約束から始まる未来 Act7

「一緒にお弁当食べようよ。今日はママに二人分作って貰ったんだ。この間のお礼」

 それは遊戯の告白を受けてから約一ヶ月が経過したある日の事だった。中間試験の為にその日久しぶりに登校していた瀬人は、突然至近距離から投げつけられたその言葉に耳を疑いつつ顔を上げた。

「今日は天気もいいし、屋上は誰もいないよ?絶好のお弁当日和だと思わない?」

 そんな相手の反応などお構いなしに声をかけて来た張本人は、更に言葉を重ねながら強引にも腕を引こうとして来る。そんな男の事を凝視しつつ、未だ机上に筆記用具を広げたままだった瀬人は、思わず「なんの冗談だ?」と口にしていた。しかし遊戯は少しも動じる様子はなく、むしろ「早く早く」と急かして来る。呆れつつも視線を僅かに動かせば、彼のもう片方の腕には確かに同サイズの包みが二つと水筒が抱えられていた。

 彼等の頭上では昼休み開始のチャイムが鳴り響き、クラスメイトがあちこちで机を移動したり、学食だ購買だと騒ぎ始めていた。確かに今は昼食の時間なのだ。だが何故この男は突然目の前にやって来て人の腕を掴んで共に昼食を取ろう等という酔狂な事を言って来るのだろう。

 そもそも普段は例のお友達連中とつるんで楽しい時間を過ごしている筈だ。今日に限ってこちらに目をつけてくる事自体が、瀬人にとっては意味が分からない事だった。

「何故オレが貴様と共に昼食を摂らねばならない。貴様は普段通り奴等と共に食べてくればいいだろうが」
「だって、今日は試験だったから海馬くんが来るって分かってたし。だからママにも予めお弁当を頼んでおいたんだよ」
「いや、そういう意味では無く……何が『だって』だ」
「じゃあどういう意味?僕は君とお弁当が食べたいんだけなんだけど」
「そもそもオレは学校で飲食はせん」
「うん、知ってる。君がここで何かを口にしてるとこ、見た事無いもんね。一人だと食べる気がしないからでしょ。だから一緒にご飯食べようって……」
「違うわ!」

 妙に噛み合わない会話に瀬人が苛立たしげに声を荒げた時だった。その声が煩かった所為か、はたまた遊戯と瀬人という物珍しい組み合わせであった所為か、その場にいたクラスメイトの目線が教室の隅で言い争う二人に注がれた。耳障りなざわめきが一瞬にして静まり返り、瀬人は大いに面喰った。そして小さな舌打ちを一つする。

 こんな見世物扱いをされるのなら、まだ下らん友達ごっこに付き合った方がマシだ。そう沸騰しかけた頭で瞬時に判断した彼は、こんな事態を引き起こしたにも関わらず全く悪びれない様子の遊戯を睨み上げ、無言のまま席を立つ。そして速足で近間の出入り口へと向かい、力任せにスライドドアを押し開けた。

「海馬くん!」

 その様子を些か面喰った体で眺めていた遊戯だったが、直ぐにその後を追う様に小走りでついていく。かくして、昼休みの和やかな空気を破壊された教室内は、当事者二人の退場により、元の雰囲気を取り戻した。

 

「海馬くん、待ってよ!何処に行くの?!」

 殆ど衝動的に教室を飛び出した後、瀬人は振り返りもせずに人の多い薄汚れた廊下の中央を堂々と闊歩し、自ずと避けて通る生徒達に目もくれず、迷いのない足取りで階段のある中央部へと進んで行く。そして、屋上へと続くステップを一つ上がった所で、漸く背後にいる遊戯を振り返った。

「……屋上に行くのではなかったか」
「え?」
「行かないのなら、オレは帰る」

 自分でも馬鹿馬鹿しい台詞だと分かっていたが、血が上った頭では言葉を吟味する暇などなかった。何故、オレはこんな思いまでしてこいつの言う事を聞いたのだろう。至極単純なその疑問は答えを得る間もなく、迫って来た笑顔にかき消える。

「うん、ごめんね。早く行こう!」

 何時の間にか瀬人の直ぐ後ろに立っていた遊戯が、足取りも軽く先に上へと上がって行く。今までのもたつきはなんだったのだ、と突っ込みたい程俊敏な動きを見せた彼は、あっと言う間に二階分の階段を駆け上がり、ご丁寧にも扉を開けた状態で瀬人の事を待っていた。妙な真似をするな、と諌めると、彼は愉快そうに笑いながら「海馬くんって扉を自分で開ける事の方が少ないでしょ」等と嘯いた。

