Act3 お前ら、もっと離れろよ(Side.闇遊戯)

「なぁ、海馬。この間、城之内くんから何を言われた?」
「何……とはなんだ……い、たっ……!」
「メールで言ってたじゃないか。あんな素っ気無い三行じゃ分からないぜ」
「……内容をっ……詳細に、書け、とは……言われてない」
「……そうか。失敗したな。じゃあ今日からはそういう事があったらちゃんと詳しく内容を書いてくれ」
「つ、追加は……反則だ……うあっ!」
「いちいち声を出すなよ。皆黙ってやってるだろ」
「き、貴様が体重をかけ過ぎなんだ!大体、何故オレが……」
「先生は『自由に組め』と言ってたじゃないか。お前見かけによらず身体堅いんだな。そんなんじゃー色々苦労するぜ」
「いっ……!べ、別に今まで苦労した事などないっ」
「『これから』って言ってるだろ。やりたい事が出来ないじゃないか」
「ふ、ざけるな……っ。というかパズルが痛いぞ、外してこい!」
「コレを外したらオレが表に出れないんだぜ。しょうがないだろ」
 

 そんな事を言いながら、目の前の薄い背に全体重を乗せる。床に座って長い足を軽く開いて投げ出しつつ前屈する奴の背をオレが思い切り押している格好だ。途端に上がる、苛められた猫があげるような悲痛な声。……本人には悪いが、その様が凄く面白い。余りにも面白くてつい何度も繰り返してしまう。

 ああ、同じ事しているのはオレ達だけじゃないぜ、今は体育の時間だから周囲も皆やってる。……なんて言うんだっけ?ええと、柔軟って奴だ。いつも運動を始める前にやっているアレ。普段は当然相棒がやるんだが、今日は特別に譲って貰った。勿論、海馬がいるからだ。そして、海馬をこの場に引っ張り出して来たのはこのオレで。

 奴はいつもこの体育の授業を下らないと言って受けないで帰る。なのでオレが海馬のこんな姿を見たのは初めてだった。なるほど、こんな簡単な事すら出来ないんじゃ、嫌がるわけだ。そう言ってやったら「違う!」と大騒ぎした。……よく分からない。

「よし、柔軟は終わりだ。一列に並べ!」

 近くに居た教師の一声で周りの皆は一斉に立ち上がり、ステージ前に適当に並ぶ。オレはよほど今の柔軟が堪えたのか直ぐに立ち上がろうとしない海馬の腕を思い切り引っ張って無理矢理立たせると、その背を押して集合場所まで歩いて行った。「触るな」だの「押すな」だの抗議されるがそんなものは全部無視する。普通ならここで逆切れをしてくるが、海馬はそれ以上何も言わなかった。

 否、言わないんじゃない。言えないんだ。
 何故なら、海馬は今オレには逆らえない。そういう罰ゲームの最中だからな。
 

 数日前、オレと海馬はあるものをかけてデュエルをした。
 

 オレは最初から条件として「向こう一ヶ月間オレのいう事を聞く事」というものを提示し、当然勝った。というか、何かを賭けると元々オレ相手では余り勝てない海馬は俄然弱くなる。なのに奴はデュエルを持ちかけられると受けないとは言えないんだよな。そこを狙ったわけだけど。

 そんなわけで、今現在海馬はほぼオレのいう事を聞いている。そしてこの機会に乗じてオレは速攻告白し、かれこれこういうわけでお前に条件を提示した、覚悟しろよとも言っておいた。

 元々傍若無人な男だが、約束事を破るのは奴の主義には反するらしく、今の所決して納得はしていないようだが反抗の意思は示していない。出会った当初は扱い難い奴かと思っていたが、意外にも海馬は素直だった。余りに素直だから面白がって次々追加条件を持ち出して遊んでいる状態だ。今日の体育の時間もまた然り。

 城之内くん相手に少し強気な態度で出たのもこの事があったからで、少なくてもこの一月は海馬は誰にも落とせない。海馬本人の意思はそこには無いが、まあそれは後付でもついてくればいいと思っていた。時間は長い。

 でも、オレだって城之内くんの事を見縊っているつもりはない。彼は文字通りやればなんだって出来てしまうからだ。あの持ち前の明るさと気のよさで迫られてしまったら、どんな人間でもぐらっと来てしまうだろう。オレも友達としては城之内くんの事が大好きだからな。

 けれど、それとこれとは全く別で。オレは絶対に海馬を彼に譲るつもりはない。例えどんな手段を使ってもだ。

「……おいお前ら、もうちょっと離れろよ」
「好きでくっついているわけではない!そういうなら見ていないで引き剥がせ、凡骨!」
「柔軟体操をくっつかないでするっていうのは難しいぜ。早速嫉妬か?城之内くん」
「下らん事を言うな、貴様!」
「しー。授業中だぜ、海馬。静かにしろよ」

 オレ達が朝からずっとべったりなのをさすがに不愉快に思ったのか、恋敵である城之内くんは早速小声で文句を言って来た。悪いな城之内くん、全部わざとやってるんだぜ。

 先日海馬からのメールで、城之内くんがKC本社までやって来たと言う事を知った。罰ゲーム条件の一環として、海馬には自分の身に何かあった場合必ずオレに報告するように義務付けている。だから、仮に城之内くんがオレの見えない所で行動を起こしても、全部筒抜けという事になる。

