New year lovers

「海馬!これお前にやるぜ。お守りって奴だ」
「………………」
「なんだよ不満そうな顔して。これを身に付けてると『ゴリヤク』って奴があるんだろ」
「……遊戯」
「うん?」
「貴様、そのお守りに書いてある字が読めるのか?」
「読めないぜ!」
「では、何で選んだ」
「色。青だから」
「……やはりな」
「それがどういう関係があるんだ。何か問題があるのか?」
「問題?!大有りだ!貴様それをなんのお守りだと思っている!それは『安産祈願』だ!!この馬鹿が!!」
「……あんざんきがん??なんだそれ。この国の風習はイマイチよく分からないぜ。説明してくれ」
「そ、それは。女が丈夫な子が生まれるようにと願って身に付けるものだ!!だからそれを男のオレに寄越すなど馬鹿げていると言ったのだ!」
「あーなるほど。丈夫な子ね。……別にいいじゃないか。お前なら何でも出来そうな気がするぜ。オレの子産んでくれ」
「産めるかっ!!死ね!!」
「いてっ!殴るなよ!!これは相棒の頭だぜ!」
「知った事か!!」

 バコン、と派手な音がして海馬の右手に握られていた羽子板が遊戯の頭を直撃する。それをやや遠くで眺めていた二人の関係者数名は少し離れていた場所から更に距離を取ろうとゆっくりと後ずさった。ちらつく雪が張り切って着込んだ杏子の着物や本田の羽織に降り積もる。

「おい、誰かあれに突っ込んで来いよ……正月早々漫才やってるぜ」
「神様の前で死ねとか言っていいのか?あいつら絶対本来の目的忘れてるだろ」
「……遊戯が起きてくれればいいんだけど……昨日夜更かししてたみたいだから、多分まだ眠ってるし」
「あー最初に家に来た時はまだ普通の遊戯だったぜぃ。兄サマの怒鳴り声が聞こえたのが真夜中の三時位だから、交代したのがその時間だとするとちょっと遅かったかもしんないな」
「もうさーほっといて帰った方がよくね?待ってるの面倒だし、一緒にいると恥ずかしいしよ」
「そうね。そうしようか。モクバくんはどうする?あの二人と一緒にいる?」
「ううん。オレも友達が待ってるからここから真っ直ぐに行くよ。兄サマにはメール入れとく」

 はぁ、と四人の溜息が重なって一つになる。

 元旦の童実野神社。町内で一番大きなこの神社には新年を迎えると同時に町の人間全て集結しているのかと思う程初詣客で溢れ返る。その大多数の中の一部となった遊戯を初めとする仲良しデュエリストグループは、遊戯の声がけで皆で初日の出を拝んで初詣に行こう、と早朝からはりきってここにやって来たのだ。

 勿論当初の予定ではその集いの中に海馬の名は入ってはいなかった。年末年始関係なく仕事に励む彼にはそんな行事など眼中にないだろうし、何より海馬がそんな場所に出向くはずもないと予め解っていたからだ。しかし、遊戯の……正確に言えば海馬に何時の間にか『恋人』という名目をつけた闇遊戯の熱烈な進言により、海馬もメンバーの中に入ってしまったのだ。

 元旦当日。直々に「迎えに行く!」と息巻いて午前二時ごろから海馬邸に向かった遊戯は本当に海馬をモクバ付きで集合場所まで引きずって来てしまった。そんな訳でこの奇妙な面子で初詣という事に相成ったのである。

「じゃ、私は帰るわね。城之内、本田、あんた達はどうするの?真っ直ぐ帰る?」
「あーオレこれからバイト。直で行くわ」
「オレはゲーセン寄って行くかな。正月だから24時間やってっし。あ、でも先立つものがねぇや。一旦家帰ってお年玉貰わねぇと。コレも脱がねぇと動き辛いし」
「本田てめぇ!オレの前でお年玉とか言いやがったな!!」
「……高校生にもなってお年玉で喧嘩かよ。みっともないぜぃ」
「うるせぇモクバ!お年玉袋どころか熨斗袋が立つほどにパンパンになってるモン海馬に貰いやがって!サラリーマンのボーナスかっての!!生意気だぜ!」
「お前も欲しいのか?兄サマに言ってみれば?」
「言えるかぁ!!」
「あーもうこっちもこっちで煩いったらありゃしないわ。……早く帰って御節食べよう。じゃあね、モクバくん」
「うん。またな!」

