Act9 君と恋人になった日1(Side.遊戯)

「えっと、あのね。次の日曜日、時間空いてるかな」
「……オレに空いている時間があると思うか?」
「じゃあ、言い方変えるね。時間、空けてくれない?」
「何かあるのか?」
「うん」
「下らない事だったら空けないぞ」
「うーん」
「……はっきりしろ」
「だって、自分の口から言うの、何かみっともないんだもん」
「何が?」
「とにかく、お願い」
「?まあ……一応考えて置いてやる」

 一足早い初夏の様な陽気になった、五月末の水曜日。僕は約二週間ぶりに学校に来た海馬くんと二人、屋上でお昼ご飯を食べていた。……と言っても、やっぱり食べているのは僕一人で、海馬くんはなんか普通のビスケットみたいな、いかにも健康食品っぽいものを一つ口に入れただけだった。

 それじゃ駄目だよって言って、僕は強引にお弁当の中からおかずを数種類差し出したけど、結局海馬くんは卵焼き一個を摘んだだけでそっぽを向いた。もう、相変わらずなんだから。

 少し前の4月の第1土曜日に、僕は海馬くんに一週間限定で恋人になってとお願いして、その一週間後の第二土曜日に期間を一年に延ばして貰う事に成功した。海馬くんは最初は凄く嫌がっていたけれど、途中から少しずつ打ち解けてくれるようになって……っていうよりも僕のペースに巻き込まれてる感じだったけど……最終日には海馬くんの方から僕の家に来てくれるまでになったんだ。

 それから今日までの二ヶ月間、僕達は相変わらずまったりとした恋人関係を続けている。海馬くんが忙しい所為もあってあんまり会ったりは出来ないんだけど、以前よりもずっと頻繁に学校に来てくれる様になったし、海馬くんが来ない時は僕が直接KCに出かけていって学校の事を話したり、少し時間を貰って近くだったけど遊びに行ったりして(僕はデートのつもりだったんだけど、海馬くんに言わせると絶対に違うって否定するんだ)それなりに仲良くやってるつもり。

 けど、二ヶ月経った今もちゃんとした『恋人』にはなれていなかった。それどころかあの期間延長宣言の日以来、キスも……手を繋ぐ事すら軽々しく出来ない状態で、僕は途方に暮れかけていた。別に海馬くんが嫌がってるとかそういうんじゃないんだけど、僕の方が何かやり辛くなっちゃったんだ。おかしいよね、あの時よりも遠慮しなくていい筈なのに。

 僕の方からアプローチしなければ当然海馬くんが何かアクションを起こしてくれる訳もなく、今日も一緒には居てくれるけど、僕らの間には微妙な距離が空いている。それに気付いた僕はお弁当をしまいながらさり気なく海馬くんの傍に近づいた。

 暖かな風が無言のまま座り込む僕達の間を吹き抜けていく。海馬くんは僕が話しかけて来ないと知ると、直ぐに携帯を取り出して何処かにメールを打ち始めた。その姿にかけようと思った声を飲み込んで、僕は思わず無駄がなく高速で動く綺麗な指先に、俯いたその横顔に……見惚れてしまう。

 その視線が気になったのか海馬くんが顔をあげる気配がして、僕は慌てて誤魔化す為に自分の携帯を取りだして覗き込む。表示された時間は12時50分……昼休みは後十分しか残って無かった。そんな貴重な十分なのに、僕はやっぱり海馬くんに話しかける事が出来なかった。邪魔しちゃ悪いかな、って思ったから。

 大きな溜息が零れ落ちる。それが聞こえてしまったのか、海馬くんはもう一度携帯から顔を上げて何時の間にか凄く近くに居た僕を驚いた様に見遣った。そして何か気付いたのか「どうした?」って聞いてくる。それに素直に「携帯なんかやめて僕と話をしてよ」と言おうと思ったけれど、僕の口から出たのは「何でもない」の一言だった。

