Act9 君と恋人になった日2(Side.海馬)

「兄サマ、携帯にメールが来てたよ。多分、遊戯」
「……そうか」
「後、何か知らないアドレスからも一通きてたみたい、はい。あ、そこにあるゲーム、今度遊戯に会ったら渡しておいて。オレ、もうクリアしちゃったからあげるって言ってた奴。じゃあオレはもう寝るね。おやすみなさーい」
「ああ、お休みモクバ」

 大きな欠伸をしながらオレに携帯を差し出したモクバは、そう言って眠たそうな目を擦りながら部屋を出て行く。深夜12時。もう日付も切り替わってしまった時刻。昼間に社内で起きたトラブルを解消するべく、途中で学校を抜け出してKCに詰めていたオレが帰宅したのは、既に11時を回った頃だった。

 疲労もピークに達して、用意されていた夕食すら食べる気が起きず、今日はもう寝てしまおうと思いシャワーを浴びてこのリビングに帰って来たのが数分前。面倒で頭すらも良く乾かさず前髪から雫が落ちる状態で溜息を吐いていたオレに、ずっとここで待っていたらしいモクバが帰宅後投げ捨てるようにテーブルに置き去りにしていたオレの携帯を手に取ると、機嫌よく胸元に突き付けてくる。それを片手で受け取りつつ、彼が弾んだ声で口にする遊戯、と言う名前に一瞬ピクリとこめかみが引き攣る気がしたが、気にしないフリをした。

 モクバが自室に帰る足音を遠くで聞きながら、オレは携帯を開いてディスプレイを流し見る。一定間隔で明滅するランプのカラーで発信源がどこか分かる様になっている為、誰からのメールかを言い当てるのは至極簡単な事だ。何も中身を見ているわけではない。モクバの言う通り、確かにそこには遊戯からのものと差出人不明メールを含む数件の着信履歴が残っていた。

 近間のソファーに座り、その二つをとりあえず無視して仕事のメールだけを先に片付ける。そして最後に漸く『武藤遊戯』の名前に辿り付いた。その四文字を暫し眺め、緩慢な仕草で中を見る。 

『海馬くん、お仕事お疲れ様。今日は海馬くんが居なかったから、お昼からすごくつまらなかったよ?』

 そんな言葉から始まったメールは、何故かとても長かった。内容は総じて遊戯の日記的な内容で、何故そんなものをオレに読ませるのか理解が出来なかったが、一応一通り目を通してやる。

 毎度の事ながら読めば読むほど意味不明な文章だ。否、意味は分かるのだが「だからどうした」と言いたくなる事ばかりで、正直よくもまあこんなに下らない事を時間をかけて延々と打つ気になるものだと呆れてしまう。こいつの言動は全く持って訳が分からない。それは今始まった事ではなく、最初からそうだったのが、最近は特に強く思うようになった。

 ……そう、本当にオレには全く分からないのだ。遊戯が、何をどう考えているかなど。

『あ、最後になっちゃったけど。次の日曜日の事、早めに教えてくれると嬉しいな。色々と準備があるから』

 殆どおざなりに長いメールを読み進める為にボタンを押し続けていたオレの視界に、不意に飛び込んできた最後の一文。その一文で、読み捨てて寝てしまおうかと思ったこのメールに返信をしなければならないと言う事を知り、オレはうんざりした溜息を吐いた。

 ……面倒臭い。余りにも素直なその言葉が思わず口から漏れ出てしまう。

 そう言えば、今日の……否、既に昨日になってしまった昼間に、学校の屋上で遊戯にそんな事を言われた気がする。いつもはアポなど取らず、好き勝手に押しかけてくる癖に、昨日に限って『予約』めいた事を口にしたから酷く印象に残っていたのだが、その後のごたごたですっかり忘れていた。

 何故遊戯が急にそんな事を言い出したのかは知らないが、深く考えるのもやはり面倒で、とりあえず頭の中で週末の予定を呼び出してみる。幸か不幸かその前後には外せない仕事が入って居たが、日曜なら何とか時間が取れそうだった。……さて、どうするか。

「………………」

 オレは携帯を片手に暫し無言で考え込んだ。貴重な休日をこいつと共に過ごすか否か。今までなら特に悩む事もない案件だったが、今回ばかりは少し躊躇してしまう。何故なら先程から何度も主張している通り、奴の態度が……本当に意味不明だからだ。
 

