Act2 二人の休日

「ねぇ、海馬くん」
「ん?」
「僕、ちょっと暇なんだけど」
「ん」
「確か僕達はここに散歩に来たはずだよね?どうしてベンチに座って動かないの?」
「ん」
「もー。海馬くん!」
「何だ?」
「好きだよ。キスしていい?」
「ん」

 何気ない会話の中にさり気なくちょっと甘い言葉を混ぜてみても、その顔は知らん振り。僕の口から盛大な溜息が零れ落ちる。

 こんな風にさっきから何かと君に話しかけているのに、適当に頷きながらそんな返事を返すその言葉は嘘ばっかり。本当は君は全然僕の話を聞いてない。さっきから難しい数式のようなものがびっしり書かれた小さな手帳とにらめっこを続けていて、神経質に指先を自分の膝でトントン叩きながら何かしきりに悩んでる。……っていうか、君が「気分転換に散歩なら」って言うからここに来た筈なのに、結局その悩みごとを持って来たらあんまり意味がないんじゃないの?ほら、また唸ってる。

 そんな彼の前髪をさらりと揺らすのは隣にいる僕の指先じゃなくて、爽やかな秋の風。最近薄着でいるにはちょっと肌寒く感じるようになったけれど、今日は珍しく雲一つない青空で、気温もぐんぐん上がって凄く気持ちがいい秋晴れだった。こんな日には大好きな人とどこか遊びに行きたいなーと思って、僕は早速海馬くんの所へお邪魔しに行ったんだけど、君は僕を帰しはしなかったものの、構ってもくれなかった。
 

「今大事な構想中だ。邪魔をするな」
 

 そう言ったきり、君は一言も口をきかずに視線を下に落としてしまって、それっきり、こんな時間が続いている。

 こんな状態なら、僕も諦めて帰ればいいんだけど。僕にだって意地があるわけで。「貴重な休日をわざわざここまで足を運んだんだから、ちょっと構ってくれてもいいじゃない」と駄々を捏ねてみたら、基本的に僕には優しい海馬くんはゆっくりと顔を上げて仕方なさそうに肩を竦めると、「ではどうしたいのだ」と僕に聞いてきた。

 どうしたいって。君と僕は一体なんでしょう?今日昨日付き合った初々しいカップルじゃないんだよ?暇があればソファーに座ってお茶を飲みながら話すよりも、ベッドの中で抱き合いたいっていう恋人同士なんだよ?そんな事、わざわざ言わなくても分かる癖に。

 そう僕が言葉に出さずに視線で言うと、察しのいい海馬くんはちょっとだけ頬を染めて簡潔に「まだ昼間だ」と呟いた。あ、『まだ昼間』って事は『夜ならいい』って事なんだね。海馬くんがその気なら、僕にとって待つ事はなんでもない。その時を楽しみに、どんなに退屈な時間だってじっと黙って我慢できる。

 相変わらずそう口にはしないで目線で伝えると、僕はもう海馬くんを急かすようにジッと見つめるのはやめて、こんな時の為に持って来たまだ読んでない漫画の本を取り出して、なるべくゆっくり読み進めようとしたその時だった。パタリと本が閉じる様な音がして、海馬くんが座っていた皮の椅子が軋む音がする。そして、ちょっと眠そうな低い声が僕の名前を呼んだんだ。
 

「気晴らしの散歩位なら付き合ってやってもいい」
 

 その言葉を合図に、僕達は手を繋いで外へ出た。行き先は凄く近所にある結構大きな自然公園だったんだけど、それでも学校の放課後以外で二人で連れ添って外を歩く事なんて滅多になかったから、十分に嬉しかった。

 途中、学生に人気のコーヒーショップに立ち寄って、お持ち帰り用のカップコーヒーと大好きなドーナツを幾つか買って、僕はいつしか公園デートの気分で楽しんでいた。ついこの間新しくしたばかりで、ペンキ塗りたての張り紙が漸く取れた白いベンチに腰を下ろして、コーヒー片手に他愛のない話をしていると、不意に海馬くんが何かを思い立った用にコートのポケットに手を入れて、置いてきたと思っていた小さな手帳とペンを取り出した。そして、真剣な顔でにらめっこを始めて今に至る。

 時間にして一時間位経っただろうか。吹きつける風が少し冷たくなって来た。綺麗だった青空に下から少しずつオレンジの光が滲んできて、夕方が迫って来ているのを視覚で知る。近くにある青い芝生が綺麗に駆り揃えられたグラウンドで遊んでいた子供達も、お母さんの呼ぶ声にはしゃぎながら帰って行った。

 残ったのは僕達と同じ様に散歩にでも来ているらしいさまざまな年齢のカップルや、ジャージを来てトレーニングに励む男女、そしてこんな休日でも変わらずに働いたらしいサラリーマンが通り抜けていくその姿だけ。皆なんだか忙しそうで、それでも何となく楽しそうで。隣の海馬くんも含めて今の時間を十二分に生かしている人達を見ていると、手持ち無沙汰な自分がなんとなく仲間外れにされた気分になる。……ちょっとだけ、寂しいと思う。

 そんな事を思って少し切ない気分に浸った僕はそれをごまかそうとまだボックスに残っていた最後のドーナツを半分に割って、半分は自分の口に放り込んで、そしてもう半分は……きっちり引き結ばれている隣の唇へと触れさせる。

 僕は何も言わないし、海馬くんも表情一つ変えないけれど、チョコレート味のそれに触れた瞬間その唇は直ぐに開いて僕の手からドーナツを取り上げてしまう。唇だけで上手く食べられないのか、海馬くんは何時の間にか添えていた自分の右手でそれを器用に口の中に押し込んで、残していたらしいコーヒーと共に全部綺麗に食べてしまった。

