『仕事が入った。登校出来ても午後からになる』
登校して直ぐ、朝一番に入って来たメールに僕はとてもがっかりして、はぁ、と大きな溜息を吐いた。4月の第二金曜日。今日と明日で、恋人のお試し期間が終わってしまう。凄く貴重な二日間なのに、こんな事になるなんて。勿論海馬くんが悪いわけじゃないけれど、なんだかとても落ち込んだ。
くるりと後ろを振り返って、教室の右隅の席を見る。そろそろ授業が始まるのにやっぱりそこは空席で、今まではそれが当たり前の光景だったのに、僕には大きな違和感を感じた。
回りには勿論クラスメイトが沢山いて皆それぞれ賑やかに喋ってるから教室中は煩い位で、こんな事を思うのは変かもしれないけど、寂しいなぁって思ったんだ。
君がいないだけで、いつもの光景がこんなにも違って見える。
やっぱり、僕は君が凄く好きだよ、海馬くん。
「……なんかさーこうやって遊戯と昼メシ食うの久しぶりじゃね?」
「そう?」
「ああ。だって今週に入ってから初めてだぜ。っつー事は3月の末以来だって事じゃん」
「そう言われてみればそうだね」
「一昨日も言ったけど、お前昼にずっと何処行ってたんだよ?」
「え?外にって言ったでしょ」
「今日はなんで行かねぇんだ?」
「だって、雨降ってるし」
海馬くんのいないお昼休み。
いつもならチャイムが鳴ると同時に直ぐ海馬くんの席に飛んで行って、海馬くんが何かを言う前に腕をぐいぐい引っ張って例の屋上に連れて行ってしまうから、僕等の姿はすぐに教室から消えてしまうんだけど、今日はその海馬くんが居ないから僕は自分の席で余り気乗りのしない昼食を一人で食べていた。
それにこれは僕もびっくりしたんだけど、ずっと晴れていたはずの天気は、今日に限って4時限目の終わり頃から雨がぽつりぽつりと降って来て、今じゃ音を立てて降り続いている。きっと海馬くんが来ないから空も拗ねちゃったんじゃないかな、なんて思って、僕はさすがに自分に呆れた。何でもかんでも海馬くんに結びつけるのはおかしいよね。
そこに購買部で熾烈なパン争いを勝ち抜いて来た城之内くんがやって来て、久しぶりだな、なんて言って僕の前の席に陣取って、向かい合って一緒に食べる事になった。言われてみれば、今週はずっとお昼は……お昼だけじゃなくって殆どだったけど……海馬くんと一緒だったから、こうして城之内くんと話す機会もあんまりなかったっけ。
そういえば昨日の体育の時間、城之内くん、海馬くんになんか言ってたみたいだけど……一体あの二人で何を話してたんだろう?
「………………」
そんな事を考えながら箸を動かしていると、何時の間にか城之内くんが一人で喋るのをやめて、僕の顔をじっと見ていた。城之内くんがこういう顔をする時って大抵僕に何か聞きたい時だって事は分かってるから、僕もその視線に応える様に城之内くんの顔を見返して、彼の方から何か言い出すのを待っていた。
ほんのちょっとの間の後、僕が進まない会話に諦めて紙パックのコーヒーを手に取ったその時、城之内くんは漸く食べきったパンの袋を手で丸めながら、口を開いた。
「あの、さ。ちょっと聞きたかったんだけど」
「うん」
「昨日、もしかしたらお前も見てたかもしんないけど……」
「何?」
「お前、海馬となんかあった?」
「海馬くんと?どうして?」
「いや……その。オレ、一昨日お前等の事見かけてさ。ほら、お前がオレに居残りって言って残った日。あん時にお前、海馬に腕引っつかまれて何処かに連れて行かれるみたいだったから」
「ああ。水曜日かぁ」
「だから、昨日海馬にその事を聞いてみたんだ」
「ふーん。で、海馬くんは何て言ってた?」
「海馬は……なんか、良く分かんねぇけど。思いっきり否定した後で、お前が先に手を出したとかなんとか……」
「うん」
「で、でもよ。オレはやっぱそんな事考えられねぇし。もしかしたらお前が海馬に脅されてんじゃねぇかってすげぇ心配してんだ。だから、こんな事聞くの本当は嫌なんだけど……実際の所どうなんだよ。もし、その事で悩んでたりしてんなら……」
ああ、だから城之内くん、昨日怖い顔で海馬くんに詰め寄ってたのか。
いつも歯切れのいい城之内くんにしては、本当にもどかしい位途切れ途切れに話すその声を聞きながら、僕は何だかおかしくなって、城之内くんには悪いけど噴出しそうになっちゃった。
それは凄い誤解だよ城之内くん。海馬くんの言ってる事が正真正銘の事実だよ。だって、本当に先に手を出したのは紛れもないこの僕なんだから。
でも城之内くんから見れば逆に見えちゃうのもしょうがないかも知れない。過去海馬くんが僕等にした事を考えればそう思えちゃうのも当然だよね。だから、城之内くんが悪い訳でもなんでもないんだ。けれど、誤解は誤解だからちゃんと解いてあげないと、海馬くんに迷惑がかかっちゃう。
……うーんでも海馬くんにしたら、誤解をされて城之内くんから目の敵にされるのと、僕との関係を暴露されるのと、どっちが迷惑かな……。
そんな事をつい黙ったまま真剣に考えていたら、焦れた城之内くんが曇り顔をますます曇らせて、詰め寄って来た。
