Act4 放課後デート(Side.遊戯)

「あ、そうだ。今日は一緒に帰ろう?僕、送って行くから」
「は?」
「だから、デートしようよ。放課後デート」
「なんだそれは。何故オレが貴様とそんな事をしなければならない」
「恋人ならデートは基本でしょ。海馬くん、デートした事無いの?」
「あるわけないだろう」
「じゃ、初めてだね」
「初めてだろうが何だろうがそんな事はしない」
「いいからいいから。何か特別な事をするんじゃなくて、一緒に帰るだけだから」
「……貴様の家とオレの家は正反対の位置にあったと思うが」
「それでもいいの。ね?」
「……ね?……って……」
 

 水曜日の昼休み。今週一週間はずっと一緒にお昼ご飯を食べようねって約束して渋々頷いてくれた海馬くんと、昨日と同じ管理棟の屋上でお弁当開き(と言っても『お弁当』って言えるものを持って来てるのは僕だけなんだけど)をしていた僕は、不意に思い立ってそんなお願いを口にしてみた。

 それまでの会話と全く繋がりがなかった事や、海馬くんにとっては全然聞き慣れないっぽい『デート』って言う言葉の響きに、海馬くんは最初きょとんと僕を見て、直ぐにちょっとだけ顔を顰めた。『デート』の意味が分かったのかな。

 勿論普通は女の子とするものだけど、別に女の子とだけしかしちゃいけないなんて事はないし、大体僕達は仮にも恋人同士なんだからデートは一回したいなぁって思ってたんだ。

 それを素直に口に出したら、やっぱり直ぐに否定の言葉が返ってきたけれど、この三日間で海馬くんが凄く押しに弱いって事が分かったから、僕は海馬くんの言葉を上手く遮りながら『攻めて』いった。するとやっぱり根負けしてしまったのか、海馬くんは顰めっ面のままだったけど、携帯を取り出して、内容は分からないけどメールを打ってくれた。

「帰るだけだからな」
「うん、勿論。……それとも、寄り道したい?」
「するか!」
「冒険心がないなぁ、海馬くんは」
「余計な世話だ!」

 ぐしゃりと手にしたコーヒーの缶を握りつぶして、海馬くんはフンっとそっぽを向いた。もう、すぐ機嫌悪くするんだから。海馬くんが怒りっぽいのって、お昼ご飯を食べないからじゃないの?昨日のアレを警戒してるのかどうかわかんないけど、今日はサンドイッチすら食べないで、コーヒーだけ一気に飲んで終わってた。

 僕なんて動かないでただ座って授業を受けているだけで凄くお腹がすくのに。今はともかく普段あれだけ動いている海馬くんがお腹がすかないなんてありえないよね。

 いつものバトルスーツだと特殊な肩パットが入っているからそうでもないけど、僕等と同じ制服を着てるとやっぱり凄く細いなぁって思う。背が高いから余計に細長く見えるんだよね。学ランでさえ細く見えるんだから脱いじゃったらどうなるんだろうとか、そんな事まで考えちゃって、僕は勝手に慌ててしまう。

 そんな僕を海馬くんは「変な奴」って言いながら眺めていた。
 

 変な奴でごめんね。だって、しょうがないじゃん。

 昨日ここで、君に……キス、しちゃったんだもん。
 

 あの時は本当にする気があってしたんじゃなくって、ただ純粋に君の唇についたミルクを自分の指についたそれのように舐めちゃっただけなんだけど、気がついたらそれはただの親切心からキスになってて、してしまってから「あ、しまった」と思ったんだ。

 だって余りにも海馬くんがびっくりした顔をしていたから、してはいけない事をしてしまったんだって気づいたんだ。でもそうだよね。普通幾ら何かついてたとしても人の唇は舐めないよね。家族のだって舐めないよ。

 なのに海馬くんの唇は舐めてしまった。……やっぱり、する気でしたんだって思われてもしょうがない。自覚はなかったけれど、きっとそうだったんだと思う。したい、って気持ちになったんだ。

 そんな曖昧な考えのままにしてしまったキスだったけど、海馬くんは怒って怒鳴りつけてくる事も、ましてや「帰る!」って言って僕の傍から離れていく事もなくて、結局僕を許してくれた。海馬くんにとっては、昨日のアレは事故だと思ったみたい。……それもちょっと悲しいけれど。

