Act8 期限延長宣言(Side.遊戯)

 ざあざあと雨が降っている。季節外れの大雨だ。今が桜が咲く時期じゃなくて良かった。こんな雨が降ったら、全部散ってしまうから。僕はごろりとベッドで寝返りを打ちながらそんな事を考えていた。

 大切な日曜日だけど、僕は昨日から……正確に言えば海馬くんの会社から帰ってきてからずっとこんな調子で、何もする気になれずに色んな事を思い出しては溜息ばかりついている。その殆どが後悔から来るものだった。

 海馬くんとの一週間の期間限定恋人生活が終わってしまった。

 しかも終わり方は最悪だった。ずっと言いたくて言えなかった事を叩きつけてしまった挙句、海馬くんにまで衝動のまま手を上げてしまった。そんなつもりはなかったのに。本当は、そんな事をしたかったんじゃないのに。

 海馬くんが学校に来なかったあの日、一人で家に帰りながら沢山の事を考えて、城之内くんと一緒にお昼を食べていた時に心に抱いた「諦めよう」って気持ちはこの部屋に帰るまでには綺麗さっぱりなくなってた。やっぱり、諦め切れなくて。夢なんかで終わらせたくないな、って思って。

 だってそうでしょ?一週間で終わりになんか出来ないほど、好きで好きでたまらなくなったんだもの。

 その気持ちそのままに昨日僕は海馬くんのところに行って、最後の一日を邪魔しないように海馬くんの側で過ごして、別れる時に海馬くんの反応を見て、出来そうなら期限延長を言い出そうと思っていた。自分から一週間、って言っておいてそれもちょっとカッコ悪いと思ったけど、一応「お試し」っていう保険をかけて居たんだし、それをちょっと伸ばしても別に反則じゃないよねって思ったんだ。

 ……だけど、それも全部僕の所為でダメになってしまった。

 海馬くんの、あの眼差しを見てしまったら、どうしても言わずにはいられなくなってしまったんだ。
 

『僕の後ろにはいつももう一人の僕が居た。君は、無意識に彼を探してたんじゃないの?』
 

 言わなければ良かったと、後悔した時にはもう遅かった。本当に馬鹿だと思った。それこそ僕がその事を口にしなければ、海馬くんは自分がそんな眼差しをしていた事を知らなかったかも知れないのに。……ううん、知らなかった。絶対に。僕が言ってしまったから、気づいたんだよね。きっと。

 海馬くんが誰を見ていたかなんて知っている。だってその視線を受けていたのも僕だったんだもん。『彼』が表に出ている時、直ぐ側で感じていたあの熱い眼差しは、『彼』と同時に『僕』も感じていたんだよ?

 その時の切ない気持ち、君に分かる?

 それが恋愛感情じゃない事なんて分かってる。問題はそこじゃない。けれど、他人に興味のない君が一心に気にかけたもう一人の僕の事を、僕は凄く羨ましく思ったんだ。だって『彼』がいなくなった僕には君は興味すら示さなかったんだから。

 僕が思い切って君を屋上に呼び出して、好きですって伝えた時の君の顔。「誰だお前は」って声に出さずに言ってたよね。あんなにも長く一緒にいたのに、君が見ていたのは僕じゃなかった。それをまざまざと見せつけられて、でもそんな事は分かってたから、僕はその事は考えないようにして強引に恋人になってってお願いしたんだ。

 意外にも君はOKしてくれた。嫌々ながらも付き合ってくれた。僕が何をしても怒らなかった。

 でも、それは。あくまで期間限定だからって事だったんだね。自分が結んでしまった「約束」を忠実に守るためだけにしてくれたポーズだったんだよね。……馬鹿だよね、そんな事も気付かないで、もっと長く君を束縛しようなんて考えて。
 

『……ならば最後位、オレも『恋人』らしい事をしてやろう』
 

 海馬くんからのキスは……本当は凄く凄く幸せなものだった筈なのに、その台詞の所為で嬉しいという気持ちが悲しくて悔しい気持ちに変化して、どうしようもなくなったんだ。『最後』だから『恋人らしい事をしてやる』って、一体なんなの?

