Act10 今も君と恋をする(Side.遊戯)

「……ねぇ、海馬くん。……海馬くんってば……。もう朝だよ」
「…………煩い。眠い」
「煩いのも眠いのも僕の所為だから謝るけどさ……本当に、そろそろ起きないとダメだよ」
「………………」
「だって今日、入学式だよ?支度しないと」
「……式は11時からだろう?」
「それはそうだけど、僕は一旦帰って母さんを呼んで……ってまぁ、いいか。メールで」
「……大学の入学式に……もう親は必要あるまい」
「僕もそう思うんだけどね。一応『学生』だから保護者はいるんじゃないのかな。……って、聞いてる?」

 そんな僕の問いかけに返ってきたのはすうすうと気持ちよく繰り返される寝息だけで、ふわふわと柔らかな手触りのブランケットが軽く海馬くんの方に引き寄せられる。思わず時計を見ていた視線を体ごと隣に向けると、目の前の真っ白な背中は規則正しく上下してて、海馬くんが完全に寝入ってる事を見せ付けてくれた。

 昨日はちょっと遅かったからなぁ。大体海馬くんが帰ってくるのが遅かったんだよ。8時には家に帰るからモクバと待っていろ、とかなんとか言っちゃってさ。結局来たのは12時過ぎじゃないか。それから遅すぎるご飯を食べて、お風呂に入って、約束だから抱き合って。気がついたら時計は3時を過ぎちゃってて、早く寝ないと!と思う前に意識不明で数時間。今は丁度午前8時。

 これが普通の日曜日なら特にどうって事無いんだけど、今日は僕の……正確に言えば僕達の大学の入学式なんだ。だから、そろそろ起きて準備しないと間に合わない。大学は童実野町の隣にある国立の総合大学なんだけど、街中にあるから結構混むかもしれないって入学説明会の時誰かが言ってたから、早めに家を出ないとって思ったんだ。

 あーもう、枕になんて懐いてないで早く起きてよ、海馬くん。

 そんなに無防備に僕に素肌を曝してると、早く起きるようにその白い体にもう一回手を伸ばしちゃうからね。
 

 
 

 僕が海馬くんに「恋人になって」とお願いしてから今日で丁度一年が経つ。
 
 最初は一週間だった約束を一年に延長する事に成功した僕は、それからは順調にちゃんと手順を踏んで、海馬くんと本当の意味での『恋人』になる事に成功した。そこに辿り着くまでには色々と、本当に色々とトラブルもあって。

 誤解があったり喧嘩したり、一時はもうダメなんじゃないかと思う時も多々あったけれど、なんとか今日まで繋がっている事が出来た。でも、今思えば喧嘩も事件も全部些細な事だった気がするから不思議だよね。

 最近は、漸く僕も海馬くんも落ち着いてきて、ちょっとやそっとの事では大騒ぎもしなければ喧嘩もしなくなっていた。唯一事情を知っている城之内くんは「早速の倦怠期なんじゃねぇの。さっさと別れちまえ」なんて言うけれど、僕はそうは思えなかった。やっぱり、いい意味で落ち着いちゃったんだろうな、と思う。とにかく今がとても幸せだからなんでもいいんだけどね。

 一週間もとても短いと思ったけれど、この一年間もあっという間だった。僕は最初に宣言した通り、目指していた大学を受験して、なんとかボーダーラインギリギリで合格する事が出来た。

 それも一重に空いた時間勉強に付き合ってくれた海馬くんのお陰だったんだけど……その受験勉強の合間にも大学生になったら海馬くんと離れ離れになるのが寂しくて、途中「やっぱりやめてKCに就職しようかな」なんて馬鹿な事を何度も口にして、海馬くんに怒られまくった。でも本当にそう思ったんだから仕方ないよね。