 うん。でも確かに昨日のアレは事故だったかも。そう思われても仕方がない。
 

 けれど次からは……次こそは、事故じゃないちゃんとキスをしたいんだ、君と。
「おい遊戯!一緒に帰ろうぜ!」
「あ、ごめん城之内くん。今日はちょっと居残りがあるんだ」
「えぇ?なんだよーゲーセンに入った新作ゲーム、やりに行こうと思ったのに。オレ、今週今日しか休みないんだぜ」
「来週付き合うから。皆で先に帰ってて」
「ちぇ、じゃあ先に帰るぜ。お前最近づき合い悪いよなー昼休みも毎日どこ行ってんだよ?」
「うん?普通に外にお弁当食べに行ってるだけだよ」
「そうかぁ?それにしちゃ、見かけねぇけど……まぁ、いっか。じゃ、また明日な!」
「うん、バイバイ」

 遊戯今日居残るってよー!……そんな事を大声で言いながら廊下へと消えていく城之内くんの背中を眺めながら、僕は心の中で小さく「ごめん」と謝った。嘘吐いてごめんね、城之内くん。君達とはいつでも遊ぶ事が出来るけれど、海馬くんとは今週しか一緒にいる事が出来ないんだ。だから。

 そう思いながら、僕は今は人気のない教室の後ろの隅の席を眺めやる。出入り口に一番近いその場所は、遅刻早退が多い海馬くんの席って、最初から決まってた。今はきちんと帰り支度が済んでいる鞄がぽつんと置かれているだけで、海馬くんの姿が無い。さっき先生に呼ばれていたから、職員室にでも行ってるのかも知れない。

 出席日数は学年最下位で、本当は進級なんて到底出来ない時間数だけど、つい先日張り出された二年生の学年末のテストでは全教科満点のダントツの一位だった。毎回廊下に名前が張り出される度に一番右側に大きく書かれる『海馬瀬人』の名前に、文句を言う男子や黄色い声をあげる女子が多いけれど 僕はその名前を見ると、なんとなく嬉しくなった。

 普段は全然存在を感じさせない海馬くんが、同じ学校の生徒だって事を実感できるから。

 本当は今週だけじゃなくて、毎日ずっと学校でも一緒にいたい。でも、それは無理な事だって分かってる。だからせめて今週はなるべく長い時間、海馬くんの近くにいたいんだ。

 少しずつ傾いていくオレンジ色の夕日を眺めながらそんな事を考えているとガラリと扉が開く音がして、海馬くんが帰ってきた。手には大きな封筒を複数抱えていて邪魔そうなそれを鞄の中にしまいつつ、青い瞳が僕を見る。

「貴様何故そんな所に立っている」
「夕日が綺麗だなーと思って」
「別に立っている必要はないだろうが。何分経ったと思っている」
「20分も掛かってないよ。それよりも、早く帰ろうよ」
「ああ」

 僕の声に反ってきた海馬くんの返事を合図にして、僕は机の上に放りっぱなしだった鞄を手に、同じように鞄を持った海馬くんと一緒に教室を出る。普段の下校時刻から大分経ってしまった校内はあちこちから聞こえるクラブ活動の声以外何も聞こえる事は無く、しんと静まり返っていた。

 人気のない廊下に歩調が違う二つの足音が大きく響いて消えていく。

「ね、先生と何を話していたの?」
「別に。貴様等が親と同伴で聞く話と同じものだ」
「ああ、三者面談!そういえば春休みにあったっけ」
「オレは教師と一対一だったがな」
「じゃあ、進路の事とか相談したんだ。……でも海馬くんに進路って、なんか変な感じ。先生も困ってたでしょ」
「進路も何も現社長だしな。当然だ」
「やっぱり、大学は行かないんだ?」
「……さぁ、どうだろうな。決めていない」
「僕は、地元の大学に行こうと思ってるんだけど。ほら、隣町の……」
「貴様のその頭でか」
「酷いなぁ。これから頑張って受験勉強すればなんとかなるかもしれないじゃん」
「ならばまず、下から数えた方が早い順位をなんとかするんだな」

 そう言って、海馬くんは僕を見ながら鼻で笑った。

 ……確かに海馬くんと違って僕の順位は下から数えた方が早いけどさ……僕だってやる時はやるんだよ。そんな意地悪を言うのなら、海馬くんが勉強を教えてくれればいいんだよ。そう言ったら、直ぐに「馬鹿に費やす時間などない」なんて言われちゃった。酷すぎる。

 そんな他愛のない話をしながら僕達は学校を出て僕がいつも通る道を歩いて、それぞれの家へ行く道との分岐点に立った。そこは大きな交差点で、目の前の歩道橋を渡って行く道が僕の家の、渡らないで右に曲がって真っ直ぐ行く道が海馬くんの家へ向かう道だった。

