Act5 何も知らない(Side.海馬)

 ボールが緩い弧を描き、リングに掠りもせずに入っていく。

 瞬間上がる驚きの歓声とごく一部のブーイングに、オレはちらりと一部の声が聞こえる方に顔を傾け、口の端を吊り上げた。案の定「ふざけんじゃねぇ!」という叫び声が返って来たが、敢えて無視してその男……城之内がいる反対側へと歩いていく。

 一年に一度も受けるか受けないかの体育の授業。今週はたまたま全授業を受ける時間が出来た為、仕方なく昼一番のこの授業へも顔を出した。

 過去数回腕を通しただけのジャージはこの数年の成長で最大サイズを購入したにも関わらず手足共に少し丈が短くなっていた。しかし腰の両側に拳を二つ入れてもまだ余るウエストに、身長が高いと胴回りもそれなりにあるという前提なのかと、これを始めて着用した時に呆れた覚えがある。

 幸いな事に紐で縛るタイプだった為、特に困る事もなかったが、やはり着慣れない所為か落ち着かない。事実先程からオレに対して執拗に絡んでくる城之内から「似合わねぇ」と繰り返されたが、こんなものは似合わなくて結構だ。

 今日の授業はバスケットで、年度の初め故に軽いウォーミングアップからシュートなどの基礎練習を経て、最後に試合形式を取って締めるらしい。今現在はスリーポイントシュートの練習だ。スポーツには余り興味がないのでルールや何やらは殆ど分からないが、身体能力自体はさほど低い方ではないので、それなりにはこなせてしまう。

 その「それなり」が周囲にとっては「凄くできる」レベルらしく、こうして何かする度に色々な声を浴びせられてしまうのだが、それももう慣れてしまった。……こんなものに時間を費やす事の必要性は未だ感じられなかったが。

「うわっ!まずったっ!!」
「ばっかでー城之内。お前へったくそだなー」
「うるせぇ!!」

 不意に全く注視していなかったバスケットコートの方から奇声が上がる。視線だけでそちらを見遣ると、どうやら城之内の順番だったらしく、盛大に外したのかボールはリング上で大きく弾んでゴールの裏へと飛んで行った。それにこの世の終わりとも思える叫び声を上げながら頭を抱え込むその姿に、たかがシュートを一本外した位で大騒ぎか、と呆れた溜息が零れ落ちる。

 全く幸せな奴等だ。そう思いながら顔を背けようとしたその時、件の城之内がそのままずかずかとこちらにやって来て、何故かオレの前に立ちはだかる。何だと言う間もなく肩を掴まれ、奴は少し低めの声で口を開いた。

「お前むっかつくなぁ。今笑っただろ。さっきも嫌味な笑い浮かべやがって」
「知らないな。大体貴様の事など見ているわけがないだろう。自意識過剰も大概にして欲しいものだな。邪魔だ、離れろ」
「お前に話聞いたら離れてやるよ」
「何の話だ。貴様と話す事など何もない」

 直ぐ近くのコートではまだ暫くシュート練習が続いていて、一人か二人減ったところで気づく様子もない。オレがゆっくりと視線を少しずれた場所から城之内の瞳に移す瞬間、背後で遊戯の残念そうな声が聞こえた。

 ボールが大きく弾む音に、大方外してしまったのだろうと思わず振り向こうとしたその時、何故か強く城之内に留めらた。肩を掴まれた指先に力が篭るのが分かる。……一体何なんだ。
 

「何だ」
「お前さ。……遊戯に何したんだよ」
「は?」
「だから、遊戯に何しやがったんだって聞いてんだ」
「何を言っている」
「とぼけんじゃねぇよ。昨日、遊戯の腕掴んで歩いてただろ」
「昨日?……」
「オレ、昨日の帰りにお前等をみかけたんだよ。あいつ居残りなんてオレ等に嘘吐いてさ。お前と一緒にいたんじゃねぇか。大方、お前があいつを引き止めたんだろ」
「………………」
 