 いつまでもぐずぐずと海馬くんに怒られながら同じ言葉を繰り返していたら、海馬くんは何を考えたのかいきなり僕と同じ大学を受験して、同じ学部に受かっちゃった。もちろん成績はダントツトップ。学校始まって以来とか言われてたよ。凄いよね。受験勉強もしないのに。

 そこの学部は大学内でも一番難しい学部で、だからこそ海馬くんに「身の程をわきまえて選べ」なんて嫌味を言われちゃったとこなんだけど、KCに就職するに必要な技術を教えてくれる学部だったから、どうしてもそこに入りたかったんだ。

 そんな理由で、忙しい海馬くんの生活に大学生活が割り込んでしまった。……それにまた僕の言葉で海馬くんの人生左右しちゃったな、なんて落ち込んだりもしたんだけど、当の海馬くんは「まるで問題ない」と飄々とした顔で言って、「むしろこのオレが講義してやれる内容だ」と言い切った。……うん、そうだよね。ソリットヴィジョンの開発者なんだから。

 海馬くんがいいって言うならいいんだけど……まぁいっか。
 

 
 

「ねぇ、海馬くん。ほんっとうに起きないともう9時だよ?間に合わないよ?」
「………………」
「どうしても起きないって言うんなら、僕にも考えがあるからね?」
「………………」
 

 ダメだこりゃ。完全に熟睡中です。

 海馬くんは一人だと凄く眠りが浅いって言ってたけど、こうして僕と一緒に寝ると眠りが浅いどころか物凄く寝起きが悪い。これって信頼されてるからかな?なんて嬉しく思ったりするんだけど、時と場合によっては凄く困る。例えばそう、今みたいに本当に急がなくちゃならない時には。

 僕は少しだけ考えて、やっぱりここは「実力行使」しかないなと思った。

 まず背中を向けているその身体をちょっと力を込めてひっぱって、向きをベッドの向こうから僕のいるこちら側へと向けてしまって……あーあ、なんかもう幸せそうな顔で眠ってて可愛いなあ。乱れた髪でよく見えないけど、ほんのりと薄く染まった頬がなんか凄くエッチだよ。

 僕が夢中になってついつけてしまった赤い痕が転々と身体の色んなところに残ってて、しまった、なんて思いながら触るとちょっとだけ反応する。……後ですっごく怒られるんだけど、夢中になってると分からないんだよね、こういうの。

 高校三年生になってから、やっと背が伸び始めた僕は、漸く抱き合いながらキスが出来るまでに成長した。始めの頃はちょっと身長が足りなくて、海馬くんを抱えてると唇が届かない、なんて事があったけど今ではそんな不自由はしていない。

 並んで歩いても「兄弟?」とか言われなくなってきた。僕としては普通にキスをする時に、ちょっとだけ身を屈めてくれる海馬くんの姿が拝めなくなっちゃったから、少しだけ寂しいんだけどね。でも、お互いに無理をしないでなんでも出来るって、こんなにいい事だとは思わなかった。ほら、こうしてちゃんと向かい合って、海馬くんを抱きしめる事もできるんだもん。
 

 ねぇ、海馬くん、早く起きて。

 起きないなら、無理矢理キスしちゃうけど。
 

 そう心の中でいいながら、僕はそのまま海馬くんの唇にキスをした。穏やかな呼吸を奪うように、深く、強く、舌まで使って柔らかな彼の口内を擽って、蹂躙する。途端に海馬くんの眉が寄って、「んんっ」と苦しげな声が上がるけど、起きない海馬くんが悪いんだから、気にしないで好きなようにさせて貰う。