 僕の事が好きで、したいと思ったからするんじゃなくて、恋人ならキスをするのが当たり前って言った僕の言葉を思い出しただけなんでしょ?だから最後にしてくれたんでしょ?そんなキス、意味がないよ。それこそ、ゲームをクリアして、捕らわれのお姫様が助けてくれた勇者なら誰でもおざなりにするキスと何も変わらないじゃない。

 ……ああ、でも。『ゲーム』を持ち出したのは僕だっけ。だから海馬くんがゲームのように……最初から組み込まれたプログラムのようにそうしてしまったんだとしても、僕に責める権利なんてないんだ。

 やっぱり、全部僕の所為なんだよね。馬鹿だな。

 海馬くんの頬を叩いてしまった右手には、丸一日という時間が経った今でもあの衝撃を引きずったままで、なんだか胸が締め付けられる。逃げるようにあの部屋から出てきてしまったけれど、いつかちゃんと謝らないといけないな。色々な事を、きっちりと。
 

 はぁ。

 大きな溜息が零れ落ちる。

 雨音は、まだ、止まない。
 それからうとうとと微酔んでしまったのか、うっすらと目を開けて枕元の時計を確認すると2時間程時間が進んでた。あーそろそろお昼かぁ、なんて呟いて。でも起き上がる気にもなれなくて、やっぱりごろりと体勢を変えてもう一度目を閉じようかな、なんて思ったその時だった。

 ……なんだか下が騒がしい。母さんが……僕を呼んでる?

 そう思ったのもつかの間、ドタドタと母さんらしくない足音が駆け上がってきて、僕の部屋の前でピタリと止んだ。そして、間髪いれずにドアが開く。

「……遊戯!遊戯!……ちょっと入るわよ?」
「な、なに?母さん。言いながら開けないでよ!」
「それ所じゃ無いわよ!あんたにお客さんよ!」
「え?僕に?今日は誰とも約束してないけど……城之内くん?」
「城之内くんじゃないわよ!海馬くん!母さんテレビでしか見た事なかったけど……吃驚したわ。そういえばあの子、遊戯のクラスメートなのよね?」
「えぇっ?!海馬くん?!」
「上がってもらっていいわね?」
「ええっ?!そ、そんな。ちょっと待ってよ、こ、心の準備が……っ!」
「心の準備って何よ。ああもう何この汚い部屋!座る場所ぐらいきちんと空けなさい。みっともないわね!じゃあいい?入って貰うわよ?」
「あっ、ちょっと!母さん!!」
 

 なんで海馬くんがうちに来るの?!
 

 僕は心の中でそう大絶叫しながら、とりあえずモノで一杯になっている床の上を綺麗にしようと散らかっているもの全てを一気にベッドの下に放り込んだ。その間にも心臓はドキドキするし、頭は混乱して手は震えるし、どうしたらいいか分からない。床の上を片付けたって、僕の部屋は狭いからこんな空間に海馬くんと二人きりとか凄く緊張しちゃうよどうしよう?

 そんな事をバタバタしながら考えていると、母さんが開けっ放しにした扉の向こうに人影が見えた。ふわりと揺れるベージュのコートの合間から見えるすらっとした長い足に、それが誰なのか直ぐに分かった。

 海馬くん。そう僕が呼ぶ前に、君は遠慮も何もなしに部屋に足を踏み入れて、床に膝をつく僕を見下ろした。

 パタン、と小さく扉が閉まる。
 

「……あ、あの……えっと」
 

 咄嗟に何を言ったらいいのか分からなくて、僕の声は震えてしまう。だってまだ混乱したままなんだ。まさか海馬くんが自分から僕のところに来るなんて。ましてや僕の部屋に入り込んで来るなんて、想像すらしていなかったから。何時もと同じ無表情で、ただ僕を見下ろすその顔は、やっぱり綺麗でカッコよくて、こんな時なのに僕は思わず見とれてしまった。

 そんな僕に海馬くんは少しだけ眉を寄せて、少し首を巡らせた。ああそっか、お客さんを何時までも立たせて置くのは失礼だよね。座って貰わないと。でも海馬くんに床の上っていうのもなんだし、僕の椅子じゃあ、なんか変だし。と、なると、残りは……。

