「すまない海馬!オレが悪かった!」
「悪かったで済むか貴様!死ぬかと思ったぞ!」
「だから謝ってるだろ。泣くなよ」
「泣きたくて泣いてるんじゃないわ!」
「ほら、ハンカチ。涙拭けよ」
「触るな馬鹿。こっちに寄るな!もう貴様はひっこめ!授業が始まるだろうが!」
「怒るなよ」
「怒るわ!」
「……ご、ごめん海馬くん。大丈夫?」
「遊戯?」
「うん、今変わった。もう一人の僕には良く言って聞かせるから。今から保健室行こうか?」
「……いい、一人で行く。特に問題がある訳ではないが、この状態では何ともならん。貴様は授業に行け」
「でっ、でも」
「構うな」
「あ、うん。……じゃあ僕授業に行って来るよ。本当にごめんね?」
「何故貴様が謝る。いいから早く行け」
移動教室に向かう途中の階段で、オレはとんでもない光景を見てしまった。あの海馬が、ハンカチで顔を押さえてボロボロと泣いていたんだ。その直ぐ前の海馬から少し上の段に『遊戯』がいたから、多分奴と何かやらかしたんだと思う。
たった今ここに辿りついたオレにはそこに至るまでの詳細を全く見ていないから、何があったのかなんてまるで分からない。けれど、海馬の口調と遊戯の態度からきっと遊戯が海馬にちょっかいをかけたに違いない。
そんなん今までの事で嫌というほど分かっちゃいるけど、実際に現場を見ると凄くもやもやする。もやもやどころかイライラする。大体相手泣かせるって何だよ。一体何やってんだ?!そんな事を考えながら何とは無しに動向を見守っているといつもの遊戯に戻っちまったらしい。
遊戯は何だか凄く申し訳なさそうに何度も海馬に謝ると、海馬に促されるまま次の授業へと行ってしまった。当然海馬はその場に一人残される事となった。
お、これってちょっとチャンスじゃねぇか?成績の関係で出席が重要視されるのは遊戯もオレも同じだけど、これは授業どころじゃないだろ。しかも遊戯と海馬は一悶着あった後だし、その隙間に入り込めればこんなに美味しい事はない。
……その実、『あの海馬にキスをしちまった日』からオレが海馬を見るのは久しぶりだった。まだあれから一週間も経ってねぇけど、元々学校かオレがあいつの所に押しかけない限り会う事はないわけで。あの日以来海馬は学校に来ていなかったし、オレもなんだか気まずくて会いに行けず仕舞いだった。
そこに来てこの場面への遭遇だ。これはどう考えても神様がオレに味方してくれたとしか思えない。
遊戯が海馬の傍を離れ、上階へと消えていくたった数秒の間でそんな事を考えたオレは、もう授業の事なんか完全にスルーして、意気揚々と(でも極力慎重に)未だその場で立ち尽くして俯いている海馬の元へと近づいて行った。すると丁度良く授業開始のチャイムが響き渡る。
「お前、こんなところで何してんの?授業は?」
極力相手をビビらせないように、少し離れた場所でそう声をかけたオレに、海馬は一瞬背を揺らして恐る恐ると言った感じで背後を振り向く。その手にはやっぱりハンカチが握られたままで涙は止まっていたものの、その目も目元もほんのりと赤く染まって「どう考えても泣きました」とまる分かりな状態だった。
何があったのか知らねぇけどこれじゃーこのままで授業とか無理だよなぁとしみじみ思いつつ、オレは驚いたと同時に物凄く嫌そうな顔をしているその顔を覗き込み、もう一度同じ事を訊いてみた。けれどやっぱり海馬は黙ったままだった。
「……貴様こそ授業はどうした落第生」