 それにあっさりと「そうか」と言った海馬くんは、当然の様にまた携帯に向き直ってメールを再開してしまう。ああもう自分でチャンスを逃してるんだから話にならないよ。馬鹿だなぁ。僕はもう一度溜息を吐きながら憎らしい程晴れ渡った空を仰ぎ見る。

 僕が海馬くんを誘った次の日曜日、日付で言うと6月4日……その日は僕の18歳の誕生日だった。毎年誕生日なんてあんまり意識したりはしないんだけど、今年はやっぱり特別で。誕生日位好きな人と一緒に居たいなぁと思ったんだ。勿論海馬くんはその事を知らないし、当日まで僕の方から言うつもりもなかった。

 だって、そんな事を言ってしまったら、なんか「だから特別な事をして」とか「プレゼントが欲しい」って自分から言ってるみたいで凄くみっともないし、誕生日だからって海馬くんに何か期待している訳でもない。ただ純粋に傍に居て欲しいと思ってるだけなんだ。そして出来れば、海馬くんと『恋人』になりたいなーって……あれ、やっぱり純粋じゃないか。動機不純かぁ。

 そんな事は露程も知らない海馬くんは、顰めっ面で今送ったメールに直ぐ戻って来た返信を読んでいる。舌打ちまでしてるし、なんだかご機嫌まで悪くなったみたい。……うーん、この調子で日曜日、ちゃんと時間取ってくれるのかな。ちょっと不安だったりして。

 ……あ、5分前の予鈴が鳴ってる。

「ねぇ、海馬くん」
「何だ?」
「予鈴、鳴ったけど。そろそろ教室に行かないと」
「もうそんな時間か。オレは午後の授業は出ない。このまま帰る」
「えー?今日は一日いるって言ったじゃない」
「そうも行かない事態になってな。貴様はもう行け」
「……海馬くんは?」
「後数分で迎えが来る」
「……そっか。次は何時学校に来るの?」
「分からん。予定は未定だ」
「………………」

 素っ気無く帰って来たその声に、僕が余りにも残念な顔をしたからだろうか。海馬くんは僅かに驚いた表情をして、パチンと携帯を閉じてしまうと、少しだけ僕の顔を覗き込む様に身体を寄せた。海馬くんの顔がいつの間にか凄く近い位置に来て、僕の方が少し動けば直ぐにでもキス出来るようなそんな体勢になった。

 けれど……やっぱり意気地なしの僕は反射的に海馬くんから身体を離して、近くに置いたままだったお弁当を掴むとくるりと背を向けてしまう。

「じゅ、授業が始まるから、もう行くね。日曜日の事、分かったらメールちょうだい。僕もメールするから」
「ああ。……余り急いで階段から転げ落ちるなよ」
「大丈夫!じゃあまたね!」

 なんか、自分だけがそんな事を考えてるみたいで凄く恥ずかしくなった僕は、凄く早口でそう言うとそのまま海馬くんの顔も見ないで階段へと続く扉まで走ってしまう。ああもう!ほんとに何やってるんだろう!有り得ないよ!!

 バタン、と思い切り扉を閉めて、いつの間にか詰まっていた息を大きく吐き出すと、僕は気を取り直して午後の授業を受ける為に教室へと走って行く。

 大きな足音が広い空間に幾重にも響いて、それが余計に虚しく聞こえて、僕は少しだけ寂しくなった。
「なぁ遊戯。そういや次の日曜お前の誕生日だろ?何が欲しい?」
「……えっ?」
「何だよすっげー驚いた顔して。オレがお前の誕生日覚えてるの、意外だってか」
「あ、ううん。突然だったから吃驚しただけだよ。覚えててくれてありがとう、城之内くん」
「お前オレの誕生日の時、プレゼントくれたじゃん?だからそのお返しがしたいなーなんて思ってたんだ。何でも言えよ、オレ先月バイト頑張ったからちょっと余裕あるんだ」
「うーん……急に言われてもすぐ思いつかないなぁ……それに、今あんまり頭回らなくって。……後ででもいい?」
「別にいいよ、何時でも。良く考えな。でも何だよ頭が回らないって。そういやお前、最近なんかぼーっとしてるよな。何か悩みでもあんのか?オレで良かったら相談に乗ってやるよ?あ、ただし海馬関連はお断りな!オレはまだ認めてねぇんだからよ!」
「……あー、そっかぁ」
「ちょ、なんだよその残念そうな顔。……もしかしなくてもその悩みって……」
「……うん」
「…………うあぁ……聞かなきゃ良かった」