 人並みに押されながらバイバイと振られる四つの掌は直ぐに散り散りになって離れていく。その様子を未だ境内に立ち尽くし何事かを言い争ってる二人は全く見ていなかった。

「おい、海馬」
「なんだ!」
「城之内くん達の姿が見えないぜ。人混みに紛れちまったのかな?」
「あぁ、そう言えば……はぐれてしまったのではないか」

 不意にその事に気づいた遊戯が連続的に振り落ちてくる羽子板と格闘しつつそう呟いた。それに漸く手を止めて海馬もつい先程まで視界の端にいた見慣れた顔を捜す。しかし、四人が四人、一人として見つける事が出来なかった。

「おかしいな……っと、メール入ってる」
「こちらもだ。……モクバが先に帰ると言ってるが」
「オレもだ。皆もう神社から出ちまったらしいぜ。……おいてけぼりかー。お前がどうでもいい事で大騒ぎするからこうなるんだぜ」
「オレじゃない!貴様の所為だろうが!どうするんだこのお守り!」
「持ってろよ。捨てられないだろ。で、とりあえず、どうする?まだ神様にお参りすらしてないぜ」
「生憎オレは無宗教なんでな。元から初詣など来る気はなかった。貴様とて関係ないだろうが」
「オレは関係ないが、相棒がちゃんと初詣をして来いっていうんだ。お賽銭とやらも貰ったんだぜ」
「では、してくれば良かろう。一人で」
「付き合い悪いな。ここまで来たんなら一緒に来いよ」

 な?と言いつつ身長差を生かしつつドサクサに紛れて海馬の腰の辺りをぽんぽん、と叩く遊戯にもう一回羽子板の軽い一撃をお見舞いして、海馬は憤然とした様子で先に立って歩き出す。既に大行列をなしている参拝客の中に上手く潜り込む事が出来た二人は対照的な顔で向かい合った。

「それにしても、凄いな。そんなにここの神様ってのは偉いのか」
「神が偉いとか偉くないとかいう問題ではなく、これは既にイベントの一種だ。そうしていれば安心できるんだろう」
「お前は?」
「オレはそもそも神頼みなどしない。よって、こんな事はした事もない」
「……本当に日本人か?」
「やかましい!古代エジプト人に言われたくないわ!」

 そんな事を言い合っていると順番は直ぐに訪れ、どこで覚えてきたものやら遊戯は正統な手順を踏んでそつなくお参りを済ませてしまう。それを直立不動のまま眺めていた海馬は遊戯が頭を上げた瞬間さっさと階段を降りてしまい、早くしろと苛立った声を投げつけた。

「お前、ちゃんとしろよ」
「オレは元からしないと言った」
「そんな事言って、バチが当たっても知らないぜ」
「……貴様はどこからそう言った言葉を覚えてくるのだ」
「うん?大体が相棒で、後はテレビと……」
「無駄な知識ばかり増やしてどうする。下らない」
「結構面白いんだぜ。それはそうと、次はどうする?あれか?おみくじか?」
「おみくじ?!」
「それも相棒に頼まれたんだ。ダイキチって奴を引いて、ってな」
「……貴様案外あの遊戯にいい様に使われているのだな」
「そんな事無いぜ。オレも結構相棒に頼みごとする事が多いからおあいこって奴だ」
「オレはいい加減帰りたいんだが」
「いいじゃないか。今日は休みだろ。折角二人きりになったんだからデートしようぜ」
「しない。面倒くさい。帰って寝る。貴様の所為で疲れきった」
「お、安産祈願が役に立つか?そういうのなんていうんだったかな。本田くんと城之内くんが言ってた……えーっと姫初め?」
「立つか!!そういう寝るじゃない!!下らん事ばかり吸収して役に立たない紅葉頭め!」

