り得ないッ!」と大騒ぎしたあの顔が、つい昨日の事の様に浮かんでくる。

「でもさぁ、海馬もガキの頃はこんなに小さくて可愛いもんなんだなーへー。な、ちょっと喋らせてみてくれよ。声聞いてみてぇ」
「……瀬人、こいつは城之内だ。城之内。言ってみろ」
「じょうのうち?」
「うおっ!かわええ!!なんだこいつ!やべぇ、ちょっと抱っこしてみてぇ」
「やだ」
「……嫌がられているぞ」
「えーなんでだよ海馬ー……じゃなくって、瀬人か。瀬人ちゃん、お兄ちゃんのとこにおいで。抱っこしてやるから」
「怖い」
「怖くねぇって。何もしねぇし。な?お前からも言ってやってくれよ」
「瀬人、克也は馬鹿だが怖くはないぞ。お前とはいつもじゃれあってる仲だ。心配ない」
「言い草がひでぇ。なんだよそれ」
「………………」

 大丈夫だって、オレ妹いるし、子供には優しいんだぜ?そう言って笑顔で手を差し伸べて来る城之内を瀬人は肩越しにチラリと眺め、そして問う様に男を見上げた。その視線は「本当に大丈夫?」と不安そうに尋ねて来る。それに男はしっかりと頷いて、笑いながら安心させるように城之内の頭に手を置いた。

「ああ、心配ない。ほら、噛みつかないだろう?もし何かあったらオレが助けてやる」
「ちょ、どういう意味だよ。オレは犬じゃねぇっての」
「ほら、落とすなよ」
「お前どこまでオレを信用しねぇんだよ。……よっ、と。って、うわ!軽い!ちっこい!なんだこれ!」

 そんな会話を交わしつつ、スムーズに受け渡された瀬人を腕に抱いた瞬間、城之内の顔がぱっと輝き、至極嬉しそうな笑みを持ってぎゅっとその身体を抱き締めた。それに若干微妙な顔をしていた瀬人だったが、相手に悪意がまるでないと分かると、特に嫌がる素振りも見せずにされるがままにしていた。よしよし、と頭を撫でられると満更でもない顔をしている。

「お前もこういう時期があったんだなー。こんなに可愛いのに、なんであんなにデカく小生意気になるかねー残念残念」
「瀬人は大きくても可愛いぞ」
「はいはい。そうですね。しっかしアレだね。子供って無条件に守ってやりたくなるよな。あの海馬でもさ」
「そうだな」
「やーでも超面白い。遊戯にも教えてやろ」
「お前、学校はどうしたのだ」
「あん?どうせ遅刻だったから、今日はサボり決定。でも遅刻してラッキーだった。こんな面白いもん見れたもんな!」

 なー?と瀬人に無理矢理同意を求めるつつそう言った城之内は、んで、これからどうすんの?と尋ねて来た。

 今日は天気もいいし、瀬人も散歩がしたいと言うから公園にでも連れて行こうと思っていた、と告げると、彼は面白そうに瞳を輝かせ、いいね!と何故かはしゃいだ。

「海馬が公園とか!やべぇ、面白いっ!」
「かいばじゃないよ。じょうのうち」
「うん?そうなの?」
「この瀬人はまだ『海馬』ではないんだそうだ」
「あ、なるほど。そういう意味か。じゃあ、瀬人。公園に行くか」
「うん」
「そこの保護者もちゃんとついて来いよ。何かあったらお前の責任なんだからな」
「なんだそれは。大体何故お前がはしゃいでいる」
「だってよー何となく嬉しいじゃん、こういうの。楽しいし!」

 結局何がどう嬉しくて楽しいのか分らないまま、城之内は再び歩くと主張し始めた瀬人の手を引いて、先に立って歩き出した。数歩先に進むと、瀬人はくるりと振り返り、開いている方の手を後ろに伸ばして「カイも」と言ってくる。

「海馬、案外人懐こくて甘ったれなんだな。……なんか見方変わりそう」
「早く!」
「分かった。そう騒ぐな」
「すっかり保護者になっちまって。お前そうしてるとフツーの人みたいだぞ」
「そうか?」
「うん。たまにはいいだろ、お守役もさ」

 普段はお前がお守されてるもんな!

 うはは!といかにも楽しそうな笑いと共に城之内にそう言われ、男は一瞬「そんな訳あるか」と反論しようとしたが、よくよく考えればそうかもしれないと思った為、特に口にはしなかった。

 大きくても、小さくても守るべき存在というのは変わりはない筈なのだが、今は普段以上にその小さな存在を甘やかしてやりたい。

 繋がれた手をきつく握りしめながら、男は二人に合わせてゆっくりと歩き出した。