 その言葉に、瀬人は自分が腹を立てている事が酷く馬鹿馬鹿しくなったのだ。
 その日の屋上は、予想に反して至極心地のいい空間だった。

 滅多な事でこの場所を訪れはしない瀬人だったが、確かに束の間の休息を得るには絶好の場所で、もう少し気温が高ければ昼寝をするのには最適だな、などと普段思いもしない事まで脳裏を過った程だった。

 二人は腰を据えるのに丁度いい給水塔へと歩んで行き、壁を背にして座り込んだ。すかさず遊戯が割り箸が見えている方の弁当を瀬人に手渡し、自分も伸ばした足の上に弁当を置く。そして「早く食べよう」と言いながら蓋を開けて、早速おかずの一つを口に入れた。それを気配で感じながら、瀬人は受け取った弁当をただじっと見つめている。

「いっつも高級品ばっかり食べてる海馬くんの口には合わないかもしれないけど、不味くはない筈だよ?」
「………………」

 口をもごもごと動かしながら遊戯は未だ手を動かす様子のない瀬人に、そんな風に声をかけた。弁当に手を付けない理由はなんなのか。庶民の味など口に合わないと馬鹿にしているのだろうか。それとも、まださっきの事を怒っているのだろうか。それにしては随分と素直にここまで来てくれた。普段の彼だったら、あの教室の空気が嫌で逃げ出したのだとしたら、そのまま帰宅してしまってもおかしくないのだ。

 けれど、瀬人は自分の足で先に立って屋上に来る素振りを見せてくれた。扉を開けて招き入れると渋い顔はしていたものの、ちゃんと中に入ってくれた。そして、今もこうして弁当を受け取ってはくれている。そのどれもが彼の意思無しではどうにもならない事だった。だからこそ、そこから先の動きを見せない事を不思議に思う。

 遊戯は抱えていた弁当箱を一旦コンクリートの上に置いてしまうと、身体ごと瀬人の方へと向き直った。そして首を傾げつつ、無表情のまま動きを見せないその顔を覗き込む。

「……本当に今更なんだけど。なんで海馬くんは学校でご飯を食べないの?お腹すかないの?……まぁ、殆ど午前中だけとか、午後だけの登校だから必要ないのかもしれないけどさ」
「………………」
「何か理由があるなら教えてくれると嬉しいけど」

 瞬間、瀬人の表情が僅かに変わった。遊戯にはその表情が何を表しているのか今度は正確に読み取る事が出来た。何故ならそれはこの短い付き合いの間に彼が幾度も遊戯に見せて来た困惑の表情だったからだ。

「何故、貴様にそんな事を話さなければならない」

 ほらね、やっぱり「何故」って言った。この顔は「何故」の顔だ。しっかり覚えておかなくちゃ。瀬人の困惑とは裏腹に遊戯はのんびりとそんな事を思いながら、至って平静に答えを返す。

「だって、知りたいもの」
「だから……」
「普通は好きな人の事は何でも知りたいものなの。ね、どうして?君が本当に学校でお昼ご飯を食べる事が嫌なら、僕はもう二度と誘ったりなんかしない。でも、理由を言ってくれないのなら、何度でもチャレンジするよ」

 それは、理屈としては余りにも酷いものだった。しかし、遊戯は真剣だった。少しでも多く瀬人との時間を持ちたい彼にとって、学校での昼休み時間はとても貴重なものだった。これからも許される限りはこうして一緒に昼食を食べたい。だが、その事が瀬人にとって苦痛になってしまう事ならば早々に違う手を考えなければならないのだ。

「………………」

 ほんの少しの沈黙の後、瀬人は諦めたように小さな溜息を一つ吐き、何時の間にか間近に迫った遊戯の肩を押しやった。そして先程よりもはっきりと眉間に皺を寄せて、酷く言い辛そうに一言口にした。

「他人と共に食事を取るのが苦手だ」
「えっ?」
「だから、家族以外の人間がいる場所で食事をするのが苦手なのだ」

 それは意外過ぎる理由だった。

 他人と一緒に食事が出来ない?じゃあ君はどうやって外でご飯を食べるのさ?遊戯の常識では到底理解出来ないその事実に大きく目を瞠っていると、瀬人も自分の異常さは分かっているのか酷く罰の悪い顔をしてそっぽを向いてしまった。その手にはまだ弁当が握り締められている。

