Act4 昨日全然寝て無いんだよ〜……あ。

「おい海馬!お前、久しぶりに顔を見せたと思ったら居眠りとは何事だ!起きてこの黒板の問題を解いてみろッ!」

 授業中、突然響いた英語の教師の怒号にオレは辞書の影に隠れて飲んでいたパックコーヒーを思い切り吸いこんでしまい、盛大に噎せてしまう。風邪っぴきの多い季節だから、しんと静まり返った空間で激しい咳を連発しても、特に咎められることは無い。けど、隣の席の杏子はその一部始終をさり気無く見ていたらしく、小声で呆れた様に「あんた何やってんのよ」と言って来た。

「『何やってんのよ』はオレじゃないだろ。海馬だろ。先生に怒られてやんの。馬鹿だねー」
「海馬くんは仕事が忙しいだけでしょ。一緒にしちゃ可哀相よ」
「なんでお前が海馬の肩持つんだよ」
「あんたの噴き出したコーヒーが顔にかかったからよ。汚いわね」
「あ、それはすみませんでした」
「ま、海馬くんは蒲田先生に目を付けられてるからしょうがないんじゃない?」
「……ああ、こないだの英文な」
「ワザと学会の論文持ち出すとか、やる事が徹底してるわよね」
「オレにはさっぱり意味が分んなかったけどな」
「大丈夫、この場にいただーれも分からなかったから」
「性格悪いよなーだから先公に嫌われるんだぜ」
「まぁ、授業で海馬くんをやっつけようってのが無理なんじゃないの?ほら」

 そう言って杏子がこっそりと指先を黒板の方に向けると、そこには見た瞬間気持ち悪くなる様な英文がぎっしりと書きこまれていた。どうやら奴は『また』先公に嫌がらせをしたらしい。

 先公……蒲田が海馬に指示したのは黒板の上に書かれた教科書にのってない、日本語を読んでも意味の分からない一文を英訳しろって奴だったんだけど、(それもどうよ)海馬の奴、その元になった文章を全部知ってるとかで、嫌みったらしく黒板の端から端までみっちりと英文を書き込んだ。違う意味で馬鹿だなコイツ。頭おかしいとしか思えない。

 こめかみに青筋を立てて怒る蒲田に、海馬はしれっとした顔で「たまたま全文を暗記していたので。ついでに」なんて言って席に着いて、今度は机に突っ伏しちまった。完全に小馬鹿にしている。

「……またやってるわ。懲りないわねぇ」
「宇宙人かあいつ」
「それにしても今日は珍しいじゃない?一時限目からずーっと寝っぱなしじゃない」
「そういやそうだな」
「もう一人いるけどね、同じ人」
「あん?」
「遊戯よ。あいつも全然起きないわよ」

 そう言って杏子がちらりと目線を送った先、教室の一番隅にある席に座っている遊戯は特徴的なその頭をゆらゆら揺らして完全に爆睡していた。めっちゃ寝てるって分かるのに蒲田の目には入っていないのか、総スルーだ。

「……爆睡じゃねぇか」
「昨日夜更かしでもしたんじゃないの。日曜日だったから」
「夜更かし……ねぇ」

 夜更かし……そう何となく心の中で呟いて、思わずその寝姿に誘われて大欠伸をしようとしたその時だった。よせばいいのに、オレはまた余計な事を考えちまったんだ。

 ── 二人で夜更かしって事はねぇよなぁ、と。

「………………」

 勿論、その考えが直ぐに帳消しにされる事はなかった。  
「海馬くん。かーいーばくん。お昼だよ?お弁当食べようよ」

 それから暫くして、待ちに待った昼休み。それまでひたすら爆睡していた遊戯は、チャイムと共に元気よく顔を跳ね上げて、机の横に下げていた鞄から弁当箱の入った包みを取り出すと、直ぐに海馬の席へと飛んで行って未だ机の上で爆睡中の海馬を覗き込むようにしゃがみ込み、その肩に手をかけながら軽く揺すっていた。

 少しの間されるがままにしていた海馬も、流石に何度も呼ばれると鬱陶しいのか、重たそうな頭をゆっくりと持ち上げて不機嫌そうな顔で遊戯を睨みつけている。うっわ、何あの顔。マジ眠そうなんだけど。てか、目ぇ開いて無くね?

「あれ、まだ眠い?はい、目が覚める様にお茶どうぞ。ストローさしてあるから」
「………………」
「駄目。ちゃんと飲まないと」

 けれど遊戯は全く気にしないで、奴の為に持って来たらしいパックのお茶を手際よく開けて、殆ど無理矢理海馬の口に押し付ける。……何やってんだもう、ひっでぇなぁ。周囲の人間ももう慣れちまったのか、一時期はギョッとして見られていたその行為も最早普通の光景の一部として認識しちまってる。まあ……オレもなんだけど。

 本田は弁当がないっつって購買に走っていっちまったし、御伽や獏良は今日は学食だって言ってたから、一人取り残されるカタチになったオレはカレーパン片手に、その様子を密かに観察していた。お茶位ならいいけど、弁当まで食べさせ始めたらちょっと、と思ったから。や!別に期待はしてねぇけどよ!期待は!