「まだ落第してねーっつの。なぁ、マジどうしたんだよ。遊戯になんかされたのか?」
「されたはされたがこれは事故だ。それに貴様には関係のない事だろう」
「そりゃ関係ないかも知れねぇけどさ。ほっとけないじゃん」
「むしろこういう時は放っておけ!」
「大声出すなよ。授業中だし、ここ廊下だぜ?とにかく、センコーとか通るとヤバイから移動しようぜ。保健室行く?」
「……誰もいなければな」
「じゃーやっぱり二人で行った方がいいじゃん。一人だと、誰か居た時鉢合わせるぜ。……な?大体オレ今からじゃ授業行ったって欠課扱いだし。暇だし」
「………………」
そうオレが奴に反論の隙を与えない様畳みかけると、海馬も一応オレの言葉に納得してくれたのか渋々といった顔をして頷いた。あれ、もっと粘るかと思ったら案外素直じゃん。……なんつーか誘ったオレが言うのもアレだけど、いいのかねそれで。
誰もいない(だろう)保健室に、てめぇにめっちゃ興味持ってる奴と二人きりになるんだぜ。普通はちょっと位考えてもいいだろうに。や、でもあれか、野郎同士だしな。更に言えば海馬はオレの事全く持って真剣に考えてないみたいだし。どうとも思っちゃいないのか。それはそれで悲しいけど。
けどさ、よくよく考えてみなくてもオレ達一回キスしたんだけどな。そういやこいつその件に関して突っ込んでこねぇな。今はそれ所じゃねぇんだろうけど。普通はそんな事があったらまず警戒しても良くねぇ?どうなってんだ一体。
とりあえず言い出した手前保健室に行かなくちゃ、と決めたオレは、「じゃ、行くか」と声をかけて背後の海馬を気にしながら階段を降り始めた。海馬は俯いて顔を押さえている所為か大分トロい足取りでオレの後をついて来る。……なんだかなー手でも引いてやった方がいいのかこれ?でもなぁ。
そんな事をグダグダ考えながら海馬を振り返りつつ歩いていると、海馬がどこか不審そうな目でオレを見てきたので、オレは思い切って奴にこう口にした。
「お前大丈夫かよ。手ぇ繋いでやろうか?」
「は?……いい。必要ない」
「でも階段ですっころんだら事だぜ」
「誰が転ぶか。構うな鬱陶しい」
「別にいーじゃん。誰も見てないし、な?」
案の定直ぐに渋い顔をして断られたけど、構わずにオレは手を伸ばし奴の空いている方の腕に手を伸ばしてがっちりと掴む。直ぐに跳ねつけられるかと思ったけれど、やっぱりこいつなんだかんだ言う癖に素直だ。チッ、拒否る割に言う事は聞くんだから余計な事を言わなきゃ良かった。なんか微妙に損してるよなオレ。
こういう時、遊戯ならどうするんだろうな。
不意にそんな事を思いついてオレは思わず背後を見てしまう。案の定物凄く不満そうな不機嫌な視線を向けられて、肩を竦めて向き直った。今はライバルの事なんか考えてる場合じゃねぇけど争ってる関係上気にはなるよな。
そういやオレが授業をフケた事に気づいたら、あいつどう思うんだろうな。まぁ別に気付かれたからってどうなるわけもないんだけど。こうなったのは遊戯の自業自得だし。そうオレが海馬と二人歩調を大分緩めて歩きながらぼんやりと考えていると、何時の間にか目の前に保健室の扉があった。
あの場所からここまで大した距離もないから当然かとちょっと残念に思いつつ、オレは海馬から手を離して先に少しだけ扉を開けて中の様子を伺った。幸か不幸か保健室に先生は不在で、置いてある4つのベッドも全部がら空きだった。よっしゃ!誰もいねぇ!