 口元にチョコの欠片がついていたから手を伸ばそうか、それとも唇を寄せようか、そんな下らない事を考えていると、それも直ぐに海馬くんの指先に取られてしまう。……つまんないの。そう心の中で呟いて、空になった紙製のボックスを綺麗に折り畳んだ僕は溜息と共にそれを直ぐ傍のゴミ箱へと放り込んだ。ガサッ、と小さな音がする。あーあ。無意識にそんな声が零れ落ちる。

「遊戯」

 不意に、ゴミを投げる為にちょっとだけ前かがみになっていた僕の腕を掴んで、海馬くんも身を乗り出す。同時に、コトンと言う音が響いて僕のゴミの上に白いカップが逆さまになって落ちてきた。それは海馬くんが手にしていたコーヒーのカップで、どうせなら一緒に捨ててあげればよかったかな、なんて思いながらそう言えば名前を呼ばれた気がすると、海馬くんの方に顔を向けようとしたその時だった。

 唇に、ふわりと掠めた暖かな感触。

 え?と思う間もなく離れてしまったのは、緩い弧を描いた海馬くんの唇だった。

「ついてたぞ」
「……な、何が?!」
「今しがた食べたドーナツの欠片だ」
「えぇ?!嘘っ?!」
「嘘じゃない。ここにも、ほら」

 そう言って、海馬くんの指先が再び僕の唇に触れる。一瞬感じた冷やりという感触に戸惑ってる暇もなく、その指先は茶色い欠片を乗せて僕の目の前に戻ってきた。

「ほらな」
「……ほんとだ」
「貴様は人の顔ばかりみていて、自分の事は全く気づかないのだから呆れるな」
「ご、ごめん。だって……!」
「退屈をさせて悪かった。一区切りついたから、帰ろう」
「終わったの?」
「終わりはしない。そう簡単に終わるようなものを持ち歩いたりするか」
「そうだよね。ごめん。僕……なんか邪魔しちゃってるよね」
「今更だな。『貴重な休日』にわざわざ邪魔をしに来た癖に」
「……だって、僕は君と一緒に居たかったんだ。だから」
「なら、謝る必要はないだろうが。そして、オレも謝らないぞ。貴様はそうしたいと言ったんだからな」

 指先に乗せた欠片を何の気もなしに舌で舐め取った海馬くんは、そう言ってちょっと意地悪げな笑みを見せると立ち上がる。謝るって何を……?と思ったけれど、きっと僕の休日をこんな形で潰させてしまったって事なんだろうな。やっぱり、海馬くんって僕には優しい。そしてちょっとだけ、意地が悪い。でも。
 

「好きだよ」
 

 先に立ち上がって少し遠くなったその顔を真っ直ぐに見上げて、僕はその台詞だけ、心の中じゃなくて言葉に出して言ってしまう。

「……何の脈絡もなく唐突になんだ?」
「脈絡はあるんだよ?僕の中に。海馬くんには教えないけど」
「別に、特に知りたくもないがな」
「あ、酷いなぁ。僕は知って欲しいのに」
「今教えないと言っただろうが」
「うん」
「では、どうやって知れというのだ」
「考えてみて。海馬くん、考えるの大好きでしょ。一日中アイデア手帳とにらめっこするように、僕ともそうすればちゃんと答えは出てくるよ」
「……そう来るか。貴様、拗ねてるだろう」
「あ、分かる?ってうそうそ。拗ねてないよ。だってこれからの時間は僕にくれるんでしょう?少し寒くなって来たし、早く帰って、暖かい場所でゆっくりしようよ」
「とても『ゆっくり』は出来なさそうだがな」
「もー減らず口ばっかり。塞いじゃうよ」
「貴様のその口が届けばな」

 最後にやっぱり意地悪くそう言って、けれど、それでも優しい海馬くんは僕の為に身を屈めて顔を寄せてくれる。自主的に塞がれたいんだ?なんて笑いながら、僕は両手でその頬を包んで、宣言通り唇を塞いでしまう。少しだけチョコの味がする表面を舐め上げて、薄く開かれたその間から舌を滑り込ませて中まで探る。

 寂しかったし、退屈だった。つまらなかった。そんな感情を全部舌先に集めて、押し付けるように海馬くんの口内を舐め上げた。息が上がる程の長いキス。何時の間にかお互いの身体に腕を回し、ぎゅっと強く抱き締める。

 ああ、でも今この瞬間はすっごく幸せ。一日の退屈なんて全部綺麗になくなってしまうほどに。そんな風に僕が幸せに浸っていたその時間を、海馬くんはあっさり、本当にあっさりと台無しにしてくれた。

「……帰ろうか。早くしないとお休みが終わっちゃう」
「そういえば、明日はテストだったんじゃないのか」
「あ!そうだっけ?!」
「勉強した方がいいのではないか?」
「うー……嫌だ。だって、折角我慢したのに」
「時間を無駄にしたな」
「海馬くんがもっと早くそれを思い出せば良かったんだよ」
「暢気にドーナツなど食べている方が悪い」
「赤点取ったら海馬くんの所為だからね!」
「そんな事知るか」

 公園の片隅の小さなベンチの上で、熱っぽく抱き合いながらこんな話をする僕等はやっぱり高校生で。まだまだ大人のムードなんて作れないなぁ、なんて良く分からない事を思いながら、僕はもう一度腕の中の身体を抱き締める。テストのお陰でちょっとだけ萎えてしまった気持ちをもう一度持ちあげる為に。

 凄く退屈だった休日が、最高の休日に変わるまで、あと少し。
 けれどこのままでも、十分僕は幸せだった。
 

 例え次の日のテストで見事に赤点を取ったとしても、十分に。