 こいつは一体何を言っているんだ。
 

 それがこの言葉を聞いたオレの第一印象だった。何故この男からそんな言葉を聞かなければならないとか、それと貴様とどういう関係があるんだとか、言いたい事は色々あったが、それよりもまず一番声を大にして反論したかったのは、主語が違うという事だ。
 

 『オレが遊戯に』ではなく『遊戯がオレに』だ。全然違う。
 

「何とか言えよ。てめぇ、また変な事を考えてんじゃねぇだろうな。『あいつ』が消えちまって、遊戯が一人になった所を狙って何企んでんだ」
「……思い込みもそこまで来ると犯罪だな。貴様こそその内何かよからぬ事でも起こすのではないか?証拠もなしに人を疑って掛るのもいい加減にしろ。鬱陶しい」
「!!お前のこれまでの素行を考えりゃ、当然の事だろ!遊戯はオレのダチだ。ダチに手を出しやがったらただじゃおかねぇからな!」
「誰が好き好んであんな男に手を出すと言うのだ。少し考えろ」
「このっ…………!」
「それに」
「それに、なんだよ!」
「先に手を出したのはオレではない。遊戯の方だ」
「はぁ?……お前、何言ってんの?」

 極力淡々と、オレは目の前で大騒ぎする城之内の言葉に答え、口を噤んだ。もう事実は伝えた。これ以上いう事は何も無い。
 

「海馬、お前……」
 

 オレの吐き出した言葉の意味がうまく飲み込めなかったのだろう。城之内は暫し呆けた顔でオレを見遣り、眉を寄せて今自分がしっかりとその耳で聞いた台詞を幾度も反駁しているようだった。……まあ、当然だろうな。当事者であるオレが一番驚いているのだから。

 数秒後、漸く言葉の意味が掴めたらしい奴が、何か言い募ろうと口を開きかけたその時だった。何時の間にかすっかり存在を忘れていた体育教師の怒鳴り声が、集団から少し離れた場所で話をしていたオレ達に向かって投げつけられる。

「おい!!城之内!海馬!お前ら授業中に離れて立ち話をしてるんじゃない!チームに分かれて試合をする!とっととそこに並べ!!」

 その声にびくりと肩を跳ね上げた城之内は、やる気の無い声で「はーいはい」と答えると、オレの肩を掴んでいた手を離しがてら一歩先へ行く。その瞬間奴は鋭くオレを睨んで、まるで吐き捨てるようにこう言った。

「なんかよく分かんねぇけど、とにかく遊戯に近づくな。てめぇになんかどうにもなりっこねぇよ。あいつの事なんか何も知らねぇ癖に!」

 そのままわかったかとばかりに強くオレの肩を小突き、城之内は走る事もせずに、コート中央に集まっている集団の中へと入って行く。その背中を追うようにオレも特に急ぎはしないで、列の一番後ろに適当に身を置いた。

 するとその少し前、たった今城之内が無理矢理割り込んでいった場所のすぐ後ろにいた遊戯が、くるりとこちらを振り返り、何やら言いたげな表情でオレを見た。城之内の剣幕から楽しい会話ではない事に感づいたのだろう。

 けれどオレはその視線を顔を背ける事で黙殺し、特に表情も変えなかった。誰に何を言われた所で特にどうとも思わない。ましてや、相手が城之内なら尚更だ。

 隣のスペースで他のクラスがバレーボールを始めていた。響くホイッスルの音に紛れて、何事かを口にしている体育教師の声がよく聞こえない。
 

── あいつの事なんか何も知らねぇ癖に!
 