『じゃあ、お願いします。後一年間、僕と恋人になって下さい』
 

 遊戯がそう言って、笑顔で手を差し伸べて来たのは今から約二ヶ月前の事だった。元々はそれよりも更に一週間前、何の前触れも無く突然「好きだ」とオレに告白し、その後間髪いれずに「とりあえずお試しとして一週間恋人になって」と無茶苦茶な事を口にして、何だそれはと思う暇もなくあっという間に時は経ち、いつの間にかオレは奴の恋人になっていた。

 勿論、訳が分からないと言っても完全に流されてしまった形ではなく、オレはオレの意思で奴の言葉に了承の意を示した。よって多少強引な感はあっても遊戯に騙されたとか、無理矢理そうさせられたという訳ではない。自分でいいと言ったのだ。その部分は納得している。故に問題にしているのはそこではない。

 オレが疑問に思うのは、自らそんな事を言い出して、あの当時は「海馬くんとキスとかエッチがしたい!」(なんだそのエッチとは)と豪語していたのにも関わらず、期限が一年に延びた途端、それまでの積極性は何処へやら、側に近づく事にも躊躇している遊戯のあの態度の事だ。

 ……おかしい。そもそも遊戯はそういう事をオレとしたいが為に『恋人』になりたいと言い出したのではなかったのか?それとも、それらの言葉は奴にとってはただのスタイルで、本当は全然違う意味合いがあるのだろうか。……よく分からない。

 まあ世間一般で言う『恋人』の定義と、遊戯やオレが思うそれを完全一致させる必要もないのだが、それまでがそれまで故に酷く気にかかるのだ。別にオレは遊戯とそういう事を積極的にしたいとも思わないし、それこそどうでもいいのだが、だったら何故『恋人』という名称に拘るのか、それが至極謎だった。何も無くて構わないのならそれこそ『知り合い』でも『友人』(オレはこの呼び名は嫌いだが)でもいいだろうに。

 共に居ると、時折何か言いたげにこちらを見る眼差しや、何となく意図的に触れようとしている雰囲気を感じるから、一応「なんだ?」と水を向けてやるのだが、そうすると何故か逃げる素振りをする。

 過去にコンデンスミルクにかこつけてキスまがいの事をしてきたり、遊戯の部屋で「丁度ベッドの上だから、それ以上でもいいんだけど……さすがに嫌だもんね?」等と口にしたアレは一体何だったのだ。その訳の分からなさがオレに苛立ちと妙なストレスを与えていた。口にはしないが、そういう事だ。

 今度の日曜日。わざわざ奴が指定してきたその日に、何か意味があるのだろうか。今のこの状態に何らかの変化をつける事が出来るのだろうか。それが分からない事には軽々しく返事をする気にもならない。これ以上余計なストレスは溜めたくない。

 オレは長い間開き過ぎて省エネモードになってしまったディスプレイを凝視しながら、そんな事を考えていた。けれど疲れた思考では上手く気持ちが纏まらず、結局その日は返信もせずに携帯を閉じてしまう。もう一通着ていた差出人不明のメールもそのまま無視して、明日に回す事にした。
 

 何もかもが面倒臭い……そう、思って。
『お前に話がある。時間作れ。-- 城之内克也』  

 次の日の朝。朝食を取りながらメールをチェックすると、昨夜オレの携帯に届いていた差出人不明のメールは凡骨……城之内からだった。

 ……何故オレのメールアドレスをあの男が知っているのか激しく謎だったが、それ以上に不可思議だったのはオレに話があるというその内容だ。勿論オレには奴と話す事なんか何もない。当たり前だ。顔を見れば憎まれ口しか叩いて来ない男とどう接触しろというのだ、馬鹿馬鹿しい。

 が、それ程までにオレを毛嫌いしている奴がわざわざメールを打ってく来るという事自体に何か意味があるのかもしれない。……全く、遊戯に関わってからというもの訳が分からない事が多過ぎる。

 オレは珈琲を片手に暫し悩んだ後、簡潔に一言『今日なら空いている。貴様がKCに来い』と返信してやった。何の話があるのかは知らないが、放置すれば繰り返されるのは目に見えているので、早めにカタを付けた方がいいと思ったからだ。遊戯の知り合いは奴を始め、しつこい奴が多い。それを考慮した上での返信だった。
 

