Act3 握られた手

「……ねぇ、兄サマ、大丈夫かな」
「熱があるだけだ。大丈夫だろう」
「お前、ずっーとここにいたのかよ」
「まぁな。瀬人も一人では寂しいかと思って」
「兄サマ、具合悪い時側に人がいるの嫌いなんだぜ?嫌がられなかった?」
「瀬人が嫌がろうが嫌がらなかろうがオレには関係ない」
「……お前ってそういうトコちょっと兄サマに似てるよね。自分至上主義っていうかさ」
「幾らオレでも他人にはそこまで執着はしないぞ。瀬人だからこそ無理を通す」
「それっていい事なのかなぁ」
「多分、良くはないだろうな」
「分かってんならちょっと抑えれば?」
「無理だな」
「ま、オレは兄サマが毎日平穏無事ならそれでいいけどね。お前の事も嫌いじゃないし」
「それは嬉しいな。オレも瀬人と同じ位お前の事を好きだぞ」
「な、なんだよ改まって。気色悪いなぁ……あ!」

 薬のお陰か無理が祟って既に意識を保つ気力もなかったのか昏々と眠り続ける瀬人の元に、事態を聞きつけたモクバがやって来たのは昼を少し過ぎた頃だった。彼も昨晩の夕食時瀬人の様子が少しおかしい事に気付いてはいたが、まさか寝込むほどだとは思ってはいなかったという。

 本当に吃驚したぜぃ、と大きな目を更に大きくしてこちらを見上げたモクバに、男は最終的なトドメは自分が刺したのだとも言えず、ただ神妙な顔をして一言、「瀬人は無理をするからな」と答えた。

 それから暫くモクバは椅子に座す男の膝に当然のように座り込み、時折激しく咳をする瀬人の顔を心配そうに見守っていた。直ぐに温んでしまうタオルを交換しようと男が手を伸ばすと「オレがやる!」と言って譲らない。

 今もその小さな手は上かけの上に出ている細い指先をしっかりと握り締めていて。その感触が心地いいのか、時折きゅっと力が篭るそれに一喜一憂していた。

 真剣なその横顔に男はいじらしさと多少の嫉妬を感じずにはいられなかった。が、彼等は所詮兄弟だ。己の嫉妬など両者に鼻で笑い飛ばされてしまうようなものなのだろう。……それでも。

「なぁ」
「うん?なんだ」

 前に屈みこむような姿勢故に、モクバは支え無しに男の膝に居続けるは困難であり、必然的に男の両手がモクバの身体を抱きしめる形となる。瀬人とほぼ同じ造形、大きさの、しかし今は酷く暖かなその掌に、モクバは握り締めた手はそのままに、顔だけ男を振り返る。その声に男は一時的に嵌っていた己の思考から抜け出して、可愛らしい声に応えてやる。

「お前がここに来てからさ、兄サマ、良く寝込むようになったよね」
「……そうなのか?」
「うん。前はさ、こうやって一日ベッドで寝てる事なんてなかった。まるで壊れる事を知らない機械みたいに毎日毎日仕事してさ。凄く忙しそうで。でもお前が来た途端、兄サマはちゃんと止まるようになった」
「……それは、暗にオレが瀬人に何か無理を強いている、という事を言いたいのか?」
「違うよ。お前は兄サマを止めてくれたんだなって。なんだろ、安全装置?」
「安全装置?」
「そう。過負荷が掛って壊れてしまう前に、ちゃんとスイッチを切ってくれるアレみたいだ。だから兄サマは壊れなくて済むんだぜ?」
「………………」
「煩いとか鬱陶しいとか、兄サマはお前の事を色々言うけど、本当はすっごく感謝してると思うよ。オレもそう。……こういう時じゃないと言えないから、言っておくよ。じゃあ……はい」

 照れ隠しの所為か最後の方は少し早口でそう言い切ってしまうと、モクバは己の腰を支えていた男の手を片方取ると、握っていた瀬人の手へと導いていく。そして男と瀬人の手が触れた瞬間、モクバは男の膝から滑り落ち、床へと降りて距離を取った。

 呆然とその顔を眺めていた男の指先を、瀬人の指が握り締める。多分無意識なのだろうが、モクバにしたのと同じように、きゅっと小さく力が入る。

 その様を先程の男の目と同じ仄かな嫉妬が混じる眼差しで見遣ったモクバは、それでも幼い顔に笑顔を浮かべてこう言った。

「後はよろしく。オレ、また後で様子見に来るから」

 しっかり看病頼むな?そう最後に口にすると、モクバは静寂を乱さないように慎重に歩いてそのまま寝室を後にする。その後聞こえるパタパタという足音に、男は不意につい先程まで己を支配していた感情に苦笑し、出来すぎている彼に感謝した。

 そして漸く二人きりに戻った室内で、辛うじて繋がっていた指先を深く強く絡め取る。

「……瀬人。お前の弟は……否、お前の弟だけあって、モクバはかなりいい男だな」

 聞こえているはずもないと分かってはいても、そう口に出さずには居られなかった。熱っぽい指先が、応えるように柔らかく握られる。

 指だけでは飽き足らず、男は未だ赤く上気している頬に手を触れ、包み込んだ。
 

 そして変わらず浅い呼吸を繰り返す唇に、触れるだけのキスを一つ落した。