 未だ視線を外さない遊戯の気配を感じながら、ふと、たった今城之内に投げつけられた言葉が胸に甦る。

 何も知らない癖に、だと?知る必要がどこにある?奴には一週間恋人の真似事をしろと頼み込まれ、鮮やかな手練で強引に結ばされた約束の履行の為、ただ共に行動をしてやってるだけだ。そこに他人から文句を言われる筋合いはオレにはない。言うのなら遊戯にだろう。仮にその言い分が正統だったとしても、本気でもない相手の何を知ろうと言うのだ。馬鹿馬鹿しい。

 友達ごっこをしている相手がオレに目を向けるのが面白くないというのか。それこそ下らない話だ。大体それを確認するならまず遊戯にだろう。だが、大方心象を悪くするのが嫌で遊戯に聞く事が出来ず、どう思われてもいいオレに食って掛かってきたのだろう。最初からオレが手を出したという大前提を引きさげて。

 『友達』にそんな事すら聞けない意気地なしの癖に、よくもまぁ牽制などという真似が出来るものだ。やはり凡骨は凡骨だ。阿呆め。
 

 けれど奴の言葉には、ほんの少しだけ……胸の奥に違和感を感じた。
 

 確かにオレは遊戯の事は何も知らない。これまでは知ろうとも思わなかった。だが、こうして数日間付き合っているうちに、少しずつ色んな事を『知りたい』とは思った。それは遊戯への対処法を学ぶ為に必要不可欠な事なんだとそう思い込んでいたが、今は僅かに意味が違う。
 

『海馬くんの事教えて。僕、もっと君の事が知りたいんだ。君は僕の事に興味なんかないだろうけどさ』
 

 ちょっとした会話の合間に繰り返されるその言葉。言われる度に「興味などない」と撥ね付けて、その素っ気無い台詞に微かに曇るあの顔に不快感を感じた。遊戯にではない。奴にそんな顔をさせたオレ自身に。
 

「海馬くん!バスケのチーム決まったよ!僕と一緒だって!」
 

 不意に急にざわついた周囲の声に混じって、遊戯の声が聞こえて来た。間髪入れず握りこまれた手首に、驚いて撥ね付けようとする前に、その手は強くオレを引いてコートの脇まで連れ出した。どうやら、第一試合ではないらしい。

「海馬くん、バスケすっごい上手いんだね!僕、全然シュートが入らないんだ。やっぱり球技はダメだなぁ。マラソンとかなら、ちょっとは早いんだけどね。短距離はダメだけど」
「貴様は根性だけはありそうだからな」
「もう、すぐそう言う言い方するんだから。あ、後はね、器械体操なんかは得意だよ。意外だって言われるけど……って。海馬くんは僕の事になんか興味ないんだっけね。関係ないか」
「いや」
「え?」
「別に、聞かないとは言っていない。暇だから話を続けろ」
「えっと……得意なスポーツ?」
「何でもいい」
「えぇ?そう言われるとなんか構えちゃうなぁ。じゃあね、この間の身体能力測定の話なんだけど……」

 オレが許可をすると、遊戯は本当にどうでもいい自分話をし始めた。よくもそんなに話す事があるのかと思う位、試合が始まるまでの数十分、本当に色んな事を教えてくれた。大半が興味もない事柄だったが、それでもその話の中から垣間見える、奴の嗜好や考えなどがよく分かって、少しだけ面白いと感じていた。
 

 できれば、もう少し聞いていたかったと思う位に。
 

 ホイッスルの音が鳴り響く。次は漸くオレ達の試合らしい。審判である教師に呼び出され、コート中央に一列に並んだその向かい側に、城之内の姿があった。奴は隣同士に立つオレと遊戯を交互に眺め、オレを非難するように目を細めた。相変わらず誤解したままなのだろう。どうでもいい事だったが。

 試合が始まり、最初のボールの取り合いは、身長の関係からオレと城之内だった。ボールが空に上がり、手の長さの分だけ有利だったオレの指先が先に掠め取る。チッ、という舌打ちの後に何か暴言を吐いていたようだが、直ぐに離れてしまったので、わからなかった。