 ── それから、数時間後。 
 

『社長のクラスメイトだと仰っている、城之内克也様という方がお見えになっておりますが。お通ししますか?』
 

 フロントにいる社員のそんな声と共に城之内の来訪を告げられたオレは、嫌々ながら「通せ」と言い、奴が来るのを待っていた。程なくして磯野に連れられて社長室へとやって来た城之内は、物珍し気に辺りをきょろきょろ見回しながらオレの前に立った。立ったと言うよりも立ちはだかった。

 その様子が酷く鬱陶しかったので、オレは即座に近くにあるソファーに奴を落ち着かせ、来客ではないが一応の手順として飲み物を用意させると、オレも反対側のソファーに腰を下ろした。そのまま無言で向かい合う。

「……で、オレに話とはなんだ」

 長い沈黙の後、こちらを睨んだまま口を開かない相手にいい加減痺れを切らしたオレは、苛立ちを隠しもせずにそう言ってやる。それに漸く話す気になったのか、城之内は目の前に出された既に冷めつつある珈琲を一気に煽ると、大きく息を吐き出して、口を開いた。

「オレだってこんなとこにわざわざ来たくなかったけど……」

 じゃあ来るな。と即座に口にしようとして、辛うじて言葉を飲み込む。自分から時間を作れと強要しておいてなんだその言い草は。部屋から蹴りだすぞ。そう苛立ちを募らせながらもオレはかなり我慢をして、組んだ腕にぐっと力を入れる事でやり過ごした。そして、気を紛らわせる為にカップを手に取って口を付けた、その時だった。

「オレ、遊戯からお前等の事、全部聞いてて」
「…………?!」
「まあ、それで……遊戯から色々と相談……みてぇな事をされたもんだから……その事でちょっと……っておい、何咽てんだ」

 城之内の思いがけなさ過ぎるその言葉に、オレは思わず飲み込もうとした珈琲を気管に入れてしまい、盛大に咳き込んだ。余りに盛大過ぎて涙が出る位に。

 いや、そんな事より!待て、ちょっと待て凡骨!貴様今なんと言った?!
 遊戯にオレ達の事を色々聞いていただと?!

「……き、聞いていたとは、どういう事だ!」
「どういう事って。だから、お前等が四月から付き合ってる事とか、最初はイロイロやったけど、今はしてねぇとか、次の日曜日に約束してるとか、そーゆー事」
「──── なっ?!」

 貴様詳し過ぎるだろう?!あの馬鹿は何ゆえ己の恥部を他人にベラベラと喋っているのだ?!こいつ等の中ではそれが当たり前なのか?!何なのだ!

 そう内心絶叫しながら、オレはそれでも逃げ出す事も顔を背ける事も出来ずにいると、城之内は睨み顔から一転して、少し面白そうな表情を見せると、こちらを覗き込む様に僅かに身を乗り出してくる。……その仕種が妙に腹立たしい。

「へーお前でもちっとは人並みの感情って持ってんだな。そーいうの人に知られるの嫌なんだ?」
「………………」
「ま、オレにはさっぱり理解できねぇけどな。遊戯も何が良くてお前なんかと付き合いたいとか思うのかね。超有り得ねーよ。つーかオレは今でも認めていないし、全く賛成もしてないけど」
「……貴様の話とはその事か。オレに遊戯と別れろとでも言いたいのか?貴様も奴の話を聞いていれば知っているだろうが、オレは」
「あー知ってるよ。遊戯だけ一人好き好き言ってる事は。お前、ソノ気あんましないもんな」
「ならば」
「知ってるから、オレはお前に聞きに来たんだ。オレ、お前等がくっつく事に対していいとは全っ然思ってねーけど、つかむしろ嫌だけど……ダチが真剣になってると頭ごなしに否定も出来ねーし、出来れば上手く行って貰いたいなーとか思うから。オレがお前を嫌いでも、遊戯には関係ねぇ事だしな」
「………………」
「で、実際はどうなんだよ」
「何が?」
「お前は、この先遊戯とそーいう関係になってもいいと思ってるわけ?それとも、本当は嫌なのか?」
「……何故、そんな事を貴様に言わなければならない」
「うん?お前の返答如何によっては、オレがお前に言う事も変わってくるから。だからどっちか教えろよ。別にはっきりとじゃなくっていい。脈有りか無しか、それだけでいいからよ」

