Act4 ストレスをあたえてはいけません

「海馬くんも何か食べなよ。お腹すいちゃうよ?」
「いい。腹など減ってない」
「じゃあ、僕の半分あげるから、あーんして?」
「いらないと言っている。オレはジャンクフードなど食べん」
「ハンバーガー嫌いじゃない癖に。この間二個も食べたでしょ。これ、海馬くんが唯一完食したテリヤキチキンバーガーだよ?」
「………………」
「……もー」

 はぁっ、と大きな溜息を吐いて、遊戯は思い切り伸ばしていた腕を引っ込めると、まだ全く手を付けていなかったテリヤキチキンバーガーにかぶりついた。少し甘めのソースが口中に広がって、なんとも幸せな気分になる。

 けれど気持ち的には少々悲しい気分だった。
 折角のデートなのに相手である海馬が物凄く不機嫌だからだ。

 今も綺麗な顔をこれでもかと顰めた海馬は遊戯からはそっぽを向く形で大きく切り取られた硝子窓の向こうを眺めている。二人の間には、会話らしい会話が成立しない。交わされるものと言えば、遊戯の問いかけとそれに全てNOで返す海馬の素っ気ない言葉だけだ。

 人が溢れた真昼間のショッピングモール。今日が休日という事もあり、その賑やかさは想像以上だ。このエリアには映画館やゲームセンターなどのアミューズメント施設も多数存在している事から余計に人が集中するのだろう。

 その一角にある巷ではかなりメジャーな……そして遊戯が尤も熱心に通い詰めているハンバーガーショップに現在二人は滞在している。昨晩珍しく遊戯の家へ泊まり込んだ海馬と二人で外に出かけて3時間後の事だった。

 遊戯が勝手にオーダーしたカフェオレに嫌々口を付けながら無言を貫き通す海馬を上目遣いで見上げながら、遊戯は再び小さな溜息を吐く。……こんな筈じゃなかったのになぁ。そう呟く声は口の形でだけ吐き出され。相手の耳には届かない。そろそろ、付け合わせのポテトもなくなりそうだ。食事が終わったらどうすればいいのだろう。そう思いつつ、既に冷めてしなびつつあるそれに手を伸ばしたその時だった。背後から、こそこそと実に楽しそうな声が聞こえてくる。

「やっぱり海馬ってハンバーガーとか食わねぇのかな。んでもデートだぜ、デート。カレシに合わせようとは思わないのかね。なんだあの仏頂面」
「うーん、でもこの前あたしのバイト先では食べてたわよ?ナゲットも」
「うぇ?マジで?!食うのかよハンバーガー!つかナゲット!?海馬がナゲット!!」
「ちゃんとケチャップも付けてさ。結構可愛かったわよ」
「やめてくれー脳が拒否する!」
「お前、海馬を何だと思ってんだよ……食うだろナゲット位。オレは食うね」
「てめーと一緒にすんな!」

 瞬間、海馬の元から深く刻まれた眉間の皺が更に深まり、片手に持っていたプラスチックコップがミシッと嫌な音を立てた。まだ中身が入っている状態故に握り潰す事が出来ないが、これが空だったならば容赦なくこの場で粉砕してしまうだろう。

 あああ余計な事言わないで城之内くん達!そう遊戯が心の中で願っても、背後の声は一向に止む気配がない。本当は後ろを振り向いて注意をするべきなのだが、あちらも遊戯にとっては大事な親友達だ。無下にする事はどうしても出来ない。困り果てた遊戯はこっそりと天を仰いだ。全く、何故楽しい筈のデートでこんな思いをしなければならないのか。

 そう、海馬の不機嫌の原因はこの三人の『親友』の所為。

 ほんの一時間前に敵状視察という名目で足を運んだゲーム屋で偶然、本当に偶然彼等と鉢合わせてしまった。学校ならば5人が顔を合わせる事は同クラスという事もあり特に珍しい事ではなかったが、こうして外で顔を合わせたのは初めてで(そもそも遊戯と海馬が外に出かけるという事がかなり稀なのだが)、それ故彼等は遊戯達の行動に非常に興味を惹かれたらしい。

 よって、三人は本来の目的そっちのけで遊戯達の後を付けてまわり、その行動を一々監視しつつ今に至る。その行為は殆ど性質の悪いストーカーそのもので、その事に海馬が激怒した、という訳だ。尤も彼の怒りはそれだけではなく、不躾な真似をする『お友達』に文句一つ言えない遊戯の態度にも向けられていたのだが。