「ラッキーだな。保健室、誰もいないみたいだぜ」
オレは心の中でガッツポーズをキメつつ、けれどそれを海馬に悟られないように、比較的静かに後ろを振り返り口を開いた。それでも抑えきれない嬉しさに微妙に唇の端っこが持ちあがっちまうのは仕方ないからこの際無視する。
そんなオレの事を海馬はちらりとだけ見て、すぐに自分も傍に寄って来て同じように室内の様子を確認するとほっと小さく息をつく。うわ、ちょっと近い。今更だけど、なんか照れる。そう思いつつ特に反応を示さないで海馬の動向を見守っていると、酷い事に奴はさっさとオレを押しのけて一人で保健室の中に入り、扉に手をかけた。ちょ、お前ここまで来て締め出しとか!酷いだろそれは。
「おい、どーして扉を閉めようとしてんだよ!」
「もういい。貴様は帰れ」
「なんでだよ。一緒にって言ったじゃん」
「もともとここまでと言っただろうが」
「オレも暇だからって言いましたけど。大体保健室はお前のもんじゃねぇんだからお前がダメっていう権利はねーの。昼寝させろ」
「………………」
殆ど反射で閉められる寸前の扉に手をかけて、辛うじて顔をみて会話を出来る状態を維持しながら、オレはその隙間から必死にそう言い募った。……なんだかすげぇ間抜けなんですけど、何この『彼女の部屋に押しかけて即効拒否られる彼氏』みたいなシチュ。まぁ下心が無いとはっきりは言えないけど、別に取って食いやしないし。
そう一人心の中でぶつぶつ言いながら、口ではなぁなぁ、としつこく食い下がってみたら、暫くして漸く海馬が大きな溜息を吐いて扉から手を離した。その隙をついてオレはさっさと中に入り、ベッドの一つを指し示して「座れば?」と口にする。
それに特に何も言わず海馬はすたすたと一番近くにあったベッドへと向かい、すとんと腰を下ろしてそこで漸く顔を抑えていた手を握っていたハンカチごとゆっくりと離した。そして現れた顔を見た瞬間、オレは思わず「あらら」と声を上げてしまった。
多分、思いっきりぶつけでもしたんだろう。海馬の、人よりも大分高くて形のいい鼻の辺りがほんのりと赤く染まっていた。そりゃー鼻をぶつければすっごく痛いし涙も出るよな。当たり所によっては止まらなくなるのも分かる。オレ、こういうのしょっちゅう経験してるし。骨を折ったのも一度や二度じゃない。んーでも見た所ちょっと腫れてる程度で鼻血も出てねぇから大丈夫かな。
そんな事を少し離れた距離からざっと目視して、オレはすぐ傍にあったデスクの上にある利用者名簿に汚い字でオレと海馬の名前を書き殴った。理由は一応『怪我』にしておいた。
「大丈夫だとは思うけど、骨とか折ってねぇよな?」
「それはない」
「そ。なら良かった。そん位なら冷やしとけばその内おさまんだろ。今タオル濡らして来てやっから待ってろ。……しっかし派手にやったなぁ。殴られでもしたのかよ」
「いや」
「だろうね。言ってみただけ」
あんなにお前の事を好き好き言ってるあいつがそんな真似するわけねぇか。あーあ、殴り合いの喧嘩でもしてくれればいいのに。そしたらオレがすかさず間に割って入って「大事にしねぇんならオレが貰う!」って言えんのに。あ、そりゃ漫画か。しかもバリバリの少女漫画。静香の影響で最近なんか妙な知識も増えたんだよな。ま、恋する事自体少女漫画なのかも知れないけどよ。
オレは勝手知ったる保健室、とばかりに薬品棚の引き出しから真新しいタオルを一本取りだして、備え付けのシンクで冷たい水に浸すと、氷を追加した方がいいかちょっとだけ考えて、そんなに酷い状態でもないから別にいいか、とすぐに決めると軽く絞って海馬の元へと取って返す。
奴は相変わらず不機嫌そうな顔でそこにいて、オレが差し出したタオルを黙って受け取ると、それで再び鼻を覆いながら、ぽつりととんでもない事を口にした。
「……遊戯が、否、あの馬鹿が、階段で段差を利用して不埒な真似をしてきたから、それを避けようとしたら、奴の額と思い切り衝突してしまったのだ」
……はい?段差を利用して不埒な真似?不埒って……お前等まさか…!!