「……えーと。じゃあ海馬くんは外に居る時はご飯、どうしてるの?」
「余程我慢出来ない限りは食べずに過ごす。一人になった時に食せばいい」
「……学校でも一人でこっそり食べればいいんじゃないかな」
「そこまでして食べたいとは思わない」
「でも、でもさ。社長をしてる以上、お仕事で誰かとご飯を食べなきゃいけない時だってあるんじゃないの?そういう時は……」
「仕事ではそんな事を言っていられないからな。耐えるしかない」
「……た、大変なんだね……。僕には想像も出来ないよ。何がそんなに嫌なのかな」
「さぁな。見られるのが嫌なのかもしれない。良く分からんが」

 だからそんなに痩せちゃってるんだよ、海馬くん。

 そうため息交じりに呟いて、遊戯はこっそり肩を落とす。世の中にはいろんな好き嫌いを持った人がいるけれど、こうまで特殊なトラウマを持った人など見た事はない。尤も、彼のこれまでの軌跡を思えば、そうなる事も無理もないとは思っていたが。

「……他人とはご飯が食べられないって事は、他人じゃなければ大丈夫なの?」
「当たり前だ」
「モクバくんとは毎日一緒に食べてるんだよね?」
「可能な限りはな」

 それはそうだ。家でも一人にならなければ食べられないなんて事はない筈だ。現にあの兄弟は四六時中行動を共にしている。瀬人はともかく、モクバにまでそんな理由で外で食事をさせないなんて事は有り得ないだろう。

 そこまで考えて、遊戯はふと有る事を思い付く。その思い付きは遊戯が瀬人との関係を築く上で一歩前進するだろう、とても有意義なアイデアだった。

「じゃあさ、学校ではやっぱり僕と一緒にお昼を食べればいいんだ!」
「は?」

 それまでの真剣さとは打って変わって、何故か妙に浮かれ調子の相手の発言に、瀬人は今度こそ心の底から面喰った。この男は今までの話を聞いていなかったのだろうか?他人と食事をするのが苦手と言い切った相手に、どこからどうみても他人である自分と食事をしようと言い出すなど、馬鹿でも思い付かない提案だ。

 一体、こいつの脳内はどうなっているのか。遊戯の今までの言動を顧みるだにますます疑問が深まって行く瀬人に、彼はやはり明るい調子を崩さずにこう言った。

「他人と食べるのが嫌なら、僕が他人にならなければいいだけの話でしょ?」
「な、何を無茶な事を言っているのだ貴様は」
「僕はさ、何回も言うけど、君の事が好きだから。将来的には家族になれたらいいなぁって思ってる」
「……夢物語にしても笑えん冗談だな」
「冗談じゃないってば!本気も本気!!大真面目だよ!!だからさ、死ぬほど嫌じゃないんなら、努力してみようよ。そのままじゃいつか身体を壊しちゃうよ?」
「何故オレが貴様の為に努力しなければならない」
「僕の為だけじゃないよ。海馬くん自身の為にも、少しずつ変わらなくちゃ。今はいいかもしれないけど、大人になったらそんな我が儘は通用しなくなっちゃうんだからね」
「我が儘だと?」
「我が儘だよ。実際はそんな軽いものじゃないかもしれないけど、我が儘だと思えばあっさり解決できそうな気がするじゃない?」

 それは、余りにも荒唐無稽な話だった。人の長年の悩み事を『我が儘』の一言で片付けてしまうのも凄い事だったが、それ以上に自分を家族にしろ等と迫って来た事に驚いた。ここまで来ると意味不明を通り越して最早不気味な存在だ。

 けれど、別段恐怖も不安も感じなかった。人畜無害を絵にかいた様なこの男にそれらを感じる筈もなかったのだが。

「……なんだか、貴様と話をしていると頭がおかしくなりそうだ」
「酷いなぁもう。僕は真剣に話してるのに!……でさ、話を一番始めに戻すけど……そのお弁当、食べてくれないの?僕のママが折角君の為にって作ったのに?」
「………………」
「僕に見られるのが嫌なら、背中向けてるから。あ、そうだ!背中合わせで食べようか?なら、一人で食べるのと変わらないでしょ?」

 ね?と言いながら遊戯はそれ以上瀬人の反応を伺う事はせず、言葉通りさっさと彼に背を向けて下に置いてしまっていた弁当箱を抱え直す。それに完全においてけぼりを食らった瀬人は、一人所在無げに手の中の弁当を眺めた後、仕方なくと言った風に同じ様に遊戯に対して背を向け、漸く可愛らしく結ばれていた包みの結び目を解き始めた。