(困ったなぁ)

 遊戯は頭を抱えたくなる心持でチラリを背後を振り向いた。それにひらひらと手を振っている城之内に苦い笑みを見せると思い切り肩を落とす。本当に、こういう場では空気読んで欲しい。尤も、城之内にとっては海馬に嫌がらせするのが生きがいみたいなものだから、全部分かってやっているのだろうが、度が過ぎる。折角今日と言う日を楽しみにしていたのにこれでは台無しになってしまう。

 なんとなく、ストレスを感じる。勿論こんなのは海馬に比べたら微々たるものなのだろうが。

「………………」

 このままでは、どの道海馬がキレる事は分かっていた。既に顔と態度に出している時点でその怒りが限界に達している事が分かる。普段の彼の堪忍袋の小ささを見ればよくぞここまで我慢したと褒めてやるべきだろう。いや、そこは褒めるべきかどうかは分からないが。

(乱闘が始まる前にここを抜け出して、城之内くん達を振り切ろう。うん、それしかない)

 そんな事を思いながら、遊戯が行動を起こそうと目の前のゴミをトレイに纏めて席に備えつけてあるダストボックスに捨てようとしたその時だった。不意にゆっくりと視線を固定しっぱなしだった窓の向こうからこちらへと向けた海馬が限界ギリギリの顔で口を開いた。

「遊戯」
「えっ……何?」
「あの不愉快な馬の骨どもを追い払え。でなればオレは帰る」
「ええ?!ちょ、ちょっと待ってよ。城之内くん達は何も悪い事はしてないし……」
「通りすがりに見かけた知り合いの後を興味本位で付け回し、その行動に一々何癖や評価をする事は『悪い事』ではないのか?」
「……そ、それは……いい事、じゃ、ないけど……」
「ならば出来るだろう?言っておくがオレは本気だ」

 ガタリ、と勢い良く席を立った海馬は、まるで威圧するように遥か頭上から遊戯を見下げて来る。逆光の中に佇む目を薄く細めた怒り顔は、なまじ整っている故に酷く恐ろしい。今日は自分の家から出かけて来て良かったと心底思う。これが海馬邸発であったら間違いなく武器の類を所持して来るに違いないからだ。そうなってしまえば乱闘どころの騒ぎではない。乱射事件だ。

 平和な童実野町のど真ん中で、思いっきりプライベートな事情でそんな事件を起こされては洒落にもならない。

 とにかく、なんとかしなければ。

 殆ど本能でそう悟った遊戯はそれまでの歯切れの悪さはどこへやら、「うん、わかった!」と勇ましく口にするとこちらも勢い良く立ち上がり、至極素早い動作で少し離れた席に座っていた城之内達の元へ行くと、常には見せない真剣さで彼等を諭し、早々にお引き取りを願った。

 最初は渋っていた彼等も「このままじゃ海馬くん、ストレスが爆発して何するか分かんないよ?他の人にも迷惑だから!」の一言と、それに見合った海馬の様子にやっと事態の深刻さを理解して、漸く座っていた席から腰を上げた。そして早々に人混みの中に消えてしまう。

 そんな彼等をほっとした顔で見送った遊戯は、直ぐに席にとって返し、未だ不機嫌な様相で立ち尽くしている海馬の手を取ると「ごめんね」と頭を下げた。そして素早くその指先にキスをすると、にこりと笑ってゆっくりと握り締める。

「野次馬は追い払ったし、続きしようか?何処に行きたい?」

 僕は君が行きたい所ならどこでもいいけど……とりあえず。人気の無い所に行って、キスをして、溜まったストレスを解消してあげよう。

 意外に繊細な所がある大きくて可愛らしいこの生き物は、自分がきちんと面倒を見てやらなければいけないのだ。それが自分の幸せにも繋がっている。

 笑いながら、右手を引く。それに特に嫌がるでもなく付いて来た白い横顔を眺めながら、遊戯は不意にちらりと壁に掛った小さな時計を眺め見た。まだ時間は昼を少し過ぎたばかり、まだまだ一日は終わらない。

「まだ怒ってる?」
「別に」
「じゃ、機嫌直して。その内お腹も減って来るよ。サウスタワーの地下にさ、すっごく美味しいアイスクリーム屋さんがあるんだって。食べに行こう?」
「アイスクリーム?」
「うん。怒った後は甘いモノが美味しいんだよ?」
「嘘吐け」
「ほんとだよ。それに、甘いものを食べた後は……」  
 

 ── すごく、甘いキスが出来るんだよ?