 そんな事を思いながら瞬く間に空になった袋を放り投げ、二個目パンに手を伸ばしたその時だった。何気なく聞こえちまった奴らの会話に、オレは思わず袋を真っ二つに引き裂きそうになる。

「……貴様の所為だぞ」
「えー?そ、そりゃ、僕も全く悪くないって言えば嘘になるけどさ。しつこかったのは海馬くんでしょ。もう一回、もう一回って何回やったと思う?」
「……オレは受けた屈辱は100倍にして返す主義だ」
「でもあれはやり過ぎだよ。僕もう腰痛くって。眠いしさ、散々だよ」
「フン、軟弱者め」
「そんなに悔しかったの?僕に──た事」
「……っ!!蒸し返すな!!」
「あはは。そんなに顔真っ赤にして恥ずかしがらなくていいのに。あの時の海馬くんの顔、可愛かったなぁ」
「煩いっ!もう忘れろ!」
「ね、今夜もう一回やろうよ。楽しくなってきちゃってさ。海馬くんに教わったアレとかコレとかぜーんぶ試してみたい」
「しない。オレとて腰が痛い。貴様のベッドは最悪だ」
「じゃあ海馬くんちでしようよ」
「断る。今日は寝る」
「えーじゃあ明日」
「そんなに頻繁に付き合ってられるか!」
「腰、撫でてあげようか?」
「余計な世話だ!」

 ……え、と。その会話は教室でしていいモノなんでしょうか?誰がどう聞いても立派な『夜』のお話なんですけど。

 尤もその会話をちゃんと聞かなくても、もうデレッデレな遊戯の笑顔に、真っ赤になって怒っている海馬の顔を見れば一目瞭然なんだけどさ。くっそ学校でデレやがって気持ち悪い!お前等のおピンク生活なんて誰も聞きたくねーってのこのエロガキ共が!ふざけんな!つーかどっちがどっちだよ基本的に。どっちでも嫌だけど!

 オレの頭の中で常に拒否しつつも浮かんでしまう色んな光景を必死にかき消しながら、オレはやっぱり頭を抱えて呻いてしまう。どうして、どうしてこうオレって奴ぁ……!!

 そうオレが普段通り奴等の事で理不尽な怒りと羞恥心に苛まれているその時だった。オレの姿が丁度遊戯の視界に入っちまったのか、「あれ?」と小さな声を上げた奴は、今度ははっきりとこっちを見て「どうしたの、城之内くん。皆は?」なんて声をかけて来る。

 だから声をかけてくんなっつーの!オレに水を向けるな!!

「……あー、いやその。皆購買と学食に……」
「そうなんだ。一人なら一緒に食べよう?いいよね?海馬くん」
「……好きにしろ。オレは眠い」
「寝ちゃダメだってば!」
「……いや、その、なんつーか、オレぁいいよ、ここで」
「なんで?」
「だ、だって邪魔だろ?」
「邪魔じゃないよ。城之内くんがいてくれた方が海馬くんも起きるし」
「………………」
「めっちゃ睨まれてますが。……つか、お前ら今日はずーっと居眠りこいてっけど、もしかして昨日……」
「眠そうにみえる?実はね、昨日は僕も海馬くんも全然寝て無いんだよ〜……あ」
「余計な事は言うな。遊戯」
「!!や、やっぱり、今の会話って……!」
「聞こえてた?!……うわ…」

 うっわ、とどめのバーストストリーム出た!おい遊戯。あ。って何だよあ。って!!聞こえてたも何も通常ボリュームだったっつーの!!それよかお前少しは誤魔化すなりなんなりしろよ!!オレが恥ずかしいじゃねぇかおい!

「……そういう会話は、学校ではしねぇ方がいいと思うけど」
「ご、ごめん。気をつける。で、でも、別にエッチな話してた訳じゃないんだからいいでしょ?」
「エッチって……!」
「おい、貴様ら何を不埒な方向に話を持って行こうとしている」
「その不埒な話を散々してた癖に文句言うんじゃねぇよ。スケベ社長が!」
「……なんだと?聞き捨てならんな。誰がいつそんな下賎な話をした」
「今してただろうが!デッカイ声でよ!近所迷惑なんだよこの馬鹿ップルが!」
「えぇ?!それは誤解だよ、城之内くん!」
「何がどう誤解なんだか説明してみやがれ!!」
 

 腰が痛いだのベッドがどうだの言いまくって違うたぁなんだ!ありえねぇだろ!?
 

 余りにもしれっとした態度で平然と嘘を言う目の前の二人にオレは盛大に席を立ってつい大声でそう叫んでしまった。幾ら温厚なオレでもここまでコケにされると面白くない。さぁ、白状して貰おうじゃないの馬鹿ップル!

 そうオレが意気込んで、殆ど呆気に取られている奴らをギロリと睨みつけたその時だった。少しだけ困った顔をした遊戯が、こっそりと、けれどはっきりと分かる声でこう言った。
 

「昨日僕達は、僕の家でチェスの勝負をしていただけだけど……」
 

 ………………。

 え?……チェス?!
 

「ちなみに腰が痛いのは場所がなかったから僕のベッドの上に座ってずーっと勝負してたからだよ」
「……じゃあ、なんで海馬が顔真っ赤にしてんだよ」
「それは僕が一回だけ海馬くんを負かしちゃったからだよ。そしたら海馬くん怒っちゃってさぁ、『完膚なきまでに叩き潰してやる!!』って」
「……アホだな」
「僕に負けた時の海馬くんの顔がものすっごく可愛かったから、もう一回みたいなぁって」
「……そうですか」
「フン。スケベとやらは貴様の方だ。年中発情期の低能犬め」

 うっわ、すっげぇムカつく!!ぶん殴ってやりてぇコイツ!!

 ……オレはもう金輪際こいつ等に関わりあいにならない事を心に誓った。

 『触らぬ神に祟りなし』だ。