 もうちょっと。……君が目覚めて、僕の顔を押さえつけるまで。

 調子に乗って掌で色んな所を触ったりもしたけれど、起きない君が悪いんだからね。
「遊戯!貴様〜!朝から何をしているっ!」
「何をって、起きない海馬くんが悪いんじゃん。早く起きてって言ってるのに起きないから」
「だっ……だからって!最後までするか普通?!」
「海馬くん粘り強いなぁって思ってたんだけど……起きてたの?」
「……貴様絶対気付いていただろう。最低だなこのエロモミジ!」
「もーそんな事より早くシャワー浴びてスーツ着なよ。車で行くんなら渋滞を考えないと」
「な、何が『そんな事より』だ!腰が立たんわ!」
「あ、じゃあ手伝ってあげようか?」
「余計な世話だ!」
「どっちなんだよもう。いいから早くしてね。僕、邪魔にならないように隣の部屋に行ってるから」
「こんの馬鹿がぁ!」
「はいはい」

 あーもー煩いなぁ。だから早く起きてって言ったのに。ほらもう、急がないと入学式始まっちゃうよ。

 未だ背後でぶつぶつと何か文句を言っている海馬くんにちょっとだけ肩を竦めながら、僕は口元に笑みを浮かべて寝室を後にした。何時の間にか置かれているコーヒーセットを手にとって、ミルクと砂糖を入れていたら、トントンと小さなノックが聞こえて、モクバくんがひょっこりと顔を出した。

 モクバくんは勿論僕達のことを知っていて最初は凄く呆れていたけど、特に文句をいう事もなく前と同じ様に僕と良く遊んでくれる。……そういえば一年前に彼に宣言した通りになっちゃったんだよね、僕達。海馬くんは必死に誤解を解いたっていってたけど、誤解じゃなくって本当の事になってしまって、海馬くんの努力は全くの水の泡になってしまった。なんか凄く気の毒だけど、笑ってしまいたくなる。
 

 何もかもが思い通りに行った事に、嬉しさが込みあげる。
 

「おはようモクバくん」
「よぉ遊戯、おはよう。兄サマは?」
「まだ支度中。もうちょっとかかるかも」
「まだかよーもう車が外で待ってるぜ?式は11時からなんだろ?早くしないと辿り着けないかも」
「僕もそう言ったんだけどね」
「しょうがないなぁ。でもお前ももう大学生かぁ。なーんか変な感じ。兄サマもだけどね。まさか大学に行くと思わなかったし」
「あはは。そうだね」
「全部お前の仕業なんだろ?あんまり兄サマを振り回さないでくれよ」
「うん、分かってる」
「ほんとかぁ?」
「本当だよ。大事にするよ、海馬くんを」
 

 げ、何真面目な顔で言ってんだよ!なんて、モクバくんに再び呆れられてしまったけど。

 僕は本当にそう思ったんだ。
 

 夢じゃなく、現実に手に入れた、海馬くんとその恋を……大切にしたいって。
 

 

「おい遊戯、貴様何を優雅にコーヒーなぞ飲んでいる。行くぞ」
「あ、支度終わったんだ。流石に早いね」
「フン、着慣れない貴様と一緒にするな」
「それよりも大丈夫?歩ける?」
「……やかましいわ!オレに触るな!」
「も〜いいじゃん手を繋ぐ位」
 

 何時の間にか寝室から出て、何時もの通り僕を上から見下ろしてきた海馬くんの、ちょっと怖い顰め面を眺めながら、僕は改めてこの大きな幸せを噛み締めていた。

 今日からまた、君とこうして一緒にいられる。4年という期間限定だけれど、同じ空間で生活できる。……君が大学に来れるのは、多分指で数えられる位だろうけどね。

 それでもいいんだ。気分が大事。
 

「じゃ、行こうか。あ、さっき母さんからメールがあって、海馬くんのお母さんの変わりもやってくれるって言ってたよ」
「……なんだそれは」
「そういう気分、って事じゃないかなぁ」
「意味がわからん」
「まあいいじゃない。さ、早く」
 

 僕が手を差し伸べる。君が僕の手を握る。

 歩き出す、二人で。……歩きたいんだ。二人で、一緒に。
 

 ── どこまで続くか分からないこの恋を、いつまでも……君と。


-- End --