浮かれ気分最高潮

『手紙にも書いたんだけど……城之内くんって付き合っている人いるの?』
『えっ』
『いないのなら付き合って。私、本気なの』
『いや、その、突然言われても分かんねぇよ』
『返事は今すぐじゃなくてもいいから、考えておいて。あとこれ…私の気持ち。これから寒くなるから。一緒に携帯の番号入れておくね』
『……う、うん。けどよ……』
『いい返事を期待してるわ。じゃ!』
 

 それは気持ちいい程の秋晴れで、日差しの暖かい、穏やかな午後の事だった。登校時に同じクラスの女子から恭しく渡された手紙に呼び出しを受ける形で、指定場所である体育館裏までやって来た城之内を待ち受けていたものは、一つ上の学年でしかも学校一人気のある美人女子生徒からの熱烈な告白だった。

 学園祭時に恒例となっているミスコンで三年連続でダントツ優勝を果たした彼女の事を知らない童実野高校男子など、約一名を除いているはずもなく、その大半はなんとか彼氏の座を獲得しようと躍起になっている。そんな話題の人物から付き合って、と持ちかけられる等思いもよらない事だった。男としては最高の栄誉でもある。

 しかし城之内には、彼女の告白を二つ返事で受けられない理由があった。何故なら彼には既に好きな人物が存在していたからだ。けれどその人物とは付き合う事は愚か、意思の疎通すら上手くいかない状況で、尚且つ強力なライバルがいる。更に暴露してしまえばそいつは男だ。殆ど不毛な恋と言ってもいい。

 そんな日々の最中に齎されたこの突然の幸運に、僅かに心が動いてしまったのは事実だった。どう頑張っても名前さえまともに呼んで貰えないような男と、自分にぞっこんな学校一美人の女の子。その二つを天秤にかけたら普通に考えれば後者に決まっているだろう。頭では分かっている。

 けれど、やはり一瞬考えてしまうのだ。即座に切り捨てる事は出来ない。しかし、それとこの浮かれ気分は全く別個で、どう答えるにせよ返事を返すまでの幸せを味わおうと思ったのだ。どうせもう一人の相手には分からないのだろうし。存分に。
 

 

「おい城之内。な〜にニヤニヤしてんだお前」
「別になんでもねーよ」
「お?オレに隠し事とはいい度胸だな!そういや昨日の昼いなかったみてーだけど、どこにいってたんだぁ?」
「何でオレが一々お前にそんな事報告しなきゃなんねーんだ!」
「ムキになるとこが怪しいんだっつーの。吐けよ!」
「吐かねーよ!離しやがれ!!」

 次の日。ぼうっとしているとついつい昨日の事が頭の中でリピートしてしまい、自然と顔がにやけてしまう。その様をすぐ近くに座る本田を初めとする複数の友人に見咎められ、城之内はあっという間に捕まって腕で首元を締め上げられる。それでも勿論言うつもりなどなかった。

 万が一この事が外部に漏れてもう一人の相手……海馬に知られでもしたらそれこそ身の破滅だ。ここ最近学校になど来ていないし、今月は来る予定も皆無だが、もし彼が目の前にいれば馬鹿だ阿呆だと散々罵られた挙句目の前の窓からポイ捨てされるのがオチである。ちなみにここは三階だ。落ちれば当然命は無い。

 ちなみにそう思っているのは城之内一人であって、件の海馬は城之内が誰とどうなろうが嫉妬は愚か最初から全く興味がない事を追記しておく。
 

「だからなんでもねーって!苦しいっつの!」
「お前が吐くまで離さねぇ!」
「てめぇ本田!ふざけんな!」

 力加減なしで本気で締め上げて来る本田に、いい加減苛立ってきた城之内は、振りほどこうと必死に手足をバタつかせて抵抗する。しかしその体勢と身長差の分なかなか上手くいかず、そろそろ暴れるのも疲れてきたその時だった。

「ダメだよ本田くん、城之内くんを離してあげて」

 不意にそれまで視界の中にいなかった遊戯が、少し困った笑顔を浮かべて二人の前にやってきた。強制力のまるでない柔らかな口調だったが、その声に抗える人間はここにはいない。さしもの本田も、ね?といいつつ腕に触れてくる遊戯の手を邪険には出来ず、渋々といった調子で締め上げていた城之内の首を解放した。

「だってよー遊戯。こいつ絶対隠し事してるんだぜ。さっきからニヤニヤしてよ」
「隠し事?何かいい事でもあったの?城之内くん」
「だーかーらー。何にもねぇって。本田が勝手な事ほざいてるだけだ」
「だったらそのニヤニヤの説明をしてみろよ」
「うるせぇ!」
「あーもー二人とも喧嘩はやめてよ。城之内くんがなんでもないっていうんだからいいじゃん。誰だって思い出し笑いとかする事あるし」
「いや!そういう類の笑いじゃなかった!」
「しつけぇぞ本田!」
「ストップ!!もうお終い!はい、本田くん席に戻って。ね?」
「…………はい」