 もういいから先に行く!とコートを翻し大股で歩き出す海馬の背中を遊戯は慌てて追いかけた。息が詰まるような人混みは時間と共に更に酷さを増し、一瞬でも目を離すと見失ってしまいそうだ。幸い海馬は他の人間よりも身長が高いので、あっさりと周囲に溶け込む、などという事はなかったが。

 それでも、はぐれないという保証はない。そう思った遊戯は少し苦労をして辿り着いた彼のコートの端をしっかりと握り締めた。本当は空いている左手を狙っていたのだが、この状態で手を繋ごうものならいつまた羽子板が飛んでくるか分からない。……というか彼に羽子板を持たせたのは誰だったのだろうか。

「貴様何をしている。コートを引っ張るな!」
「だってこうしないとはぐれるだろ?凄い人だし」
「はぐれたらそのまま別れて帰るだけだ。なんの不都合も無い」
「オレはここから相棒の家までの道のりが分からないんだぜ。勿論お前の家だって分からない。迷子になったらどうするんだ」
「そんなのはオレの知った事か。勝手に迷子になればいい。貴様のポケットに入っている携帯はなんの為にあるのか少し考えるんだな」
「煩いぜ。それが嫌だから自衛しているんだ。文句言うな。あ、ちょっと待て海馬!おみくじ!」
「……本当に引くつもりなのか」
「当然。……あー、でも少し遠いな。やっぱりお前も一緒に来い」
「ちょっと待て!コートを引っ張るなと言っている!おい遊戯!」

 海馬の声になど一切耳を貸さず、握り締めたコートを力一杯引きながら遊戯は人並みをかき分けて、目的であるおみくじ引き場まで歩いていく。にこやかに出迎えた可愛らしい巫女には目もくれず、遊戯は表遊戯から預かった100円を一枚差し出すと、箱に手を突っ込みがさごそと熱心に中身を探った。その顔は、後にその様子をみていた海馬曰く、ここぞという時の神のカードを引きあてる以上に真剣なものだったらしい。

「よし、これに決めたぜ」
「早く開けろ」
「なんだ気になるのか?」
「凄くな。貴様の運命だしな。最近デュエルでも引きが悪いようだから心配なのだ」
「哂いながら言うな。嘘吐きめ」
「いいから早く」
「急かすなよ。どれどれ……んーやっぱり読めないぜ、なんて書いてある?」
「見せてみろ」

 丁寧に遊戯の手の中で広げられたおみくじを海馬の指が奪い去る。即座にざっと中身を見回した海馬は、元から出ていた笑みを更に深くして、さも可笑しそうに喉奥で笑いを堪えながらこう言った。

「遊戯、貴様のその引きの悪さ……いや良さなのか?は天才的だな」
「何を笑ってるんだ。なんて書いてあった?」
「大凶」
「は?」
「だから「大凶」だ。滅多に拝めん代物だぞ、喜べ」
「それはどういう意味なんだ」
「今年一年の運勢が素晴らしくいいって事だ。良かったな」
「……本当か?」
「本当だ。オレは嘘はつかない」

 くっくっくっ……と肩を震わせて彼にしては笑い転げているだろう海馬の様子を眺めながら、遊戯は改めて手元に帰ってきた「大凶」のおみくじを眺めていた。これはそんなにいいものなのか。なら相棒も文句なんか言わないな。そう言いつつ大事そうにポケットにしまうその姿を見て、海馬は更に笑いを誘われたがなんとか堪えて、「コートが皺になる」という理由をつけて珍しく自分から遊戯に手を差し伸べた。普段この手の接触は決してしない彼にとって、それはとんでもない行動だった。勿論ライバルの大凶に機嫌を良くしたからである。