「あの、ごめん、海馬くん。そこのベッドに座ってくれる?」

 未だしっかり口を結んだままの海馬くんに、僕は恐る恐るそう言ってみた。だって残ったのはベッドしか無かったんだ。床はアレだし、椅子は小さいし。後はベッドしかないじゃん。しょうがないでしょ。

 誓って言うけど僕は別に変な意味で海馬くんをベッドに誘ったわけじゃないよ。それどころじゃなかったし。ああでもやっぱりマズイかな……なんて思ってたら、海馬くんは特に何も言わないでベッドに腰かけてくれた。キシ、という小さな音に、心臓が大きく跳ね上がる。うわ、なんか近いよ……。

 ベッドに座った海馬くんは、無言のまま着て来たコートをゆっくり脱いだ。雨が降っている所為で少しだけ濡れているのを気にしてか、そのまま自分の膝に置こうとしたのを僕が黙って取り上げて、とりあえずハンガーにかけて出しっぱなしにしている僕の制服の横に置いた。

 今日の海馬くんはいつものスーツでも制服でもバトルスーツでもなくて、本当に普通のシャツにズボンという格好だった。こんな格好の君を見るのも初めてで、また僕はドキドキしてしまう。

 珍しく第二ボタンまで外している真っ白なシャツの合間から見える、いつも身に付けているカードを模したペンダントは、今日はシャツの中に仕舞われててよく見えない。どんな格好でもそれだけは外さないんだね、なんて言ってみたかったけど、今はそれ所じゃないからやっぱり何も言えなかった。

 沈黙が、少し重い。
 

「遊戯?ちょっといい?」
 

 暫くの間、お互いの事を見もしないで黙ったまま座っていた僕等だったけど、不意に外から響いた母さんの声に僕は驚いて飛び上がり、慌てて扉を開けて返事を返した。廊下には母さんがお盆にお茶とお菓子を乗せて立っていて、「お茶を持って来たわよ」って海馬くんに向かってにこりと笑う。……ちょっと母さん、単に海馬くんを見に来ただけでしょ。ああもう、今はそれ所じゃないんだから早く出てってよ!

 そう僕が焦っていると、母さんはそんなのお構いなしに部屋に入ってわざわざ海馬くんの前まで行って、雨が降っている所に来てくれてありがとうとか、ゆっくりして行ってね、とかなんか勝手に話しかけてる!そんな母さんに海馬くんはどんな反応をするんだろうと思ってみていたら、意外にも海馬くん、凄く愛想のいい顔で笑ったんだ。……えぇえ?!海馬くん?!僕だって君のそんな顔、見たこと無いよ?!

 僕がそんな事に衝撃を受けている間に二人は勝手に話を続けて、それに二重にショックを受けていたら、母さんは最後の最後で物凄い爆弾を落してくれた。
 

「でも海馬くんが遊戯のお友達だったなんて……びっくりしたわ。どうしようもない子だけれど、仲良くしてやってね」
 

 ちょ……っ……母さん!何言ってるの?!僕と海馬くんが仲良くとかありえないから!だって僕達は昨日で友達以下の関係に戻ったんだ。そこからまたどうにかなるなんて……無理なんだから。ほら、海馬くんもどう答えたらいいか困ってるみたいじゃない。余計な事を言わないでよもう、早く出てって!

 そう僕が内心複雑な気持ちで、母さんを追い出す言葉を口にしようとしたその時だった。

 海馬くんは母さんから受け取ったコーヒーカップを両手で握り締めて、ゆっくりと、本当にゆっくりと頷いて……。
 

「はい」
 

 って言って、またにっこりと笑ったんだ。
 僕は、今度こそどうしたらいいか分からなくなった。……今の「はい」はどういう意味?僕とこれからも……友達でいてくれるって、そういう事?それとも、これもポーズなの?海馬くんが色んな顔を使い分けているのは知ってるよ。知ってるけど、どういう基準でそれを切り替えているのかまでは知らないから、僕には判断が付かないんだ。だから、今の母さんへの返事が、海馬くんの本心なのかそうじゃないのか分からない。

 ねぇ、本当はどう思ってるの、海馬くん?