 まだ、背を触れ合わせる事も出来なかったけれど。その事は遊戯の恋に大きな自信と安心感を与えてくれた。

 少しずつでいい。ゆっくりで構わない。

 これで一歩、君に近づけたから、と。
「相変わらず瀬人くんは箸使いが綺麗よねー」

 そう言って彼女は肉と野菜が均等に盛りつけられた器を瀬人の前に静かに置いた。それを見ていた遊戯は「僕にはよそってくれないの?」等と不満の声を漏らしている。それを軽く横目で流し見ると彼女……遊戯の母親は遊戯用の少し大きめの器を彼に手渡し、素っ気なく答えた。

「あんたは好きにしなさい。先に瀬人くんに取り分けておかないと全部お肉を食べちゃうじゃないの」
「何それ!そんな事しないよ!幾つだと思ってるのさ!」
「ほっほ。沢山食べたからこその成長じゃろ。結構結構」
「じーちゃん、椎茸もちゃんと食べてよね。後春菊も。さりげなーく避けてるの分かるんだからね」
「……手厳しいのう」
「でもさーすき焼きとか久しぶりだよねー。父さんがいる時位?」
「三人じゃ鍋なんてする気が起きないでしょ。今日は寒くって丁度良かったわね。……そう言えば、アメリカの方はまだ暖かいのかしら?」
「いえ。日本と同じです」
「あら、そうなの?じゃあ気温差で身体を壊す事はないわね」

 如何にも暖かそうな湯気の向こうでにっこりと笑う遊戯の母親と祖父の事を眺めながら、瀬人は自分用にと取り分けられた彼にしては少々多いと思えるすき焼きへと箸を付ける。その美しい箸運びは、常に周囲の目線を集めていた。

 瀬人が始めてこの家で食事をした時も、遊戯の母は一早くその事に目を付けて、手放しの褒めようだった。それに対して最初は酷く戸惑っていた瀬人も、今は緩やかに受け流す事を覚えた。数年前の晩秋に遊戯が始めて屋上で昼食を、と誘った際に「他人と食事が出来ない」と言い切り、拒絶していた彼はもう何処にもいなかった。尤も、それは彼がトラウマを克服した所為なのか、それとも武藤家を『家族』とみなしたからなのかはイマイチ判断が付かなかったが。

 そんな事をしみじみと思い出しながら、遊戯は母親に膨れて見せた事などすっかり忘れて、大量の肉を口に放り込む。すると、その様を横で見ていた瀬人に「ハムスターの様な食い方は寄せと言ってるだろう、みっともない」と注意され、それを見ていた母親に「瀬人くんの言う通りよ。子供っぽい事はやめなさい」ととどめを刺されてしまった。

 それに遊戯は少しだけ不満を露わにしつつ、口を尖らせながら「海馬くんと母さんって仲いいよね」と文句を言った。それに対する瀬人の反応は無かったが、無いからこそ肯定という事になるのだろう。尤も『海馬瀬人』という世の中でも特別に奇異な存在を、恋人という更におかしな肩書きを付けて家に連れ込んでも何も言わない母親を瀬人が疎ましく思う理由など皆無だったのだが。

 実際、母親が瀬人の事をどう思っているのか、瀬人が母親の事をどう思っているのか、正式に本人達の口から聞いた事は無い。けれど、互いに相手のいい面ばかりを口にしているので、好きな事には違いない。世間一般で言えば嫁姑(瀬人がその単語を聞いたら憤死するかもしれない)が仲良くしてくれる事は有難い事だが、どちらも遊戯に対しては褒めるどころか小言の方が多いので、そういう意味では少しだけ複雑だった。

 そんな微妙な心境を少しだけ寄った眉間の皺で表現していると、それを見過ごさなかった双六が面白半分に口を出す。

「なんじゃ遊戯。妬いとるのか?」
「妬いてなんかないよ!どうしてそうなるわけ?!」
「その場合どっちに妬くのかしらねー?」
「もうっ!二人ともいい加減にしてよね!」

 そうやって一々反応するから愉快がられるのだ、と瀬人は一人黙々と食を進めながら思っていた。この家族の賑やかさに順応するのには大分時間が掛ったが、慣れればどうという事は無い。そして、一旦慣れてしまえばどれだけ年月が経とうとも過去の感覚は直ぐに取り戻せるのだと知った。遊戯の母親から食事の様子を熱心に見つめられていても何も感じなくなったのと同じ様に。