 海馬くんが午後からいなくなってしまった日の放課後……学校からの帰り道。授業が終わると同時に今日は一緒に帰ろうと声をかけてくれた城之内くんと二人、ゲームセンターに寄り道をした後、行きつけのハンバーガーショップへと立ち寄って、窓際の席でお代わり自由のカフェオレを前にのんびりと向かい合っていた。

 海馬くんと付き合い出してから、放課後の時間はKCに行く事が多かったから、こうして他の友達と過ごす時間は少し減ってしまっていた。だからこんな風に城之内くんと寄り道をしてゲームをしたり、お店でゆったりと話す事も本当に久しぶりで、これはこれで凄く楽しかったけれどやっぱり僕の頭の中は海馬くんの事で一杯で、どこかうわの空だった。

 そんな僕の様子に敏感な城之内くんは直ぐに気付いてくれて、さり気なく話しかけてくれた。それに甘える形で僕は城之内くんがいい顔をしない事を分かっていてつい海馬くんの名前を口に出して(実際は出してないけど、かなりアピールして)しまった。途端に頭を抱える城之内くんに、僕はこっそり溜息を吐く。けれど内心言い出せた事にほっとした。

 口では嫌だとか聞きたくないとか色々言うけれど、基本的に優しい城之内くんは決して僕の話を無視したりしない。その優しさが仇になって、彼は僕と海馬くんのあれこれを全部知っている唯一の人になった。そして結果的に僕の恋愛相談の相手にもなってくれている。相変わらず「絶対認めねぇ」とか、「海馬の野郎なんかやめとけ」とか、「いい加減目を覚ませ」とか言って来るけど、実力行使に出るような事はしなかった。そう言えば今日も何か海馬くんに言ってたみたいだけど無視されてたっけ。

「……で、海馬がなんだって?お前等相変わらず仲良さそうじゃねぇか。何か不満でもあんのか」

 ズズッとわざとらしく音を立ててカフェオレを吸い込んで、城之内くんは凄くテンションが下がった声で僕にそう言って来る。その顔には『惚気話はお断り』って書いてあったけど、僕が言いたいのは純粋な悩みなんだからいいよね、と思って、僕も残りのカフェオレを一気に飲むと真面目な顔で城之内くんに向き合った。

「うーん。海馬くんに対する不満じゃなくて僕自身の事なんだけど」
「うん」
「4月に恋人期間延長宣言をしてから……なんかすっごく意識しちゃって、普通でいられないんだ」
「……うん」
「でね、それまではちゃんと手を繋ぐ事も、キスする事だって出来たのに、今は海馬くんに触る事も出来なくて」
「…………うん」
「僕は早く『恋人』になりたいのに、上手く行かなくて……どうしたらいいのかなって」

 僕が話せば話すほど、テーブルに肘を付いて右手に顎を乗せて聞いている城之内くんの顔は下へ下へと下がっていって、ついには潰れる様に伏せられてしまう。そんな城之内くんの態度に「城之内くん、聞いてる?」って声をかけたら、凄く小さな声で「聞いてる」とは言ってくれた。聞いてはいるけど、多分理解したくはないんだろうな。時々何かを否定する様に、ゆるゆると振られる金の髪が目に痛い。