 そんな恋人の内心を知る由もなく、遊戯は降って沸いたその幸運に「早速いい事があったじゃないか」と至極単純に喜んでその手を強く握り締めた。

 周囲は未だ人で溢れていたが、ここに来た時ほど気にはならなくなっていた。
「皆で初詣って奴をするんだ。お前も参加しろ、海馬」
「……真夜中に人の家に押しかけてきて、言う事はそんな下らない事か」
「あ、忘れてたぜ。『アケマシテオメデトウ』これでいいんだろ。新年の挨拶」
「新年の挨拶はどうでもいい!貴様、少し常識というものを学べ!常識を!!メールでいいだろうがこんな事!!」
「メールじゃお前絶対来ないだろう?」
「当たり前だ!」
「そう言うと思ったからわざわざ迎えに来たんだぜ。どうせ起きてたんだからいいだろう?早く支度しろよ」
「なんだ支度とは。それにオレは行くとは行っていない」
「なんだっけ。着物って奴を着るんだろ、初詣では。相棒は持ってないって着て来なかったけどな」
「それは好き好きだ。絶対ではない!……ってしつこいな!オレは行かないと言っている!」
「海馬、オレはお願いをしているんじゃないぜ。命令をしているんだ」
「余計悪いわ!貴様何様だ!」
「何様……?それが分かるんならこんな世界で苦労はしてないぜ!何様だと思う?」
「威張って言うな!そしてオレに聞くな馬鹿が!!」
「なんでもいいから早く支度。ぐずぐずするなよ」
「人の話を聞け!!」

 それは同日の午前三時の海馬邸での事だった。時刻に不似合いな怒鳴り声と、ドンッという衝撃音に、元旦だからと自室で夜更かしをしていたモクバは慌ててその音の発生源である兄の部屋へと向かった。先程遊戯が訪ねて来たからきっと何かやらかしたんだろう。あの時はまだ『いつもの』遊戯だったから特に気にする事はなかったが、時間が時間故にもう寝てしまったのかもしれない。とすると、今兄の部屋にいるのは『あの』遊戯の方なのだ。

 ノックをしてもどうせ聞きやしないだろうと、思い切り良く扉を開けると、案の定海馬がずっと座していた机の直ぐ前に、遊戯が尊大な態度で仁王立ちになっていた。モクバが来た事を知りちらりとこちらを見た瞳は先程とは違う赤。……やっぱりコイツか、そう思いつつ、モクバは他の人間の迷惑にならないように部屋に入り、扉を閉める。

「ようモクバ。邪魔してるぜ。まだ起きてたのか」
「またオマエかよ遊戯。こんな時間に大声で喧嘩しないで欲しいぜぃ。一体どうしたんだよ?」
「大声を出してるのは海馬だけだぜ。この煩さはどうにかなんないもんかな」
「おのれ遊戯!オレの所為にするか!大体貴様が……!」
「兄サマ!寝てる奴等もいるんだから静かに!」
「………………」

 やはりと言うかなんというか、至極下らない事で言い争いをしているだろう事はすぐに分かり、モクバは少々怖い顔でしーっ!と口に指をあてて、まだ何か言い募る兄を睨み上げた。それに即座に黙り込んだ兄を満足気に眺めながら、モクバはちょっと大人びた仕草で腕を組むと、この場を平静に収めるように些か声を抑えて口を開いた。

「で、喧嘩の原因は何?」
「喧嘩なんかしてないぜ。オレは海馬を誘いに来たんだ。初詣に行こうってな。それをコイツが全力で嫌がってるだけ」
「初詣?遊戯達も行くんだ?」
「ああ。なんだお前も行くのか?」
「うん。友達と遊びに行くついでに行く予定だぜぃ。朝六時に待ち合わせしてるんだ。初日の出も見るから」
「じゃあ、途中まで一緒に行かないか?お前が行けば……な、海馬。モクバと一緒なら行くだろ?」
「な、何故オレが一緒に行かねばならない。勝手に二人で行ってくればいいだろう」
「初詣ってのは凄い人が集まるんだろ?途中でモクバが浚われたらどうするんだ?」
「…………う」
「元旦から誘拐事件なんて笑えないぜ。兄ならば責任を持って弟を保護しないとな。な、モクバ?」

(兄サマって遊戯と話をすると頭の回転が鈍くなるっていうか……馬鹿正直になるっていうか……ちょっと見てられないぜぃ)

