Act5 こっちを見て欲しい(Side.海馬)

「海馬、今城之内くんとすれ違ったぜ。ここに来てたのか?」
「何のこ……」
「来てたんだな。お前は昨日学校に来たばかりだし、相棒が良くここに来る時に口にする『プリント届け』って事は無いよな?」
「………………」
「そんな顔をしてだんまりを決め込んだって無駄だぜ。オレには『コレ』があるんだからな」

 そういうと、遊戯は上に羽織ってきたらしい学ランのポケットの中から折り畳まれた紙を取り出しわざと恭しい仕草でそれを広げると、にやりと笑ってオレの前に掲げてみせる。それはついこの間のデュエル時に交わした『誓約書』なるものだ(勿論そんな言葉も字も遊戯は知るはずも無いので、オレが勝手にそう命名している)

 その誓約書には要約すると『このデュエルの敗者はその日から向こう一ヶ月、勝者の言う事をなんでも聞く事』と記されており、オレは不覚にもそのデュエルの敗者となってしまった。よってオレは現在、勝者遊戯の言わばしもべとなっている。

 こんな男のしもべにならざるを得ないこの状況は忌々しい事この上ないが、その条件を飲んだ上でデュエルに応じたのは紛れもないこのオレで、約束事を反故にするのは己の意に反する為仕方なくこの状況に甘んじているのだが、今はその事について激しく後悔している。意外にもこの状態はオレにとって窮屈な事この上なく、いい加減嫌気が差して来た。

 大体何故オレがコイツの監視下に置かれなければならないのだ。理不尽過ぎる。

 そんな事を奴から少し視線を背けて心の中でブツブツと文句を言っていると、急に遠かったその瞳が直ぐ目の前に現われた。しかも突然に。

「おい、海馬」
「ぅわっ!顔が近いぞ貴様ッ!」
「お前が幾ら呼んでもオレを無視するからだぜ。いいから質問に答えろよ」
「……凡骨は、確かについ先程までここに居た。だが、それがなんだと言うのだ」
「なんだはオレの台詞だぜ。ただ居ただけなら隠す必要はないだろ?」
「き、貴様が余計な詮索をして難癖をつけるからだ」
「オレが何時難癖をつけたんだ?まだ何も言っていないぜ?」

 そう言うと遊戯はフフンと鼻で小さく笑い、いかにもしてやったりな顔でこちらを見あげる。奴のその様子にオレは完全に相手のペースに飲み込まれているのを自覚し、やはり口を噤むしかなかった。このままでは確実にボロを出してしまうからだ。

 ……それにしてもやはり危ないところだった。城之内がここに来た、というだけでもこの騒ぎだ。これがもしこの場で鉢合わせたらどうなっていただろうか。想像するだに恐ろしい事態になっただろう。

 先程、城之内を慌てて追い出したのは、奴のしでかした事云々というよりは、こんな様な事情があったからだ。勿論、突然あんな事をされれば動揺はする。けれどオレはそれ以上に、遊戯に『その事』を知られたくはなかったのだ。

 それは遊戯に対して申し訳ないとか、そんな殊勝な考えからではない。言っておくがオレは未だモクバ以外の他人に対して特別な感情を抱いた覚えはなく、遊戯にしても城之内にしても、奴等が勝手に盛り上がっているだけでオレ本人の気持ちは未だ蚊帳の外な状態だった。今でもはっきり言えば全てが他人事だ。キスをされようが何をされようが心が動く事はまずない。
 

 ……というか、奴等は何故この事態が根本的におかしい事に気付かないのか。

 オレは……改めて言うのも心底馬鹿馬鹿しいが、『男』だぞ?!何故、同じ男に欲情されなければならないのだ!
 

「……遊戯」
「うん?」
「この間からずっと思っていたのだが、何故オレに執着する。貴様、まさかとは思うがオレの性別を勘違いしているのではないだろうな」
「はぁ?何言ってるんだ。お前、男じゃないのか」
「男に決まっているだろう!」
「そんなに怒る事ないだろ。自分で言った癖に」
「オレが言いたいのはそこではないわ!オレが男だと分かっているのなら何故好きだの付き合えだのヤらせろだのになるのだと聞いている!貴様気は確かなのか?!」
「ああ、そういう事か。随分と今更だな」
「今更だと?!貴様がその暇を与えなかったんだろうが!」
「そうだったか?まぁ、そんな事はどうでもいいが……お前が男な事に何か問題があるのか?」
「何?」
「だから、お前が男だからって何が不都合があるのかって聞いてるんだ」
「……不都合、と、言うか。常識的に考えてだな……」
「常識?人を好きになるのに常識なんて関係あるのか」
「……なっ」
「大体お前が常識を持ち出すなんて笑い話にしかならないぜ!」

 貴様それはどういう意味だ?!

