Act9 いじめてはいけません

「もういいよ。じゃあ僕、城之内くん達の所に行ってくるから」
「何?」
「大体今日本当は皆と遊びに行く予定だったんだ。でも君がやっと休みを取れたって言うから、あっちを断ってこっちを優先したのにさ。そういう態度を取るんなら、僕だって好きにしちゃうんだからね!」
「……聞き捨てならんな。貴様、このオレといるよりも凡骨共とじゃれ合っている方がいいとでも言うつもりか」
「だって海馬くん、ぜんっぜん僕に構ってくれないじゃない。だったら皆と遊びに行った方がいいに決まってるでしょ」
「何も一日中放っておくとは言ってないだろうが。後少しだ」
「後少し後少しってもう何時間経ったと思う?僕の我慢にだって限界があるんだからね!大体海馬くんは、僕と仕事とどっちが大事なのさっ!」

 そう言って、僕がソファーから勢いよく立ちあがり、ビシッと人差し指を海馬くんに突き付けると、彼は一瞬驚いた様に目を瞠って、あからさまに戸惑った顔を見せた。片手に持ったままだった分厚い書類の束がばさりと音を立てて机の上に戻される。

 その様子をちょっとだけ怒った表情を崩さない様にして正面から見詰めつつ、僕はこっそりと心の中でほくそ笑んだ。

 ふふ、やっぱりビックリしてる。海馬くんって案外こういう攻撃に弱いんだよねー。攻撃は最大の防御、な人だから自分が攻撃している内は全然平気なんだけど、人から攻められちゃうと弱いっていうか。

 そう言えばエッチの役割なんかもそうだったなぁ。先制攻撃をしたら意外に簡単に転がってくれちゃって、後は結構思うがままだったって言うか。海馬くん的には「物凄く予想外で不本意だっ!」って感じだったけれど、こういうのはやったもん勝ちだもんね。じーちゃんもそう言ってたし。まぁそれはいいんだけど。

 とにかく、狙った通りの反応が返って来て僕は凄く満足だった。今の台詞は勿論海馬くんを困らせてやろうと口にしただけで本心なんかじゃ全然ない。今日はまだ2時間目だから短い方だし、大体こんな事で一々頭に来てたら海馬くんとなんか付き合っていられない。

 けれど、余り甘やかし過ぎるのも良くないし、このままぼーっとしてるのも退屈だったから、ちょっとだけ「苛めちゃおうかな」なんて思ったんだ。

「海馬くん」
「な、なんだ」
「君は僕の事をとっても軽く考えてるみたいだけど。僕は本当に真剣なんだよ?」
「………………」
「今の質問の答えによっては、君との付き合い方を考えなきゃならないなーって思う位に」
「……なんだと?」
「だってそうでしょ。いつまで経っても二番目……あー、モクバくんも入れたら三番目なのかな?……じゃ、悲しいもの。だったら、僕の事一番大事!って言ってくれる人の方がいいなぁ、って思うじゃん。君だってそうでしょう?」
「………………」
「だから僕は君に聞いてる訳。大事なのはどっちですかって」

 立ち上がったソファーからゆっくりと離れながら、僕は背中の後ろで両手を組んで目だけは海馬くんから離さないようにしながら、そうわざとらしく口にする。そんな僕の事を相変わらず複雑な表情で眺めながら、海馬くんは何か言いたそうに薄い唇を震わせていたけれど、素直じゃない彼はそう簡単に自分の気持ちを声に出して言う事なんか出来ないんだ。

『言わなくても分かるだろう』

 言葉じゃなくって眼差しだけでそう言っている海馬くんの声は僕に届いているけれど、今は彼を苛めている最中だから勿論「分かってるよ」なんて言ってあげない。いつもいつも我儘言って僕を困らせてばかりいるんだから、たまには君を思いっきり困らせたい。それに……

 困ってる君はなんだかすっごく可愛いから、やめられないんだ。

「…………オレは、貴様の事を……」
「うん?何?はっきり言って」
「……軽く考えている、つもりはない」
「そうなんだ。じゃあどうして僕が来てるのにずっと仕事をしているの?」
「そ、それは。どうしても区切りをつけなければならなくて……」
「うん。そうなんだよね。だったら、ちゃんと仕事を終わらせた方がいいんじゃないかな。僕は君の邪魔をしないように出かけて来るから」
「凡骨共とか」
「そうだよ」
「駄目だ」
「どうして?」
「………………」
「ちゃんとはっきり言ってくれないと分からないよ?」

 少しずつ少しずつ、僕は海馬くんの距離を縮めながら、口調や眼差しをちょっとずつきつくしていく。このままやったら泣いちゃうかな。勿論海馬くんだから本当に泣いたりなんかしないんだけど、普通の人だったら「これって泣いてるんじゃないの?」な感じだから、海馬くん的には物凄く悲しい表情をしていると思う。

 なんだか可哀想になってきた。
 ここでサレンダーしちゃうから僕もまだまだ甘いんだけど。

「海馬くん?」

 最後ににっこりと笑いながら名前を呼ぶと、彼は本当に蚊の鳴く様な声でぽつりと「……嫌だからだ」と言ってくれた。その一言で、なんかもう凄く昂ぶってしまった僕は、即座に椅子に座る彼の首に飛びついて、「嘘だよ」と言ってあげた。

 瞬間、海馬くんは直ぐに顔色を変えて本気で怒鳴りつけて来たけれど、悲しそうな表情を引きずったままだったからちっとも怖くはなかった。

 勿論、この後ちゃんと仲直りはしたけれど、たまには傷つけない程度に苛めるのもいいかなぁ、なんて思うんだ。
 

 その後の時間が、凄く甘く過ごせるから。