 たしなめても一向に終わる気配のない二人の争いにすぐに痺れを切らした遊戯は、彼らの間に強引に身体を割り込ませると力一杯その身体を引き離した。そして先程よりもやや凄みのある眼差しに切り替えて、口元に至極優しい笑みを浮かべた。こうなると、本当に誰も彼には逆らえない。

 そのまますごすごと自席につく本田の後ろ姿を眺めながら、城之内は「ざまぁみろ」と小さく呟いて舌を出した。しかし、即座に遊戯に睨まれて、慌てて顔を引き締めて姿勢を正す。遊戯に睨まれたからといってそれが凄く怖いとか迫力があるという事ではないのだが、仲間の誰しもがこの顔を苦手としていた。そう、あの海馬でさえも。

「城之内くん」
「な、なんだよ」
「何かいい事あったって、本当?」
「だから、そんな事ないって。マジでない!」
「ふーん。でも確かに、すっごく嬉しそうだよ?」
「気のせいじゃねぇ?あ、明日バイト代入っからよ。そんでワクワクしてんだ」
「バイト代かぁ」

 へぇ、といつもと同じ受け答えをしながらも、遊戯の視線は城之内の瞳に吸いついて離れない。絶対こいつ疑ってるよ……と城之内が密かに冷や汗を浮かべ始めたその時、遊戯の顔が先程までの微妙な笑顔ではなく、本物の笑顔へと変化した。それこそ、遊戯の方が『何かいい事があった』と言わんばかりに。

 何を隠そう彼こそが城之内の恋のライバルで、彼も城之内とほぼ同時期に海馬を好きになり、恋人になりたいと望んでいる一人だった。彼は気弱なようでその実自分をしっかり通す所があり、例えライバルが親友であっても一歩も譲る様子を見せない。勿論こちらだって負ける気はしないが、どうにもやり辛い相手である事は確かだった。唯一の救いと言えば海馬は遊戯と城之内、そのどちらもご免こうむると言って拒絶している事で。けれどもそれは同時に自分の思いも遂げられないのと同じ事で、全く利にはならない強みだった。

 そこまで考えて城之内ははたと気づく。本田よりも、誰よりもその事を気づかれて困るのはこの遊戯に対してではないのかと。女の子に告白されて舞い上がっているなんて事を知られた日には「じゃあ城之内くんは戦線離脱って事だね!」なんて笑顔で言われて、鮮やかに海馬を横取りされるに決まっているのだ。それだけはなんとしても避けたい。

 しかし、なんだろうこの遊戯の浮かれっぷりは。常々にこにこと笑みを絶やさない彼だが、今日の様子は明らかに可笑しい。もしや、彼にも自分と同じ様な幸運が降って来たとでも言うのだろうか。デュエルキングの称号を得てからというもの遊戯の知名度は目に見えて上昇し、学校内外に熱烈なファンがいるとの専らの噂である。

 勿論それはカードゲーム愛好家の間での話だったが、バトルシティなどの開催で童実野町や多くのデュエリスト達が大きな注目を浴びたのも確かなのだ。その結果、闇遊戯が前面に出ている時の遊戯の勇姿は全国民の目に触れる事となり、本人に確認をとってはいないが何かと大変な事になっているらしい。

 それを思えば、今更女子からの告白の一つや二つで浮かれ気分になるわけもないだろう。城之内は即座に思いついた「自分と同じ状況である」という考えを否定する。だとすれば、一体何が彼に幸せを齎しているのだろうか。

 ……ここは、本人にそれとなく尋ねてみるしかない。

 特にそうする必要も無いのだが、なんとなく知りたいという気持ちを抑えられず、城之内は未だ笑みを絶やさずこちらを見ているその顔に、何気なさを装って訊ねてみた。

「なぁ、遊戯」
「うん?何?」
「オレはまあ、いいとしてさ。お前の方こそ、なんかすげー嬉しそうな顔してねぇか?」
「え?そうかなぁ。別にそんな事ないけど」
「そうか?なーんか顔がにやけてんぜ」
「それはお互い様でしょ。いいじゃん、別に」
「まぁそりゃいいけどよ……」

 自分も人に言えない幸せな秘密を持っているのだ、それを隠した状態で相手の笑顔の理由を聞こうなんて確かに虫が良すぎる。そう思った城之内はそれ以上追求する事はせずに、素直に開きかけた口を閉じて遊戯から離れようとする。午後からの授業の前にトイレでも行っておくかと一歩踏み出したその時だった。

 くるりと向けた城之内の背に向かって、遊戯が実に嬉しそうな声でこう言ったのである。

「じゃ、城之内くんは桜先輩と仲良くしてね。僕は海馬くんと仲良くするから。ねー海馬くん」
「はぁっ?!」

 遊戯の口から飛び出したとんでもない台詞と、最後に出てきた余りにも見知った名前に城之内は思わず勢いをつけて身体ごと後ろを振り向いた。今、海馬って言ったよな。海馬って……海馬?!そう混乱する思考を必死に奮い立たせながら、未だその場を動かない遊戯と、その背後に立つ長身の姿に城之内は驚愕する。