 ニヤリ、と効果音が聞こえて来そうな笑みを浮かべて遊戯が海馬を凝視する。それに思い切りたじろいだ兄の姿を眺めながら、モクバは内心呆れ返った溜息を吐いた。遊戯の発言の可笑しさなど冷静に聞かなくてもすぐに分かると言うのに、それらを全て鵜呑みにしてしまったらしい海馬は、当初の勢いをかなり殺がれ、見た目でもはっきりと分かるほど「初詣に行く」方向に傾いて来ている。本気で自分の事を心配しているのだろう。それを思うと、モクバはほんの僅かであったがやりきれないというかいたたまれない気分になる。

 毎日学校にも普通に徒歩で登校して、帰りには寄り道までして遊び廻っているというのに。少々人の多い初詣に行く程度でいちいち誘拐されてはたまらない。そんな事、考えなくても分かるだろうに、遊戯に言われると分からなくなってしまうのだろうか。容姿端麗・頭脳明晰で通っている自慢の兄だったが、最近どうにも自慢出来なくなってきた。全ては目の前にいるこの正体不明の男の所為である。

(レンアイって本当に人を変えるんだよな。気を付けよう。相手は真剣に選ばなくっちゃ)

 齢12歳にして元旦早々しみじみとそんな事を思うモクバを尻目に、既に勝利を予感した遊戯は何時の間にか海馬の元へと歩み寄り、そうと決まれば早くしろ!とばかりに腕を引いていた。そのついでにちゃっかり軽いキスをするところまで見てしまい、モクバの脱力感は更に増す。

「き、貴様!ドサクサに紛れて何をやっている!!」
「何って。挨拶だ」
「挨拶はさっきしただろうが!!」
「言葉でだろ?まだ行動ではしていなかったからな。改めて。ちょっと協力しろよ」
「するか!!うわっ、馬鹿っ、やめろ!腕を離せっ!……ゆ……!」
「……オレ、部屋に行って準備してくるね……10分後に来るから」

 イキナリなにやら始めてしまった二人に遠慮する、というよりも馬鹿馬鹿しさで一杯になってしまったモクバは、ぴったりとくっついてしまった彼等にくるりと背を向けて、さっさと部屋を後にした。わざわざ10分後、と明言したのは調子に乗ってキス以上の事をされて時間を延ばされる事を危惧した為だ。

 ああ、なんかオレって嫌な意味で大人になっちゃってるかも……なんて切なく思いながらモクバは外に出る用意をすべく自室へと歩いて行った。

 そして約束どおり10分後に兄の部屋に向かい、未だ部屋を出た時のままの二人を勢い良く怒鳴り散らし、三人は漸く初詣へ向かうことが出来たのである。
「で、これからどうする。目的は全部果たしたんだろう?帰るか」
「そうだな。皆もいなくなったし」
「しかし、帰ると言ってもこの人混みでは……車を呼んで何時になる事か」
「いい機会だ。電車に乗ろうぜ」
「電車?」
「相棒のママとやらがそう言ってたぜ。車やバスは使い物にならないから電車にしなさいってな」
「……ママと来たか」
「お前、どこまで行けば帰れるか知ってるんだろ?だったら早く行こうぜ」

 参拝におみくじ、ついでにリンゴ飴まで手に入れて、酷くご満悦な様子で手を握り締めてくる遊戯を心底呆れて眺めながら、海馬は「一体こいつの実際の年齢は何歳なんだ」と訝しく思いつつ、彼の提案通り電車に乗るべく近くの駅に向かって歩き出す。しかし、その足取りは酷く鈍い。

 本当は電車など嫌で仕方がなかったが、今日という日を考えればこの人の量が減る事は考えにくく、またこんなところで立ち往生している時間が勿体無かった。数時間無駄にして、人混みの中で耐え忍ぶか。それとも数十分の我慢を乗り越えて自宅で寛げる時間を確保するか。瞬時にその二択を迫られた海馬は、迷いに迷って後者を選んだのだ。

 元々海馬は人に囲まれる事には慣れているもののこうして人に紛れる事は余り……否、かなり苦手だった。ゴミゴミとしたこの空気は勿論、意図しているわけではなくても他人の身体に接触する事に不快感を覚えるからだ。遊戯と付き合い始めてから当然発生したあらゆる意味での肉体的接触経験により、最近では大分マシになってきたとはいうものの、それとこれとではまた話が違う。海馬が初詣を渋ったのもその実その事が理由の一端を担っていたのだ。