 ……先程よりも更に顔の距離を縮めながら、今まで人を罵る言葉しか口にしなかった男が、思いもかけない台詞と共にオレに迫る。オレはやけに真剣になったその顔を眺めながら、たった今言われた事を真面目に考えてみた。

 ……答えは大体決まっている。四月に延長をして欲しいと言われた時点で、既に決まっているようなものだ。それを今更覆すつもりもない。凄く積極的にという訳ではなかったが、少なくても嫌だとは思わなかった。つまりは、そういう事だ。

 オレは暫くの間口を閉ざして考える素振りをしたが、やがて小さな吐息を一つ付くと、興味津々な顔でこちらを見ている男にきっちりと向き合って、やや早口に答えてやった。

「……有りか無しかの二択で答えるのであれば……」
「うん」
「無し、では、ない」
「なんだよその面倒くせぇ言い方。よーするにいい訳ね」
「………………」
「じゃあ、オレから一つ教えてやる。次の日曜日さ、お前遊戯に誘われてるだろ?実はその日あいつの誕生日なんだよね」
「──── は?」
「あ、やっぱり知らなかったか。ま、多分遊戯もそれがあるからお前と約束したがったんだろうけど。そういう事だから」
「……何が、そういう事なのだ」
「お前ってニブイなー。誕生日っつったら、普通何を想像するよ?」
「何をって」
「オレは遊戯から誕生日プレゼントを貰ったから、オレもあいつに何かやるつもり。お前は?これを聞いてまさか何にもしないなんて事はないよなぁ?一応相手は今どういう状態であれコイビトで、これからも仲良くしたいなーって相手なんだろ?」
「………………」
「ちなみに、遊戯が今お前に対して妙な態度をとってんのは、本人曰く『意識しちゃって何もできなーい!』って状況らしいから、そこんとこ誤解すんなよ。ああ、オレってマジいい奴だなーそう思わねぇ?」

 最後には自画自賛まで織り交ぜて、城之内は一人満足気に頷きながら、今までの奴からは想像できないほど楽しそうな笑顔を見せる。……この男、遊戯の為と親切ごかしてあれこれと口にはしたものの、その実単に面白がってるだけに違いない。やっぱりオレはこいつが嫌いだ。理解できない。

「っつー訳だから。後はお前の出方次第。オレはこの状況を楽しく観察させて貰うんで、まあ適当に頑張れよ。あ、最後に釘刺しとくけど、オレは遊戯の味方だからな。お前がどうなろうと知ったこっちゃねぇけど、あいつを泣かせるような事をしたら絶対に許さねーから!そこんとこ良く覚えとけ!」

 いつの間にか立ち上がり、そういいながらビシッと人を指差した城之内は、最後に何故か勝ち誇った笑みを見せて、悠然と去って行く。……一体何だったんだこの男は。閉ざされる扉を眺めながら、自然とそんな言葉が零れ落ちる。

 ……それにしても、遊戯が約束を取り付けてきた『次の日曜日』にはそんな意味があったのか。まさか奴がそこまでずうずうしいとも思わないが、わざわざその日を選んだという事は、オレに何かを期待しているのだろうか。否、期待しているのなら自分の口からその事を言う筈だ。黙っていたりはしないだろう。ああ、やはり意味不明過ぎて頭が痛い。

 オレは暫し呆然とソファーに座ったままその事を考えていたが、程なくして鳴り響いた電話にふと我に返り、一先ずその事は頭の隅に追いやった。デスクに戻り、仕事モードに切り替えた頭の片隅で、そう言えば奴にはまだメールを返していなかった事に気付いてはっとする。  

『次の日曜は何も無い。よって、貴様に合わせる事にする』 

 数分後、仕事の電話を切ったオレは即座に携帯を取り出して、遊戯宛にそんなメールを送信した。今は丁度夕食時、奴から返事が帰ってくるのは多分後になるだろう。そんな事を考えながら、携帯を閉じてPCを立ちあげる。
 

 何故か、妙に落ち着かない気分だった。