「えぇ?!お前等あんな場所でキスしようとしてたのかよ?!」
「『お前等』ではない!遊戯がだ!」
「否定そこかよ!っつーかマジか!何考えてんだ?!」
「遊戯に言え!!被害者だぞオレは!」
「そりゃそうだけど!お前もっ!そんな事オレに言うな!あああなんかイラつくー!!」
「貴様が聞いてきたんだろうが!!」
ああ確かにお前に聞いたのはオレだけどよ!!まさかキス未遂で衝突したとは思わねぇだろ普通!!ありえねぇ……なんかすっごく、大ショックだ。
段差でっつーことは多分遊戯が海馬の前を歩いていて、いつもは身長の関係で簡単にはいかねぇけど、階段だと丁度目線の高さが同じになってる事に気付いて、きっとこう……言葉にするとアレだけど、ムラッと来たんだろうなー分かるぜその気持ち。……分かるけどさ!!その場でかます事はねぇだろうがよ、この節操無し!!
っつーか海馬も海馬でそんな聞きたくもねぇ事実をぺらぺらオレに言って聞かせんな!こういう時は適当に言葉を濁せよ!なんか想像しちゃってそれこそムラムラすんだろ!いい加減にしとけ!
……まぁ、それもこれも全部オレの都合なわけで、事実被害者(だろう)海馬はなんも悪くないんだけど。遊戯だって相手が恋人(と勝手に思ってる)からこそやっちゃおうと思ったわけで……あー、でも、でもさ!
やっぱり、なんていうか、むかつくんですけど!!
オレは自分の言いたい事だけを言って、また黙っちまった海馬を目の前に、がっくりと脱力した。そんなオレの事を奴は特に表情も変えずになんとなく見返してくる。……あのさ、もう既にお忘れかもしれないんですけど、オレだってお前にそういう事したいなーって思っている男の一人なんですけど。そこんとこ分かってる?
多分、分かってねぇけどな。だって全然警戒してないもん。
……いいんだか悪いんだか。
オレはなんだかとてもいたたまれなくなって、そのまま深い深い溜息を一つ吐いた。
静かな保健室にその声は嫌に大きく響き渡った。
「この間からずーっと思ってたんだけど……お前さぁ、自分の状況とか、そういうのちゃんと分かってんの?」
「何がだ」
「だってお前の態度、意味不明だし。遊戯が好きなら好きって言えばいいじゃねぇか。中途半端が一番やりにくいんだぜ」
「………………」
「っつーか、そうやって所構わずキスしちまう間柄なんだろ?それで付き合ってないとか嘘だろ」
「……その点に関しては嘘ではない。遊戯と付き合ってなどいない」
「じゃーどうしてキスすんだよ」
「したくてしてるわけじゃないわ。不可抗力だ」
「不可抗力ぅ?お前バッカじゃねぇの。嫌ならしなきゃいいだろ。お前位腕力あれば遊戯なんて片手でぽいだろうが。オレも投げ飛ばせる癖に」
「それは」
「それが出来ねぇってんなら、ヤじゃないって事だろ。ヤじゃないって事は好きって事じゃねぇか。違うの?それが違うんならそれこそ問題だと思うけど」
海馬と二人妙な沈黙に陥ってから数分後。
このままずっと黙り込んでるのも非常に気まずかったオレは、何時の間にか海馬の隣に座り込んでさっき覚えたイライラも相まって、ちょっとだけ強い口調で詰め寄った。
だって誰が見たってコイツの言動おかしいだろ?キスまでしといて好きじゃねぇとか付き合ってねぇだとか有り得ないじゃんか。もうネタは上がってんだからとっとと白状すりゃいいのによ。
オレが顔まで近づけてそう息巻いても海馬はやっぱりどこか他人事みてぇな顔をして、微妙に眉間に皺を寄せて口を噤んだ。まただんまりですか。普段は口から生まれたんじゃないかって思うほどぽんぽん言葉が出てくる癖に、こういう時ばっか口が重いとかズルイよな。もーマジ訳分かんねぇ。