 いっその事そう聞いてしまえばいいのに、意気地なしの僕はなかなか口を開く事が出来なかった。何時までもこのままで居るわけにもいかないのに、何をどう口にすればいいか分からないんだ。謝らなくちゃいけない事も沢山あるし……本当に、本当にどうしよう。

「遊戯」

 やっぱりここは最初にごめんって言うべきかな。でも何に一番「ごめん」を言えばいいんだろう。無理を言った事?昨日、感情のままに言葉や手を叩きつけてしまった事?逃げるように君の前から消えてしまった事?……ああもう、沢山ありすぎてわかんないよ。

「遊戯!」
「えっ、何?!」
「何ではない。呼んでいるのだから返事をせんか!貴様、さっきからオレを盗み見て気色悪い!言いたい事があるならさっさと言え!」
「さっさと言えって……」
「何か言いたい事があるのだろう?」
「え……」
「何でもいい。言え」
「………………」
「言え!」

 僕が一人ぐるぐると悩んでいる間、海馬くんはずっと僕のことを見て、名前を呼んでくれてたらしい。慌てて目線をベッドの上にあげると、さっきまでの穏やかで優しい笑顔は何処かに消えて、いつもの……僕にとっては酷く見慣れた怖い怒り顔になっていた。

 けれど、その目は本気で怒ってる色をしてなくて、僕が何時まで経っても何も言わない事に焦れてしまった、と顔に書いてある。……こうしてみると海馬くんって凄く分かりやすいんだね。何も言わなくても、その表情だけで言いたい事が分かるんだもん。

 今もそう。君が口にした通り、僕が何か言うのを待っている。その言葉を一つも聞き逃さないぞ、といわんばかりに本当に真剣に僕を見てる。……真剣に、僕だけを。
 

 その瞬間、僕は大きく目を瞠った。
 

 海馬くんの瞳が、ちゃんと僕を見ている事を。僕の後ろにいる『誰か』じゃなく、僕だけを見ている事を。その視線に物理的な力があるのなら、僕は貫かれていたかもしれないと思う程真っ直ぐに……真摯に……見つめている。
 

「海馬くん」
「何だ」
「……僕を見てる?」
「当たり前だ」
「ちゃんと、目の前の、僕を見てる?」
「オレの目の前には武藤遊戯しかいないだろう。それ以外に誰を見る」
「………………」
「昨日だって……オレは貴様を見ていた。社長室にはオレと貴様以外誰もいなかった。いる筈がないだろう」
「……でも」
「オレは、目に見えるものしか信じない。過去には興味が無い。触れられるものしか認識はしない」
「海馬く……」
「だから、貴様が昨日言った事は全部貴様の思い込みだ。そんな事を言われるのは心外だ。不愉快極まりない!……大体、貴様がオレにそれをさせなかったんだろう?恋人になれとかわけのわからん事を言い出して、奴の事など思い出す隙を与えないほど、オレの視界に割り込んで、纏わりついて来た癖に!勝手な事ばかり言うな!」

 ひゅ、という音と共に、海馬くんの手からコーヒーカップが投げつけられる。陶器じゃなくて耐熱プラスチック製のカップだったから、僕は迷わず右に避けて、それが床に落ちて転がるのを背後で感じるだけに留まった。海馬くんはそれきり何も言わないで、空になった両手をきつく握り締めて、下を向く。
 

 その顔は、何故かとても悲しそうだった。
 

 ……どうして、そんな顔をするんだろう。
 

 君は僕と恋人の真似事をするのは、嫌だったんじゃないの?期間限定だから、仕方なく付き合ってくれたんじゃないの?最後だから、自分からキスをしてくれたんじゃないの?
 

 ……そうじゃ、ないの?
 

「貴様が……『最後』だと宣言したんだろう。昨日」
「え?」
「だから、オレは、最後だと思って……最後なら、して、やらなければならないだろうと思って……なのに貴様は……もうわけが分からない」
 

 分からない。そう一言小さく呻いて、海馬くんは顔を伏せてしまった。
 

 え、ちょっと待ってよ。それって、僕が「最後だね」って言ったから、海馬くんが「最後だ」って認識して、海馬くんなりの「最後」をしてくれたって事なの?という事は、僕が最後だって言わなければ、海馬くんは昨日を最後だと思わなかった?……一週間限定じゃなくて、期間延長が出来たかもしれないって事?
 