 僕は勿論迷わないで右に行こうとしたんだけど、海馬くんに腕を取られて引き止められる。どうして?って聞いたら、こっちじゃないって言うんだ。あれ、じゃあ今日は家じゃなくてKCの方に真っ直ぐ行くのかな?そんな事を頭の中だけじゃなくて声にも出して呟いたら、海馬くんはちょっとだけ眉を潜めて低い声で口を開いた。

「貴様の家でいい」
「なんで?海馬くん遠回りになっちゃうじゃない」
「余計な心配は無用だ。車をそちらに呼んだからな」
「えぇ?」
「分かったならさっさと行くぞ」
「ちょっと、海馬くん!」

 海馬くんはそう言うと、その言葉の通り僕の腕を掴んだまま本当にさっさと歩き出した。長い足が少し傾斜のきつい歩道橋の階段を難なく上へ上へと昇っていく。僕はと言えば海馬くんの動きについて行くのが精一杯で、毎日歩き慣れている筈なのに凄く大変な思いをして歩道橋を渡りきった。そして休む暇も無く海馬くんは先に行く。僕はもう半分息が切れていた。……海馬くん、早すぎだよ。

 でも、手を繋いで……正確には君が一方的に、しかも腕を掴んでいるだけだけど……歩けるのは嬉しいなぁ、と思ったりして。本来のデートとは全然かけ離れた、甘い雰囲気なんて欠片もないけれど、それでも僕にとっては普通のデートとおんなじ位幸せな時間だなぁ、と思ったんだ。

 歩道橋から僕の家までは歩いて30分。普段はバスを使ったりするけれど、今日はこのまま歩いて帰ろうと思った。海馬くんは僕の通学方法なんか知らないから、随分長く歩くんだな、位しか思ってないだろうし。

 その証拠に大分歩いたけれど、全然文句を言わなかった。多分海馬くんはいつも車移動だから、童実野町の交通機関がどうなってるかなんて分からないかもしれない。

 ちょっとだけラッキーだった。
 

 
 

 それでも、30分なんてあっという間で、後二つ角を曲がれば亀のゲーム屋が見えてしまう場所に来てしまった。そこは住宅街にあるちょっとした児童公園で、もう暗くなってきたから子供の姿は見当たらない。そう気づいた瞬間僕は思わず先を行く海馬くんの足を止めようと思い切り足を踏み留めて、「ちょっと待ってよ」と声を上げた。すぐに真っ直ぐに前を見ていた海馬くんの顔が振り返る。

「なんだ」
「もうすぐそこ、僕の家なんだけど」
「知っている。だから早く」
「なんか全然デートって感じじゃなかったね」
「当たり前だ。オレはデートとやらをしているつもりはない」
「でも、手を繋いでるよ?」
「手ではないだろう。腕だ。貴様の歩みが遅いから仕方なく……!」
「もー口が減らないなぁ、海馬くんは。じゃあ最後だけでも、デートらしく締めようよ」
「だからデートなぞしていない」
「いいからいいから、ここまで送ってくれたお礼に飲み物買ってあげる。何がいい?」

 やっぱり返って来る反論を、僕はお得意の言葉の畳みかけで遮って、海馬くんが苦虫を噛み潰したような顔で「コーヒーでいい」って言うのを背中で聞きながら、そばの自動販売機に走っていった。ポケットから小銭を取り出して、ホットのブラックコーヒーを一つと、コーラを一つ買って両手に持った。

 その間も海馬くんは「貴様になぞ奢って貰う理由はない」とかなんとかぶつぶつ言っていたけれど、いいからそこのベンチに座ってて!って言ったら、素直に公園の隅に設置してあるベンチへと座ってくれた。そして直ぐに携帯を取り出して、素早くどこかにメールを打ち始める。

 ほんの少しだけ寄せられた眉にきっとこの寄り道で予定が狂ってしまったのかな、なんて考えた。海馬くんのスケジュールは分単位どころか秒単位だって、モクバくんが言ってたから。

 それでも、こうして僕に付き合ってくれた。それだけで、凄く凄く嬉しかった。

「………………」

 それから暫く。携帯を見つめる真剣なその横顔を見ていたら、僕は今感じた嬉しさからかなんだか無性に海馬くんに触りたくなって。……ううん。正確に言えば、昨日と同じく……キスがしたくなって。足音を立てないように静かにベンチへと歩いて行く。海馬くんは相変わらず携帯を弄っていて僕には気づかない。
 