そんな事を思いながら、オレが頭をガシガシとかき回したその時だった。大分痛みが治まったのか顔からタオルを外してしまった海馬が、どこかうんざりしたような大きな溜息を一つ吐いた。
なんだそりゃ、うんざりしてるのはこっちだっつーの。
「……この間、遊戯にも同じ事を言ったのだが……貴様の方こそ分かっているのか?」
「何を?」
「オレは男だ」
「うん、男だね」
「だったら、それこそ可笑しな話だろうが」
「何が?」
「何がって。男が男に向かって好きだのなんだのと騒ぐのがだ!」
「ああ、そこ?つか、今更そこ?」
「奴と同じ切り替えし方をするな!」
「なんだよ。そんな所まであいつと一緒かよ。んで?遊戯はお前のその言葉に対して何って言ってた?」
「……何か問題があるのか?と」
「やっべ、オレも同じ事思った」
「っそうじゃないだろう!」
「なんでだよ。お前の質問には答えただろ?オレ達……っつーかオレはお前が男だって分かってて好きになってんだから、問題ないじゃん」
「オレは男など好きじゃないわ!」
「オレだって男なんか好きじゃねーよ」
「っこの!遊戯と全く同じ事を言うなと言っている!」
「はぁ?お前と遊戯の話聞いてるわけじゃねぇんだから無理言うなよ。ていうかまた一緒?!あはは、面白ぇ」
「全然面白くなどない!」
「まぁまぁそういきり立つなよ。仕方ないじゃん、こればっかりはさ。お前にモクバを嫌いになれってのと一緒でどうにもなんないんだって」
「次元が違うだろう!論点を摩り替えるな!」
バシッ、と手にしたタオルをオレと自分の間に叩きつけ、海馬がそう怒鳴った。
や、そんな事言ったって、ほんとに今更の話なんですけど。お前は確かに男で、オレも男で。男だけど男が好きになって。気の迷いかな、と思ったけど実際出来るんならキスとかそれ以上の事までしたいって思うし。
そりゃ最初はちょっとマズイよな、なんて考えたりもしたんだけど。結局どう足掻いたって好きなもんを嫌いになれる訳もないし、今でもぜーんぜんそれは変わらないし。
うん。諦めるなんて無理です、無理。おかしいと言われ様がなんだろうが、関係ない。
「ごめん、無理だわ」
「何が無理だ?!」
「え?お前の事を好きだって事をなかった事にするの」
「オレは貴様の事など何とも思っていないぞ」
「うん、知ってる。それもしょうがない。お前が遊戯を好きでもな」
「貴様はそればっかりだな」
「だって他にどうしようもねぇじゃん。面倒な事考えるの嫌いだし。なるようになるしかないっしょ」
「不毛だとは思わないのか」
「元々そう上手く行くと思ってないから別になんとも?大体、オレ運任せの男だから、考えたり悩んだりして行動しねぇし。思い通りになったらラッキー、みたいなもんで」
「………………」
「だからお前もいい加減諦めてさ、逃げてばっかいないで、こっち見ろ。な?」
どうせお前がこのまんま逃げて無視したとしたって、なんにも状況は変わらないんだからよ。
最後にダメ押しとばかりにそう言って、オレは何時の間にか凄く近い距離にあったその身体を(正確に言えばその肩を)ガシッと掴んだ。海馬はそれに少しだけ驚いた素振りを見せたけれど、特に嫌そうな顔をしていなかったから、オレはちょっとだけ調子に乗ってもっと顔を近づける。
そこまで来て、海馬はやっとオレの意図に気づいたのか慌てて身体を引こうとするけれど、もう遅い。こいつほんと反応鈍いよなーだから遊戯にいい様にされるんだぜ。