 オレのボールは遊戯に渡り、小柄な身体を生かしたドリブルで敵の間を駆け抜け、ゴール下にいた名は分からないが別の奴の手によって、オレ達のチームは試合開始数十秒で見事最初の得点を得ることが出来た。たかが2点に大喜びする遊戯の顔を何気なく眺めながらオレは心底呆れると共に、少しだけ口元に笑みを浮かべた。無意識だった。

「海馬くん!!」

 遊戯の声がオレを呼ぶ。強いボールが飛んでくる。それを難なく受け止めたオレは、今度はゴールに向かって駆け出した。途端に遮ろうとする敵のガードより早く3ポイントシュートエリアから、シュートする。先程と同じ、リングにかすりもしないでゴールに吸い込まれたボールに、味方の嬌声と敵の悲鳴が上がった。得点が追加されていく。

「てめ、海馬ァ!調子こいてんじゃねぇぞ!」
「悔しかったらオレからボールを取ってみるんだな」
「あぁ?!この野郎〜覚悟しろよ!そこで待て!」
「試合中に待てといわれて待つ奴がいるか。阿呆が」
「っかー!!むっかつくー!おいお前ら、全力で海馬を狙え!」

 何時しか試合は遊びから真剣なものになっていて、制限時間10分の間に両者汗だくになってプレイしていた。特に一人白熱した城之内は、自分の汗で滑って転ぶ、などという愉快な醜態を晒しながら実に楽しそうに走り回っていた。なんだかんだいいつつ勉強の出来ない馬鹿はスポーツで発散するしかないのだろう。実際体力面ではこの男には敵わない。
 

 結果は2ポイント差でオレ達のチームが勝利を収めた。他の試合とは比べ物にならない程高得点での争いだった。
 

「……すっごい盛り上がったね。城之内くん、超本気だしてたよ」
「何事も熱中できるのはいい事だな」
「珍しい……海馬くんが城之内くんの事褒めてる」
「褒めてはいない。呆れてるだけだ」
「でも楽しかったね。またやりたいな」
「オレは二度とごめんだ」

 髪を乱して、汗だくになって、呼吸が整わない程激しい動きを短時間で繰り返すのは意外と苦しい事を始めて学んだ。色々な意味で今日は少しだけ勉強になった。気づかなかった事も、おぼろげにだが気づくようにもなった。

 それらは全て、コートの反対側で相変わらずオレを睨んで、指をさしながら何事か悪口を言っている奴の所為だと思うと少々腹立たしい。けれど、ほんの少しだけ感謝する気持ちもあった。
 

「バカイバ!!今度は別なもので勝負だ!逃げんなよ!ぜってぇ奴は渡さねぇ!!」
 

 ……貴様はオレと勝負していたつもりだったのか。大声でそんな事を叫んで、全く馬鹿の考えている事は分からない。
 

「ねえ海馬くん……奴って、何の事?」
「さぁ。城之内に聞いてみればいい」
「?……うん、わかったよ」
「それより、話の続きをしろ。今日の帰りでもいい」
「さっきからどうしたの海馬くん?なんか変だよ」
「別に。変なのは貴様の方だろう」
 

 オレの言葉に首を傾げてうーんと唸る遊戯を尻目に、オレはふとまだしつこくこちらを睨む城之内に向けてほくそ笑んでやった。別に奴と勝負する気はないが、売られた喧嘩は時と場合によっては買うものだ。こうなったら、オレも奴に負けないくらい、遊戯の事を知ってやろうと思ったのだ。

 今度は奴に何を言われても完璧に言い返し、ぐうの音が出ないほど叩き潰してやる。そう思いながら。
 

「海馬くん」
「なんだ」
「もう聞き飽きちゃったかもしれないけど……」
「好きだ、はもういい」
「えー?」
「わかったから。それ以外の言葉なら聞いてやる」
 

 そんな事はどうでもいいから、早く貴様についての情報をオレに寄越せ。
 その上で、その聞き飽きた言葉に対するオレの気持ちを考えてやるから。