 何が悲しくてあんな窮屈な空間にすし詰めにされなければならないのか。毎朝ニュースの背景に流れる朝のラッシュ映像を眺めながら、気の毒な奴らめと鼻で笑っていただけに非常に物悲しい気分になる。やっぱりこいつの口車に乗せられるべきではなかった、新年早々最悪だ。もしかしたらこいつの大凶が自分にまで降りかかっているのではないか。……そんな事まで考えてしまって、余計足取りが鈍くなる。

「おい、海馬。何のろのろ歩いてるんだ。進まないぞ」
「煩い。だからオレは嫌だと言ったんだ」
「何の話だ?どうかしたのか?」
「なんでもない!」
「いきなり怒るなよ。飴やるから」
「いらんわ!」

 何が飴だ。百円玉程度の大きさになったものを寄越そうとしてこいつは馬鹿か!全く腹立たしい。早く帰りたい!そう内心ぶつぶつと文句を言う海馬をやはり不思議そうな顔で見つめていた遊戯は、何時の間にか辿り着いていた駅の階段を一歩上がろうとしてぎょっとした。余り広いとは言えない駅舎や改札の中に溢れるのは物凄い人の数。

「う、わ……凄いな」
「……もしやこの中を行けと言うのか」

 遊戯の呟きにつられて足取り同様のろのろと顔を上げた海馬は、いきなり目に飛び込んできた光景に驚愕と絶望の表情を浮かべた。それをさり気に盗み見て、遊戯は海馬が急に不機嫌になった理由に気づく。確かに人との接触を嫌う人間にこの中に飛び込んでいけというのはかなり酷だろう。普段は人の三倍余裕のあるスペースを確保して、それでも狭いと文句を言う男である。窒息死しかねない状況というのはそれこそ地獄の責め苦に違いない。けれど、これしか方法がないのなら仕方が無い。

 遊戯は至極あっさりとそう結論付けてしまうと、特に海馬を気遣う様子もなく、一段階段を上がりつつさらりとこう告げた。

「行くしかないだろ。これしかないんだから。それともあっちのバスの行列に並ぶ気があるのかお前は。あれなら一応は座っていけるし、人とくっつかなくても済むかも知れないが」
「……絶対に嫌だ」
「じゃあ少し我慢しろよ。はぐれない様に手を繋いでいてやるから」
「繋いでやっているのはオレの方だ!」
「まぁどちらでもいいけどな。それじゃ、行くぜ!頑張れよ海馬!」
「こんなところで頑張れるかっ!」
「その位の元気があれば大丈夫だろう?カード持ってるか?この後に及んで切符を買うとかお断りだからな」
「そ、それは大丈夫だが。本当に行くのか?」
「行く。しっかり捕まってろよ!」

 その遊戯の言葉を最後に、二人は……いや、海馬は殆ど決死の覚悟で溢れる人の中を、苦労して波に乗りながら進んでいく。途中途中に遊戯の耳には背後から「ぎゃあ!」だの「うわ!」だの気の毒な声が聞こえたが、振り返ってる暇もないのできつく握り締めた指先に更に力を込めて、ただひたすら前を目指した。

「……なんとかホームまで辿り着いたな」
「……し、死ぬかと思った」
「お前頭が酷い事になってるぞ。少ししゃがめ。直してやる」
「この状態でしゃがむ事が出来ると思っているのか!」
「まあな。けど凄いよな、この人混み。相棒や城之内くんたちは毎朝これを経験してるんだぜ」
「……それだけは素直に関心する」
「まだ終わっちゃいないけどな。それはそうと、今日はデュエルディスク外してきて良かっただろ?こんなところに持ち込んだら一発で壊れるぜ。あ、そういえばお前、さっきまで持っていた羽子板はどうしたんだ」
「羽子板?……ああ、あれは貴様を殴るために拝借しただけで、元に戻してきた」
「拝借するなよ」
「煩い。それにしても、遅いな。何時まで待たせる気だ」
「何時までって。まだ前の電車が行って五分も経ってないぜ。相変わらずせっかちだな。そんなだから『何事にも』早いんじゃないのか」
「なっ……貴様それは何についてでどういう意味だ!」
「多分お前が今思った通りの事だぜ。さっき神様にお願いしてきてやったから、今年は少し持つようになればいいな。それと、技術の向上と」
「たわけた事を抜かすな!!」
「なんで赤くなるんだよ。オレはお前のデュエルに関する事を言ってるんだぜ?」
「嘘を吐け!」