 あの日の海馬のメールには、『城之内がやってきてオレに向かって意味不明な事を叫んだので放り出してやった』、としか書いてはいなかったが、その前日に城之内くんと例の話をしていたから、多分にして告白を受けたんだろう。けれど、相変わらず海馬の態度は変わらないからそれに対して心が動いた、という事はないらしい。尤も、動いたってどうする事も出来ないだろうが。

 ただ、今朝城之内くんと顔を合わせた時の海馬の反応は面白かった。彼の顔を見た瞬間奴は凄く嫌な表情をして、思い切り顔を背けて距離を取っていた。どうやら海馬は城之内くんから受けた「意味不明な言動」がかなり堪えていたらしい。どっちの方に堪えたのか迄は解らなかったけれど。
 

「今日はこれから基礎体力測定を行う!測定種目は……」
 

 そんな事を何気なく思い出しながら、突然上げられた大声に現実に戻ったオレは、背後にいる城之内くんの刺す様な視線を感じつつ、相変わらず海馬の背に手を触れたまま大声を出した本人……体育教師の話を聞いていた。

 何かの説明らしく長々と続いているそれに飽きてしまい、触れている背中に時折つ、と悪戯に指先だけを動かすと、こんな分厚いジャージ越しでも分かるのか、一瞬海馬の背が跳ねる。それがやっぱり面白くて数回繰り返していたら、ついに海馬は顔だけこちらを振り返り、睨みつけて来た。

 教師の話は、まだ続いている。オレは海馬の微妙に歪んだその顔を笑いながら見返して、こう言った。

「なぁ海馬。この授業が終わったら飲み物買いに行こうぜ。さっき入り口の所にあったよな。自動販売機」
「……何故オレが貴様に付き合わなければならない。一人で行け。それに、妙な真似はやめろ」
「オレは、『お前と』行きたいんだ。言う事を聞かないともっとやるぜ」
「……チッ」

 悔しいがそのままでは小声は届き難いので、少し背伸びをして奴の耳元に顔を近づける。それに途端に眉を顰める奴を無視して、再び『権利』を行使してやった。何でもかんでも従う必要はないのに、こういう言い方をすると逆らわないんだから本当に簡単だよな。

 そんなオレ達のやりとりを背後で見つめる事しか出来ない城之内くんに対しても、今の状況はかなり効果的だった。実際の所彼から指摘された通り、オレと海馬はキス以上の事は出来ていない。更に言えば、キスさえも同意の上ではした事がない。無理矢理だ。

 そもそも海馬にはオレが好きだと一方的に言っただけで、海馬から何かリアクションがあったわけじゃない。けれど、それもオレにとっては余り問題じゃなかった。将来的に必ず振り向かせて見せる自信はあるからな。

 そんな事を再び前を向いてしまった海馬の頭を見上げながら考えていたら、ついに城之内くんがオレの服を引っ張って文句をつけて来た。

「…………遊戯」
「なんだ?城之内くん」
「……お前ってそんなに性格悪かったっけ?」
「オレはいつもの通りだぜ。悔しかったら城之内くんも海馬にやってみればいい。この間、早速海馬に好きだと言いに言ったんだろ?どうだった?」
「………………」
「フェアでもアンフェアでも構わない。ただし、オレは全力で立ち向かうぜ。言ったじゃないか、お互いに頑張ろうって」

 オレが胸を張ってそう言うと、城之内くんは黙ってしまってもう何も言わなかった。……なんだ、案外城之内くんも紳士だな。オレが君だったら、もっと色々と手を考えるぜ。

 まぁ……そこが君のいい所なんだろうけどな。
 

 
 

 その後、特にトラブルもなく体育の時間は終了し、オレは教室に帰りがてら先程口にした通り、海馬を伴って体育館と本館を繋いでいる通路から外に出て、自動販売機へと向かった。その会話を聞いていたのか、それとも単純にオレ達の後をついて動向を見守ろうと思ったのか、城之内くんが大分離れた場所からこちらを見ている。

 それを十分に分かっている上で海馬を誘ったオレは、相棒が好きなスポーツドリンクを購入した後、それを一口口にして、ぶすっとしてそれを見ていた海馬に……キスをした。海馬は彼に背を向けていて気付かない。

 城之内くんの顔が大きく歪んで、反らされる。

 その様子を見てオレの口元ににやりと笑みが浮かんだ瞬間、見られていた事も全く知らない海馬は顔を真っ赤にして「何をやっている!!」と大騒ぎした挙句オレの頭をひっぱたいたが、その時点ではもう城之内くんの気配はなかった。だから、彼には海馬が物凄く嫌がっているこの場面は目撃されていない。
 

 ── 作戦通り。
 

 オレは、心の中でほくそ笑んだ。
 

 その後教室に返ったオレ達は意気消沈している城之内くんを、オレはガッツポーズをしながら、そして海馬は酷く不思議な顔で眺める事となる。

「オレは、ライバルには容赦しないぜ、城之内くん」

 わざわざ席まで歩いて行って、項垂れたその肩をぽんっと叩いてやる。それに何か小声で返って来たものの、小声過ぎて分からない。
 

 ライバルの鼻を明かした事は、単純にいい気分だった。

 これで少し城之内くんと海馬の距離が離れればいいのにと、オレは密かにそう思った。