 チャンスだ、と……そう思った。
 

 そっと。本当にそうっと、その体に近づいて。

 俯き加減の真っ白なその頬に、と思ったけれどやっぱりそれじゃ物足りなくて。僕は無理矢理海馬くんの携帯を手で押さえつけると、同時に固く引き結んでいた唇に、素早く……けれど優しくキスをした。
 

「……!!……ゆっ……!」
 

 今度はやる気でやったキスだから、驚いて慌てて背けようとした海馬くんの顔を直ぐに両手で捕まえて、ちゅっ、て湿った音が聞こえる程熱心に吸いついた。海馬くんの持っていた携帯が落ちるカシャンという軽い音と、僕が持っていた二つの缶が落ちる鈍い音が同時に響いたけれど、僕は無視してキスを続けた。

 ちょっとだけ開いた海馬くんの唇の隙間から、既にそれを舐めていた舌を少しだけ入れて、暖かな口の中の感触を一瞬だけ味わった。僕がもっと中に入ろうとする前に、海馬くんの手が僕の額を押えてしまってそれ以上近づく事が出来なかったから、本当に一瞬だった。

 ぐい、と額を支点に海馬くんの腕のリーチの分後ろに強く押されてしまって、僕は仕方なくキスを諦める。けれど諦めなかった僕の舌は、つ、と透明な糸を引いて未だ海馬くんの唇と繋がってた。……なんかすっごく……イヤラシイ。
 

「きッ……貴様!!突然何をするっ!馬鹿者ッ!」
 

 そんな僕に反して、渾身の力で僕のキスを退けた海馬くんは、頬をほんの少しだけ赤く染めて、物凄い怖い顔で睨んでくる。……濡れてる唇でそんな事言われても、あんまり迫力ないんだけど……と思ってたら、酷い事に海馬くん、制服の袖でごしごしとそれを拭ってしまった。そんなに一生懸命擦る事ないじゃん。真っ赤になってるよ?

「そんなに擦ったら皮剥けちゃうよ」
「煩い!誰の所為で!」
「だって急にしたくなったんだもん。昨日のとは違って、今度はやる気でやったキスだよ」
「ふざけるなッ!」
「ふざけてないよ。僕達は恋人でしょ。そして今はデート中。キスくらいするの、当たり前だと思うんだけど」
「どういう理屈だ!大体オレは貴様とそんな事をした覚えはない!」
「海馬くんにそのつもりがなくても、僕はそのつもりだったもん。だから今日は謝らないよ」
「……なっ!」
「あ、携帯落しちゃったね。コーヒーも……これはごめん」

 相変わらず凄い顔で何か言おうとしていえない海馬くんを無視する形で、僕はさっきの衝撃で落してしまった飲み物二つと、海馬くんの携帯を拾いあげた。幸いそんなに高い場所から落ちたわけじゃなかったから傷も全然つかなかったみたい。よかった。

「はい、これ。これ飲んだら帰ろうね。もう何もしないから、隣に座ってもいい?」
「貴様と言う奴はっ!」
「今日は凄く楽しかったよ。明日も一緒に帰れるといいな」
「調子に乗るな!貴様の思い通りになどなるものか!」
「あはは、海馬くんは難しいからなぁ」

 でも、君はもうすっかり僕のペースに嵌ってる。なんだかんだと文句は言うけれど、結局全部僕の思い通りなんだよ。
 

 そこんとこ、気づいてる?
 

「じゃ、もうちょっとだけ、手を繋いで帰ろう」
「嫌だ。貴様の首根っこなら掴んでやってもいい」
「うーん……それでもいいから」
「馬鹿か」
「海馬くんの車、もう迎えに来てるかな」
「とっくにな」

 貴様がここに座れという5分前からな。

 そう言いながら、海馬くんはちょっとだけ笑ってくれた。その顔には、さっきのキスの衝撃は微塵もなくて、海馬くんも言葉で言う程嫌じゃなかったのかな、なんていい方に考えてしまう。
 

「今日はありがとう、海馬くん」
「……別に」
「大好きだよ」
「煩いな」
 

 夕日が沈んですっかり暗くなった公園の隅っこで、僕はこっそり海馬くんの手を握り締めた。さっきは嫌だって言ってたのに、海馬くんは黙ってその手を握り返してくれた。
 

 細く冷たいその指先は……それでも僕には、凄く暖かく感じたんだ。