 漸くホームまで辿りついたものの、少しでも動けば最前列の人間が線路に落ちてしまうのではないかという程の混雑振りにすっかり嫌気が差してしまった海馬は、今の強行突破で大いに乱れた髪もそのままに残った気力ごと吐き出すような大きな溜息を吐く。それを少しでも紛らわせようと遊戯が話を振ってみるが、それはどうやら逆効果だったらしい。尤も、勢いをつけるには程よい言葉の応酬であったのだが。

「でも、たまにはいいだろう?こういうのも」
「ちっとも良くない。オレには馴染みのない世界だ」
「一年に一回位オレ……まぁ正確に言えば相棒だけど。と同じ空気を共有するっていうのも悪くないだろう。オレは案外好きだぜ、こういうの」
「貴様は既に慣れてしまったからだろう。すっかり日本かぶれになって」
「もしかしたらずっと日本人でいなければならないかも知れないからな。知識を吸収するに越した事は無い」
「……おい」
「ん?」
「ここで真面目な事を言うな。白ける」
「ああ、すまない。この手の話は嫌いだったか。じゃあやっぱりお前の今後のベッド技術向上に関してオレの意見を言わせて貰ってもいいか?」
「いきなり変わるな!って、やはりさっきのはその『技術』の話ではないか!」
「だってお前が」
「やかましい!大体貴様人に意見出来るほど己の技術が素晴らしいとでも思っているのか!」
「思っているさ。今日これから証明してやるぜ。じゃあ、やっぱりお前の家に直行な。姫初め姫初め」
「ふざけるな!!」

 海馬の叫び声が雑踏に混じって消える前に、緩やかな音を立てて待ち焦がれた電車がホームへと入ってきた。途端にざわめく周囲と我先にと足を踏み出す人の動きに、また徐々に曇っていく海馬の顔を眺めながら、遊戯は未だ離す事のなかった指先を改めて握りなおすと、背伸びをして漸く届くその耳元に唇を寄せて囁いた。

「まあとにかく。来年も皆で来ような、初詣」
「嫌だ。絶対に行かない」
「じゃ、二人きりで」
「行かないと言っている。二度とごめんだ」
「今度はお前もちゃんと神様にお参りしろよ。おみくじも引いて」
「大凶を引いた奴に言われたくないわ。貴様は既に神に見放されているのだ!」
「なんでだよ。大凶は凄くいいんだろ?とにかく、約束」
「しないと言っている」
「また安産祈願のお守り買ってやるから」
「煩いわ!そんなもの速攻捨ててくれる!」

 その言葉を最後に二人は人波に押し流されるように無事電車へと乗り込み、これまで以上に苦労をして海馬邸に辿りついたという。途中電車の中で命知らずの男が海馬の身体に触れて蹴りと肘鉄を食らったとか、遊戯が周囲の状況などお構いなしに海馬に迫ってこれまた肘鉄を食らったとか、色々憶測が流れているが、その真相は二人にしか分からない。

 ともかく、お騒がせカップルの新年第一日目はそうして更けていったのだ。
 次の日。当然のように海馬邸に泊り込んだ遊戯共々一緒に朝食をとろうと兄の寝室に続く私室に入ったモクバが一番最初に目撃したのは、脱ぎ捨てられた二人のコートのポケットから落ちたらしいあの安産祈願のお守りと、大凶と書かれたおみくじだった。

「……なんだか、今年も大変な年になりそうだぜぃ」

 モクバの大きな溜息が燦々と朝日が降り注ぐ広い部屋に木霊する。それがすっかり消えてしまう前に、彼は閉ざされた寝室の扉を叩いて大きな声で二人を呼んだ。
 

 1月2日。今日から、いつもの日々が始まるのだ。