「うー。あんまりツッコミたくねぇけど。お前、マジで海馬と恋人……っつーか、ぶっちゃけて言えばヤりたいと思ってるわけ?」
「思ってるよ。思ってるけど上手く出来なくて、悩んでるんだよ」
「即答すんな。ああもう、想像したくねぇー!嫌過ぎる!!」
「で、どうしたいいと思う?」
「どうしたらって……この状態で聞くなよ!」
「あ、誕生日には約束したよ。まだ返事貰ってないけど」
「話を進めんな!……って、誕生日に予約はしたんだ。じゃー後は簡単じゃん」
「簡単って?」
「『誕生日プレゼントに海馬くんが欲しい。ヤラせて♪』って言えばいいだろ」
「ちょっと城之内くん!ヤラせてとか言わないでよ!」
「……言葉変えたって一緒だろ。結局はセックスしたいって事なんだからさ」
「そ、そうだけど……」
「ちなみに、海馬はお前の誕生日の事知ってんの?」
「多分知らない」
「え、言わなかったのか?何でだよ」
「だって、そんな事アピールしたらいかにも!って感じになっちゃうじゃん。誕生日プレゼントにかこつけてるようで嫌だし、そもそも海馬くんから何か貰おうとか思ってないし」
「……アピールしようがしなかろうが、かこつけてヤッちゃおうと思ってるんなら一緒だろ。逆にちゃんと言っておいた方が向こうも心の準備とか出来ていーんじゃないの。このまま何も知らないで誘いに乗って来て、いきなり押し倒されたら流石の海馬もビビると思うぜ。今の話だとロクに……あー具体的な事は言いたくねぇけど、手も握ってねぇんだろ」
「……うん」
「考えると結構キビシイ状況だよな。お前、出来んのか?」
「僕だって男だよ!やろうと思えば出来るよ!」
「……つーか相手も男で、しかも海馬なんだけど。あいつがどういう奴か忘れてんじゃねぇ?」

 はぁっ、と城之内くんの口から大きな溜息が漏れる。それと同時に左手にあったプラスチックコップが派手な音を立てて潰された。そして城之内くんは凄く悲しそうな声で「なんでオレがお前と海馬の初エッチのアドバイスをしなきゃなんねーんだよ…」なんて泣き言を言う。嫌だって言う割には、結構真剣に考えてくれるんだから、やっぱり城之内くんて優しいよね。

「もう一杯カフェオレ貰って来て。オレ、飲まなきゃやってらんない」
「あんまり飲むとお腹壊すよ?」
「うるせー。誰の所為だよ」
「ごめん、僕の所為だね。でも、こんな事話せるの、城之内くんしかいなくって」
「……とにかくさ、まだ時間はあるんだし、良く考えろよ。別に急がなくったっていいだろそんなの。海馬が逃げてく訳じゃないんだからさ」
「そうだね」
「まぁでも、一般論的に言えば、恋人になって二ヶ月も何も無しじゃ……ちょっとな。本気じゃなかったと思われるかも」
「え?!」
「あくまで一般論だぞ?相手が女の場合。男は知らねぇ」

 だってオレ男なんか好きにならねぇもん。考えた事もねぇ。

 そう言ってぱたりと力を無くして再びテーブルに突っ伏してしまった城之内くんを眺めながら、僕は急に不安になった。

 城之内くんの言う事は一々尤もで、僕がもし海馬くん側だったらって考えたら、確かにちょっと不思議に思うかも知れない。あんなに必死になって詰め寄って、無理矢理頷かせたようなものなのに、いざ余裕が出来たら近づきもしないんじゃ、確かに変だよね。うん、変だよ。何故そんな当たり前の事に気付かなかったんだろう?

 最近海馬くんの態度が素っ気無いのって、もしかしたら……そういう事?

「………………」

 僕は小さな溜息を一つ吐くと、潰れてしまった城之内くんのコップを持って立ち上がる。途端に視界に入る沢山のカップルを目にしながら、僕は本気でこれからどうしたらいいのか考え始めた。何から始めたらいいのだろう。どう海馬くんに接したらいいのだろうと、そんな基本的な事から、真剣に。

 誕生日まで、後4日。その4日の内にどうするか決めなくちゃいけないと、そう思った。とりあえず、今夜はメールを打たなくちゃ。何て打ったらいいんだろう?誕生日だって言った方がいいのかな?ぐるぐると回り始める思考に頭が痛くなって来る。そんな僕に城之内くんは顔を上げないまま「何やってんの」と声をかけてきた。

 その声に押されるように、僕はゆっくりとカウンターに向かって歩き出した。