「なぁ、遊戯。教えてくれよ。言えない様な事になっちゃってんのか?」
城之内くんはどうしても『海馬くんが僕に』なんかしたって思いたいんだね。……ここはやっぱり海馬くんの名誉挽回の為にも、本当の事を言うしかないかな?僕は全然構わないんだけどね。むしろ言いたい位で。
そう密かに心に決めた僕は、本当に不安そうな顔をして僕を見る城之内くんに向かって、にっこりと笑って見せた。
……ごめんね、海馬くん。
今度は別の意味で見られちゃうかも知れないけど……許してね。
「違うよ、城之内くん。海馬くんの言っている事の方が本当だよ」
「えっ?」
「城之内くんにだから言うけど……僕、海馬くんの事が好きなんだ」
「えぇ?!」
「でね、僕から頼んで、恋人になって貰ってるんだ。水曜日の日のアレは海馬くんに無理言って、一緒に帰って貰ったの。あの後、ちゃんと海馬くんは僕の家まで送ってくれたんだよ?だから海馬くんが僕にじゃなくて、僕が海馬くんに先に手を出したってのは本当の事。好きだって言って、キスも……」
「うわあああ!ちょっとタンマ!!ストップ!!お前、マジでんな事言って……いやっ!やったのか?!あの海馬と!!」
「うん」
「うん、じゃねぇよ!ちょっ、まっ……ええええ?!」
僕の言葉に凄く驚いてしまった城之内くんは、殆ど叫び声に近い声を上げて席から立ち上がり、頭を抱えて大騒ぎする。僕は慌てて、落ち着いてって言ったんだけど、「落ち着いていられるかッ!」と怒鳴り返されてしまう。まあ、でも今はお昼休みだし、皆それなりに煩いから城之内くんが一人騒いだ所で、誰も振り向いたりはしてないけどね。
城之内くんは暫くぎゃあぎゃあ騒ぎながら「何で」「どうして」を繰り返していたけれど、僕が平然と何度も「でも本当なんだ」と言い続けていたらやっと分かってくれたみたいで、がしがしかき回していた髪の毛はすっかり乱れてしまったけれど、漸く口をへの字に結んで席に腰を下ろしてくれた。そして酷く疲れた顔で僕を見る。
「あー……なんかもうオレ……頭痛ぇ。手を出すって……オレはぜんっぜん違う意味で言ったんだけど……そういう意味なのかよマジで」
「そう。マジだよ」
「マジ言うな。……もーなんでお前が海馬なんかを好きになるんだよ」
「人を好きになるのに理由っているかな」
「普通はな。……なんだよお前、杏子はどうしたんだよ」
「杏子は……もう一人の僕の事が好きだったから。僕はもういいんだ」
「だからって海馬に行く事はねぇだろ。海馬に。あいつの何処がいいんだよ。大体お前よくあいつに躊躇無く触れるな。考えらんねぇ」
「近づいてみると、案外海馬くん、優しいんだよ?意地悪な事も言うけど可愛いし」
「可愛い?!何処が?!信じらんねぇ!」
「……でも、こんな風に付き合えるのも、一週間なんだ」
「へ?」
「だから、一週間限定で恋人になって下さいってお願いしたの。今日と明日で、それもお終い。僕はお試し期間のつもりだったんだけど、海馬くんは本当に期間限定だと思ってるのかもしれない。だから」
「だから、やりたいようにさせてくれてるってワケ。そんな殊勝な心がけの持ち主かね、あいつが」
なんかあるんじゃねぇの?
あくまでも海馬くんを良く見ようとしない城之内くんは、そう言って飲みかけのジュースを一気に煽って鼻で笑った。
海馬くんに何か考えがあっても、そうじゃなくても、この一週間嫌々ながらも付き合ってくれたそれだけで、僕はとても嬉しかった。けれど、やっぱり終わりが近づくに連れて寂しくなって、どんどん我侭になって行く。
一週間だけじゃなくって、これからもずっと、恋人でいて欲しいなぁって、そう思う気持ちを止められない。
「……まぁ、なんだ。そういう事なら……仕方ねぇけどよ」
「うん」
「お勧めはしないね。オレは根本的にあいつが大嫌いなんだ」
「そうだよね。それは知ってる」
「だから本当はお前にもあいつに関わって欲しくない。けど……オレが口出す権利はねぇし、ここは黙って見ててやる。けどよ!」
「けど、何?」
「何かあったらオレに言えよ。ぶん殴ってやっから!」
「あはは、うん。ありがとう。でも、やっぱり『手を出す』のは僕が先だから、海馬くんが僕に何かするってのはありえないよ」
「うわぁ……笑顔でそういう事言うなよもー……遊戯ぃ……」
オレはもうダメだぁ……なんて、本当に悲しそうな声を出しながら、それでも城之内くんは笑ってくれた。それ以上彼は何も言わなかったけど、僕はそれが嬉しかった。
大丈夫だよ城之内くん。一週間で終わる恋だから。
僕は、海馬くんに恋する夢を見ているだけだから。
本心とはまるで裏腹な事を必死に自分に言い聞かせるように何度も何度も心の中で繰り返す。そうでもしないと、すぐそこに迫っている終わりが来るのが悲しくて、寂しさに押しつぶされそうになるから。
今日が終われば、後一日しかない。
その一日で、僕は海馬くんの心を動かす事ができるだろうか?
さり気無く背後を伺っても、後ろの扉が開く気配はなかった。
お願い、海馬くん……早く来て。
そう祈っても、結局その日は海馬くんは学校に来なかった。