Act2 水分補給と鎮痛剤

「何か飲むか?」
「……いらない」
「冷えすぎてないか?」
「……よく分からん」
「では、汗は──」
「……煩い!一分でいい。黙ってろ!」
「人が心配しているのにその態度はなんだ」
「貴様のその声が頭に響く!」
「あぁ、頭が痛いのか。早く言え。というか自分の大声が一番悪いと思うのだが。……解熱鎮痛剤、飲むか?」
「……いらないと言っている」
「これは拒否は通らない。飲め」
「命令するくらいなら聞くな」
「やれやれ、熱が出た位では口は減らないか」
 

 澄んだ水音が響いた後、カタン、と小さな音がして、陶器の水差しがサイドテーブルに置かれる気配がする。

 男が部屋を出てから一時間後、耳元で囁くように聞こえる声に浅い眠りから覚めた瀬人は、何時の間にかすっかり病室仕様に整えられた寝室と心地よいひんやりとした感触に、重い瞼を持ち上げた。途端にベッドサイドに椅子を置いて陣取っていたこの環境を作り上げたらしい張本人が、あれやこれやと問いかけてくる。

 まるで鈍器で殴られたような鈍い痛みが断続的に続いている頭と熱で朦朧としている意識下では、常には耳に心地よい男の低い声もただの雑音にしかならず、瀬人は思わず顔を顰めて耳を塞ぐ。

 その仕草にほんの僅かに機嫌を損ねた男は、それでも病人相手だと怒りをひた隠しにして変わらず接触を試みていたが、瀬人の態度の要因が全て酷い頭痛によるものだと分かった途端対応を改めて、とりあえずその辛さを排除してやろうと、しっかりと持ち込んだ薬を手に取った。

 銀色のシートから半透明のカプセルに入ったそれを二つ掌に取り出すと、男はグラスに水を注ぎ、眼下の瀬人を見る。小さな水枕ごと柔らかく大きな羽根枕にぐったりと沈み込む身体。

 極限まで眉を寄せて耐えなければならないほど激しい頭痛に苦しんでいる所を無理矢理起こすのも忍びなく、ここは一つ相手の負担にならない方法で薬を飲ませてやるべきだろうと判断し、男はちらりと意味あり気に瀬人を見た。

「………………?」

 その視線に熱で潤んだ青の瞳が疑問を露に瞬きを繰り返す。薬を手にしているのなら何故起こして飲ませようとしないのか、そう言外に伝えてくるそれをするりとかわし、男はにこりと場にそぐわない笑みを漏らすと、手にした薬を瀬人にではなく自分の口へと放り込み、グラスの水を煽った。

「まさか貴様っ!!…………んうっ!」」

 刹那、その意図を察して目を見開き悲鳴の様な声を上げた瀬人の表情をしっかりと捉えつつ、上気する眼下の頬を勢いとは裏腹に優しく包み込むと、男は口の中のカプセルと水分を口移しという形で瀬人に与えた。熱の所為で少しかさついた唇を潤すように己のそれで包み込み、突然の事に戸惑う相手の様子もまるきり無視で殆ど強引に喘ぐ喉奥にそれらを押し込み、ついでとばかりにキスをする。

 瀬人が与えられたそれをごくりと嚥下する気配を感じつつも熱い口内に妙な高揚感を感じ、そのまま身じろぐ身体を押さえつけて貪った。男の長い髪が肩口からさらりと零れて、瀬人の頬を撫あげる。

「……んっ……ぐ!……っ」

 上手く飲み込めなかった水が一筋瀬人の口の端から溢れ落ち、姿勢の所為で顎を伝い耳へと流れていく。余りの事に直ぐにそれに対応できず、瀬人は唾液交じりのそれを喉奥に吸い込んで、妙な形で咽てしまった。苦しげな咳が静かな室内に妙に大きく木霊する。

「大丈夫か」
「……っはぁっ……はっ……な、何が大丈夫か、だ!……この馬鹿がっ!な、にを……しているっ……飲ませるのなら、普通に飲ませろっ」
「起き上がるのが辛いかと思ったんだが」
「よ、余計に悪いわっ……死ぬかと思った!」
「それはすまなかった。もう少し水分を取るか?」
「……今度は普通に飲ませるんだろうな」
「いや?口移しで」
「……ならいらない」
「そう言うな。水分を取らないと熱は下がらないぞ」
「煩いっ、そこをどけっ……貴様、こんな事をしていると風邪がうつるぞ!……うっ、痛……」
「別に構わない。むしろ吸い取ってやりたい位だ。頭痛が酷いのだろう?余り騒ぐな」
「………………」

 己の所業を棚に上げて、飄々とそんな事を言う男を瀬人は心底呆れて眺めやり、一連の出来事のお陰で、更に酷くなった痛みについに呻き声を上げてしまう。もうダメだ、こいつにまともに付き合っていると体力と精神力を消耗する。そう悟った瀬人は、未だ己の上から退こうとしない男を無視する形で目を閉じた。口も閉ざそうとしたが、忙しない呼吸を押える事が出来ず、こちらは諦めてしまう。

「瀬人」
「……もう、死ぬ……疲れた」
「次は何をする?」
「……頼む、から。……貴様はそこに座って動くな」
「それでは意味がない」
「いいから!」

 最後の力を全て眼力へと注ぎ、鋭い青の瞳をこれでもかときつく眇めて、瀬人は至極真剣な声でそう叫んだ。直後、ぱったりと意識を失ったその姿を見下ろして、男は意味が分からない、と肩を竦めて首を傾げる。
 

「……看病とはなかなか難しいものだな」
 

 そうポツリと呟いた男の声を、当然瀬人は聞くはずもなかった。