 そうオレが心の中で絶叫するより早く、相変わらず不敵な笑みを浮かべた遊戯は、喉奥でいかにもおかしいと言わんばかりに笑いながら元々近い顔の距離を更に近づけて来た。

 だから近いと言っている!

 というか貴様こそオレの質問に答えていないだろうが!

「この際だからはっきり言うが、オレは男に興味などないわ!」
「奇遇だな。オレも男になんか興味ないぜ」
「言っている事とやっている事がおかしいだろう!貴様がちょっかいをかけているのは男だぞ!?」
「煩い奴だな。お前にも分かりやすい様に言ってやれば、他の男には一切興味などないが、お前には興味があるんだ。好きだと思っているし、付き合いたいのは勿論、キスやセックスもしたい。分かったか?」
「分かるかッ!!」
「なら分からせるまでだぜ!!」
「何を……っ!!」

 そう遊戯が怒鳴るように声を上げたと思った瞬間、ぐい、と強く前髪を掴まれ、その手に痛みを感じる間も無く唇を塞がれた。こいつといい城之内といい何故ここでこんな行動に出るのだ。全く持って理解できん!

 既にもう何度か経験している遊戯のキスは、先程の城之内とは比べ物にならない程深くて甘い。こちらには全くその気がないのに、自然と力が抜けてしまって、抵抗しようと思ってもままならない。結果常にいいようにやられてしまうのだが、だからと言って慣れる訳でも許容できる訳でも断じてないのだ。

 前髪を掴んでいた手がいつの間にか頬に降りて、触れたそこを妙な具合に撫でまわす。同時に舌を根元から吸われる感触にぞくりと背に怖気が走ったオレは、渾身の力でその顔を押しのけた。

「……んぐっ……う…っ…んんっ…は、なせっ…馬鹿がっ!!」

 流石の遊戯も体格のまるで違うオレから力任せに押されれば、微動だにしない訳もなく、額を起点に後ろにややのけぞる形で漸くオレから少し距離を取った。しかし、頬に添えられた手は離れる事はなく、その表情も未だふてぶてしいままだ。その様子にすぐに大声で罵ってやろうと思ったが、長い間口を封じられていた所為で息が上がってしまい、すぐには声を出す事は出来なかった。

 仕方なく肩で呼吸を繰り返し言葉が紡げるようになるのを待っていると、奴はオレが文句を言うよりも早く、再び間合いを一気に詰めると、やけに真面目な顔をしてこう言った。

「オレを見ろ、海馬」
「うるさ……っ!」
「城之内くんや他の誰にも……興味なんか持つな。これは、『勝者』の命令だ」
「………………」
「好きだ。オレは本気だぜ。『男のお前が』本気で好きなんだ。お望みならお前が納得するまで何度でも言ってやる。キスもする。言っておくがオレはしつこいぜ」
「……か、勝手な事を言うな!誰が!」
「ああ、お前の色いい答えなんか最初から期待していない。お前はとりあえず、オレのやる事を素直に受け入れていればいいんだぜ」
「ふざけるな!」
「ふざけてなんかない、真剣だ。だから、オレから目を反らすな」
「…………遊戯、貴様……」
「今の所はオレのモノにならなくてもいい。だが、誰にも渡さないぜ。それは勿論相手が城之内くんであってもな」

 そう真顔で言い切る遊戯の顔は、自分で宣言した通り本当に真剣そのものだった。オレの頬を包む指先にも力が入りすぎて痛い。

 本気だ。この男は本気で今の台詞を口にしたのだ。
 

 ……本当に、馬鹿だったのだ、こいつは!!
 

「貴様は馬鹿かッ!」
「なんとでも言えよ。お前になら何を言われたって痛くないぜ!」
「一回死ね!!否、何回でも死ね!」
「そんな事、言われなくても肉体がない時点で既に死んでると思うぜ?」
「屁理屈をこねるな!!」
「好きだぜ海馬!」
「くだらん言葉を口にするなぁッ!!」

 結局、その日は状態に聊かの進展もないまま、いい様に弄ばれて(言葉でだ!)終わってしまった。それにはかなり腹が立ったが、城之内の事に関して追及されなかった事は幸いだった。多分、忘れただけなのだろうが。

 ……一日の内で、好きでも何でもない男二人にキスをされた。何故オレがこんな目に合わなければいけないのか。一体オレが何をしたと言うのだろうか。泣きたい。本気で泣きたいぞ貴様等!!

 もうオカルトでも非科学的でもなんでもいい。この状態から抜け出したかった。
 

 アメリカにでも逃げ出すか……一瞬そう本気で考えた自分自身に、オレは心底呆れた溜息を一つ吐いた。