「瀬人くんも日本に帰って来たんだから、あんたもふらふらするのをやめて少しは落ち着きなさいよ」
「またお小言?当分は何処にも行く予定がないから大丈夫だよ。大体行きたい所は行っちゃったしね」
「……これからはデュエル大会もKCが主催する限りは日本開催が多くなる。仮に旅に出るとしてものんびり出来る暇はないだろうな」
「え。海馬くん、漸くデュエルに本腰を入れられるの?」
「ああ。海外における海馬ランド建設の方は大体の目途がたった。そちらは少しずつモクバに主権を譲渡して、オレは新デュエルシステムの開発と若手デュエリスト育成に力を入れたいと思っている。『遊び』はモクバの専門分野だからな。オレより遥かに優秀だ」
「モクバくんの考えるアトラクションって確かに斬新でぜーんぶヒットしてるもんねぇ。でも、デュエリストの育成って?どうするの?」
「専門の学園を作ろうと思っている。まだ構想段階だがな」
「学園かーいいなー!一日中デュエルばっかり出来るなら僕も通いたいなぁ。絶対に楽しんで登校できる自信あるよ!」
「このオレが作る学園だぞ。そんな生温い環境の筈なかろう。学力レベルはトップクラスにしてやるわ」
「ええ?!デュエルと頭の良さは関係ないでしょ?!」
「そんな風だから貴様は駄目なんだ」
「ひ、酷いなぁもう……母さん達もなんか言ってやってよ!」
「その通りだもの」
「人間的に優れておれば下から数えた方が早い成績だろうが問題ないぞぃ」
「……じーちゃん、それフォローになってない」

 がっくりと肩を落とす遊戯の横で、瀬人は何時の間にか綺麗に己の分の食事を片付けると、そつの無い動作で「ごちそうさまでした」と挨拶をし、自らの食器を流しに運ぶという事までやってのけた。当然遊戯は食べたら食べっぱなしなので、即座に母親に追加攻撃をされたのだが、それに反論する気力は彼にはもう残っていなかった。

「そう言えば海馬くんってあっちで一人暮らししてたんだっけ?」
「いや、モクバと二人だが」
「料理とかはどうしてたの?」
「一応ハウスキーパーを雇ってはいたが、基本自分達でやったぞ。なかなか面白かった」
「えー!!」
「あら、瀬人くんもお料理が出来る様になったの?凄いわねー!やっぱり出来る人は何でも出来ちゃうのね」
「出来ると言っても時間もありませんでしたし、特に凝ったものは作れないですよ」
「でも凄いや。今度僕にも作ってよ、海馬くん!」
「今度?……まぁ、考えてやらん事もない。モクバにも言っておく」
「楽しみだなー!そう言えば僕、料理なんて家庭科の調理実習位でしかした事無いや。アレも結果は悲惨だったけど……城之内くんの家でインスタントラーメンとかは煮た事はあるけどさ」
「……それは料理なのか?」
「だから料理とはいってないでしょー」

 でも僕も時間がある時はチャレンジしてみようかな、と遊戯が何気なく口にした時、食後のお茶を注いでいた母親が、実ににこやかな顔でとんでもない爆弾落として来た。

「近い内に貴方達は一緒に住むんでしょう?そりゃあ何でも出来るに越した事ないわよ。特に瀬人くんの方が忙しいんだし、家事は遊戯が率先してやらなきゃね」
「?!」

 その言葉に思わず含んだお茶をその場にぶちまけそうになった遊戯だったが、辛うじて喉奥へと流し込み、盛大に噎せる程度で留まった。それをやや冷やかに見遣っていた瀬人だったが、なかなか収まらない彼の咳に仕方なくといった感じで手を伸ばし、そっとその背を擦ってやる。遊戯の動揺とは裏腹に瀬人は常と同じ無表情だった。もし咳などしていなければ「母さんに今何言われたか分かってる?」と突っ込んでやりたい位に。

「どうしてそんなに慌ててるのよ。何かおかしな事言ったかしら?」
「あっ……慌てるよ!!突然何言ってるのさ!」
「だって、瀬人くんは暫く海外に行く予定がないんでしょ?だったら」
「そ、それとこれとは全然話が違うじゃん!」

 遊戯は未だぜいぜいと肩で息をしながら必死に母親に応戦していた(尤も、戦ってると言う認識は遊戯にしかなかったが)。が、母も、それを見守る祖父も、話題の中心となっている瀬人でさえ、軽く首を傾げている状態だ。

(何なのこの状況。おかしいのって僕の方なの?!)