「かっ……海馬?!なんでお前がここにっ!!」
「オレが学校に来ては悪い理由があるのか。今日は午後から時間が空いた」
「海馬くん、ついさっき来たんだよ。気づかなかった?」
「き、気づかねぇよ!!学校で気配消してるんじゃねぇ!!」
「己の愚鈍さを他人の所為にするな、凡骨」
「凡骨って言うな!……っつーか!!お前ら、一体何持ってやがるッ!!!」

 そう、遊戯の背後には何時の間にか学校に来ていたらしい海馬が常と同じ尊大な態度で立っていた。しかし、城之内が驚いたのはそれだけではない。彼の手の中には自分が昨日彼女から貰った手紙と、プレゼント入りの紙袋があったからだ。城之内が二人に尤も見られたくないそれを、海馬と遊戯は堂々と開封し、興味深げに中身を眺めながら、同時に実に嫌な笑みを浮かていた。

「……今時ラブレターで体育館裏に呼び出しとは、随分古風な女だな。しかも手作りマフラー付きか」
「海馬くんは知らないだろうけど、桜先輩は学校一美人な上級生なんだよ」
「ほう。凡骨には身に余る光栄だろう。二度とない機会だろうから、さっさと付き合うと言って来い」
「僕も、すっごくお似合いだと思うよ、城之内くん!」
「…………ちょ、お前ら……なんっ……」
「こういうものを机の中にいれっぱなしにするの、よくないと思うなー。さっきの小テストで席替えした時に、偶然見つけちゃったんだ」
「馬鹿はなんでも机につめたがるからな。それにしても、物好きな女もいるものだ」
「城之内くんって結構女の子に人気があるんだよ?」
「それは結構。女が出来れば今後オレにつきまとう事もないだろうからな」

 フン、と盛大に鼻を鳴らして心底嬉しそうにそう言う海馬を、これまた嬉しそうに眺める遊戯。……彼の浮かれっぷりはこの所為だったのだと城之内は即座に悟り、同時に己の身に不運が襲った事を知った。何もかもを知られてしまった上に、遊戯には塩を送り、海馬には拒否する口実をまた一つ与えてしまった。これを最悪と言わずなんと言えばいいのだろうか。

「随分と浮かれていたようだから、さぞかし嬉しかったんだろうな」
「うんうん、絶対そうだよ」
「ばっ、ちがっ……誤解だ!!オレは!!聞いてくれ海馬、遊戯!」
「あ、そろそろ昼休み終わっちゃう。次は化学の実験だよ。理科室に行こうか、海馬くん」
「そうだな。幸せな馬鹿は放っておいて、行くか」
「実験は席が自由だから、一緒にやろう。海馬くんと一緒だと楽しいし、楽だし」
「くだらん作業などしない。全部貴様がやれ」

 必死に言い訳を試みる城之内の事などまるきり無視で、何故かとても仲良さそうにそんな会話を交わしていた二人は、他の生徒に混じって理科室に行くべく、城之内から背を向ける。ちょっと待てよの声も空しく、彼らの姿は直ぐに扉の向こうへと消えてしまった。賑やかな声が遠ざかっていく。

「おい城之内何してんだ。オレらも行くぞ。……っておい、なんだその葬式みてーな顔!!さっきのアホ面はどうしたよ?!」
「……本田ぁ」
「な、なんだよ」
「オレ、もうダメかもしんねぇ」
「何が?!」
「………………」
「何がだよ城之内!おい!!」

 まさに幸福の絶頂から、不幸のどん底へ。城之内の浮かれ気分は一転して地にめり込み、既に立ち上がれないほどの衝撃を与えていた。目の前に放置された可愛らしいピンクの封筒も、丁寧にラッピングされた紙袋も、その上に置かれた灰色のマフラーも、何もかもが城之内を落胆させた。これほど落ち込んだ事もないというほどに。

「おい城之内!!」
「わりぃ、オレ今日パスするわ」
「はぁ?!」
「家に帰って、布団被って寝る」
「おいおいなんだってんだよ!」
「そこのマフラーお前にやるわ。遠慮なく使ってくれ」

 はぁ、と重い溜息と共にそう告げると、城之内は手紙だけをポケットにねじ込んで、言葉通り鞄を手に取ると家に帰るために教室から抜け出した。背後で本田の声が聞こえるが、もはや相手をしている気力はなかった。重い足取りで階段を降り昇降口へ向かう途中、件の理科実験室の前を通り抜ける。その時ちらりと見遣った内部の一角で、遊戯と海馬がなにやらひそひそ話をしているのを見てしまった。落胆が大きくなる。

 今度は絶対に、女子からの告白は受付けまい。プレゼントは絶対に貰うまい。一人寂しく帰路に付きながら、城之内は堅く堅く心に誓った。そして、この失敗を取り戻すための秘策を考えるべく、真剣に頭を悩ませたのだ。

 浮かれ気分最高潮。

 それは、女子に告白を受けた城之内ではなく、今も全開の笑顔を見せている遊戯にこそ当てはまる言葉だった。
 

 ── 以上。ほぼ冬に近い晩秋の、平凡なある一日の出来事である。