ま、同じ事をしようとしてるオレもオレだけどね。
「な、なんだ?」
「なんだって。今みたいな話をした後に、こうなったら次に何が来ると思う?」
「!!まさか貴様までっ!」
「オレ『まで』って事は、遊戯とも結局こういう事になったわけだ?学習しろよ、学習。お前頭いいんだろ?」
「やかましいっ!離れろ!」
「離れろって言われてハイそうですかって言える位なら最初から手ぇ出さないっつの」
言いながら、オレは奴の全く抵抗になってない抵抗を難なくスルーしながら、その顔に唇が触れられるほど近づいた。勿論目的はキスする事だったんだけど、思いっきり目に入ったまだ少し赤い鼻の頭が気になって……思わず、そっちに触っちまった。
唇でも頬でも額でもなく、鼻先に。
同時に、授業終了のチャイムが鳴る。
「……ちょっ……」
「痛いの痛いの飛んでいけーってね。授業終わったし、オレ教室に帰るわ。お前はどーする?」
本当に触れるだけのキスを一つして、あっさりとそこから立ち上がって距離を取ったオレを、海馬は物凄く微妙な顔をして見上げていた。
うん、まぁ、自分でもちょっといい人過ぎるかなって思うけど。無理矢理なんかして嫌われるのもアレだし、チャイムが鳴ったからここに遊戯が乱入して来ないとも限らねぇ。なるべく道は安全な方を選びたい身としては、この辺が引き時なんだ。
「……一人で行け。オレは戻るかどうかわからん」
「あら残念。一緒にお昼食べようと思ったのに」
「誰が貴様となぞ食べるか」
「そう怒るなよ。鼻先にちゅーなんて可愛いもんだろ。まぁいいや。んじゃ、お大事に〜」
これ以上余計な事を言って機嫌を損ねない様に、オレは未だベッドから動こうとしない海馬にひらひらと手を振って、さっさと保健室を後にする。少し歩いたところで、先生とすれ違ったけれど「またサボり?」と言われた程度で特にお咎めは無しだった。
先生が来たら安心だ。もし遊戯がここまで来ても手出し出来ないだろうし……ま、手を出した人間が言う台詞じゃねぇけどよ。
そんな事を思っていたら、案の定少し早足で階段を下りてくる遊戯の姿を見つける。あれ、まだいつもの遊戯のまんまだ。あいつ反省して出て来ねぇのかな。そんな殊勝な事をするとは思えねぇけど、と内心ほっとしたオレは少しだけ余裕の表情でこっちに向かってくる遊戯に声をかける。
すると遊戯はちょっとだけ心配そうな顔をしてオレの所に駆けて来てこう言った。
「城之内くん!……まさか君、海馬くんと一緒に?」
「ああ。あのまんま放っておけねぇから保健室に連れてった。あいつは?」
「もう一人の僕は心の部屋で反省してるんじゃないかな。呼んでも、返事しないんだ」
「そっか。じゃ、後ででいいからあいつに言っておいてくれ。『泣かせるならオレが貰う。大事にしねぇんならマジ容赦しねぇからな』って」
「えっ?!」
「じゃ、そういう事で。あ、今保健室には先生いるから。海馬に会いたければ行って来いよ」
「城之内くん!」
「ごめんな。やっぱオレ、あいつの事好きなんだ」
それだけをちゃんと聞こえるようにはっきりと言うと、オレはまだ何か言いかけた遊戯に背を向けて思いっきり走り出した。遊戯には悪いと思うけど、これだけは譲れない。譲るつもりはさらさらなかった。
だってあいつだって言ってたじゃないか。フェアでもアンフェアでも構わない。全力で向かって来いって。
階段を全速力で駆けあがる。
今になってオレは、鼻先だけじゃなくってちゃんとしたキスもしちまえば良かったと、ほんの少し後悔した。
それでも、今だけは……なんとなく幸せな気分だった。