 余りに普通な周辺の対応に、再び遊戯が口を開こうとしたその時だった。それまで黙って二人の遣り取りを見ていた瀬人が至って普通の調子で「そうですね」と肯定の言葉を吐いた。更にその発言にますます驚いて目を丸くする遊戯をちらりと見て「何か不満があるのか?貴様が言ったんだろうが」と言い切る始末だ。最早遊戯の正気は風前の灯だった。これ以上何か言われようものなら、この場にひっくり返ってしまうかもしれない、と思うほど。

 が、そんな最中、遊戯はふと違和感を覚えた。瀬人は今「貴様が言った」と言ってなかっただろうか?その言葉が本当だとすれば、母親の発言も、瀬人の肯定も、祖父の無反応も頷ける気がしないでもない。だが、遊戯本人にその記憶は無かった。これはひょっとして別の意味で不味い事なのではないだろうか。

「え……と。……今こんな事言うのもアレなんだけど……僕、なんか言ってたんだっけ?」
「何か言っていたか……だと?」
「ご、ごめん。ちょっと混乱してて……」

 遊戯の言葉に、瀬人の表情が俄かに曇った。不味い、非常に不味い。瀬人の『この顔』は遊戯にとっては苦手なものの一つだった。その表情を見て今彼が何を思っているか的確に読み取る事が出来る遊戯である。だからこそこの状態が非常に宜しくないと言う事は分かっていた。しかし、記憶にないものは記憶にない。無理に分かる振りをするより正直に分かりませんと答えた方がまだ潔いだろう。

 そんな遊戯の顔を瀬人はじっと見つめている。普段はここで、遊戯が分かる様に昏々と説明をしてきたりするのだが、今回はそんな気にもならなかったらしい。彼は早々に小さな溜息を吐くと「まぁ、貴様の記憶力など元から大して評価していないがな」と呟き、出された茶の方へと向き直ってしまった。これはこれで不満である。

 そんな途中で放り出す真似をしないでよ、と思いつつ、遊戯は意を決して瀬人に説明を求めるべく「海馬くん」と声をかけた。しかし返って来たのは瀬人の声では無く、母親の呆れた声だった。

「あんたは自分で言ってたじゃないの。瀬人くんが日本に帰って来たら一緒に暮らすって」
「ほっほ。懐かしいのう。海馬家に婿入りするとかしないとか言っていた記憶があるぞい」
「え……!じゃ、じゃあもしかして、海馬くんがアメリカでモクバくんと二人で暮らしたって言うのは……」
「予行演習でしょ?ねぇ?」

 母親の弾んだ声に、瀬人は湯呑を傾けつつ曖昧に頷いた……様な気がした。それに遊戯は愕然とし、色々な意味で申し訳無さで一杯になった。5年間孤独を紛らわすべくふらふらして、余り過去や未来に思いを馳せる事をしなかった遊戯と対照的に、瀬人は過去も未来も見据えてきっちりと基礎固めをしていたのだ。挙句の果てにこの意識の違いである。遊戯は本当に穴があったら入りたい心境に駆られていた。

 ごめん、海馬くん……小さな声で謝ってみても、隣で茶を啜る彼に届いているかどうか怪しかった。ちらりと見た横顔は、先程の表情も消え失せてただ飄々としている。それに、本当に恐る恐る顔を近づけると、遊戯はかなり遠慮がちに様子を伺いつつ口を開く。

「……モクバくんは何て言ってるの?」
「愚問だ。答える気もせん」
「い、一緒に住むとして、部屋とか、そういうのはどうするの?」
「それは今議論する事か?」
「ああ、うん。そうだよね……ごめん」
「どっちにしても、瀬人くんの周辺が落ち着いてからよね。日本に戻ってきたばかりだもの」
「そうですね。こちらでやる事は山積みですし」
「それまでは今まで通り家にも来て頂戴ね。モクバくんも一緒に」
「ありがとうございます」

 すっかり意気消沈してしまった遊戯の横で瀬人と母親の声が和やかに行きかう。それをのんびりと眺めている双六も心なしか楽しそうに見えた。

 この後部屋に帰ったらなんて言い訳しよう……。

 遊戯は一人小さな溜息を吐きながら、すっかり冷めてしまったお茶を緩慢に飲み干した。