 延長してもいいかな、って、思ってくれたの?
 

 僕は、一瞬目の前が真っ暗になると同時に、良く漫画とかに使われる「薔薇色」に染まっていくのを感じていた。

 馬鹿だな。本当に馬鹿で酷いのは僕じゃないか。

 海馬くんは、この一週間で僕のことをこんなにも良く見てくれる様になったのに。一度だってもうやめるとか、本当の意味で嫌だとか言わなかったのに。良く考えたら、例えお情けだって、嫌いな男にキスなんか出来ないよね。なのに海馬くんは自分からしてくれた。
 

 答えはもう、出てたじゃないか。
 

「あの、海馬くん。……一つ聞いていい?」
「……なんだ」
「僕がもし、最後だって言わなかったら……海馬くんも最後だって、思わなかった?」
「………………」
「もうちょっと、期間延長してもいいかな、とか……思ってくれた?」
「………………」
「もう、どうなの?」
「……どちらでもない。そういうのは言い出した方が決めるものだ」
「あ、ずるいなぁ。その言い方。じゃ、僕が延長してって言ったら、延長してくれる?」
「……別に」
「別に、何?」
「……別に、構わない!」

 僕のちょっと意地悪な問いかけに、海馬くんはがばっと顔を跳ね上げて、キッと僕を睨んだ。その顔はほんの少しだけ紅く染まっていて、柄にもなく照れちゃってるのが分かる。うわ、やっぱり海馬くんって凄く可愛い。言ったら怒られるから、黙ってるけど。

 僕はなんだか凄く嬉しくなって、幸せで、思わず床から立ち上がると、海馬くんの目の前に立ってベッドに座る彼と目線を合わせた。後一ミリ動いたら、膝同士が触れてしまうほど、近くで。

「じゃあ、お願いします。後一年間、僕と恋人になって下さい」
「……また期間限定か」
「あれ?じゃあ無期限にする?」
「途中解約できるように、出来ればそうして貰いたい」
「あー。解約する気満々でしょ。じゃあやっぱり一年だね。今日から一年間!ね?」
「……まあ、いいだろう」
「じゃ、契約の証にキスしてもいい?僕今、海馬くんにすっごくキスしたい気分なんだ」
「なッ……貴様はまた、すぐそれかッ!」
「丁度ベッドの上だから、それ以上でもいいんだけど……さすがに嫌だもんね?」
「当たり前だ!一週間かそこらでする気になるか!」
「じゃあキスで我慢するから、目を閉じて?」
「オレに指図するな!」
「海馬くんだって昨日僕にそう言ったじゃん。……ね?」

 僕が精一杯優しく、けれど強引にそういうと、海馬くんは結局顔を顰めたまま目を閉じてくれた。……キスなんだからそんな顔をしないでよ、と言いたいけれど、大人しくさせてくれるだけで凄く幸せだと思う。僕は海馬くんが目を閉じているのをいい事に、その肩をそっと抱きしめた。そういえば、こうして身体の大部分を触れ合わせるのは始めてだっけ。
 

 一週間前までは、近くにさえ寄れなかった君なのに。

 たった一週間で、僕の腕の中にすっぽりと入ってしまった。
 

 柔らかく頬を包んで、軽く閉ざされた唇にキスをしながら、僕はこの体全てを手に入れる為には後どれ位キスや言葉を重ねなければならないのだろうと思って、一人密かに微笑んだ。
 

 一週間から一年に延びた時間。それだけあれば、きっと望むものは手に入る。
 

 調子に乗って、徐々に深くなっていくキスを繰り返しながら、僕は海馬くんの耳元で何度も何度も囁いた。
 

「大好きだよ、海馬くん」
 

 本当に、大好きなんだ。君の事が。

 君も僕の事が好きだと言ってくれたら……この恋は夢じゃなくなるのに。ああでも、もう夢じゃないのかな。
 

 だって君の掌が、僕の肩を包んで、引き寄せてくれたから。

 それだけで、夢じゃないなって思えたんだ。